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TEST

2013-05-11 03:24:07 | Weblog
TEST投稿です。
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愛情の定着

2011-06-06 01:46:12 | Weblog
今週末はいろいろあって、福岡に帰っていました。

なんだかんだ言って、東京に出て来てからの一年ちょっとの間で6、7回は福岡に行ったことになります。
他には実家のある神戸や、あと京都も行ったし福井にも行ったし。

こう見ると、かなりいろいろな地域に行ってるなあと思います。





大学生になった時に実家を出てからというもの、時間的制約もあまり無いようになり、旅をする機会は増えました。

数えきれないくらい熊本や長崎や佐賀やら行った。

あとは、スペイン、ギリシャ、韓国。大学に入って7年間のうちに、結構な距離を移動しました。




生まれた土地を出て、いろいろな場所に移動していると、
自分にとっての故郷とは何だろうかとふと思うときがあります。

生まれ育った土地、と言えば答えは簡単なのですが、
自分の場合、実家を離れてからの時間が長く、一人暮らしにも慣れ、今や定住する「家」という概念が薄れているので、ちょっと頭をひねる問題です。だいたい2年おきくらいに引っ越してるし。


持論を少し挟みますが、
長いタイムスパンからすれば、家というのもひとつのモバイル環境です。
個人に隷属する製品ではないですが、基本的にはその人その人に追随して発生する製品と言えるので、自分の中ではそう定義しています。


しかし、人がいるから家は家である。
そして家は動かないからこそ、人は家に帰り、愛情を定着させる(文字通り愛着)。
思い出があれば尚の事。




故郷とはそういう愛着の総合体なのでしょうか。
家だけではなく、環境や記憶を含めた愛着の積層の総体。

少なくとも、固定されたある場所への愛情がおおもとにあることは間違い無さそうです。




1 .工芸品
2 .フィギュア
3 .スポーツ用品
4 .ジュエリー
5 .装身具
6 .食器
7 .マット
8 .椅子
9 .机
10.筆記用具


以上10カテゴリーの製品は、おそらく5000年経とうが地球上から消えることの無いプロダクトです。(人間が消えてなかったらですが)


ただ、製品としての家というものは、なくなると思っていました。
全てのモノは、基本的には人間に身体化するように収束小型化していくと考えているからです。



しかし、モノと人間との間で切り離せない要素があります。
「愛着」です。
愛着ですが、定性評価でもなかなか甲乙付け難いデータしか導かれないために、デザイン学の中では困難なテーマでもあります。
このあたりは、大学の友人@nitawallaがアニミズムやらと絡めて持論展開していました。




しかし、「愛情の定着」という語が示すように、愛着とはどんな概念に対しても、何らかの愛情が見いだされれば出現するものです。
何にでも、愛着を湧かせる条件はあるということ。
フィギュア、工芸品はその最たる例かと。

でも故郷への愛情というのは、モノへの愛情とは少し違ったものでしょう。
モノへの愛情が、ある1点への愛情とするなら、故郷へのそれは面的な拡がりを持ったもの。
そしてそこは、愛着が湧いたプロダクトがたくさんある場所です。



既に書いたように、個人的な愛着の総体がいわゆる「故郷」であるのなら、
上記10カテゴリーに含まれるプロダクトがたくさん詰め込まれた、カプセルのような「家」は、一番長く宇宙に存在し続けるプロダクトなのかもしれません。












写真はギリシャの孤島、サントリーニに行った時の写真。夕日を受けるイアという岬。
1回しか行ったことはないけど、確かにここは自分にとって何らかの故郷です。










最後に、故郷というものを考えるとき、いつも思い出してしまう詩。







ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて 異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや






室生犀星
「ふるさと」










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書き終わって思いましたが、
こういうのってメタボリズムの中で既に言われてたことな気が。

まぁでも愛着については論じられてなかったと思う。
あの頃はおそらく未来技術から来る夢と少しの不安に覆われていた。良い意味で。

21世紀に入ってから、その様相は全くもって変化している。
夢がない。不安はある。良くない意味で。

でも、個人レベルでの生活の質を高める、という流れが大きくなってきた。
どうあれ故郷というのは、個人が還っていくところなんだろなあ。

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ビジョン

2011-05-06 21:09:51 | Weblog

「ユーザーニーズ」と言えば心地よく聞こえる。


マーケット中心のモノ作りに完全に移行した1980年代頃より、ユニバーサル・デザイン(UD)の思想が浸透してきたこともあり、殆どの企業でユーザーの声や市場調査の結果を反映させたプロセスが取られるようになった気がする。

