思考ダダ漏れ

なんとなく書こう

裏を返せば

2017-09-16 16:32:04 | 文章
逆説的に、と書いてもいいだろう。幸か不幸かを考える上でこの要素は必要不可欠だ。
  例えば、活動家が活動家になる要因は何らかの不幸せがあったのだろうけど、しかし、活動家としての行為が幸せであれば、その不幸せは幸せと密接な関係にあるということ。簡潔に書けば、不幸があったからこそ、現在の自分があるということ。
  こんなことは書くまでもない話ではある。否定的な捉え方もいくらでもできる。それを小説家に当てはめるなら、自分は不幸があったから、もはや普通の(あえて普通と書いたが、この普通は当人の作り出したまやかしのことを示す)社会に入り込めず、文章を書くことしかできないんだ、だろうか?  それも一向に構わないし、結局は捉え方の話だ。もちろん、不幸じゃなくたって書けるので、僕達はこの人物がそう思っている人物なのだと捉えれば良い。
  文学研究ではしばしば、その作品が書かれた理由を考えることがある。作家は何の考えもなくそれを書くはずがないからだ。不満や主張が込められているからこそ書くわけだ。それが当時の社会に対しての不満かもしれないし、身の回りの不満かもしれないし、芸術論の達成が目的かもしれない。金や名誉が目的なことだってあるだろう。褒められたいから書く人もいるだろうし、何となく時間が余っているから金のかからない趣味として書く人もいるだろう。どのような理由であれ、それを書き終えた人々の心に何が残るのか分からないが、もし少しでも満たされたなら、それまでの過去を自然と肯定しているのかもしれない。
  現代を生きるのに必要なのは、そういう肯定な気がしなくもない。過去に囚われることを悪いとは言わないが(僕は大抵そういう過去に自分が陥ったであろう状態を否定する気にはなれない。ある種の病のようなものだと思うからだ。)記憶は都合よく改編され続ける。不幸を演じたければ、より不幸にもなるだろう。考え込んでもどうしようもないのだよ、と17辺りの自分に言ってやりたいものだ。ああ、しかし、17でそれを受け入れてしまうと今の僕は居なくなるのかもしれないから、やっぱり苦しみ抜いておけ。
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