
母が亡くなって1年が過ぎた
バラの花を見ては泣き
最後に泊まった旅館の広告を見ては泣き
そんな生活の中でも1年が過ぎた。
あれからの私たちといえば・・・
父はせん妄回復後、予想外の早さで退院した。術後10で・・・。
でも1月ほとんど寝たきりで熱のある日も多く食事も思うように取れないのでおかしいおかしいとずっと心配していた。
その内にお腹が風船のように膨らんで、ぱんとはねた!胆汁のようなものが次から次へとこぼれてシーツを巻いて止めないと駄目な位のものすごい量だった。
あわてて大学病院に連絡してそくHCUに入院。
胆管が損傷していたらしく術後の傷口から胆汁が漏れていたのだ。
エコーガイド下胆管ドレナージという処置で、胆管の補強ぶんドレーン1本と、すでに腹腔内に漏れた胆汁を排泄する為に、前回の手術直後に使用した傷口を使用して対外に胆汁を排出する為のドレーン1本が設置された。
この処置の直後の父は真っ青な顔をして、何ともいえない位苦しいと横にもなれず、
座位のままテーブルに突っ伏していた。
この入院の方がよほど長く、すっかり復活するまでに、2ヶ月かかった。それでも退院時には胆管代わりのドレーンは入ったままだった。
父は、しみじみ「もう手術はたくさんだ」と言っていたが、私もいくら完治を目指したとはいえ、
これだけの体力消耗と長期のQOL低下を引き換えに、再発確立60%では割りに合わないかもしれないと感じた。
万一次に再発してしまった場合は、肺の胸腔鏡手術の適応にでもならない限り、手術の選択は家族として勧めないつもりだ。
その後、現在まで、再発予防の為の補助抗がん剤治療をしている。
大学病院では、5FU+アイソボリン+アバスチンだった。
大学の先生は父にはオキサリはあまり効果がないからと言っていたが、地元の病院に戻ってからは
5FU+アイソボリン+オキサリのFOLFOXに戻った。
???これも病院の都合なのかな・・・?
今の所、肝臓手術前を10とすると6〜7割元気。再発はない
私はといえば、父が入院していない時は、仕事と子供の世話(少年野球の支援と塾の送迎)に追われて毎日結構くたくた
特別楽しいこともないけれど、そんな普通の日々を送れる事がどれだけ幸せか母のあの日々を思い出すたび胸に刻む
思えば、父の闘病があって、日々夢中で母の事を悲しむ余裕のない事が、逆に底辺まで落ち込むこともなくこの1年過ごせたのかも知れない。
お彼岸、いつもの様に母のお墓参りに行った。帰りはいつも涙で視界が潤むのに、今回初めて「また来るね!頑張って生きてるよ!」と声をかけ、普通に歩くことが出来た
早期の大腸がんを母に助けてもらった命。母の分も自分を大切に生きようと少しずつ思えるようになったこの頃。
唯一残念なのは、弟の事
もともとだらしがなかったが、×一の上、母と言う支えを失ってから工場経営にもゆきずまって、糸の切れた風船の様に、その日暮らしの生活を惰性で送る毎日。
何度か心配で説教をしてしまったが、「姉ちゃんなんかにとやかく言われたくない!」というし、40過ぎの一人前の男、自分で乗り越えない限りどうしようもないんだよね。
本当は一番さびしくて支えが必要なのは配偶者を亡くした父で、長男として支えてもらいたいんだけど、残念です
内膜症の方は相変わらずしんどい
でも、上部・下部内視鏡、マンモ・エコーの乳がん検診もこの夏は異常なし
何とか今も元気で生きることを許されています
だから明日も前を見て歩きます。