そもそもが流通の活性化をその根底に持つインダストリアルデザインがこういう形態となることは必然の流れであるし、作り手と使い手の相互フィードバックに依るモノ作りの手法でもあるので、ユーザーニーズ反映型のデザインプロセスは2.0的な考え方の面白いものなのである。




ただ、最近あまりにも偏って受け取られた「ユーザーニーズ」や「マーケットリサーチ」をよく目にする。


作り手が、使い手に媚びているのである。

「お客様」という言葉も昔からあるものだが、最近は「お客様」が本当に「神様」になっているとしか思えない。顧客は神様ではない。ただの人間である。
客が買わないとモノは流通しないから、いちおう図式としては正しい。
しかし、「意見を反映する」と「媚びる」との間に明確な差があることは明らかだろう。

「お客様Aはこう仰っていたのでここをこうしましょう」
「お客様Bはここをこうしたほうがいいと言っていたのでここもこうしましょう」


これでははただの媚である。
こんなものを具現化していけば、単なる一般人の集団の欲望やつぶやきの寄せ集めになってしまうのに、何故それに気がつかないのか。

決定的に欠落しているのは作り手の「ビジョン」。




ユーザーニーズをうまく捉えるには、それなりの手法が要る。ペルソナモデリング法やKJ法もそれに入るんじゃないかと思う。もちろん各種のデザイン評価法も含めて。

そういう土壌なしに顧客の欲望を細々反映させていくと、なんとも統一感もテーマもへったくれもないよくわからないものができあがる。
これが、「ビジョン」が無いことの最も大きな弊害だろうか。

「ビジョン」は意外に何でも良いものだと思う。
「こうしたい」と思うこと自体もビジョンである。もちろん、そこから綿密に計画がなされた洗練された「ビジョン」が出てくることもある。

強い想いというものが欠乏してるのかもしれない。
強い想いで作られた「ビジョン」は、他者の突発的な発言などでは揺るがない。
工芸品やフィギュアなど、強い想いで作られた「ビジョン」を持つプロダクトはたくさんある。インダストリアルデザインは、流通という経済世界のまっただ中に放り出されてしまったことで、その本来持ち得る魅力を失いつつあるのではないだろうか。
「流通」という現象と、「より良いモノとは何か」という自問の、二つの事柄について、企業などの作り手は早急に推敲しなければならない。
できうるならば、そこに「我々はどこから来たのか」という、半ば公案のような問いかけまで含めて欲しいけども。





トップ画像は、作り手の明確かつ絶対的な「ビジョン」が伝わってくる製品のひとつ、
Jacob Jensen " Titanium Watch "。

非常にシンプルな構成だけども、綿密に計算された色彩や素材選定、空間の置き方などが和音となって、ひとつの塊としての鼓動を感じることができる。モノの魔性とも言うべきか。大好きである。
インダストリアルデザインは、ひとつのプロダクトをここまで昇華できるパワーを持っているのである。



80年代というかバブル崩壊までは、日本にもこういうデザインが多かった気がします。こういうデザインを行えるデザイナーが数多く活躍できていた時代だった。今でもそういう強い「ビジョン」を提案してくれるデザイナーはたくさんいるけど、それを実現できる母体がめっきり少なくなってしまったことが一番の原因だな。

崩壊後、守備に入って攻めることをしなくなった企業の哀しい性か。そして国民性。
と言いつつもトップの言う突飛な意見はすぐ通るんだから妙な時代である。










ーーーーーーーー


そういえば、モンスターペアレンツとか、妙なクレームつける変な顧客とかって圧倒的に増えましたよね。
顧客が力を持ちすぎている今のモノづくり状況を一度徹底的に破壊し尽くさないと堂々巡りな気もします。はぁ。


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相反するものの統合、曖昧さと境界、多次元思考による造形について

2011-03-16 22:01:37 | Weblog
※※※


丸い石を道に祀る風習が信州、甲州の地に多く点在している。


これは丸石道祖神と呼ばれる。道祖神自体は近世からの風習なようで、菅原道真が道祖神に手向けた歌が百人一首に入ったりしている。
双体道祖神という種類もあり、こちらは具象的な男女(兄妹)像がそのまま彫られたもので、タイプが異なるらしい。

