なんくるないさ~、沖縄での研修医生活

臨床研修のメッカ沖縄にあって忙しさNo.1を自負する中部徳洲会病院。スーパー研修医がリレーでつづる研修医ブログ。

2年次研修医 Dr.W 北海道へ行く  ~ 緩和研修 ~

2012-02-07 20:27:06 | Weblog
 お疲れさまです。
昨年も2年目の先生が緩和研修を希望して、研修されましたが今年も2年目の女医 Dr.W が北海道で一カ月お世話になってまいりましたので、感想文を掲載させていただきます。 


 ホスピスとはがんの末期で痛みから解放され、人生の末期を穏やかに過ごしている明るいところというイメージでした。抗がん剤や放射線療法など色々おこなってなお進行をとめられなかった(一般病棟と比較して)わりと若い人たちが多く、メディアによって「ホスピス」が一般的に知られるようになっており、入院待ちも多いと思っていました。
実際病棟には高齢者が多く、年齢層でみれば一般的な病棟とさして変わりなく、市街地から遠く交通の便が悪いという理由で案外空床になったり、ホスピスといえど立地条件というものも関係あるのだと思いました。
病棟は明るく個室が多く、吸引びんや尿バックなどに布が覆われ、細やかなところに病院を感じさせない工夫があり驚きました。認知症の方もおり、痛みや不安を訴えておられましたが決してミトンをつけられたり車いすに固定されることなく、話を傾聴されていました。病院にいながらできるだけ快適に過ごされるよう病棟の雰囲気、スタッフの気遣い、徹底したチームでの情報の共有、定期的に行われるチームの話し合いによる治療方針の決定というものが本来目指すべき医療なのかという気がしました。ただそれがごくごく限られた人たちにしか提供されないのもまた不平等を強く感じました。
一般病棟で亡くなる方もたくさんいます。がんの末期に関わらず、心不全の末期、COPDの末期、慢性腎不全の末期などの何となく先がみえている高齢者の方々が毎日ばたばたと治療をされている方たちの中で亡くなっていかれます。今後はそういった方たちにも緩和ケアが受けられれば理想的ですが、かなり非現実的と思われるので少しでも近いことができればと思いました。吸引を減らすとか点滴を減らすとか苦痛になる処置が少しでも減らせる工夫、消臭剤を置いてアロマを炊くなど環境を少しでも快適にできるようなことをしていければと思います。
 
 患者さんたちと話していて私たちが本当に些細と思うようなことでかなり気持ちが変わってくるんだというのを感じました。3分診察だとしても「待たせてしまってごめんなさい」、目を見て話す、聴診器をあてるといった至極当たり前のことだけで実際とても満足感がかわるのはすごいです。聴診器をあてる、おなかを触るといったボディータッチがどれだけ喜んでもらえるかなんて考えたこともなかったです。普段の診療でも十分可能なことはあるということを痛感しました。

 緩和病棟へ研修に行くにあたり、基本的には告知済みであることが前提でしたが、実際その前段階におけるがんの告知について、どうやってがんの告知についての希望をきくのかと思っていました。高齢の入院患者さんたちの多くは家族の希望により未告知の方がほとんどでした。未告知の上で抗がん剤の治療などを行なったりします。「病気について詳しく知りたいですか?」と言う質問で解決できるなんてとても驚きでした。暗にがんと言っているようでそんな風に言われたら誰でも「はい」と言うに違いない、知りたくなるに違いないと思っていましたが実際言われるのとそうでないのは異なるということ、詳細などは知りたくないという選択をとる人も実際いるというのは驚きでした。

自分のことについて、死ぬということについて、医療とは何かについて今までで一番考えさせられた1カ月だと思います。麻薬の使い方はまだまだ分かりませんが、今後の診療において少しでも不満を感じさせないちょっとしたことを気遣えるよう、初心を忘れずに働いていこうと思いました。1カ月本当にありがとうございました。


