大福 りす の 隠れ家

小説を書いたり 気になったことなど を書いています。
お暇な時にお寄りください。

--- 映ゆ ---  第12回

2016年09月29日 22時32分55秒 | 小説
『---映ゆ---』 目次



『---映ゆ---』 第1回から第10回までの目次は以下の 『---映ゆ---』リンクページからお願いいたします。

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- 映ゆ -  ~Shinoha~  第12回



「婆様の?」

年のころならシノハと同じくらいか、少し若いくらいだ。 
だが、タムシル婆からは孫どころか、子の話も聞いたことがなかった。

「はい、婆様からシノハ様のお話は小さい頃より時折、聞いておりました」 

はぁー? コッチは聞いてないけどー? と言いたかったが、それより気になることがあった。

「あの、“様”は・・・」 と言うと

「あ・・・シノハさんの方がよろしいでしょうか?」 と、問われた。

「いえ、シノハだけで・・・」 と言うと

「それは・・・」 と、言われてしまった。 

心の中でペロッと舌を出しながら “さん”付けなんて慣れてないから気持ち悪いんだけど。 と思うと、断られた事にバツ悪くなり話を変えた。

「ここはいったい?」

「我が村は地の揺れが多いので、揺れる時にはいつもここに逃げ込んでいるのです。 木々の根が張られて安全ですので」

「ああ、それで小屋や椅子などがあるのですね」

「はい。 一日二日くらいならここで生活できますが、今は長いですから不便が多くて。 遠い所を来て下さったシノハさんにもご不便をおかけすると思います」 

「いえ、そんな事は気になさらないで・・・それより」 言うと、気になることを聞いた。

「婆様の背に傷はないのでしょうか?」 

「あります」 

(やはりか・・・) 
「傷の具合は?」

「決して良いものではないと思います。 ですが―――」 ここまで聞くと、トデナミの言葉を遮ってすぐにシノハが問うた。

「どのような傷であられるのか? すぐにでも持ってきた薬草を塗らなければ」

「それが・・・」 トデナミが言葉を濁す。

「まさか! なにか良くないことが!?」 語気を荒げた。

「いえ、そういうわけではありません。 ただ、婆様は自分は一番最後でいいと仰るのです。 
あの恐ろしい地の怒りを受けた時は、畑作業の時でした。 畑作業でこの森の前で働いていた皆は森へ逃げ込みました。 
地の怒りが収まると男達は森に女を残し村へ帰り、あの時村に残っていた長と婆様たちと小さな子達、その母たちを潰れた家から助け出すと、次に薬草の小屋を掘り起こしたのですが、乾燥させていた薬草は粉々になって土と一緒になっていました。
その中で何とか使えそうな僅かな薬草を手にして森へ帰ってきたのですが、僅かな薬草は乳飲み子の母や子供に一番に使えと、婆様は薬草を塗るのを拒んでいらっしゃるのです。 
一度だけ・・・婆様を助け出した後、森の中で血だらけになった衣の着替えを手伝うのに背を見ましたが、大きな傷が・・・」

心配が溜まっていたのであろうか、堰を切ったように一気に話した。

「婆様・・・」 思わず背もたれに身体を預けているタムシル婆を見た。

「それなのにシノハさんがこられる前、今日は地の怒りが治まっている、村を見に行くと仰って、先ほどは村から帰ってきたところだったのです」

「その状態で村に行かれたのですか?」

「はい。 それがここに帰った途端、急にラワンの声がすると仰って、また森の外の方へ歩いていくと、シノハさんの声が聞こえてきたのです」 

「ラワンの声・・・あんなに離れていたのに婆様には聞こえたのか・・・」 独り言の様に呟くと続けて言った。

「我が村の婆様、セナ婆様が持たせてくれた薬草は沢山あります。 すぐにでも婆様の背に塗りたい。 トデナミさん、お願いできますか?」

「はい、ザワミドさんと共に婆様の背に塗りますが・・・」 ザワミドと言うのは先ほど薬草を預けたこの村の薬草師、小太りの女のことだ。

「・・・が?」 

「シノハさんから婆様を説得していただけますでしょうか」

「ああ、薬草を塗るという事をですね」

「はい。 私達の言葉では受け入れてもらえませんが、先ほどあんなに喜ぶ婆様を見たのは初めてでした。 シノハさんの言葉だったら、聞いてくださるかもしれません」 何故か寂しげな目が気になったが、今はそれどころではない。

「分かりました」 二人で目を合わせると、互いに次の行動に移った。

トデナミは薬草師ザワミドの元へ、シノハは荷の片づけを一旦置きタムシル婆の元へ。


「婆様」 椅子の背もたれにユルリと身体を預けていたタムシル婆が目を開いた。 

「ああ、シノハ。 ザワミドから聞いた。 たんと薬草を持ってきてくれたそうじゃな」 伏せていたラワンが首を上げる。

(熱? 先ほど支えている時は気付かなかったが・・・もしや・・・) タムシル婆の口から漏れる空気が熱い。

「婆様、薬草は沢山あります。 ご安心下さい、皆に行き渡ります」 その言葉を聞いてタムシル婆がコクリと頷いた。

「婆様の背に傷があると聞きました。 婆様、薬草を塗らせてください」

「わしは最後でよい。 皆の傷が治まってからじゃ」

「婆様! 薬草は皆に行き渡ります。 セナ婆様が沢山持たせてくれたのです。 セナ婆様の気持ちを汲んでください」

「セナ・・・セナイルか・・・。 セナイルにも心配をかけたのう。 ・・・今日は少し疲れた」 そう言うタムシル婆がどこかに行く気がした。

「婆様?」 目を瞑ったまま返事がない。 

ラワンが飛び起き、タムシル婆の周りを膝を高く上げ、せわしなく歩き始めた。

「トデナミ!! ティカの葉を今すぐ! 早く!」 大声で叫んだ。

すぐさまトデナミとザワミドがいくつかの薬草を持ってきた。 

ティカの葉はオロンガ村特有の葉。 今回初めて持ってきた薬草の内の一つであった。
先ほどザワミドが説明を聞いたが、急に言われてどれがティカの葉か分からなくなってしまったようだ。

シノハがその中から乾燥をさせていない一本の薬草を取ると、肉厚のある葉を一枚取り丁寧に拭き、次に裂こうとしたとき

「あ・・・」 一瞬考えると続けて言った。

「水と、何でもいいので椀はありませんか?」 すぐにトデナミが走った。

帰ってくると手には小さな木の椀を二つ持っていた。 一つの椀には水が入っていると手渡されたが、見てみると少し濁っている。

「今はこの水しかないのです」

「そうですか・・・でも今の婆様にこの水は・・・」 どうしようかと考えると思い出した。

「せっかくなのだが、この水はお返しする」 そういうと水の入った椀を返した。

そしてすぐに腰に下げている筒を手に取り蓋を開けた。 
あの水の流れ、山の恵みであり清らかで滑らかな生(せい)を慈しむ力を持ったあの水が入っている。

「この筒を持っていてください」 筒をトデナミに渡すと代わりに空の椀を受け取った。

すぐにティカの葉を裂くと空の椀にその黄色い汁を絞った。 絞り終えたティカの葉をザワミドに渡すと「まだ使えますから」 と言葉を添えた。

次にトデナミから筒を受け取り、その水を小さな椀いっぱいに入れた。

「婆様、聞こえますか?」 その声にうっすらと目を開けた。

「ティカの葉の汁を入れた水です。 飲んでください」 椀をタムシル婆の口につけるとその椀をゆっくりと傾けた。

ゴクリ、小さく一口飲むと椀を口から離し様子を伺った。 また椀を口につけてゆっくりと傾けるとまた小さく一口飲む。 これを繰り返し、椀の中のティカの汁を入れた水を全て飲み終えた。

タムシル婆はまるで寝ているかのように、そのまま動かなくなった。

後ろで心配気な顔をしていたザワミドとトデナミに向き直ると、トデナミに椀を渡しながら二人に説明をした。

「今の婆様の状態では、汁をそのまま口に入れると効きすぎると思い、水で薄めたのですが、これで少しは良くなると思います」 その言葉にホッと安心した顔で二人が互いの顔を見やった。

続いてタムシル婆の周りをせわしげに歩いていたラワンにも声をかけた。

「ラワン、婆様は大丈夫だ」 その声に必要以上に高く上げていた足が止まり、タムシル婆を覗き込んだ。

シノハはまたザワミドとトデナミを見た。

「婆様の身体の中は熱を帯びているようです。 外に出ない熱、身体を触っても分からない熱です。 オロンガによく見られる体質です。
ティカの葉は、身体の中にこもった熱を外に出しますので、急に婆様の身体が熱くなってきますが心配しないで下さい、悪いことではありません。 そしてこれからどんどん汗が出てきます。 それで熱も下がるでしょう。
それと、我が村ではティカの葉の汁や、磨り潰したものを膿の出来た所に塗ります。 今の様に飲んでも効き目はありますが、膿には塗るほうが良く効きます」 

「膿?」 ザワミドが聞き返した。

「はい。 婆様の背の傷は、膿んできていると思います。 熱は疲れもあるでしょうが、発端は膿によるものだと思います。 これ以上酷くならぬよう、すぐにでもティカの葉を塗ってもらえないでしょうか」
最初、タムシル婆がラワンの背に乗ったときのあの臭いは、膿んでいる臭いに違いなかった。