「丸石」は「双体」と対の関係を持ち、前者が性のシンボルであるのに対し後者は性別を持たない。丸石→首、赤子、両性具有等のイメージ。生と死、境界の曖昧なもの、等の事象に繋がるということだそうだ。


そのようなイメージの、固定された媒体としての丸石。


※※※







以上、ここまでが今日の帰りの電車で読んだ本の果てしなく大雑把な自分に説明する用のまとめで、
次からが「造形について」、以降「多次元思考について」まで、うつらうつらと頭に浮かんだ事柄。







※※※






造形という行為は際限なく純度を高めていく行為のひとつです。
おそらくはキンキンに研ぎ澄まされるまで、別個の思惑が入る余地は一切無いように思えます。


はからずも自分は大学でデザインデザインと言われ続け比較的どっぷり浸かってきた(つもり)の人間なので、何かにつけデザインという項目について考えてみるのですが、この造形という項目と比較して考えてみると、なんともはやよくわからない事象です。デザイン。

そのこころは、現時点におけるデザインという言語の持つ意味が肥大化しまくってるからなんですが。



僕が専攻してたのはインダストリアルデザイン(以下IDと表記)という分野で、いわゆる工業製品の意匠的な設計・開発です。
工業製品なので、当然世の中の資本の流れに組み込まれてます。
商業主義。

もとはArts & Craftsより始まったと思われるIDですが、大量生産としての側面を強く持っています。
これは機械化が進むにつれリアル世界でのコピー&ペーストが可能になったことで、ハードが爆発的に増えたためです。
「ヒト」「トチ」「ハコ」ではない、「モノ」という資本の誕生です。

前記3つに比べたら最も移動性が高い「モノ資本」、これは当然移動させられるわけで、ここで物流が生じます。そして物が移動する度にカネも移動します。(カネも資本だけどちょっと別の種類と思うのでここでははずします)




少し脱線しましたが、IDとはそもそも大量生産で生じてた劣悪品をなくそうと、より「長持ち」する製品を作ろうとする思想の系譜があったということです。
要はそこに商業主義は切っても切れない関係性にある、ということ。


商業主義、言ってしまえば、人間の欲をコントロールすることが重要な要素になります。つまり、「欲望」のデザイン。
自分はこの「欲望」という言葉の持つ妙に世俗的な側面があまり好きになれず、ID自体にいささか辟易していたりもすることが今でもあります。





ID学ぶ学生はスケッチを描きます。コンセプトに合致するイメージを探すため造形していきます。
ここの造形は、いわゆる彫刻等の造形とどう違うのか?

どちらの「造形」も、共有するイメージを具現化・視覚化する点においては同じことですが、
前者は、最終形から他者に与えるイメージが同じようなものに収束させなければならず、後者は最終形から他者に与えるイメージに少なからずの曖昧さがあると言った点に尽きるのではと思います。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

【ID】

発信者 [かたち] → 受信者 [収束したイメージ]:共有されるもの

【彫刻】

発信者 [かたち] → 受信者 [曖昧なイメージ]:個有なもの




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


図示するとこんな具合でしょうか。

上で述べた「商業主義」の上に成立するIDは、明確に、完全に収束されるようなイメージ(そんなのは実現は本当は不可能なのですが)を発信することでブランドを纏います。




しかし、ここで「欲望」を「欲求」に置き換えれば、かかっていた妙なオブラートが溶けていきます。

「マズローの5段階欲求」という有名な仮説がありますが、この仮説によると、欲求は次の5つの段階に階層化されます。

⑤自己実現欲求
④自我欲求
③社会的欲求
②安全欲求
①生理的欲求


①→⑤にいくにつれ、階層が高くなります。
階層の高い欲求は、一段階階層の低い欲求を満たさなければ欲求は生じません。

この「欲求仮説」、商業主義と人類学の接点のようなものでしょうか。
この視点から切り込めばなかなか面白い導きができます。

その最大の利点は、別個であると自分が感じていた「ID的造形」と「彫刻的造形」を、同列のものとしてひとつの流れに組み込むことができる、ということに尽きます。



【視座1:造形の必要条件】

「ID的造形」 →「③社会的欲求+②安全欲求+①生理的欲求」

「彫刻的造形」→「⑤自我欲求+③社会的欲求」



【視座2:造形の十分条件】

「ID的造形」 →「⑤自己実現欲求」

「彫刻的造形」→「⑤自己実現欲求」



このように図式化できるのではないでしょうか。
無論、もう少し違った視座から観ればこの組み合わせの限りではありません。
面白いのは【視座1】で全く異なっている欲求階層の組み合わせが、【視座2】ではほぼ同じものになっているという点です。





