飛耳長目樹明

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北方二島は岸内閣の大失敗ーー「極東の範囲」

2016-12-15 11:03:21 | 日記
北方の二島(歯舞色丹)の返還をめぐって、いろいろ取りざたされているが、最大の失敗は日米安保条約の改定をめぐる論議にあった。

1960年の安保改訂を目指して、国会で議論されてた。
政府側は岸首相(安倍首相の母方の祖父)と藤山愛一郎外相。
野党は社会党の飛鳥田一雄氏と横路節雄氏。
争点は、日米安保条約案の条文にある「極東の範囲」にある。

社会党は、「極東の範囲」を明確化せよと迫った。
岸首相と、藤山外相は、ソ連の極東の沿海州が入ると答弁した。
つまり、沿海州で何か事件が起これば、日本駐留の米軍と自衛隊は出兵するというのだ。
これは大論議を呼んだ。

のちに、1990年頃になって、ソ連は北方四島への日本の新聞記者の入島を認めた。

歯舞色丹を訪問した日本の記者は、住民から驚くべき情報を得た。
日ソの国交回復の条約が結ばれた1956年、両島居住のソ連人(ソ連は多民族国家だから、ロシア人以外にも、アイヌ人などいろんな民族がいるので、かりにソ連人としておく)は、当局から数年後までに両島以外に引っ越すよう、指示が出ていたそうだ。そこで、住民は、二島以外への就職と住居を探しはじめたそうだ。
ところが1959年ころ、この退去命令は取り消されたそうである。

この国会論議が行われていたのは、1959年で、わたしは卒業論文に取り掛かっていた。わたしは都内の自宅から通学していたが、取っていた新聞は毎日新聞か、朝日新聞だったと思う。このころ母が毎日新聞の配達と喧嘩し、朝日に切り替えたのを憶えている。

 ソ連のグロムイコ外相が、「極東の範囲」についての日本の国会の論議に激怒しているというニュースもあった。それはそうだろう。沿海州というソ連の領土を、岸首相と藤山外相が、日米安保の対象と明言したのだから、グロムイコが怒るのは当然であろう。せめてオホーツク海の公海上は警戒するくらいに云っておけば、グロムイコも怒らず、歯舞・色丹は日本に返還された可能性が高いのだ。
 

 もう一つ、神奈川県の厚木基地に配備されたアメリカの黒いジェット機も論議を呼んでいた。社会党の議員が、「沖縄に持って行け」と国会で怒鳴ったのを憶えている。これは暴言である。
 この黒いジェット機と同種の偵察機が、翌1960年に中央アジアでソ連に撃墜され、国連総会に乗り込んだフルシチョフ首相が、アイゼンハウワー大統領を、なじったことを憶えている。
 せっかくの雪解けムードが大逆転したのだ。


 閑話休題。それにしても岸・藤山の国会答弁は大失敗だった。
 藤山は経済人(商工会議所会頭)で、大臣は無理だったが、岸は満洲国でさんざん悪事を重ね、東条内閣の閣僚で、日米開戦に加担、東京裁判では起訴されたが、罪を免れた。こういう人物が、微妙な国際情勢を判断できず、ソ連沿海州は、日米安保の対象範囲と答弁したから、どうしようもない。
 
 わたしはもうすぐ80歳で病気であり、国会図書館に行って古新聞を調査することはできない。
 どうかマスコミの若い記者に、真相調査を願いしたい。

 なお、私見だが、「四島返還」は無理だ。そもそも、千島列島は、ソ連の対日戦争参加を促す条件として、米英がソ連に与えたものであり、そのポッダム宣言(「我等が決定する諸小島」とある)を天皇が承認したのだから、如何ともしがたい。
 天皇は、ソ連に講和を依頼する時、沖縄の確保を条件づけておらず、南千島も「できれば」確保ぐらいの条件だった。これは、モスクワ駐在の佐藤大使に伝えられており、ポッダム会談への出発前のモロトフ外相に伝えられていたと思う。沖縄の放棄もだ。
 
 佐藤大使は、「上御一人」(天皇のこと)の安全のために、7000万人の国民を犠牲にしていいのかという悲痛な返電を東京に送っている。こういうモスクワ情報、あるいは開戦前のスエーデン等からの小野寺情報は、参謀本部が握りつぶしており、「上聞」に達していない。

 もっともサンフランシスコ条約締結の際、天皇はアメリカに対し、対ソ戦のために沖縄を提供するニュアンスの書簡を送っており、この点も、国民の前にマスコミはちゃんと報道してもらいたい。

 閑話休題。歯舞色丹の二島返還問題は、岸首相と藤山外相の答弁に原因があることを、マスコミは明らかにしてもらいたい。

 ついでに言っておくと、サンフランシスコ講和条約の12条に、日本は東京裁判の結果を順守する旨の内容が入っている。これを吉田内閣が締結し、国会では、左派社会党が反対しただけだ(共産党は衆議院議員ゼロ、参議院は一名だったと記憶している)。いまさら自民党議員が東京裁判はおかしいということはできない筈であり、A級戦犯を祀っている靖国神社への参拝は、サンフランシスコ条約に敵対するものだ。その点、昭和天皇が靖国神社参拝をしなくなったのは、講和条約を順守していることになると思う。

 自民党は、国民に不都合な条約を多数決で認め、その実、内容を吟味せずにワイワイ言っている。
 戦前なら、前言を翻さず、生涯全うする議員が多かったと思う。
 安倍首相の父方の祖父も、東条内閣の方針に反対し、翼賛議員同盟の非推薦で立候補し、見事当選した硬骨漢だ。安倍首相が、父方の祖父の遺訓を順守することを期待する。

 







 

 
 






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