「勿論、そうしたいのは山々なんだけど、婆様が薬草を塗るのを拒まれるんだよ」 どうしたものかとザワミドが言った。

「トデナミから聞きました。 ですが、これ以上放っておいては婆様の命に関わってきます。 それに今なら婆様も断る元気もないでしょう」

「今?」

「はい、ティカの葉の汁を飲んで暫くは眠っておられると思います」 

「その間にと?」 少し困ったように聞いたザワミドの問いにシノハが頷く。

困り顔のザワミドを見てトデナミが言う。

「大丈夫です。 薬草は私が塗ります。 ザワミドさんは薬草を作ってください。 ザワミドさんが眠っておられる婆様に触れることはありません」 

(何の話をしているのだ?) 思ったが、そのシノハを見たトデナミが続けて言った。

「でも、ここでは・・・」 そう言うとザワミドと目を合わせた。

「どちらにせよ汗が出てくるので、横になるのが良いです。 それにこのままここに居て風に当たっていては良くなるものも良くなりません。 
どこか横になれる所はありますか? そこでティカの葉を塗ってもらえませんか?」 ザワミドに問うと、ザワミドがコクリと頷いたが

「場所はあるけど、婆様を起こして歩いて頂くわけにはいかないし・・・」 ザワミドとトデナミがどうしたものかと、顔を見合わせた。

「男である我が背負うわけにはいきませんので、どちらかが婆様を背負ってくださいませんか?」 その問いに間髪居れずに答えたのはザワミドだった。

「とんでもない! 婆様を背負うなんて!」 ザワミドが顔色を変えて叫んだ。

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--- 映ゆ ---  第11回

2016年09月26日 21時25分41秒 | 小説
『---映ゆ---』 目次



『---映ゆ---』 第1回から第10回までの目次は以下の 『---映ゆ---』リンクページからお願いいたします。

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- 映ゆ -  ~Shinoha~  第11回



「あ・・・あの? それで、馬の間を抜けても大丈夫ですか?」

「ああ、そうだった。 ラワンは何ともないが・・・馬の方がどうだろうか?」

「暴れるかもしれんのう」 それを聞いた大声を出していた男が、他の男達に先に行って馬に付くよう命じた。

だがすぐに、ゆっくりと歩を進めるラワンに気づいた1頭の馬がヒヒーンと嘶き、前足を大きく上げた。

「抑えろー!」 大声を出していた男が叫び走り出した。

付いていた男が手綱を引っ張り、何とか抑えようとするが、今度は後ろ足が何度も空(くう)を蹴る。

「あ、これは婆様、我等がご迷惑をかけているようです」

「日頃の躾がなっとらんから、こうなるんじゃ」 

「我に抑えられるかもしれませんが、出しゃばった事になりますか?」

「お? なんとな? シノハが馬を操るのか?」

「我が使いで行く村は悍馬(かんば)が多くて、そこでかなり鍛え込まれています」

「ほぉー、見てみたいもんじゃ」 すると横を歩いていた女にシノハについて行き、婆がシノハの馬を操るところが見たいと言っている。 と伝えるように言った。

「それでは」 と、シノハが言うと、前を歩いていた少年に声をかけた。

「婆様の後ろに座って支えてくれるか?」 その言葉を聞いて返事をしたのは少年ではなくラワンであった。

ブフンブフンと、鼻を鳴らし少年に威嚇の目を向ける。

「おい、ラワン・・・」

「あ、あの・・・俺はいいです。 誰か他の人に」

「かまわん。 わし一人で座っておれる。 なぁ、ラワン」 そう言うとラワンがオーンと小さく返事をした。

(くそっ!くそっ! くそったれラワンめ!!) まだ根に持っているようだ。

そしてタムシル婆が少年を見ると続けて言った。

「タイリン、お前は他の馬がラワンに気付く前に、どこかへ移動させるように男達に言いに行け」 

「はい」 と、タイリンと呼ばれた少年は、そそくさとラワンの前から去っていった。

「では、婆様手を離します」 脇を支えていた手をソロっと離し、ゆっくりとラワンから下りた。

もう一人の女に「婆様を頼みます」 と言い残し、女と二人でまだ暴れている馬の元に走って行った。

女は何とか馬を抑えようとしている大声を出していた男に聞こえるように、タムシル婆に言われたことを伝えた。

男が怪訝な顔をして手綱を離すと

「やれるものならやってみろ。 おい、馬から離れろ」 周りに居る男たちに言う。 馬はまだ後ろ足で空を蹴っている。

男の目を見てシノハが一つ頷く。

シノハが暴れる馬から手綱を持つと、出来るだけ馬を革紐が括られていた木に近づけてから革紐を木から外した。

「おい! なんてことをするんだ!」 

その声を無視して、すぐに手綱を手に取り、勢いよく空へ投げると手綱が大きく円弧を描いた。 勿論シノハは手綱に通されている革紐を木から外しただけで、まだ手に握っている。 
手綱が馬の背に落ちると、ずっと後ろ足で空を蹴っていた馬が、括られていないことに気付き、前足で大きく地を踏みこんだ。 その瞬間を待っていたシノハが、一歩後ろへ足を引くと勢いを付け、前にある革紐が括られていた木の幹を、まるで道でも走るかのように駆け上がった。

思いもしないシノハの行動に皆が目を見張った。

馬が踏み込んだ前足を大きく上げて嘶いた。

木の幹を走っていたシノハが持っている革紐がピンと張られたところで、木を蹴り身をひるがえすと同時に、革紐を思いっきり引いた。 
すると革紐に導かれるように、その身が前足を下ろしてゆく馬より早く動く。
鞍がついていない馬の背の上に降りる寸前、先に馬の背に手をつき、それから身体を馬の背に下とした。 革紐を手綱から素早く抜き取りそのまま放り投げた。 丁度馬の前足が地に着いた。

すぐに手綱を短く持つと掌に1回巻き、走り出そうとした馬を抑える。 
抑えられた馬はまた暴れる。 その馬の動きに合わせて馬に身体を沿わす。 馬の動きを止める事をしない。 だが、走ろうとすると手綱をグイと引き、走らせない。

辺りを見ると他の馬が移動されて、少々動いても支障は無さそうだ。
だから、ほんの1、2歩前へ進ませる。 だが、すぐに止める。 馬が暴れる。 暴れる動きに身体を沿わす。 また少し進ませる。 その繰り返しを何度もしていると、段々と馬に諦めが見えてきたようだ。

「そうだ、暴れても疲れるだけだ」 とうとう観念したのか、ブルブルと鼻を鳴らして一旦、足が止まった。 が、まだその場で足を動かしている。

「よーし、疲れたな」 まだ完全に馬が落ち着いていない。 暫くそのままでいると馬の足の動きがなくなった。

「よし、じゃあ、気分直しにちょっと歩くか?」 そう言うと短く持っていた手綱を緩め小さく円を描きながら2周ほど歩かせた。

馬が落ち着いたのを感じると一旦止めて、ポンポンと首を叩いた。

「さぁ、次は走ってみようか」 走っても落ち着いていられるかを試すのだ。

先ほどと同じように円を描きながら軽く走らせると充分に落ち着いている。

「よし、いい仔だ」 手綱を引き、走るのを止めるとラワンが見えない方に歩かせた。 

すると馬を移動させていた男が前から歩いてきた。 シノハが馬を下り手綱を預けた。

その様子を見ていた大きな声の男。

「馬が暴れ疲れただけだろう」 吐き捨てるように言うのを聞いた女が横目で男を見た。

放り投げた革紐を拾いに戻ると、大きな声の男が革紐を手にしていた。

「我等が騒がせて、その上勝手な事をして申し訳ない」 当たり障りなく謝ると口を開いたのは女だった。

「さ、婆様の元へ」 返事のない男の目を見据えたまま、顎を引き頭は垂れず、タムシル婆の元に戻った。

「婆様、背は痛くありませんか?」 すぐさま身体を気づかう。

「なんともない。 それよりなんとも奇妙な乗り方をするのじゃなぁ」 

二人の会話を聞いていたタイリンが、シノハに両手を揃えて出してきた。
己の手が台替わりとなりラワンに乗ってくれという事である。

「ああ、すまん」 鐙を使いたいが、踏み込んだが故、鞍に乗っているタムシル婆に揺れが生じてはなんにもならない。

その間にタムシル婆がシノハとともに帰ってきた女に告げる。

「もうシノハのことは皆も分かったじゃろう。 ゾロゾロとついてくる必要はない。 今日の予定を続けるように言ってくれ」 

女が「はい」 と答えるとタムシル婆についていた女に目顔を送り、次に男たちにその旨を伝えた。


出された手に膝を置くとタイリンがタイミングよく押し上げた。 手に体重を掛け、ソロっとラワンにまたがり、タイリンを見て「有難う」 というと、すぐにタムシル婆の脇を支えた。

「では、行きましょう」 有難うなどと言って貰った事の無いタイリンが頬を赤くし、先を歩きだした。

ラワンの背の上ではタムシル婆がシノハに話しかけている。

「まさか、シノハが馬に乗るとは思うてもおらんかったのに、暴れ馬に乗るとはなぁ。 先ほどの話からすると、シノハの割り当てられた村はゴンドュー村か?」

「そうです。 婆様ご存知でしたか」

「あんな荒くれの村に行っておるのか? あの村にシノハを行かせるとは、オロンガの長は無茶をする」

「ははは、確かに最初は驚きました。 でも皆が気の良い村人です。 
普通なら他の村の人間に馬の乗り方など教えてくれないでしょう、それを気前よく教えてくれる心の広い村です。 まあ、せっかく教えてもらっても、なかなか上手く乗れないのですが」