※※※





物事は多面性を有します。そもそも物事は多次元的な存在でしょう。
ある界でははっきりと境界が見えていたものが、別の界に行くとふいに同列のものとして捉えるものになっていく。
曼荼羅、マトリクスのような世界観に通じるところがあります。

境界がはっきりしなくなる、ということは、そこに曖昧さが生じています。
そして、その曖昧さは、他ならぬ「魅力」を生み出しているものだと考えています。人を惹き付ける何か、その正体です。それははからずとも抽象的なものになります。


決して全体を知ることができないもの。
これは古生物の持つ魅力にも繋がると思います。好奇心とも比例しますね。「好奇心」も、欲求の何らかの部分にカテゴライズできそうです。






横断的な思考の次元を飛び越えた、多次元的な思考。
別のものとしてではなく、同じものとして観る。その姿勢。
これは「デザイン」という言葉と合致すると思います(現行流布している「デザイン」とは別の意味です)。

「統合=coodinate」はその手法だったということですね。統合後には境界は薄れ、曖昧さが残る。
別個体の統合即分解。生物学にも絡めていけそうですね。






※※※




珍しく自分の考えを文面に起こして(自分の中だけで)まとめることができた気がします。
やはり僕にとって、デザインはスタンス、流派です。

何を為すか、と言われれば、デザイナー、ではなく、コーディネーター、と言いたいですが。

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名前とアイコンの考察

2010-09-05 03:52:06 | Weblog
ことばに出してまとめてみないといけないことは多々ありつつも、なかなか投稿まで至れない自分のぐうたらさったらない。

つい一週間ほど前に、ギ○モードから「トリケラトプスが教科書から消える?」って記事が投稿され、twitter上で結構な論議が沸いたのだが、まあコアな話題だけにそんなにこの情報に関わる人も少ないよねえ…と思ったり。



上記の問題についての詳細はこちらをご一読ください。高校の同級生でもあるHiro_HLさんが、丁寧に言及してくれています。


もんのすごく要約してしまうと、
『トリケラトプスとトロサウルスという二種の恐竜が、同じ種類と断定される論文が出た。ゆえに先に記載された「トリケラトプス」の名前が残り、「トロサウルス」という名前は規約上消滅する。』

という感じになると思います。
学名上の規約としては先に名前が記載されたほうの学名が存続することになっているので、トリケラトプスの名前は残りますよーってことです。
問題は、上記のギ○モードが誤情報を流してたことですね。この場合、消えるのはトロサウルスです。


と、この件に関しては様々な方々が情報の訂正を行い告知してくださりだいぶ最初よりはいい状況になってると思いますが、一旦広く流れた情報を再編集するのは本当に難しいです。






ーーここから本題ーー


恐竜が昔から好きでした。
と、ここでも何度となく書いた気がするが、今回の騒動の一人(一頭)、「トロサウルス」も昔から気に入っていた恐竜でした。

このトロサウルス、外見はトリケラトプスに非常に似ています。ただひとつ大きく異なるのは、首まわりを覆うフリルの大きさ。トロサウルスのほうが長いのです。
陸棲生物の頭骨では、史上最長だったんじゃないか。頭骨だけで2.6mくらいあった気がします。

いろんな図鑑にも載っており、見映えもするのでとても印象が強かったのです。
そこに今回の、「トロサウルスートリケラトプス同属論文」。


トロサウルスの事実上消滅。




こういう論文は何かしら出ることが多いっちゃあ多いので、もう何度か経験ありますが(セイズモサウルス→ディプロドクス、サウロルニソイデス→ザナバザールとか)、
慣れ親しんだある対象の名前が消えるのは、すごくもどかしい、切ない気分になります。
ここまで自分の話。



名前には、本来区別するという役割があります。
機能的側面。
「トロサウルス:Torosaurus latus、1891年に記載、etc」とかいう情報を含んだ総体としての名称の代表。

しかし、多くの名前は概念を持っています。
概念的側面。
「トロサウルス:かっこいい、角がある、頭が長い、etc」とかいうイメージを含んだ総体そのもの。


後者は基本的に後から形成されるものです。
ビジネスでは、ここにブランディングが関わります。というかブランディングを行う際には後者:概念的側面としての名前を主に取り扱いますね。
そう考えると、僕たちの住む現代の世界は、全てのものが概念で構成されていると言い切っても過言ではありません。


