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「グーデリアン」or「グデーリアン」

2017-10-04 | ナチズムとスターリニズム
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2017年10月 4日(水)12時30分58秒

>筆綾丸さん
>グーデリアン(Guderian)
昔は「グーデリアン」と呼び習わしていたようですが、今は「グデーリアン」派が多いみたいですね。
ま、どっちも違う、「グデリアン」じゃ、という人もいますが。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%84%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%87%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%B3

>独立投票や独立宣言が「暴動」に該当するのかどうか
これは明かに非該当ですね。
古い教科書で恐縮ですが、大塚仁『刑法概説(各論)』(有斐閣、1980)を確認したところ、内乱罪の「暴動」については、

------
多数者が結合して、暴行・脅迫を行い、少なくとも一地方の平穏を害する程度にいたることをいう。暴行・脅迫は、いずれも再広義におけるそれを意味する。すなわち、暴行は、人に対するものであると、物に対するものであるとを問わず、また、殺人・生涯・放火などをも含む。脅迫も告知される害悪の種類に制限がない。なお、暴動は、朝憲紊乱の目的を遂げるのにふさわしい規模のものでなければならない。そのため、少なくとも一地方の平穏を害する程度のものであることを要するのである(通説)。
------

とあります。(p)
「朝憲紊乱」はかつての条文にあった古めかしい表現ですが、このあたりは学説の進展は特にない分野なので、現在の通説も同様でしょうね。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。
「Puigdemont と内乱罪」
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/9093
コメント
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「リヒヤルド・ゾルゲの手記(二)」の成立事情(その2)

2017-10-04 | ナチズムとスターリニズム
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2017年10月 4日(水)11時58分1秒

前回投稿の「そのわけはこの供述で、……」以降、意味のとりにくい部分がありますが、原文のままです。
この後、小尾俊人氏は「一九五一年八月のアメリカ下院非米委聴問会における吉河光貞氏の証言」を引用しますが、そこでは、

-------
 私のドイツ語と英語はいづれも不完全です。私はドイツ語英語をブロークンで話します。取調べには時間がかかりましたが、ゾルゲは通訳をいれることを望まなかったのです。彼にその理由を彼に尋ねました、彼は通訳は話をむつかしくするからと申しました。
 こうして、我々の間で、理解が困難になったときは、いつでも紙を用いました、ゾルゲは紙に書いて説明しました。
-------

といった状況が説明されています。(p10)
取調べといっても、吉河検事の語学力が不足しているために、ゾルゲの供述に疑問があったら即座に矛盾を指摘して問い質す、といった厳しいやりとりは全然なく、旧制高校でドイツ語を習った帝大生がゾルゲ教授に個人講義を受けているようなものですね。
ゾルゲとしては吉河検事が喜びそうな撒き餌をしつつ、肝心の部分は誤魔化す余裕が充分にあった訳で、実際に中国関係など非常に曖昧です。
この「手記」は日本の司法当局に完全敗北を認めた犯人の赤裸々な告白ではなく、逮捕されてもなお国際諜報戦の最前線で闘う軍人ゾルゲが創作した攪乱工作用文書としての側面がありますね。
ま、それはともかく、

-------
 取調べが終了したとき、ゾルゲは一枚の紙をとり、この取調べはミスター・吉河に依ってなされたむねをタイプで打ち、自ら署名しました。
 それから正式の通事(通訳)が決まりました。東京外国語学校の生駒教授がそれです。生駒氏は拘置所に来られ、ゾルゲがタイプに打った手記が事実彼のものに相違ないことを確認しました。
 宣誓ののちに生駒さんがそれを日本語に翻訳しました。コピイ一部がつくられました。このコピイに生駒教授と私が署名しました。そして翻訳と手記は証拠に加えられました。【中略】
 これは法律に基づく正式の訊問調書であります。
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ということで、「リヒヤルド・ゾルゲの手記手記(ニ)」は「正式の訊問調書」の一部ですね。
なお、『現代史資料』に掲載されているのは生駒訳ではなく、

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 ここに収められたのは、生駒訳のテキストではなく、一九五三年十月、外務省情報文化局による省内資料として印刷されたもの、また同じく一九五三年十一月公安事務室資料として印刷されたもの(この二つはA5版九ポ二段組一〇九ページで同じ紙型に基づくものである)と同文であるが、ドイツ語の唯一の原文テキストが司法省の戦災で亡失しているため、原文からの新訳とすることは不可能である。司法省訳との異同も本書巻末に加えられているので、生駒訳のGⅡによる英訳を基とし生駒訳日本文を参考として、戦後の文章をもって分かりやすく書き直されたものと見るのが、至当ではなかろうか。本テキストのみが新カナ遣いであるのは、そのためである。
-------

といった事情があるそうです。
さて、私はゾルゲに情報入手先の軍人の名前を記した「著書」があるはずがないと思ってザゲィムプレィアさんに疑問を呈したのですが、

・外務省編『ゾルゲの獄中手記』山手書房新社、1990年9月
・『ゾルゲ事件獄中手記』(岩波現代文庫)、岩波書店、2003年5月

を実際に確認してみたところ、前者はみすず書房『現代史資料』の「リヒヤルド・ゾルゲの手記(二)」を丸写ししたものですね。
「外務省編」となっているのは「一九五三年十月、外務省情報文化局による省内資料として印刷されたもの」という事情を反映しているものと思いますが、同書には資料の性格についての説明はなく、まあ、率直に言って不誠実な作りの本ですね。
また、岩波現代文庫の『ゾルゲ事件獄中手記』はみすず書房『現代史資料』から「リヒヤルド・ゾルゲの手記(一)」と「リヒヤルド・ゾルゲの手記(一)」の両方を収録したもので、小尾俊人氏が「解題」を執筆していますが、これは小尾氏自身のみすず版「資料解説」から手記(一)(ニ)に関係する部分を抜粋し、(ニ)については若干の追加情報を付したものですね。
巻末には映画監督・篠田正浩氏の「私のゾルゲ体験」というつまらないエッセイも載っています。
岩波が何で2003年にこんな本を出したのかと思ったら、

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 『現代史資料』(みすず書房刊)として,これらを含めたゾルゲ事件資料が62年に公刊されたとき,耕治人氏は「スパイの供述書というよりも学術書という印象すら与えられるのは確乎たる人生観,世界観のためだろう」(『東京新聞』9月26日)といい,橋川文三氏は「そこには針路を見失って狂奔する日本国家の姿が,ほとんど生体解剖のような無残さで描き出されている」(『図書新聞』10月6日)と評した.また,藤田省三氏は「第一次世界大戦の終結から第二次大戦の終結までの世界の歴史的構造を彼(ゾルゲ)は体現しているのだといってもよい」と書いている.9.11からイラク戦争へ,国際通をきどる研究者,ジャーナリストの目に余る浮薄の言動横行の現在こそ読まれるべき,文字通り命をかけた書物である.

https://www.iwanami.co.jp/book/b256326.html

という事情だそうです。
ま、篠田正浩氏の『スパイ・ゾルゲ』の公開が2003年だったので、ついでに少し儲けようかな、という下心もあったのでしょうね。
コメント
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