「いや、そんなことはない。 美しく乗れておった。 それによう御した」

「馬が疲れてきていたのでしょう」

「諦めさせたのではないのか?」

「あ・・・はい、そうです。 驚きました、よくお分かりになられた。 ・・・いつも思います。 婆様は何もかもお見通しなのですね」 

「先に馬の背に手をついたのは、馬の背に衝撃が掛らぬようにか?」

「はい。 馬の背には必要以上に負担をかけぬようにと、いつも言われております」

「そうじゃな。 背をやられると痛いからのぅ」

「婆様、痛いのですか?」 心配げな顔を向けて聞くと

「はは、今はさほど痛うないが、柱が落ちてきた時は声も出んくらいの痛さじゃった」

横を歩いていた一人の女が二人の会話を聞き、羨ましげに微笑んだ。


森の中を歩いていくと、先程より随分と広くポッカリと木が生えていない場所が目に入った。 その場所には簡易に建てられた小屋がいくつかあった。 
小屋の前には、皆で生活できるように、簡単に作られた机や椅子が並べられていたり、大きな焚き火のあとがあった。

ラワンから下りたタムシル婆は横向けに椅子に腰掛けると、ゆっくりと腕から背もたれにもたれた。 その顔が隠し切れない痛みに歪む。

ラワンの背から幾つもの荷物を下ろした。 その中に剣も入っている。 戦いを好まないオロンガの村だが、使いにでる時には何があるか分からない。 
特に、使いにでる時には必ずと言っていいほど薬草を持っている。 ズークを見止めて薬草をものにしたいという盗賊は多々居る。 シノハは荷物の中に剣をしまい込むが、他の者も大抵はズークの足で逃げ通すが、万が一を考えて必ず鞍に剣を携えている。

シノハが一つの荷袋から薬草を取り出すと、それぞれの効用をこの村の薬草師である小太りの女に説明し託した。 今回はいつもトワハが持ってくる薬草と違うものが多かったからだ。

荷と鞍を下ろされたラワンは、椅子に座るタムシル婆の隣で伏せている。


ずっとタムシル婆に付いていた女、先にシノハに付いてタムシル婆の伝言を、大きい声の男に伝えた女が、座って荷を片付けているシノハの横に立った。 

低く後ろに結んだ栗色の髪は腰まであって、毛先に緩くうねりを持っていた。 生え際には遅れ毛がクルリと巻いている。 
白く裾が長い筒袖の上衣の上に、膝まである萌葱色の織物を着、同じく白い下衣を穿いている。

「先ほどは、馬を抑えてくださり有難うございました」 シノハより薄い茶色の瞳。

シノハが思わず片付けの手を止め、立ち上がると右の拳を左胸にあて軽く顎を引いた。

「いえ、我等が馬を驚かせてしまったのですから、こちらこそ申し訳ない」

「我が名はトデナミと申します。 婆様の末孫にございます」 思わぬ言葉であった。

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2016年09月22日 22時25分00秒 | ---映ゆ--- リンクページ
『---映ゆ---』



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--- 映ゆ ---  第10回

2016年09月22日 22時23分44秒 | 小説
- 映ゆ -  ~Shinoha~  第10回




煙は村のずっと奥の森の中から立っていた。 喬木に囲まれた森に入るまでの道々には大小沢山の地の割れがあった。

「ここは、畑だったのか?」 畑らしい跡が見えるが、野菜が地の割れの中に入ってしまったのか、はっきりとした物が見えない。

手綱を手に持ち、足元に注意しながら歩いていると森の中で人影が動いた。

「注意しなければ・・・」 怪しまれては何をされるか分からない。 

目の先に集中していると、何人もの人影が木に隠れるように動き出したのが見え、穂先に光るものも見えた。

「・・・これ以上は、かなり危ないか・・・」 

剣は荷物の中に入れてある。 盗賊に襲われてもラワンを信用している。 戦わずとも逃げ切れると。 ただ、寝るときだけは別だ。 必ず横に置いて寝ていた。

シノハが歩を止め、剣が腰に帯びていないことをしめすために、前にかかっていたマントを後ろにやると、大声で名乗った。

「我はオロンガ村のシノハと申す! 村長は居られようか!」 森の中は静まり返ったままだ。

「もっと近寄らなくては聞こえないか・・・」 思ったとき、森の中から一人の男が現れた。

「オロンガの村からはトワハが来るはずだ!」 こちらも大声で返してきた。

聞こえたか、と、すぐに答えた。

「我が兄、トワハは怪我をして動けない故、我が村、“才あるセナ婆様”より我が使いを申し付かった!」 少しの間を置いて返事が返ってきた。

「しばし待て!」 男は森の中に消えていったが、他の影が木の後ろに立っているのが見える。

「なんだよ、大体、ラワンを見たらオロンガから来たって分かるだろうって話だよな」 

他の村では馬を使うが、オロンガ村だけはラワンのようなズークに乗るという事は誰もが知っているじゃないか、と言いたげだ。
目はまるで男らしく木の後ろに見える影を見据えているが、口は10歳並みの言葉を吐いている。

暫くすると森の中の影が動き、ゾロゾロと男達が出てきた。 その中から一人、まだ若者とは呼べない15の歳にもなっていないであろう、10の歳を少し越したぐらいの少年が一人走り寄ってきた。

「シノハさん、どうぞ森へ」 言って先を歩き出した。

「ラワン、行こうか」 手綱を引き歩き出すと、少年がシノハの横に付いた。

「あの・・・シノハさん・・・?」 少年が横を向いてシノハを見た。

「なんだ?」 シノハは前を向いたまま、先に見える男たちを見据えていた。

「あ・・・いえ、何でもないです」 下を向く。

「そうか」 
何かを言いたかったのだろう。 常のシノハなら、目を見て話を促がしただろうが、今は村の男達から目が外せない。

「その・・・酷かったんです。 何の前触れもなく急に地の怒りが・・・」 声が途中で止まった。

少年を見なくとも、口を引き結び泣きそうになる声を抑えているのが分かる。

「さっき、村を見てきた」 言葉少なげに返す。 

そのまま無言で男達の待つ森の入り口に行くと、先ほど大声で返してきた男が腕を組み一歩前に出てシノハを迎えた。 年のころなら40代くらいであろうか。

「トワハの弟、と?」 片眉を上げた。 

「はい、シノハと申します。 我が村のセナ婆様より薬草を預かってまいりました」 “薬草の村”といわれるオロンガ村の薬草である。

「薬草・・・それは有難いが・・・あまり似ておらんのだな」 まだどこか疑っているようだ。

「兄は父に似て身体がガッチリしておりますが、我は顔も身体も母に似たのか兄とはあまり似ておりま―――」 ここまで言うと男達の後ろから、か細い声が聞こえた。

「シ・・・シノハ、シノハじゃ」 足首まである青い一枚物の衣を着、その上に分厚い織物を着ている。

男達が振り向き、シノハも男達の間から声の主を見ると、二人の女に支えられてこちらを見ているタムシル婆が見えた。

「婆様! 婆様!!」 思わず走りよろうとすると、横から槍が出てシノハの歩を塞いだ。

「待て、そこで待っておれ」 男が言うとタムシル婆に歩み寄り、本当に間違いないかと尋ねている。 すると聞こえてきた声はタムシル婆が元気である証拠であった。

「こざかしい事を言うのでないわ! わしはまだ呆けておらんわ!」 

男は小さくなり、槍を向けていた男達の方を向くと顎をクイと上げた。

途端、槍は下げられた。

シノハは周りの男達を一通り見据えると、手綱を引いたままタムシル婆に向って一歩を出した。

「おい、手綱は預かる」 一人の男が言った。

「オロンガでは人に手綱を渡さない。 それは己の首を預けるのと同じ事になる。 ラワンは我の分身だ」 相手を見据える。

「シノハ、早う近くで顔を見せておくれ」 その声にタムシル婆へ視線を戻し、コクリと頷くとすぐに歩を進めた。

タムシル婆の前に着くと手綱を離し、片膝を着くと右指先で額に触れ続いて顎に触れる。そして次にその手を握り締めると左胸元に当て背は伸ばしたままで頭だけを下げた。 敬意を表する挨拶であった。 

挨拶が終わるともう一方の膝もつき、暫く見ない間に小さくなってしまっていたタムシル婆に視線を合わせた。

「婆様、お怪我は・・・」 シノハのその言葉も聞かず、タムシル婆はシノハの頬を両の手で覆い「シノハが目の前に・・・信じられん」 と、幻ではない事をその両手で感じようとしている。

「婆様は家の柱が背に倒れてきて、下敷きになったのです。 その時に打ったのが原因か・・・まだ思うように歩くことが叶いません」 タムシル婆の身体を支えていた一人の女がシノハに言った。

「婆様、背が痛いのですか?」 その声に首を振り、頬から外した手は次にシノハの手を取った。

「本当に大きくなって・・・ああ、これくらい何ともないわ。 シノハの顔を見られただけで明日には一人で歩けそうじゃ」 さっき話した女が一瞬寂しそうな目をして進言をした。

「婆様、これ以上はお身体に触ります。 森の中に入りませんか?」

「そうじゃな。 いつまでもこんな所で話しておってもな。 シノハ、中に入ろうか」 そう言って一歩動かすと一瞬タムシル婆の顔が歪んだ。

立ち上がったシノハに、ラワンが顔を摺り寄せるとタムシル婆の横に立った。

周りに居た男達は一瞬ラワンに槍を向けかけたが、その手がすぐに下ろされた。 ラワンが足を折って身体を低くしたのだ。

「婆様、ラワンが背に乗ってはどうですかと言っておりますが」 その言葉に驚いたのは男達であった。

「なんと、ズークがそんな事を考えるのか?」 男達が口々に言う。

ざわめく男達にシノハがタムシル婆とラワンの縁(えにし)を説明する。

「婆様はラワンの命の恩人。 ラワンはそれをよく分かっています」 続けてタムシル婆に言う。

「婆様、ラワンが立つときには、少し揺れがありますが、婆様に痛みの走らないように歩くでしょう。 それに我が後ろから支えます」 それを聞いた男達が目の色を変えて何かを言いかけた。 が、すぐにタムシル婆が目で制した。

(なんだ? 何を言いかけた?)