めがね。ペットボトル。財布。マッチ。道。湖。


全て概念的です。
めがねのレンズが4つになったら、それはもう概念としてのめがねを抜け出て、新しい名前のない「なにか」になります。ただめがねに似ている、という「なにか」に。
そこに社会的文脈が加われば、アートに近い「なにか」にはなれますが。アートになれるかは名付け親の心次第。



ここで「アイコン」が出てきます。
「アイコン」は概念を持ち、ビジュアルも持つ名称です。財布には財布を財布たらしめるアイコンがある。そういうことです。

めがねのアイコン、道のアイコン、湖のアイコン。

レンズが4つあるめがねは、めがねではありませんが、めがねとしてのアイコンはぎりぎり保たれています。そこにはかすかな文脈もあります。
財布の大きさが縦横三倍になったら、もうそれは財布ではなく鞄になるということです。ただ、そこにはっきりした境界面はおそらくありません。アイコンの積み重ねによって一般概念が形成されるからです。
このへんは僕が言うより、デュシャンの「泉」が断然雄弁です。ここではぼくは雄弁には語りません。









なにやら自分でも書いていてよくわからなくなってしまったのですが、
僕が本当に心底驚いたのは、

この世界には最初から概念しか存在していない、ということでした。







ぜんぜんまとまっていませんが、
かなり小さな世界の中で生き続けることになった、概念的トロサウルスに合掌。
彼に関するできる限りの真実を、知る人が多くなればと願います。
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ファルカリウ・スキャニング

2010-06-16 23:12:58 | Weblog
久々の恐竜。とても楽しい。


というのも、
とうとう我が家にもスキャナ様がやっていらしたのです。


しかし!1200x2400dpiのものを買ってしまったが故の低解像度…!
まぁ大丈夫やろ、と思って安いの買ってしまったのがあかんかったなー
300%の拡大にさえ全然耐えない。というか300dpiまでしか解像度あげれない。しまった。。

これは新しくもっと高解像度の買わないとな…










ファルカリウス(のつもり)です。

最初は無性にコリトサウルスが何故か描きたくなって描いたんだが、なんとなくハドロサウルス類だけじゃなんか見映えせんなー
と思いつつセグノサウルス系とティラノ系を足してみた結果がこれだよ!
構図と情景優先の、現実感が薄れてしまった図。はぁ。
コリトとティラノはまだ全然てきとーにアタリとっただけです。ファルカリウスのみ少し書き込んだとこ。

ってな具合の絵です。まだまだ途中。
この後どうやっていこうかね。

大きい絵が見たいって方がおられましたら、pixivにアップしてます。




ひたすら2Bと3Hでがりがりやりつつ、鉛筆特有のボサボサ感を消しゴムで伸ばしながら質感滑らかにしてみてます。
ほんとならもっとうまい手法あるんでしょうけどね。











さて



前回のエントリまでなんか妙なもやもやな私でしたが、
最近なんやかやで復活しました。
こうやって絵を描ける余裕が出てきてくれたのは、とても有り難いことです。


時間も学生の頃に比べたらまとまった時間はとれないですが、
そのぶん濃密に時を過ごせているというのも強ち間違いではないでしょう。








さて、明日はちょっと早いのでこのへんで!
コリトサウルス小さすぎたかな。



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憧憬異情動

2010-05-29 01:33:28 | Weblog
ああ!おれは何をなすべきか!!???

今、一週間後、一年後、十年後、どこに向かっていくべきか!?



感情に身を窶すことはどのレベルまで必要なのか?

耐え潜むのはどのくらい要るのか?

現状今俺の周りに何が起こっているのか?





ようわからんがここんとこ妙な挫折感を味わっている。
おそらく絶対こんなもん他の人からすれば全く瑣末な事象にすぎない。


しかし俺にとっては間違うなき初めての挫折である。

挫折感は本質的には相対的なもんじゃなく主観的なもんで話せな始まらんことを実感した
実感したはしたでいいが、それ故に自力で見いだすしか術がない。


選択して実行して休息し考えぬき自問して芸術的に吐瀉せよ!!!



言葉やビジョンだけの綺麗事は今は要らん!

