なんくるないさ~、沖縄での研修医生活

臨床研修のメッカ沖縄にあって忙しさNo.1を自負する中部徳洲会病院。スーパー研修医がリレーでつづる研修医ブログ。

死ということ

2008-12-27 19:08:34 | Weblog
Kです。

高齢化とともに救急総合診療科の入院患者も必然的に高齢化してきます。
また中部と違い、南部はさらに10歳くらい平均年齢が上がります。なぜか。。

南部に来たときは産科オンコールも少し経験していましたが
いまは2年目の研修医が産科でがんばっているので離れています。
産科はやっぱり今思うと楽しかったなー。
『生』の部分をみれるからかな。

いまはもっぱら『死』との闘い?です。
言葉が正しいかはわかりませんが。

いろんな人がいます。
100歳を越えても、より元気な人。
50歳半ばにして脳卒中で倒れ寝たきりの人。
毎日家族が来る人。
誰も親族がいない人。

みんな一時は僕の患者さんです。


『主治医ってのはこの人の一生をみないといけないとか、
この人の全てを考えないといけないとか思っていましたが、
いまの医療における主治医とは何なんでしょうか。

専門科にわかれすぎているため、昔ながらの町医者だったころの主治医と
今現代における主治医の意味合いってのは違う気がします。』


この一時に、何ができるか。
主治医ってのは救急病院における今の一段階にしかないかもしれない。
けどこの一時に何かをみることが、本当によかったと思える一時にしたい。
そしてこの患者さんにとって、退院してからも最善の医療が受けられるように
することも、この一時の主治医のやることではないかなと思う。
そうありたいと常に心に誓う。

『死』に対して語るにはまだまだ若輩ではないかと思ったりしますが。。
『死』というのはとてもつらく悲しいこと。
もう一生その人には会えなくなる。
声が聞けなくなる。
命の鼓動がきけなくなる。
肌のぬくもりを感じることができなくなる。

最期を宣告するということはとてもつらく悲しいこと。

医師というのは時としてこういったことに慣れてしまい忘れがちであると思う。
しかし決して忘れてはいけない。
医者になって初めて亡くなった患者さんの前で泣いたこと。
自分の家族が亡くなったあのつらかった一時を。
亡くなった患者さんの家族は常にそういった思いでいることを。

今日癌の患者さんの話をテレビでみました。
人として生きていることに恵まれていると思いました。
死ということに自然に涙が出てきました。
医師として何かを考えさせられるそんな内容でした。

                              K

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2 コメント

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Unknown (すん)
2008-12-30 23:32:24
最近からこのページをみるようになり時々コメントを書いてます。一般人です。私は、受診している科が多くどの科の医師が主治医か分らなくて、体調が悪いのになかなか相談できずにいます。なので、救急を受診する事が多くなってます!
救急では、すごく話を聞いてくれて、とてもおちつきます!私の心の支えは救急の医師なのかもしれませんね!
Unknown (K)
2009-01-04 18:03:39
どの先生も少しは色々なことをアドバイスできるはずなのに、専門以外はわからないの一点張りなのが最近の医療。
患者さんのことを自分の家族だと思えば、もっと色々なアドバイスができるんじゃないかなぁと思っています。
救急医も僕らだけではどうにもならないし、専門医の先生と共存して初めてベストが尽くせるんですよ☆

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