思考ダダ漏れ

なんとなく書こう

芸術とは?

2017-07-15 23:35:55 | 日常
何故小説を書くのだろうという疑問がある。青臭いやつは、その理由に同情を買わせるとか、人の為とか、世の為とか、変な大義名分を用いて自己肯定するわけだが、そんなものはくだらないことだ。人の為、世の為なら、小説で行う必要は何処にあるのだろう?
  小説じゃないと表現できないことがあって、その為に書いているのなら分かるけど、そうでなく小説を頼るというのは、他の媒体で活躍する技術がないだけなのでは?  と思うことがある。とても辛辣な書き方だが、基本的に読みやすい見やすい媒体の方が、世の中に訴えるのに楽なやり方だということは分かるだろう。小説というのは基本的には疲労を伴う媒体で、余程の文才でもない限りは映像やイラストで訴える方が遥かに楽だ。
  それを受け入れた上で、それでも世の中に訴えたいなら、小説でどうこうする以前に、まずは書き手の立場を固めてみてはどうだろう?  タレントでもミュージシャンでも、別の分野で目立てば、小説は売れるようになるわけで。

  そうなるとこれを読む側の疑問としては、僕は何故小説を書くのかということになるが、それは実に単純な話で、それが日課となっているから。出来の良い作品が生まれた時の快感を味わう為に書き続けるわけで、半ば中毒者のようなものだ。健康的なものではないし、多分書かない方が、精神的にも健康に違いない。
  誰かの為に書くというのも、社会の為に書くというのも、突き詰めれば偽善とは言わないまでも、どうも青臭い考えの一つでしかない。もっと冷静に世の中を視ること。存在、政治、思想、メディア、経済。誰もが利己主義を越えることはできないことをまずは認めてあげることが大切なんだと思うけどね。
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