ただ行動で答えよ。






ただし事急くな機を待て、万策限り尽くし待て!必要ならば伝えろ、
機は必ず来る
今に浸るな、それは平日だけで充分すぎる時間がある



次のフェーズに入っていけば
また新たなまっさらの世界だ

所詮それの連続でしかないならば
フェーズの過程は楽しむことが最上。




この隔離された空間ただの夜



思索を秘めるのがこれほどとは
いかに俺は言葉に頼る発散をしてきたか?


兎に角今は様々に吐け
たぶん何かは出る


世間にまみれる
自尊心の膨張を止めるのには、何らかのやりとりが要る!別の誰何か
願わくば近くに求めたいが組織外部に出るのはまだ尚早か?





予感がある

一所に留まれず性








いまなら生きた線が描ける


久々に描く




ーーーーーー






一室の中で生きる犀と星か…
凄い名前だ。


ふるさとは遠きにありて想うもの
そして悲しくうたうもの



よしや

うらぶれて
異土の乞食となるとても

あるまじや





そのこころもて

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ジオパーク

2010-04-21 22:25:58 | Weblog
人間の生活リズムというものは不思議なもので、学生時代あんなに夜更かし生活を続けていた僕でも働き始めてからというもの、毎日ちゃんと朝に起きることができるようになりました。
いろいろと右も左もままならない新入社員ではありますが、まあなんとか日々を過ごしているここ最近です。



さて、
結構前のことではあるのですが
福井県勝山市という場所があります。

ここは知る人ぞ知る、日本で一番有名な化石の発掘産地なのです。
この勝山市が、確か去年に「ジオパーク」なるものに認定されたのです。
ジオパークというのは

ー科学的に見て特別に重要で貴重な、あるいは美しい地質遺産を複数含む一種の自然公園ー
(日本地質学会より)

という定義がなされているもので、
地質遺産を保全し、地球科 学の普及に利用し、さらに地質遺産を観光の対象とするジオツーリズムを通じて地域社会の活性化を目指していくもとを目的としてユネスコが定めたものらしいです。


で、
勝山市がこのジオパークを「恐竜渓谷ふくい勝山ジオパーク」と名を改めて世界に発信していくということで、
そのロゴマークを募集していたのです。それが今年の2月くらい。


そのころ僕は修士論文まっさいちゅうでした。
でもコンペまとめサイトでこの募集のやつを見てしまった…

応募するしかないだろう!!!


幼稚園から恐竜にのめり込み、たまにではあるけど恐竜の絵も描いていた自分としてはそりゃ心躍るコンペでしたよ。
修士論文なんのそのって感じで、何日かかけて応募しました。






そしたら採用されたよいやっほおおおおおお!

詳細はこちら
めちゃくちゃ嬉しかったです。自分が社会の役に立てた最初の作品でした。軽く泣きそうでした。
ということで、その画像がトップ絵です。
よくは知りませんが、ジオパーク関連施設とかで使われるそうです。グッズとか送ってほしい。


デザイン自体ですが、
よく見ないとわかりづらいのは僕の不勉強のいたすところなんですが
「雲」「太陽」「空」をイメージしたオブジェクト群が、
図と地の関係を反転させることで
大型肉食恐竜の横顔に変換されるというものです。
大型肉食恐竜、というのはここでは(一応)カツヤマリュウ、という設定にしてます。もうこれは正式にフクイラプトルとしていいんでしたっけ?そのへんも不勉強。。




古生物って、個人的見解なんですが、一般の人は結構堅い分野な印象を持ってる気がするんですよね。
かくいう僕自身も昔はそう感じていたわけで。
でも最近いろいろな人と知り合い、いかにこの分野が最先端の学説を取り込み、それを世界的に発信しているかがわかったんです。
とても革新的で、柔軟なところのある、何より夢の膨らむ研究分野なんです。

ロゴを作るときに、一般の人もたくさん関わるであろうジオパークに掲げることを考えると、
その点を明快に表現したいと思ってこのデザインを導きました。





自分でこうやって発表するのもなんかアレなんですが、
そこは「ふくい勝山ジオパーク」の発展に寄与するという名目ってことで。

ここをご覧になってくれたみなさんも、福井に立ち寄ることがありましたら、是非勝山市まで足を運んでみられたください。
福井県立恐竜博物館とか絶対普通の人でも面白いかと!建築もなんかアバンギャルドやし。
かくいう僕も15年前くらいに一度行ったきりなんで、機会作って行ってみたいところです。







