思考ダダ漏れ

なんとなく書こう

名言

2017-08-12 05:21:42 | 日常
名言集とかネットでいくらでも転がっているし、本屋にもいくらでも売っているのだが、どんな層がそんなものを買うのだろう?
  ある意味、聖書から教えを学ぶようなもので、多分それを読む人々は新しい信仰を受け入れたいのかもしれない。え、でもそれって、気味が悪くない?  と思うのは僕だけだろうか。話は少し変わるけど、結婚に対する絶望の言葉集みたいなのは中々面白かった。
  それを読んで新しい生き方が見出せるなら、どれだけ幸福なことだろう。あら、それはそれは良かったですねえ、と他人には言えるものの、自分には「お前そんなの読んで何になんの?」と馬鹿にするに違いない。三島由紀夫の不道徳なんたらが合わないのもそんなところで、といってもあれはエッセイとして楽しむものだろうから、鼻で笑ってればいいんだろうけど。
  難しいのかもしれないが、自分で生き方を決めなければならない。そんなことは書くまでもない。また、年齢の差で人生を語ってはいけない。いや、人生なんて語っちゃいけないね。薄っぺらになってしまう。
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生理的な嫌悪感

2017-08-12 04:52:29 | 日常
生理的な嫌悪感というと、説明し難い不快感を指すものだと思うのだけど、たとえば、どんなものが不快になるだろう?  仮に汗をよくかく人が苦手だとすれば申し訳ないと思うし、僕に近づかないでくれと思う。肉体的にも精神的にも汗をかきやすいのだから仕方ないね。
  まあとにかく、こんなことを書くということは、そんなものを見てしまったということなんだが、その説明をどうすれば良いのか悩む。少し、別の話にしようか。
  このブログは身内にしか教えていないこじんまりとしたブログなので、外部から来た人々への配慮はなされていない。だから、沢山人々を引きつけるような話題に触れようとは思わないし、それだけの知識もないので語れないだろう。では、そうでないブログというのはどんなものかというと、閲覧数で生活費を稼ぐ目的の人もいれば、同じ趣味の人々と交流を図る目的の人もいる。それでこのブログのようなものは、日記やメモ帳のようなもので、何かしらの文章を書くことで鬱憤を晴らしているだけにすぎないのだが、あくまでも読まれる意識は必要だと思っている。
  皆さんはこのブログを読み、僕がどのような人間に映るだろうか?  これが本題となるのだが、僕はどうにもプライドの高い人が苦手らしい。
  自慢話をしよう。「僕はほとんど勉強をしていなかったが、国立の高校へ進学した。勉強なんてのは何となくやってればなんとかなるもので、高校の受験なんて簡単なものだったよ。」そんなことを聞かされても、読む側は苦痛なだけで、その裏にあるコンプレックスとか、ああそんなところが褒められたいんだね?  とか、意識か無意識かで感じ取ってしまうかもしれない。ちなみに本当は必死でしたし、二年で中退してます。恥ずかしながら、その時の恋人との痴話喧嘩ですっかり心を崩してしまったんですね。
  まあそんなくだらない話は止して、そのコンプレックスのようなものが滲み出ているもの、というのはなんだか読むのが辛い。まだ不幸自慢なら構わないのだが、プライドの高さから来るものはどうも鳥肌が立つ。脳に悪いからそんなものは見ないに限るのだが、あまりの気持ち悪さになんなんだこいつは?  と思って調べてしまうこともある。それにまた後悔し、このように憂さ晴らしをすることになる。

  思い切り話を変えようか、それとももう一つ記事を作ろうか悩むのだが、どうしようか。とりあえず、これはこれでいいか。本当に文章は面白いねって話。
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