「婆様? 何かあるのですか?」

「いいや、何でもない。 では、ラワンとシノハに頼もうか」 その言葉を聞きシノハが伏せているラワンにまたがっている間、タムシル婆が小さな声で言った。
「お前達も分かったな」 男達に釘を刺すように。

女達に支えてもらい、先にラワンの背に座ったシノハの前にタムシル婆が座った。

座る前、タムシル婆の背が丁度シノハの顔辺りに来たときにある臭いがした。

(・・・この臭いは・・・まさか) シノハはタムシル婆の背に触らぬよう両脇を支えたが、その時の男達の目つきが気になる。

(いったいなんだって言うんだよ)

さすがに折った前足を前に出すときには少し揺れたが、ラワンは少しでも揺れないようにと、ゆっくり立ち上がり始めた。 

その姿を見ていた男達から「ほぉー」 と感嘆にも似た声が漏れ出た。

「ラワン、わしは大丈夫じゃからな。 お前が無理をして身体を痛めるでないぞ」 下手に揺れをなくそうとして、筋や肉を痛めないかと心配しているのだ。

オーン。 小さな声で啼いた。

(ラワンめっ! 俺が話しかけても返事をしなかったくせに!) やはり、心の中は10歳程度であろうか。

やっと立ち上がるとゆっくりと歩き出した。

先を先導するのはさっき走り寄って来た少年。 そしてタムシル婆を支えていた二人の女と、大声を出していた男がラワンの両横に付いた。 他の者達は後ろからゾロゾロとついてくる。

入り口はそう広くなかった森の中に入ると、段々と木々が少なくなり、木々のない広い場所があった。 そこを過ぎ行き、また木々が増えてきた。 そして暫く歩くとわずかな数の馬が目に入ってきた。 少しでも動けるようにと、頭絡をつけた馬の手綱に丈夫な革紐を通し、その革紐を木に括り付けてあった。

「シノハさん、その、・・・このズーク、馬の間を抜けても暴れませんか?」 

先頭を歩く少年。 シノハが言っていたズークの名前を聞いていたが思い出せない。

シノハに尋ねようと振り返るとラワンに睨まれていた。

「ウッ!」

「ラワンという名じゃ。 ラワンは何でもわかっておるからな、次に“このズーク”なんぞ言うと、後ろ足で蹴飛ばされるぞ」

「グッ・・・。 ・・・はい、ラワン・・・“さん”ですね」

「“さん”はいらないと思うが・・・」 ポツリとシノハが言ったが、今の“このズーク”発言で、どれだけラワンがヘソを曲げているかが分からない。

ラワンもシノハに似て心の中に幼い部分があるようだから。

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--- 映ゆ ---  第9回

2016年09月19日 21時56分04秒 | 小説
- 映ゆ -  ~Shinoha~  第9回




「ラワン、煙が見えてきたぞ。 きっとあそこがタムシル婆様(ばばさま)の居られる村だ。 盗賊から逃げてばかりで疲れただろう、あと少し頑張ってくれ」 肩まではかからない長さの後黒髪を揺らせながら言うと、オーンとラワンが返事をした。

ずっと先には森のようなものが見える。 そこから煙が上がっていた。

太陽が空に上がっている時間だというのに、先の空には橡色(つるばみいろ)の雲がかかっていてどんよりとしていた。

「気味の悪い雲だな・・・」 目の先に見える空を見て眉をしかめたが、一方でやっと着いたのか、という思いで数日前を振り返った。

「それにしても何だってあれほど盗賊に遭わなくちゃいけなかったんだ。 トワハからそんな話は聞いてなかったのにな」


シノハの村では他の村に用を伝える、何かを持っていく等のときに出向くのには、行く先の村によって割り当てがあった。 

最初に20代の若者がその役を仰せ付かり、40の歳になる頃には選ばれた次の若者に、行く先の村への顔合わせも兼ねて道を教え、注意しなければならない場所などを教えながら何度か同道する。


タムシル婆の村へ出向くのは、シノハの兄のトワハと決まっていたのだが、トワハが馬から落ち、肩と肘を骨折してしまいズークの手綱を持つことが出来なくなっていた。 

他の村では俊足な馬に乗るが、シノハの村では馬に乗らない。 ラワンの種(しゅ)となるズークに乗る。 ズークとは羚羊(れいよう)の中の一つのような種である。

よって、シノハの村には馬がいないのだが、数日前若い衆が薪を割っている時、どこかで馬の嘶く声が聞こえた。 顔を上げ、みんなで目を合わせていると、次に鼻をならす音が聞こえてきた。 

その時、その場に居た一番年上のトワハが斧を置き後ろを振り返り歩き出すと、村の薪小屋の後ろに馬が1頭居るではないか。 手綱(たづな)がこれから割ろうとする積み上げられた木に引っ掛かって身動きが取れないようだった。

手綱を木から解いてやり、その手綱を持ち、皆の方に連れて行くと「鞍がついているから迷い馬のようだ」 と言い、そしてそのまま薪を割っているように告げると、馬を連れて長(おさ)の元に向かった。

トワハはチャンスと思っていた。
この村も馬に乗るべきだと考えていたからだ。 

だが、長の元に連れて行くと「この村に馬はいらぬ」 と一蹴された。

「何故ですか? どこの村でも馬に乗っております」

「我らは祖代々、ズークと共にいる。 それにこの土地に馬は向いておらぬ」

言い切られて、何とか馬の良い所を見せようと馬に乗ったとき振り落とされ骨折をした。


よって、常ならトワハがタムシル婆の居る村へ出向くのだが、それが叶わない。

そこで村の“才ある者” セナ婆(ばば)が、

「姉さま(タムシル婆)ならシノハをよく知っている。 あの村は疑り深い村が故、下手に知らないものが行くと槍を突いてくるかもしれん。 
シノハなら、姉さまが証明してくれよう。 トワハの代わりに行ってくれるか?」 と問われた。

シノハはタムシル婆の村へ行ったことはなかったが、タムシル婆がまだ元気に身体の動く頃、タムシル婆の妹であり、我が村の“才ある者”、セナ婆の家を訪れては、セナ婆に懐いているシノハを可愛がってくれていた。

タムシル婆が年老いてからはそれが叶う事はなかったが、シノハはタムシル婆に逢いたいという気持ちがあった。 

だからこの事を聞いたときには心が躍った。

「だが、姉さまの村に行くとシノハの知らぬことがある。 それを聞いても驚くなよ」 と言われた。

それが何なのかは言ってもらえなかった。


セナ婆はトワハの代わりにシノハをトンデン村へ行かせるようにしておくれ、と長に言った。

セナ婆から託された“薬草の村”と呼ばれるに恥じない沢山の薬草を間違いなくタムシル婆に届けたい。 

トワハにはしつこい程、危ない所はないかと尋ねていた。 

万が一にも薬草を落としたり、盗られたりすることがないように。 

トワハからは岩山には盗賊がいる事を聞いていたが、それ以外は聞いていなかった。



「タムシル婆様に逢えるのは久しぶりだ。 少しでも傷が治まっておられるといいのだがな」 ラワンの首の後ろに話しかけるが返事がない。


風の噂に聞いた。 タムシル婆の居る村の地が大きく揺れ歪み、タムシル婆が大きな傷を負ったと。 だから、タムシル婆の妹であり、シノハの村の“才ある者”であるセナ婆が薬草を持っていくようにシノハに託したのだ。


「なぁ、ラワンもタムシル婆様に逢いたいだろう? なんてったって、タムシル婆様が居られなかったら、ラワンはこの世に居なかったかもしれないんだからな」 

そう言ってもラワンの返事がない。



母ズークのお産が始まってもラワンはその腹からなかなか出てこなかった。 
そして夜中、少しの明かりの中、母ズークが倒れてもがき苦しみ空を蹴りだしたのを見て、三日三晩見守っていたシノハが慌ててセナ婆の家に飛び込んだ。

だが、運悪くセナ婆は今までにない高熱を出して寝込んでいた。 が、丁度セナ婆の元にタムシル婆が来たところだった。 

話を聞き、急ぎ産小屋へ行くと母ズークの中に腕を入れ、何かを確かめるように手を動かしていたかと思うと、素早く引っ掛かっていた足を解き引き出した。 その上、蹄の向きを見ると逆子であった。 
タムシル婆が「手伝え!」 と叫ぶと、丁度様子を見に来たシノハの父親が慌ててその足を持った。 タムシル婆、シノハとシノハの父親の三人でその足を掴みグイグイと引っ張り、お腹の中の仔をようやく出した。

生まれ出てきたのは、生まれたばかりの赤仔とは思えないほど肉付きがよくその上、骨組みも大きかった。

「まぁ、まぁ、なんと大きな仔じゃ。 これでは普通でも簡単には出てこんわなぁ」 ラワンが生まれて最初に声をそそいだのはタムシル婆だった。
そう言って薄明りの中、その場を歩き出すと