バラの花を見ては泣き
最後に泊まった旅館の広告を見ては泣き
そんな生活の中でも1年が過ぎた。
あれからの私たちといえば・・・
父はせん妄回復後、予想外の早さで退院した。術後10で・・・。
でも1月ほとんど寝たきりで熱のある日も多く食事も思うように取れないのでおかしいおかしいとずっと心配していた。
その内にお腹が風船のように膨らんで、ぱんとはねた!胆汁のようなものが次から次へとこぼれてシーツを巻いて止めないと駄目な位のものすごい量だった。
あわてて大学病院に連絡してそくHCUに入院。
胆管が損傷していたらしく術後の傷口から胆汁が漏れていたのだ。
エコーガイド下胆管ドレナージという処置で、胆管の補強ぶんドレーン1本と、すでに腹腔内に漏れた胆汁を排泄する為に、前回の手術直後に使用した傷口を使用して対外に胆汁を排出する為のドレーン1本が設置された。
この処置の直後の父は真っ青な顔をして、何ともいえない位苦しいと横にもなれず、
座位のままテーブルに突っ伏していた。
この入院の方がよほど長く、すっかり復活するまでに、2ヶ月かかった。それでも退院時には胆管代わりのドレーンは入ったままだった。
父は、しみじみ「もう手術はたくさんだ」と言っていたが、私もいくら完治を目指したとはいえ、
これだけの体力消耗と長期のQOL低下を引き換えに、再発確立60%では割りに合わないかもしれないと感じた。
万一次に再発してしまった場合は、肺の胸腔鏡手術の適応にでもならない限り、手術の選択は家族として勧めないつもりだ。
その後、現在まで、再発予防の為の補助抗がん剤治療をしている。
大学病院では、5FU+アイソボリン+アバスチンだった。
大学の先生は父にはオキサリはあまり効果がないからと言っていたが、地元の病院に戻ってからは
5FU+アイソボリン+オキサリのFOLFOXに戻った。
???これも病院の都合なのかな・・・?
今の所、肝臓手術前を10とすると6〜7割元気。再発はない

私はといえば、父が入院していない時は、仕事と子供の世話(少年野球の支援と塾の送迎)に追われて毎日結構くたくた

特別楽しいこともないけれど、そんな普通の日々を送れる事がどれだけ幸せか母のあの日々を思い出すたび胸に刻む

思えば、父の闘病があって、日々夢中で母の事を悲しむ余裕のない事が、逆に底辺まで落ち込むこともなくこの1年過ごせたのかも知れない。
お彼岸、いつもの様に母のお墓参りに行った。帰りはいつも涙で視界が潤むのに、今回初めて「また来るね!頑張って生きてるよ!」と声をかけ、普通に歩くことが出来た

早期の大腸がんを母に助けてもらった命。母の分も自分を大切に生きようと少しずつ思えるようになったこの頃。
唯一残念なのは、弟の事

もともとだらしがなかったが、×一の上、母と言う支えを失ってから工場経営にもゆきずまって、糸の切れた風船の様に、その日暮らしの生活を惰性で送る毎日。
何度か心配で説教をしてしまったが、「姉ちゃんなんかにとやかく言われたくない!」というし、40過ぎの一人前の男、自分で乗り越えない限りどうしようもないんだよね。
本当は一番さびしくて支えが必要なのは配偶者を亡くした父で、長男として支えてもらいたいんだけど、残念です

内膜症の方は相変わらずしんどい

でも、上部・下部内視鏡、マンモ・エコーの乳がん検診もこの夏は異常なし

何とか今も元気で生きることを許されています
だから明日も前を見て歩きます。











『大腸がん.com 』を運営している木下と申します。
こちらのHPを参考HPとして紹介してもよいか確認したく
直接コメントさせていただきました。
大腸がんの当事者様やその関係者様の記事を掲載することで
同じ悩みを持つ人たちの助けになると考えております。
既に皆様のご好意よりブログをいくつか紹介していますので
『ブログ・闘病記』のページを是非ご覧くださいませ。
御了解頂けるようでしたら
折り返し掲載方法をご連絡差し上げますので
何卒よろしくご検討をお願いいたします。
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