思考ダダ漏れ

なんとなく書こう

芸事

2017-08-17 18:23:10 | 日常
芸人が愛国心について何か言ってたらしいけど、僕としては芸事を進む人は芸事を突き進んでもらって、政治やら社会やらには冷めた目を向けていてもらいたい。それは小説家に対してもそう思う。
  書く分野や描きたい思想によっては、政治と切り離せないこともあるだろうが、結局小説を書く上で必要なのは発想であって、思想はその発想を上手くまとめる為に使ったり、読者側への考察の余地程度に込めるぐらいでも良いだろう。もちろん、社会の流れと描かれる作風自体は恐らく何かしらの相互作用の関係だろうと思われるが、直接政治に参加するならするで、それはもう小説家の必要はないと思うのだ。
  何となく政治への参加と言われると、太宰治が左翼に所属してみたり、三島由紀夫が楯の会を作ったりというのもあったが、それが大衆にどのような影響を与えたのか分からないものの、元々政治の分野で活躍していない方々が政治に参加するというのは、もれなくファンもその思想となる可能性を秘めているわけで、意識しなくとも大衆を扇動しかねない。
  正直、僕も含めて結構な人は政治に興味を持たないだろう。それは明日を生きるのさえ必死だったり、それ以上に仕事に追われる日々から逃れたかったり、くだらない人間関係に神経を注ぐだけで疲れ果ててしまうからだ。今や政治に参加できること自体が、ある意味では心のゆとりを感じられたりもする。デモに参加する人々が老人だらけなのもまた、そんな考えを確かなものにさせる。定年退職後のアイデンティティとして政治を選んでいるだけのような気もする。逆に若い人達が祭感覚で参加することもある印象だが、それはそれで全くの無知が参加している気もして、主催者側の意図を感じてしまう。
  どちらにしても、大衆は興味がなくてもどこかに投票するわけで、そう知識のない人は何らかの縁だとか、ポスターの印象だとかで投票してしまうだろうし、その知名度に操られて投票することもあるだろう。本来はよく理解した上でどれを支持するか、どの思想を好むか選ばなければならないとは思うのだが、とりあえず、僕はそんなことより書けよ書けよと自分の背中を押すだけで精一杯なので、ゆとりのある方々でやんややんやしてくれればいい。
  ともかく、政治思想は活動家たちに任せるとして、芸術にしても芸事にしても、その分野を突き進むことに専念しよう。どうせ荒れることは目に見えてるわけだし。逆に言えば、そういう商売ならどんどん参加した方がいい。商売としては、知名度は高いに限る。
  プロレタリアート文学が失敗だったとかなんとか言いたいわけではない。文学の失敗なんて主観的に決めれば良いことなので、各々好きなものを好めばいい。僕が思うのは、僕らの世代は、政治を考えることで社会の何が変わるのかも分からないのではないかということだ。それは愛国心とも繋がってしまうが、ともかく僕らが必要なのは休暇だとか、業務に対して無駄な神経を使わせない客や同僚や上司だとか、身近な障害に対処するだけで疲れ果てない環境であって、心の余裕を欲しているのかもしれない。そうなると信仰心へと縋りたくなるのも分かるが、それがまたこの国と相性が悪いような気もするし、そのおかげで娯楽の分野に金が回っている気がしなくもない。
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