「婆様ありがとうございました」 シノハの父親がその後ろ姿に声をかけ、すぐに母ズークと赤仔を見やった。

薄明りの中である。 父親は背丈も肉付きも声もよく似たタムシル婆を、セナ婆だと思い込んでいた。

当時14歳だったシノハは、父親がタムシル婆に気付かないかと、ドキリとしたものだった。



「なぁ、さっきからどうしたんだよ。 返事ぐらいしてくれよ」 

ラワンが何故か無視を決め込み黙々と歩いていると、村の様子が段々とシノハの目に見えてきた。

「あれは・・・」 頭巾を下ろす。

煙が立っていた森の手前、そこに見える村らしからぬ姿に寸の間息が止まった。 

「ラワン、すまない、疲れているだろうが最後の力で走ってくれ」 そして一つゴクリと唾を飲むとラワンの横腹を踵で蹴った。

ラワンがオーンと嘶くと一直線に走り出した。


ラワンから下りると地を踏みしめた。 風が黒いマントを揺らすたび、織機で作った生成り色の衣が見える。 上衣は筒袖に裾が膝の少し上まであり、その上には茶色の袖のない尻の下までの長さの合わせ襟を着ている。 
編み上げのある靴の中に上衣と同じ生成りの下衣を入れている。

手綱を持ち目の前の光景に慄然とした。

木が根から掘り起こされたように倒れている。 地が盛り上がっている所もあれば、割れている所もある。 
きっと家が建っていたのだろう、無造作に積みあがった幾つもの木の塊がある。 あの下には女達が編んだ敷物があるに違いない。

家の中の誰かを探そうと思ったのだろうか、崩れた家を掘り返したようなあとがある。 
元は家であったのであろうか、織機なのだろうか、血の付いた木が散乱し、その間に木の椀が転り、引き裂かれたような布も見える。

上手い具合に火は上がらなかったようで、焼け焦げた跡はないが、何もかもがなくなってしまっている。
厩にあったであろう藁が風に舞い、砂埃が立つ。

ゆっくりと辺りを見回した。

「あれは?」 先に目をやると足早に歩いたが、それまでの地にべっとりと血がついていた。 

目にしたのは多分薬草小屋だったのだろう。 乾燥した薬草が粉々になっている。

「薬草が使えていないのか・・・」 もう一度辺りの惨状を見渡した。

「・・・なんてことだ」 あまりの惨憺(さんたん)たる光景にどうしていいのか分からない。 暫し立ちすくんでいたが、やっと我に返った。

「婆様は? タムシル婆様!」 思わず叫びかけた。

「そうだ、煙!」 遠くから見ていた煙を見つけるとそちらに歩を向けた。

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--- 映ゆ ---  第8回

2016年09月15日 23時11分33秒 | 小説
- 映ゆ -  ~Shou~  第8回




「なに? どうしたの? お腹空いてるんでしょ?」 立ち上がり渉を見下ろす。

「うん・・・。 せっかく久しぶりに来たのに、もうここを出るのが何となくまだ物足りないっていうか・・・」 カケルが眉を上げてその言葉を聞くと、座りなおしながらバッグの中に手を入れた。

「渉は昔からここが好きだもんね。 はい」 バッグの中から何かを出した。 手渡されたのは、飴であった。

その飴を見るとクスッと笑って口に放り込むと懐かしそうに話しだした。

「昔二人でここでおやつを食べていて、よく小父さんに怒られたよね」

「こらー! ここで物を食べるんじゃないー! ってね」 カケルのその言葉を聞いて、ふと感じた。

「あの時、ここでカケルと会わなかったら、私たち何処かで知り合いになれたのかな?」 

「なに? どうして急にそんな話になるの?」

「なんだろ? 懐かしい誰かに逢った気分なんだ。 それってカケルしかいないじゃない?」

「懐かしいって、前に逢ってから3か月ほどしか空いてないじゃない」

「うん・・・なんでだろ?」 口の中でコロコロと廻していた飴を頬に収めると、頬がプクッと膨らんだ。

「なんでだろって・・・その言葉そっくりそのままお返しするわ」 呆れたように溜息をつくが、いつもの渉、これが渉なんだと思うと笑みがこぼれる。

「初めて会った時、カケルってどれだけ意地悪な子なんだろうと思ったわ」 鞄の上に片肘をつき、その手に顎を乗せるとチラッとカケルを見た。

「もう、どうしてそんな話になるのよ。 あの時のことは言わないでよ」 伸ばした足にもう一方の足を掛けた。

「翼君が生まれて赤ちゃん返りしてたんだもんね」 すると、それ以上言うなとばかりに、切れ長の目で渉を横目に睨んだ。

「・・・こわっ・・・ゴメンなさい、もう言わないからその目やめて」 ついていた肘を倒して、顔を引いた。

「こわっ、て失礼ね」

「あのね、カケルの顔でそれやられると凄く怖いんだから。 自分がどれだけ冷凍美人か知らないでしょ」

「冷凍はいらない」 美人という所は否定しない。 

カケルは神社の助勤以外に、あと2つバイトをしている。 その内の1つのバイト先で、自分がどれほど美人なのかを思い知らされている。

美人が美人と言われるのを否定すると、嫌味になるとわかっている。

「あれ? ・・・そう言えば」 カケルが難しい顔をした。

「なに?」 前かがみになって聞く。

「うん、今日のお客様なんだけどね、以前にも来たことがある方だったの」

「それがどうしたの?」

「その日が、私達が始めて会った日らしいの」 

「え? なに? どうしてそんなことが分かるの? 10年以上も前よ」 前かがみになっていた身体を起こして、首を傾げる。

「何サバ読んでるのよ、20年前のほうが近いでしょ」 足を組み替えた。

「4歳の時に知り合ったのよ。 まだ24歳じゃないもの。 23歳よ」

「だから、10年以上前じゃなくて20年近くも前・・・ああ、そんなことはどうでもいいわ」 

(渉と話す時は、細かいことを考えちゃいけないんだったっけ) 思うと一つ息を吐いた。

飴を頬に入れ、カケルの次の言葉を頬を膨らませて待つ渉。 その顔を見てカケルが思う。

(渉ったら相変わらず素直すぎるんだから。 本当に私と同い年かしら・・・) 渉の顔を見て両方の眉を上げると、言葉を続けた。

「お客様がいらした時、小父さんと喋っているのを後ろで聞いてたの。 そしたら、その・・・私がさぁ、お守りを・・・やっちゃったじゃない?」 言いにくそうに、顎を引いて上目づかいで渉を見た。

「うん、景気よくやったよね」 嬉しそうに答えた渉が、一瞬あの目で見られた。

「あの時、小父さんがお客様を、客間にご案内したところだったんだって。 そしたら私の母の大声がしたからって、小父さんが慌てて客間を出て、それであのあと客間に戻った小父さんが、事の顛末をお客様に話したらしくって・・・
その時の子供ですって紹介されちゃったわ」 小さく舌を出した。

「へぇー、そんな事ってあるのね。 何度かカケルと会ってるっていっても、いつも神社で会ってるわけじゃないものね。 神社で会うのは久しぶりなのに、偶然にもその人も今日来てたってわけね」

「うん。 だから渉の思う懐かしいっていうのが、このことと関係あるのかな? って思って」 違う? といった感じで小首を傾げる。

「うーん、どうだろ? 当時、私がその人を見たわけじゃないし」 人差し指を口に当て、目だけを上に向ける。

「そうよね。 お客様の空気を感じたとかっていうはずもないし」

「その人は何しに来たの?」 指はそのままで、視線だけをカケルに戻した。

「うん、以前もそうだったらしいんだけど、磐笛(いわぶえ)奉納にこられたの」

「なに? イワブエ?」 口元から指を外すと、小鳥の様に何度も小さく頭を左右に傾げる。

「簡単に言うと石で出来た笛」

「石の笛を納めに来たの?」 やっと首が止まった。

「違うわ。 磐笛自体を納めるんじゃなくて、磐笛を吹いて音霊(おとだま)を納めるって言えばいいのかしら。 磐笛を吹くの」 組んでいた足を解いて、両方の足の膝を曲げ引き寄せた。

「へぇー・・・」 石の笛といわれただけでも想像が出来ないのに、音霊を納めるって言われてもピンとこない。

「本当は2時に来られる予定だったの。 その時間には小母さんも帰ってくる予定だったんだけどね。 
それがさ、ここを終わって次に行かれる所の天候が悪いらしくて、もしかして夜には飛行機が飛ばなくなりそうだからって、時間が早まったのよ。 
もうね、小母さんは居ないは、初めてのことだからどうしていいのか分からなくて、シッチャカメッチャカだったわ」 本当に困ったと言う顔を渉に向ける。

ああ、やっぱり、自分には無理。 と、渉が心の中で呟いた。

「え? でも2時ってとっくに過ぎてるじゃない? 小母さんまだ帰ってきてないんでしょ?」

「事故渋滞で車が動かないんだって。 メールが入ってきた」

「駄目な時ってそういうタイミングなんだよね」

「そっ。 でもね、待たせた渉には悪いけど、なんかね・・・磐笛って初めて聞いたんだけど、とっても綺麗な澄んだ音色なの。 聞いて得しちゃった気分よ」 満足そうな顔を渉に向ける。