総括すると、休みが欲しいってことでした。

賞金は全て引越し費用に消えました。

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流々転々

2010-04-11 17:58:42 | Weblog
ひっさしぶりです。
ネットがたった今繋がったので、その感動醒めやらぬままの高揚感で更新します。


いま僕は千葉にいます。

しかし一昨日は新潟にいました。

しかも二週間前は福岡にいました。

さらに三週間前までは神戸にいました。

さらにひと月ちょい前まではギリシャにいました。



なかなかここ最近は流転していましたが、なんだかんだ言って私も働き出すこととなりました。
本社は上野と秋葉原の間です。いろいろ聖地です。

仕事はまだ全然わかりませんが、慣れていけそうでよかったです。
企画宣伝をするそうです。
同期の子たちが体育系多いのでお酒飲める人多くて嬉しいです。
でもなによりネットが繋がったことが一番嬉しいのです。




日曜も終わりまた明日が始まりますが、
お願いだから誰か飲みに誘ってください。

取り急ぎ、ご報告まで。
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24歳のデイトリッパー

2010-02-23 02:49:26 | Weblog
白い背景の壁紙ってなんかいいですよね。ってことでもうかれこれ4、5年愛用してたテンプレートを変えてみました。
前のテンプレ、上に出てた星がぐるぐる回るやつんとこクリックしたらなぜか鳩が出てきたりして楽しくて愛着わいてたんですが、なんか黒いの少し見づらいよね。くそが。

なんか自分でカスタムできるやつっぽくて、プログラムとか全くわからんけどいろいろしてたらなんかできました。
とりあえずオール白で。その気になったらもっといろいろしてみるかもしれません。









本編

研究室メンバー+いろいろで、リトルトリップ一泊二日してきました。場所は九重の九大専用研修施設というところ。
なんでも数百円で泊まれるとか。レインボー素晴らしいです。
数百円なので全然期待してなかったんですが、これが普通に旅館のみたいな内装でファイナルレインボー素晴らしかったのです。

とりあえず写真とともに。









出発直前。この面子で行きました。














まずは腹ごしらえです。
トウキョウXという幻の豚肉をしゃぶしゃぶするところ。
















これが幻です。

鍋には白菜の漬け物と水のみが入ってて、それが沸騰次第に幻をしゃぶしゃぶします。
その頃には水に漬け物の塩分が滲みだしてるので、なんとそのまま何もつけずに食べます。
醤油で有名な私ですら、これはそのままいけます。
いや、塩をちょっとかけたほうが好きでした。


食べ終わった後は、このスープを高菜ご飯の上にかけてお茶漬けにします。これも幻の美味しさです。
僕が海原雄山ならとりあえず怒鳴り散らしておくレベルです。

















昼飯後、施設に行くまでの道中で一面の菜の花。
そういや「いちめんのなのはないちめんのなのはなかすかなるむぎぶえ…」って詩がありましたね。山村暮鳥だったか。あれ好きだったなー。なんか不定形俳句とかなぜか惹かれますよね。水原秋桜子とか。どうでもいいですね。

綺麗だなーとみんなで写真を撮ってると、すかさず紳士のN尾氏が傘を持って菜の花畑の中に突入していったんだ。
最初は何がなんだかわからなかった。幻覚だとか超能力だとかそんなチャチなもんじゃあ断じてねえ。
なぜなら彼はこのキャラクターを瞬時に頭に思い描いて実行に移したんだ…










そのキャラクター



はい、違和感ゼロですね。
俺たちにできないことを平然とやってのける、そこにしびれるが憧れない。
それがBIC 1mm氏。
楽しませていただきました。

















ロッジ到着。
これは実は翌日の写真なので雪ハイパー積もってますが、普通に綺麗な施設でした。
実はここ、筋湯温泉のすぐ近くなので普通にロッジ裏に温泉わいてます。てか地獄があります。
この施設の離れに湯殿があって、24時間入れます。
九大ばんざい。俺たちの授業料はこんなところに役立っていたんだね!














みんなで温泉入ったあと、併設されてる体育館があったのでみんなでめっちゃスポーツしました。
バドミントンバスケバレー卓球テニスとかれこれ4時間くらいやったんじゃないか。
やはりスポーツは大勢でやるのが楽しいですね。
しかし翌日、全員が筋肉痛に苛まれることをこのとき誰も知る由もなかった。















運動のあと飲んだらまぁこうなりますよね。














時間は前後しますが、この旅行に行ったときに2月生まれの二人の誕生会をしました。
四半世紀、おめでとう!














