思考ダダ漏れ

なんとなく書こう

良作と名作

2017-09-13 21:44:21 | 文章
これは僕のくだらない考えでしかないことをあらかじめ先に書いておくが、思うに名作と良作は異なると思うのだ。これはもしかすると自己批判とも言えるかもしれない。
  僕の思う良作は、簡単に書けば理路整然としていることで、無駄のないものだ。それさえ満たされていれば上手な作品だと思うし、読者としても信頼をおいて読むことができる。しかし、名作はそうでなくても構わないと思うのだ。
  名作は悪く書けばその時の時流やら何やら色々なものがかみ合わさった結果、素晴らしいと判断してしまうことな気がしなくもない。いや、描いていて信じられなくなってきた。
  つまり、そうなると、名作と判定したものはその時の気分の問題で、実際細かく読んでないだろうお前はと言いたいのだろうか?  いや、それも違うと言いたいところだが、そもそも根本的に異なるのは、恐らく良作は作る側としての判断で、名作はそれを受け取る側の判断によるものだということだろうか。もちろん、どちらの世界を行き来しても構わないわけで、時には心酔し切ってその作家の良さをみんなに広めるのもいいだろう。
  思うに、作品の読解はこの作る側の視点に立った方が良い。受け取る側は無条件にその作品を賛美しかねないだろうし、論外なのはもはやその作家自身に惚れ込んでしまうことだ。そういうのはロックバンドのタオルでも買うファンの方々と同じことで……いや、毎日教会に通っている信者達と同じことで、それの何が悪い?  別に構わないのだが、僕としては読解する上でその色眼鏡は外してもらいたいのだ。作品を愛するか、作者を愛するかはもちろん各々の問題だが、作品を読み解くのに作者への愛は不要だ。なんでもかんでも作者を賛美するっておいおい、なんか俳優が選挙に出て騒ぐ元気なファンみたいだね。お金を回すには必要だろうけど、これはそういう問題じゃないわけで。
  ともかく、名作を決めるときは作る側とか、研究する側の気持ちは捨てて、子供の好き嫌いのような感覚が大切だ。逆に良作を決めるときは、その好き嫌いを捨てて、構成を読み解くことから考えよう。好き嫌いはない方が良いに越したことはない。上手と好みは違うのだ。
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