「ふーん、磐笛ねぇ・・・え? 笛? 澄んだ音色・・・?」

「うん、そうよ。 それがどうしたの?」

「あ・・・」

「なに?」

「何か忘れてる・・・」

「忘れてる? 何を?」

「うーん、なんだろ・・・思い出せない」 

あの日、家に帰って暫くは父親も母親も、どこからか聞こえてきた綺麗な澄んだ音色の笛の話をしていた。 渉にもその事を話していた。 勿論カニが見つからなかった話も。 

だから覚えているが、そのほかの話はしていない。 他の記憶が思い出せない。

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--- 映ゆ ---  第7回

2016年09月12日 22時53分52秒 | 小説
- 映ゆ -  ~Shou~  第7回




磐座への歩きなれた道、先程とは違う道を上る。 ヒールであろうと左に見える細い急な下りの道も、難なく下ることが出来る。

その先の磐座までは途中から渉の身長でも、跨ごうと思えば跨げるほどの水の流れが現れる。 その流れに沿って歩く。 

水の流れは磐座からであったが、一度ぐるりと大回りをして地の低いこちらに流れている。 山の水が流れているのだから澄んだ綺麗な水である。

渉は磐座までのこの道すがらが、とても気に入っている。

木々の空気に触れた後に、綺麗な水の流れを目で感じ、香りで感じ、耳で感じ、その清々しい温度を肌で感じる。

平地で上を見ると今まで上に被さっていた木々もなくなり、太陽が優しい暖かさを降りそそいでいる。

「暖かい。 ああ、いつ振りかな・・・」 心が自然の中に溶けていくような錯覚にとらわれる。

もう一度、大きく木々の発する空気を吸い、ゆっくりと水の流れる姿を見ながら磐座の方へ歩を進めた。


磐座は渉が歩いている水の流れを境に、向こう側にある。

その場所は水の流れから向こう1メートルほどの幅があり、さらにその向こうは渉の膝くらいの高さの段になっていて、そのまま緩やかな上りとなっている。 
その高くなっている所の1、2メートルほど奥に磐座があるが故、渉の視線からは磐座全体を見ようとすれば少し上の方に見える。

磐座には麻で出来た縄をグルリと一回り掛けてあり、その麻の縄に紙垂(しで)が挟み込まれている。

そして、いつもなら水の流れの向こう側の幅の半分からは入っていけぬようロープが張られていたのだが、今日はロープが見当たらない。


水の流れを挟んで磐座の前に来ると、フッと息を吐いた。

「ここへ来て考えなんて持ちたくないわ」 さっき考えていたようなことなど考えたくない。

肩に鞄をかけ、姿勢を正すともう一度大きく息を吸い、ゆっくりと吐いた。 

「今日は・・・ロープが張られていないから、いいかな?」 そう言うと、水の流れを一跨ぎし、膝の高さのある段差まで歩み寄った。 

そして磐座をじっと見ると二礼二拍手をし、小声で「有難うございます」 と言うと一拝をする。 磐座の前に立った時の、いつもの動作。

久しぶりに来たんだという思いで磐座を見ていると、畏れ多くも磐座に心が溶けそうになる気がした。 

その心地に酔いそうになったとき「え?」 声にならない声でそう言うと、驚いたように目を見開いた。

磐座の周りの風景がほんの少し歪(ゆが)んだように見えた。 暫く見入っていたが、眉根を寄せて小首を傾げた。

「特に何もない・・・見間違いね ・・・けど、なんだろこの気持ち」 上がっていた肩を下すと表情を緩く戻してフッと息を吐いた。

「ああ、きっと自分を忙しくさせ過ぎたからね」 もう一度姿勢を正し磐座に一礼すると、反対側に向き直り水の流れを跨いで、いつも腰を下ろす切り株に磐座の方を向いて座った。

目線を落とすと水はユルユルと流れている。

「ここのお水っていつ来ても留まることを知らないよね。 私なんてちょっと忙しくしただけでこんなに疲れるのに」 フゥ、と息を吐き少し腰を浮かすとクルリと反対側に向いた。

「木、草・・・ここって本当に幸せだなぁ」 仕事が嫌になってきたわけじゃない、でも何かが違う。

「カケルみたいにここで巫女バイトでもしようかな」 カケルが話していたことを思い起こすと首を振った。

「ムリムリ・・・。 私はそんな器じゃないわ」 膝に置いていた鞄に片肘をつくと顎を乗せた。

地に根付いた神社。 本来なら巫女など必要ないのだが、時折 宮司の妻が留守の時や、連休にはバイトで呼ばれるのである。

いつもなら授与所の中で座って、お守りを買いに来た参拝客に渡すくらいで、渉が思うような難しいことはしていないが、今日のように急な客を接待することなどが時々あると聞いている。

「うん、無理。 畳の上を静々と歩いてお茶を出すなんて、絶対にこけるに決まってる。 いや・・・ピンヒールを履いてるわけじゃないんだからこけないか」 そう言ったかと思うとすぐに

「あ、座ってお茶を置いて立つときに絶対にあの緋袴を踏む・・・うん、やっぱりこけるな」 バカなことを考えていると、グゥ~と腹の鳴る音がした。

「あ、そうだった。 走りまくってたのにまだお茶どころか、お昼ご飯も食べてなかったんだったわ。 あのクソジジィのせいよっ! お腹空いたー。 カケル早く来てよー」 すると

「はい、はーい」 というカケルの声とともに足音が聞こえてきた。

入り口を見るとGパン姿のカケルがこっちに向かって、足早に歩いてきていた。

「あは、やっぱり妖怪じゃなかった」 小声で言う。

「ごめーん、ホンットに待たせちゃった」 両手を合わせる仕草をしながら歩いてきた。

「え? 早くない?」 時間的に考えるとさっき別れてから、着替えを済ませたくらいしか経っていない。

立ち上がった渉の前に立ったカケルが、指を頭にくっつけるとクルリと回す仕草をした。 

「相変わらずね」 髪の毛がハネていると言っているのだ。

「え? 嘘、今朝は完璧だと思ってたのに」 長身のカケルを見上げながら髪の毛を押さえる。 

ちなみにショートヘアーでクセッ毛の渉は、疑わしい自称身長150cm、長いストレートの髪のカケルの身長は172cmである。

「ふふ、可愛いわよ」 言うと言葉を続けた。

「あとはお茶を下げるだけだからいいよって。 小父さん(おじさん)が言ったの」 巫女姿の時には宮司と言うが、着替えると小父さんと言う。

渉の座っていた向かいの切り株に腰を下ろした。

「あ、もしかして小父さんに私の姿を見られちゃったとか?」 渉も腰を下ろした。

「うううん。 今日は渉と会うって最初から言ってたの。 それに小母さん(おばさん)も、もう少ししたら帰ってくるだろうからって・・・」 ここまでいうと

「あ!! ロープを張りなおすのを忘れてた!」 慌てて隠すように端の方に置いてあったロープを取り出すと、すぐさま張りだした。

「ああ、カケルが張り忘れてたの?」

「そうみたい。 もうね、見たこともない、ってか、何をどうしていいのか分からなくて、シッチャカメッチャカだったわ。 あぁん、手に泥が付くぅー」 隠してあったところの土はジメっとしていて、下のほうになっていた部分には、泥がついてしまっていた。

「ここの水で洗えばいいじゃない」

「うん、まぁね。 でもまだ冷たいだろな」 やっと張り終え、泥がついた手を水の流れで洗うと「キャ、冷たい」 と言い、渉から差し出されたハンカチで拭いた。

「アリガトって、あ、お腹空いてるのよね?」

「ペコペコー」 ワザとらしく顔をしかめて言う。

「ゴメン、ゴメン。 じゃ、駅前に出て食べに行こ」 その言葉にすぐ返事が出来なかった。

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--- 映ゆ ---  第6回

2016年09月08日 22時05分41秒 | 小説
- 映ゆ -  ~Shou~  第6回




上手い具合に待ち時間もなく電車、バスと乗り継いで その後またもやバス停から走って階段を駆け上がり、鳥居をくぐるとすぐに時計を見た。

「痛ったー! 40分も遅刻!」 

カケルから向けられる顔を想像しながら、勝手知ったる何とやらという具合に授与所の方へ歩を向ける。

「今日は参拝者が少ないのね」 辺りを見るがポツンポツンといるだけだ。 その中にカケルを探す。

「あれ? どこにもカケルが居ない?」 あの冷たい目をして腕を組み、授与所近くのどこかにいると思ったのに、どこにも見当たらない。

「それに授与所が閉まってるってどういう事?」 腕を組んでみた。

「社務所の中かしら?」 と、授与所の奥になる社務所に顔を出しかけたとき、後ろで足早に歩いてくる音がして振り返った。

「あ、カケル。 って、なんでまだその姿?」 長身の丈に白い小袖に緋袴、長い黒髪を後ろで一つに結んだ巫女姿のままだ。

「ゴメン、かなり待ったよね」 想像していた流れと随分と違う。 

「え? あ・・・そうでもないけど」 今来たところなんて言ったら、あとで説教をされるかもしれない。 ここは貸しを作っておいて上から出ようかとも考えたが、残念ながらそこまで嘘がつけない性分だ。

「お客様がいらっしゃって、まだ抜けられないの。 って言うか、これからなの」 小声でちょっと急いたようにカケルが告げる。

「え? じゃあ、今日はお流れ?」 約束のお流れと言うよりは、走ってきた努力がお流れになるの? と心の中では言いたかった。

「うううん、流す気はない。 悪いんだけど待っててくれない? 初めてのことで、どれだけかかるか分からないんだけど」 

「じゃあ、いつもの磐座(いわくら)の所で座ってるから終わったら来てくれる?」

「あ、今日は磐座に行っちゃいけないの。 渉(しょう)の行く磐座はいいのかもしれないけど、よく分からないから終わるまで山の中で待っててくれる? あ、それとも社務所に入ってる? カギ取ってこようか?」 少し忙しげに言っている。