 W先生一カ月お疲れさまでした。
また、受け入れてくださいました患者様始め先生方、本当にありがとうございました。
当院での初期研修では当直時始め救急を盛んに受け入れている病院ですが、ある意味相反する「緩和」はとても勉強になったことと思います。
              ※これは個人的な感想であって記載してあることがすべてではありませんので、ご了承ください。

                                                  木村

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1 コメント

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医師という姿勢とは? (pj)
2012-02-10 02:09:53
 緩和ケアでの研修の感想文、読ませていただきました。
いろいろ考えることが多かったようですね。

 緩和ケアに対するイメージはいろいろあると思います。
ただ、緩和ケア以外の病院でも、患者さんへの気遣い、配慮が最大限可能であることを認識すべきであると思います。
 感想文の中で、ミトンのこと、車いすに乗せられている患者さんのことが記載されていますが、「なぜそのようにしなければいけないのか?」ということを考えているでしょうか?おそらく、そのような患者さんたちは、転倒して骨折する可能性の高い患者さんであったり、動脈ラインや中心静脈ライン、また挿管チューブなど自分で抜いてしまった場合、非常に危険な状態となる患者さんの可能性が高い方がほとんどなのではないでしょうか?
患者さんの行為そのものが患者さんの不利益、はたまた命そのものまで脅かすことにつながりかねないとき、医療従事者として、「かわいそうだから」という理由でそのようなことをすべきではないのでしょうか?
もし、そう思うことがあるなら、患者さんが危険な目に合わないように、一晩中、患者さんの傍に寄り添っていた経験はあるのでしょうか?
患者さんが「苦しい」からと言って、患者さんやまた、患者さんの家族の望むことをそのまま行うのであれば、医者という仕事は、何の判断をするために患者さんの傍にいるべきなのでしょうか?
吸引を減らすことで、患者さんがどのような転帰をたどっていくか、その予測はできているのでしょうか?
今一度、多くの事を経験し、考えてほしいものです。

 緩和ケアとは、おそらく今現在この世の中でできる最大限の治療行為やその情報を提示したうえで、患者さんやその家族が選択するものと思います。
医師の側に必要なのは、そのような情報を提示できる知識や判断力であり、また科料できる技術であると思います。
 緩和ケアという選択が、その医師の力量不足からの判断であってはならないことなのです。

ですから、心不全の治療方法、慢性腎不全の治療方法、COPDの治療方法、がんの治療方法…あげたらきりがないくらいのこれらの治療方法すべてを提示したうえでの、緩和ケアの選択であり、その中でたとえ、『先が見えて』いても、それでも尚、治療することを選択した患者さんに、一生懸命向き合うことこそ、もし残念ながら命を救うことはできなかったとしても別な意味での「緩和ケア」につながるのではないでしょうか。

日常診療は、患者さんへの優しさばかりでは、患者さんに対し、本当の利益につながらない場面に多く遭遇します。
患者さんがより多くの治療または緩和ケアを選択することができるようにすることが、医師として、患者さんやその家族に行うべきことであると思います。また、どの選択をしたとしても、その患者さんにとって、さまざまな面から、利益のある方法を選択できるよう医療的知識とときには優しさや厳しさといった感情を踏まえつつ、日々の診療にあたるべきであると考えます。診療の際には、五感を生かして、(こんなにまで五感をフルに活用しなければいけない仕事はないと思います…)患者さんに接するべきであり、患者さんのささいな変化を見逃さないようにするのが、医師という仕事なのではないでしょうか?
単に『患者さんに喜ばれるから』、といった理由で診察(のようなボディタッチなど)を行うのであれば、医師でなくても、どんな人でもできることですから。

あくまで個人的見解になりますが。
長文、失礼しました。

Dr W先生にはいろいろなことを経験し、その経験一つ一つを大事にしてもらいたいですね。

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