思考ダダ漏れ

なんとなく書こう

短文感想④『蜃気楼』

2017-09-22 06:57:38 | 日常
  僕はこの作品が好みなのだが、多くの人は退屈に思うかもしれない。それぐらいなんてことはない話だからだ。主人公の「僕」が友人や妻と蜃気楼の見える海を歩く話。それだけだ。
  この作品はそこに出てくる風景や物を虚無的な象徴に変換している。「黒い轍」「錯覚」「水葬した死体」「遊泳靴の片っぽ」「鈴の音」「夢」「背の低い男」あらゆる要素が僕にとって無気味なものへと変換されていく。その無気味は破滅的な未来を連想させるというよりも、自分のそれまでしてきたことの無意味さから転じて、世の中の無意味さを感じているような気もする。それを受け入れて自殺するかしないかが、積極的ニヒリズムと消極的ニヒリズムの違いだと思うのだが、芥川龍之介は消極的だったのだろう。
夢の話の場面では、意識の閾の外を感じるようで無気味だと書いていたが、蜃気楼という作品自体、できるだけ無気味の内訳を書かない工夫を凝らしている。その説明できない無気味さが意識の閾の外、と関連しているのかもしれない。『蜃気楼』という題材そのものも、主軸の時間軸より前から感じていた「錯覚」と連動しているようだ。最後に「無気味」と書いている箇所を一文抜き出しておこう。

“僕は又何か日の光の中に感じる筈のない無気味さを感じた。”

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