飛耳長目樹明

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沖縄を譲渡した昭和天皇

2017-04-24 11:06:05 | 日記
 これは『浜名史学』からの筆写である。
 1945年6月頃、昭和天皇は、ソ連に依頼しようとした講和交渉で、「固有の領土の確保」をいいつつも、沖縄の確保は条件に入っていなかった。場合によっては放棄する含みである、
 昭和天皇は、沖縄は明治維新以降に占領した地域であることを、よく認識していたのであろう。

 1952年2月のサンフランシスコ講和条約締結段階で、天皇は沖縄がアメリカの対ソ戦の基地になることを希望していた。これは、マッカーサー総司令官宛の書簡である。

 ところが、占領直後の1947年に、天皇は、沖縄をアメリカが占領することを認めたメッセージを発していたのだ。


「1947年に昭和天皇がだした「沖縄メッセージ」。これは進藤栄一氏が発見したもので、今まで沖縄県公文書館のホームページでみられたのだが、なぜか今は消えている。なぜか?

 とりあえず、下記に紹介しておく。

総司令部政治顧問シーボルトから国務長官宛の書簡
 主題:琉球諸島の将来に関する日本の天皇の見解
 国務長官殿 在ワシントン

 拝啓
 天皇のアドバイザーの寺崎英成氏が同氏自身の要請で当事務所を訪れたさいの同氏との会話の要旨を内容とする一九四七年九月二十日付けのマッカーサー元帥あての自明の覚え書きのコピーを同封する光栄を有します。
 米国が沖縄その他の琉球諸島の軍事占領を続けるよう日本の天皇が希望していること、疑いもなく私利に大きくもとづいている希望が注目されましょう。また天皇は、長期租借による、これら諸島の米国軍事占領の継続をめざしています。その見解によれば、日本国民はそれによって米国に下心がないことを納得し、軍事目的のための米国による占領を歓迎するだろうということです。
                              敬具
                合衆国対日政治顧問 代表部顧問
                    W.J.シーボルト
                  東京 一九四七年九月二十二日



 沖縄戦の最終段階で、奮戦した司令官が、将来沖縄に特別の配慮あらんことをと電報を打ち、自決したことは有名である。

 1972年、沖縄の復帰が決まった時、参議院選挙に初当選した自民党の西銘議員が、自民党議員総会で、復帰した沖縄をよろしくとあいさつしたところ、「沖縄を優遇するな」というヤジが飛んだことを憶えている。
 その時、自民党は、冷酷な政党だと、思ったものだ、「長い間ご苦労さん」と暖かく声をかける議員はいなかったのか。






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