日付かわって翌日朝。
ロッジの裏散策中です。
こんな具合に軽く地獄巡りできるようになってます。
















地獄の中にあった、ゆでたまご製造機。機械じゃないけど。
これの中に生卵いれて、9分でできあがるそうです。
食ってみると中はミラクルハイパーレインボー半熟で美味すぎました。
こういうのを最高の贅沢と言うのだろう。














地獄の一部。
前日は積もってなかったんですが、5cmくらい積もってました。この時期にまた雪景色が見れるのは幸運です。しかし寒い。
乗ってきた車も雪化粧というか白塗りレベルでした。















ボンネットに映る異次元の空。
宿を後にし、一路やまなみ牧場へ向かいます。
朝には曇り気味だった空も晴れ渡り風が冷えて気持ちいい。でも寒い。
















牧場にて。
白馬だと…!?以外に目にすることって少ないのかもしれん。
思うんですが、こういう白馬って品種交配で生み出すんでしょうか。個人的に色素少ないと体弱くなると思うんだけど。紫外線に弱そう。
動物の世界にはアルビノといってたまに色素がほとんどない真っ白の赤ちゃんが生まれてきたりしますが、こいつはそれなんかな。大事に育てられてそうだ。にんじんあげよう。

馬の他にもこの牧場には牛、黒豚、鴨、ウサギ、あとなんとクジャクまでいました。
ウサギってこんなに可愛かったっけか。ずっと口もふもふしてる。ウサギの口ってミッフィー思い出してくれたらいいんですがY字になってますよね。僕はあのYの真ん中の交点の部分ににんじんをぶち込むのが小学生のとき大好きでした。飼育委員だったので。
あそこに無理矢理ねじこんでやると、ウサギ自身は餌食べたいのに食いづらそうな動きしてミラクル愛狂しいのです。
要するにウサギ萌えということです。


それにしてもクジャクの雄ってなんであんなに威厳があるんでしょうね。神にしたいです。



動物の話になったら長くなりました。戻ります。















なんとも形容し難い。
制作者はこの看板に何を求めたのか。
発情期の牛は乳が張ってるので絞らないとこのようにくねくね苦しみだすということであろうか、いや、ない。

浩一、哺乳瓶似合うなあ。
















ここは牧場ではないですが、たぬきがいました。

昼飯食べた桂茶屋というとこです。店員がみんなこの格好で、名札には「ポン太」とか書いてあります。
「いらっしゃいだーぽん。」と言って呼び込んでくれます。
これを考えた人はこのメイクに何を求めたのだろうか。
発情期の人間がこの動物コスプレを見て乳が張ってしまい、いや、ない。絶対ない。あってくれるな。

















場所は変わり、高いところ。おれは行ったところの名前を全く覚えてないのだなあ。
これは樹氷です。
初めて見ました樹氷。めっちゃ綺麗です。冬に開く花といったところでしょうか、僕たちの行ったときは満開でした。
こんなに見事な樹氷が山の斜面いっぱいにあるのは壮観。
滅多に見れるもんじゃなし、眼福です。















樹氷アップ。
おそらく風を受ける方向と逆方向に氷柱ができたんだろう。でもどんな経緯でこんな形になるのかは想像がつきません。
自然は好奇心の宝庫。














そして年甲斐もなく雪合戦をやりだす24,5歳の面々。
しかし雪合戦とかもう10年くらいはしてなかったぞ。体は暖まるのですが、手の先は痛みしか感じていません。













まぁ、晋也が狙われますよねー。
もはや10対1くらいで晋也にぶつけてました。
おれたち、こういう時ほんと統率感あるよね!すごいなあ!と思ってたけど、これっていじめじゃないよね。ごめんよ晋也。とっても楽しかったから許して。














と、こんな具合のラボ旅行でした。
大勢での一泊旅行とか僕の記憶にある限り大学入ってからほとんどなかったんでアフターレインボーリバイアサン楽しかったです。
おれ幸せだなあと夜に飲みながら感じました。気の置けない仲間というのはいつの時代も何者にも代え難いものですね。リアルな話。
僕はそういう意味ではリア充です。








そういえば昨日ハルヒ観に行きました。長門が何回も萌え殺してきました。
リア充は爆発すべきです。

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