「いい、いい。 忙しいんでしょ。 行って。 山の中でゆっくりしてるから」

「ゴメンね。 終わったら呼びに行くね。 じゃ、お客様の所に戻るから待っててね」 足早に境内を歩いて行った。

「仕方ない。 どっかの切り株で座っていようっと」

渉は参道を横切りヒールに砂利の傷が入らないようにつま先立ちで歩いた。 そして奥につながっている神社の横道に入ると緩やかな登り坂にヒールの踵を下ろし、迷うことなく歩いた。

「やっぱり山の中はまだちょっと冷えるな・・・」 街中の街路樹になっている桜の蕾がほころび始めたが、この地の山の中はまだ冷えるようだ。

道を挟む両側には木々や雑草がうっそうとしているわけではなく、程よく生えている。

その木々の中をゆっくりと歩く。

歩いていくうちに木々に覆われた空気、清々しいそれに触れると何とも言いようのない身体の喜びを感じる。 細胞一つ一つがそれに喜び、共鳴し震えているようで身体がジンジンとする。

直線に真っ直ぐそのまま歩くと急な上り坂になるがそこを歩かず、左側に見えるなだらかな上り坂を暫く歩き、今まで歩いてきた道筋を変えて左に見えた細い横道を見ると、短くはあるが少し急な下り道に入る。 下り道を降りると土地が左右に段々と広がって渉のお気に入りの磐座に着く。 そこは木や草に囲まれてはいるが、少し広い平地となっていて陽がよく当たる。 だが今日はそこへは行けない。

磐座へ続く道には向かわず、真っ直ぐにも歩かず、狭い右側の緩やかな下り坂を歩いた。 そして途中で左に見える上り坂を上がる。 知る人ぞ知るの道である。 上り坂を登って途中で切り株を見つける。

「うう・・・ちょっと冷えるかな」 切り株に腰を下ろすと少し身を縮めた。

「磐座の所なら陽がよく当たって暖かいんだろうなぁ」 バッグを膝に置き背を丸める。

「それにしても、初めてのことって言ってたけど何なのかなぁ?」 

カケルのことを思いながらも自分自身の今日までのことを思い、大きく息を吐いた。

「忙しすぎた・・・じゃないな。 自分で忙しくしたんだものね」 


 
大学を卒業して今の会社に就職をした。 簡単に就職が出来る時代じゃない、有難いことではあった。 

それなのに、床を傷めるからとヒールの細い物はいけない、太いローヒールである事。 電気代節約だと、廊下のエアコンを切られている。 

そのくせ見た目が揃わないから退社するまで制服の上には一切何も着ない事、等々。 どうでもいいことに煩く言う総務がうっとうしかった。

別にピンヒールを履きたいわけじゃない、仮にピンヒールを履いたとて傷がつく床じゃない。 それにこけるのが目に見えてるから履く勇気も無い。 

渉が属する課の事務所から出たときにドアの向こうの廊下や、寒風をもろに受けている渡り廊下が寒くても我慢も出来る。 でも体温が異常に低い渉にとっての冬の空気は完全に冷え切って熱が出そうになる・・・総務の言う何もかもがうっとうしい。

「あのクソジジィ、自分の都合ばっかり考えて他の人間はどうでもいいって感じ。 自分は事務所の机にドッカリ座って、動くこともないんだから。 何もしないくせに口だけ達者、それがピントはずれなのにも気付いてないなんて」 日々、皮肉が言いたくなる。

「確か、前は総務だったみたいだし・・・そう言えば総務が総務事務所を出る姿なんてロッカーの行き帰りくらいよね。 総務がどれだけ自分勝手だかよく分かるわ」 頭でそれを思ってすぐに思い返した。

「総務に何を思っても始まらないよね・・・」 その思いの繰り返しだった。


思いの繰り返しのある渦中、ふと渉に疑問が浮かんだ。

「なんでこの世なのかな・・・なんで私なのかな・・・」 そんな思いが浮かび、それ以上何も考えることが出来ない。 考えが浮かばない。 

それはとても歯がゆい思いだった。 

それにここ数日、息を抜くと自分が居ない気がした。

肉体はある。 心もある。 思考もある。 でも、その肉体に自分が居ない気がした。 そんな気がしているのはこの肉体の内であると分かっている。 だから自分が居なくはないのも分かっている。 なのにそんな気になるときがあった。 それが怖いわけではないし、嫌なわけでもない。 どちらかと言えば受け入れられる。 でも、だからどうなの? そう、ここでもその先が見当たらない。

だから忙しくした。 何も考えなくて済むように忙しくした。

「どうしてあんなことを急に思うようになったのかしら・・・」 

仕事の疲れが出てきたのか、うつらうつらとしてきた。 と、どこかで「と!・・・とっと!」 と言う男の人の声が聞こえたような気がして、フッと我に戻った。

「あ、ダメ。 こんなところで寝たら完全に風邪をひいちゃう」 必要以上に目を開け、膝にあるバッグに頬杖をついた。

「でも、疲れちゃったかな。 目を瞑るくらいで風邪なんて引かないよね」 山の空気につい目を瞑ってしまう。

目を瞑っただけのつもりだったが、どれくらいの時間が経ったのか意識がなくなっていたようだ。 

「クシュン!」 自分のくしゃみで目が覚めた。

「わっ、ヤバイ!」 今風邪などひいて仕事に差し支えが出ては困る。

「ここは冷えるから境内で待っていようっと」 慌てて立ち上がると山を下りた。

いくらもしない内に、カケルが宮司と見たこともない男性と共に山を下りてきた。

「ふーん。 あの人がお客さんかぁ。 山の中に何の用だったのかしら」 遠目に見ていると三人で宮司の家に入って行った。

「きっともう終わりよね。 まだ磐座に行っちゃいけないのかなぁ・・・」 授与所の前にある木にもたれていると、カケルが渉の元に寄ってきた。

「ゴメン。 今済んだから」

「じゃ、磐座の所に行っていいの?」

「え?!」 

「あ、まだ駄目?」

「あ・・・いいよ。 うん。 磐座の所で待ってて。 全部終わったら行くから」

「うん」 言うとすぐに磐座への道をたどった。

「まさか、妖怪でもあるまいし大丈夫よね」 磐座へ向かう渉の姿を見送ると、足早に客間へ向かった。

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--- 映ゆ ---  第5回

2016年09月05日 20時31分54秒 | 小説
- 映ゆ -  ~Shinoha~  第5回




目の前に見えるのは、ラワンに乗ったシノハが見たさっきまでの地と大きく違っていた。

陽が差し、肥えた地に生き生きとした草が辺り一面にある。

「夢を見ているのか?」 頭巾を外し周りを見渡すと木々に囲まれていた。 木漏れ日が暖かい。

「木? そんなものは無かった・・・」 シノハが呆気にとられている間にラワンが歩き出し、その先の段差を飛び降りた。

トン。 ラワンが飛び降りた音に気付いてシノハが我に返った。

「ラワン?」

どこか分からない所・・・いや、それ以前にわけも分からない状態なのに大きな声を出す勇気はない。 小さな声で呼ぶとオンと、これまた小さな返事が聞こえた。 

下に生える草を踏みながら声がした方に歩き始めると、僅かだが音が聞こえてきた。

「水? 水の音か?」 足を止め眉根を寄せると、また歩き出した。

「と!・・・とっと!」 

岩の向こうは急な段差があってそれに気付かず歩くと、地を踏んだつもりでも地を踏めず、思いっきり落ちてしまう。 落ちてもそんなに段差があるわけではないから大怪我をするわけではないが、きっと膝の皿を傷めるだろう。

シノハは小さく、たたらを踏むと最後の一歩を大またにして段差を降りた。 着地をしたのは水の流れのある際だ。

段差のあった下の地は、ラワンの尻より少し広めの間があり、その向こうに水が流れていた。

横を見ると段差を下りたラワンが水の流れに沿って身体を置き、美味しそうに水を飲んでいる。

「ラ・・・ラワン、この水は何とも無いのか?」 呼ばれて顔を上げ、振り返ってシノハを見たが、また水を飲み始めた。

ラワンの様子にシノハがラワンの首元に歩み寄り、屈んでその水の流れに手を入れてみた。

水は間違いなく山の恵みであり、滑らかな生(せい)を慈しむ力を感じた。

ひとしきり水を飲んだラワンは草には目もくれず、また段差を上がり後ろに立っていた木を見渡すと、一本の木の前まで歩いて行き、その木の皮を器用に前歯で小さく剥ぐとそれを食みだした。 

シノハは水の流れの横にしゃがんだままで、上半身をひねりその様子を見ていた。

「木・・・木も本物なのか・・・?」 ラワンは草より何より木の皮が一番の好物なのだ。

「ここはいったい何処なんだ・・・」 立ち上がり、喉が渇いていることも忘れてまた辺りを見回した。

その様子を木の皮を食みながら見ていたラワンがシノハに寄って、段差の上からシノハの身体を鼻先で押した。

「あ・・・そうだな。 ラワンのお墨付きだものな。 うん、喉が渇いていたんだ」 そう言うと屈んで水の中に両手を入れた。 そしてその手を持ち上げ、手の中に入った水を一口、ゴクリと飲んだ。

「な、なんと美味い水なんだ・・・」

身体の隅々まで水が行き渡り、生き返るようだがそれだけではない。 ほんのり甘く、疲れをその甘さが引き取ってくれるような感じさえする。

「我が村の水と全く違う・・・」 山の中の水の豊富な村だが、全く味わいが違う。

思わずラワンを振り返ると目が合ったラワンが小さくオンと一つ啼き、今度は岩の横に生えていた草を食み出した。

「なんだ、木の皮はもういいのか?」 その声にチラッと黒目を動かしてシノハを見るとまた草に目をやった。

「そうか。 でも、こんなに沢山木が生えているのだから、疲れているだろうに、他の木の皮を食べればいいのに。 お前も強情だな」 ラワンが何を言いたいか、シノハには分かっていた。

ラワンは木の皮が好物とは言え、一度しか皮を剥はがない。 それも小さく。 たくさん剥いでしまうと木が枯れる事を知っているのだ。 そして、他に木が生えていようが、一本の木からしか皮を剥がない。 仲間に残す為、独り占めはしない。

ラワンが草を食んでいる姿を見て、シノハはもう一度しゃがんで水を飲んだ。 

「ああ、美味い」 手にすくった水を何度か飲むと、腰に吊るしてあった筒に水を入れ、やっと落ち着いてきた。 目を瞑り喉を潤す水を感じていると、何処からともなく何かが聞こえてきた。 立ち上がり耳を澄ます。

「ん? これは何の音だ? 笛の音? いや、余りにも澄んでいる・・・」 シノハの村では木に穴を開け笛を作るが、それとは似ても似つかない音だ。

その時、草を食んでいたラワンが急にシノハに寄って来て、段差の上からシノハを鼻先で軽く押すと、歩いて来た方向に足を進めた。

「どうした?」 シノハが段差を上がりラワンの後を追うと、少し先まで歩いたラワンが止まってシノハが乗ってくるのを待った。

「どうしたんだ? まだ食んでいるといいのに」 すると、急かすかのようにラワンが顔を使ってシノハを自分の背のほうに押した。

「分かった」 ラワンの首をポンポンと叩くと、左足を鐙にかけ右足で大きく地を蹴り、ラワンにまたがった。

「それじゃあ、もう少し頑張ってくれよ」 

オーンと嘶くと今までになく大きく前足を上げた。 思わずラワンから落ちそうになり、慌てて手綱を短く持ちかえると、目の前にはラワンの太い首しか見えなかった。

ラワンの前足が地に着くと前を見たシノハの目には、痩せた地に生える草の群生しか映らなかった。

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--- 映ゆ ---  第4回

2016年09月01日 20時01分00秒 | 小説
- 映ゆ -  ~Shinoha~  第4回




ラワンに乗るシノハの耳に、馬の鼻を鳴らす音が聞こえた。

茶色のマント越しに振り返り、横目で音がした方を見ると、岩の陰から馬に乗った盗賊がこちらめがけて歩いて来るのが見えた。

「くそっ、また盗賊か」 一言漏らし前を見ると、前からも岩陰から馬に乗った盗賊が出てきた。

歩いている朱色の岩山から遠くを見ると空が突き抜けて見える。 山肌には草も木もなく岩がゴロゴロとしているだけだ。 ただ、馬が歩けるように狭くはあるが、少し歪で平らな道があった。 ずっと昔から旅人がここを通るので、岩が平らになってきたのだと婆様(ばばさま)から聞いていた。 

「挟み撃ちってわけか。 まぁ、さっきのマヌケな盗賊よりはマシか」
 
片側は岩肌が高く続き、もう片側は岩山のデコボコとした崖だ。 逃げ場がないだろうと言わんばかりに、盗賊は薄ら笑いを浮かべて馬をゆっくりと歩かせている。



岩山に入る前、ずっと青い砂地を歩いていた。 青い砂地の所々に現れる大きな岩の横を通り過ぎようとした時、岩陰から三日月刀を持った幾人かの盗賊が出てきた。

シノハが長靴(ちょうか)の踵でラワンの横腹を蹴ることなく、ラワンは目だけを動かしチラッと横を見てから、シノハに合図を送ると簡単に走り抜けた。

「人の足でラワンに追いつくとでも思っているのか」 手綱を握りながら大きく溜息をついたが、岩の横を通り過ぎるたびにその状況だ。 

「砂地には盗賊は居ないと聞いていたのに、どういうことだ」

人が青い砂地を歩くには、砂に足をとられて少々歩きにくいが、ラワンは人より数倍もの体重がある。 蹄が砂にめり込み歩きにくいだろうとは思ったが、岩山には盗賊が出ると聞いていたし、道を歩けぬ時、跳ぶには衝撃の多い岩山、ラワンの関節を痛めぬよう砂地を選んで歩いていた。 だが、チョロチョロと現れる間の抜けた盗賊に嫌気がさしたシノハは手綱を引き、岩山に入ったのだ。

だが、岩山でもしっかりと盗賊に会ったという事だ。



「さて、ラワンどうする? 馬に体当たりでもして人馬ごと崖に落とすか?」 ラワンの首の後ろに話しかけると、ラワンが止まって振り返った。 そして、いつもの大きな黒い目を半眼にしてシノハを見た。

「はは、悪い悪い。 冗談だよ。 馬が悪いんじゃないもんな。 馬に乗っている人間が悪いんだもんな」 ラワンが前に向き直り、足を少し上げ岩を踏みトントントンと3度音をならした。

「そうか。 分かった」 シノハは手綱を掌にグルグルと巻きつけ短く持つと、振り落とされないように身を硬くし、ラワンの身体に自分の身体を沿わせた。

シノハの様子を背で感じとると、ラワンが一気に崖の岩肌を駆け下りた。

馬に乗った盗賊は「しまった!」 と言って手綱を引いて馬を止まらせた。 まさか人を乗せてこんなに急な岩山の崖を下りるなどとは考えもしなかったのだ。

たとえ馬が人を乗せていなくとも、馬では岩山の崖を降りられるはずもなく、盗賊たちは馬の背の上で、ラワンのその姿を見送ることしか出来なかった。

ラワンが崖の途中に見える道へ入ると、止まってシノハが態勢を立て直すのを待った。 シノハはラワンの身体から身を起こすと、掌に巻いた手綱を解き緩めて握りなおした。

「相変わらずお前の脚は凄いな」 その声を聞くとラワンがゆっくりと歩き出した。

「それにしても、どうしてこんなに盗賊に遭うんだろうか、走ってばっかりだな」 シノハの言葉を聞くともなしにラワンは歩を進めている。

「またマヌケな盗賊が現れるかもしれないが、何度も岩の崖を跳ぶよりはマシだろう。 砂地に戻ろうか」 崖を駆け下りてきたから、先程より砂地が近い。

下りやすい岩肌を見つけると、ゆっくりとラワンが岩を下りだした。



少し前まで真上にあった太陽が傾き始め、それを分厚い雲が隠した。

盗賊に遭う事もなく、しばらく青い砂地を歩いていると、その砂が少しずつ黒い土と混ざり合ってきた。

ラワンも歩きやすくなったのか、先程より膝がよく上がっている。 が、村を出て慣れない道、今日で朝陽を5度迎えている。 疲れは溜まっているだろう。

「陽が見えないとやっぱり冷えてくるな」 相変わらず空には分厚い雲がかかっている。

肩に手をまわすとマントの頭巾を深く被りこんだ。


暫く歩いているとシノハが手綱を引いた。

「ふぅ、やっと休めるようだな」 マヌケな盗賊に襲われかけては何度も走り、その後はずっと草も水も無い岩山だけを歩き続けてきたが、今やっと目の先に草地が見えた。 

まるで巨人のお椀を引っくり返したような形で草が寄り集まっている。 一つのかたまりはそんなに大きくはないが、所々にその草地が群生している。 見るからに痩せた地ではあったが草が食めるだけでも有難い。

「ラワン、あと少し歩いてくれるか? あそこに草がある。 草を食んで休もう」 

全体が薄い赤茶色の身体に逞しい(たくましい)腿(もも)を持ち、後ろに反った美しく捻じれた角を持つラワンに言った。

ラワンが前足を大きく宙に舞わせ、オーンと嘶いた(いなないた)。 

「ゴメンよ、お前も喉が渇いているよな。 水分をよく含んでいる草だといいな」 そう言ってラワンの首筋をポンポンと叩き「ヨシ、行こう」 と、踵でラワンの横腹を軽く蹴った。

それを合図にラワンが一直線に草の群生に向かって走り出した。

「おい、おい。 そんなに急がなくても草は逃げないぞ」 一瞬張られた手綱を笑って緩めた。

こういうときにシノハは手綱を引かない。 ラワンの自由にさせる。 そしてどの草を食みたいかもラワンに選ばせる。

ラワンは走りながら大きな黒目を動かして草の選別をしているようだ。 そして、食みたい群生を決めるとそこへ一直線に向った。

「お、一番大きな群生だな」 群生の前に来るとシノハが手綱を引かずとも、ラワンは止まった。 

止まってじっとしている。 シノハが降りるのを待っているのだ。

ラワンに乗ったまま群生の葉を見ると薄っぺらく細長い草であった。 

「あまり水分を含んでいなさそうだな。 まぁ、それでも腹の足しにはなるだろう」 シノハはラワンの首筋をポンポンと叩いて鐙(あぶみ)から長靴を外すとラワンから飛び降り、首元に立った。 

ラワンが首を捻ってシノハを見ると、ラワンのその黒い目を見ながら顔を優しく撫でた。

「疲れただろう。 ゆっくりと食むといいぞ」 言って草に目を戻した。

すると、痩せた地に生えている草の群生だけのつもりだった。 それなのに、それどころか・・・

「こ・・・これは何だ?」 

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