千葉市に住むシルバーの小さな日記

日々の事象を多角的に,デジカメで捉えながら記録していきたい

ベネルクス3国ツアーの旅・第5日[その1]

2015-08-01 13:37:17 | 外国旅行
7月9日(第5日目)、今日はブリュッセル→南ベルギーのアルデンヌ地方を巡り→モダーヴ→デュルビュイ→ルクセンブルグ


ブリュッセル市街を抜けると南ベルギーの農村部と緑の広がる景観になった。


同上


モダーヴ城







[参考]
モダーヴ城はワロン地方で最もすばらしい城の一つ。
モダーヴ家、オートペンヌ家、サン・フォンテーヌ家が暮らした13世紀に遡る中世の城塞基部を利用しつつ、1658年にマルシャン伯が全面的にフランス様式に改築した城。峨々たる懸崖に威容を見せる。
内装も素晴らしく、なかでもジャン・クリスティアン・アンシュによる32貴族の家系図をあらわした135平米の天井スタッコ彫刻は西欧でも唯一の作例。
その他、タペストリーや各種調度やモダーヴ城オリジナルのジアン窯ファイアンス陶器のコレクションも興味深い。


モダーヴから約22kmでデュルビュイに到着。昼食を挟んだ散策は日影がほしかった。
















バスは約154km先のルクセンブルグ目指して走りました。

[参考]
リエージュから直線にして15キロ、ウルト川沿いに道路で60キロほど南下した場所にある“世界で一番小さな”古代からの町。緑深いウルト渓谷にすっぽりと包まれるようにしてデュルビュイの町はあります。
絵本のような、人口500人足らずの世界で一番小さな町。
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ベネルクス3国ツアーの旅・第4日[その4]

2015-08-01 13:35:04 | 外国旅行
風強く雨は断続的に降るような悪天候でした。雨が止んだので急いでライオン丘の頂まで登りました。濡れた石の階段は滑り易いので手すりに摑まりながら下りました。


ライオン丘とパノラマ館の全景


パノラマ館に入ると眼前に書かれた迫真の戦闘場面は圧巻でした。360°の画面と遠近法のため人物が浮き出て見えました。


黒いライオン像は遥か彼方にあるフランスを遠目に睨み付けているとのこと。


約200年前、約30万人の兵士が眼下に広がる広大な平原で戦いがくり広がれていたとは想像できませんでした。


同上


226段の階段を一気に登ってみようと挑戦しましたが、途中で息が上がってしまいました。



[参考]
ワーテルローの戦いは、1815年6月18日に、イギリス・オランダ連合軍およびプロイセン軍が、フランス皇帝ナポレオン1世率いるフランス軍を破った戦いである。ナポレオン最後の戦いとして知られる。
1815年にエルバ島から帰還し皇帝の座に返り咲いたナポレオンは、第七次対仏大同盟の態勢が整う前にこれを撃破することを企図。フランス国境北東部付近に位置していた初代ウェリントン公爵アーサー・ウェルズリー麾下の英蘭連合軍とゲプハルト・レベレヒト・フォン・ブリュッヘル元帥のプロイセン軍を打倒すべく、自ら12万の兵力を率いて出陣した。両勢力は1815年6月16日から3日間に渡り交戦し、ナポレオンは前哨戦となるリニーの戦いでブリュッヘルのプロイセン軍に勝利したものの、6月18日の戦いで大敗し潰走を余儀なくされる。連合軍はこれを追撃してフランスに侵攻し、ルイ18世を復位させた。退位したナポレオンはイギリスに降伏してセントヘレナ島に流され、1821年にこの地で死去した(百日天下)。
ナポレオンの敗因は、一軍を委ねたエマニュエル・ド・グルーシー元帥との連携に失敗したうえ、天候の都合で攻撃開始を遅らせたことが裏目に出て敵勢力の結集を許してしまったことが挙げられる。なお、実際に主戦場となったのは現在のベルギー国内のラ・ベル・アリアンスで、ブリュッセルからおよそ13km 南東にあり、ワーテルローの町からは1.6kmほど離れている。この古戦場には「ライオンの丘(英語版)」と呼ばれる巨大な記念碑がそびえ立っている。
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ベネルクス3国ツアーの旅・第4日[その3]

2015-07-31 13:38:46 | 外国旅行
7月8日、昼食後はナポレオン最後の戦いとして知られるワーテルローへ。このツアーはオプショナルツアーだったので、参加者は10数名ほどだった。ワーテルローはブリュッセルから約20km程度の距離。バスの車窓から移りいく風景を車窓観光させてもらった。








十字形の外観で有名なEU本部。




王宮


オプションナルツアーの人たち、終日フリータイムの人たち全員の集合場所はギャリル・サン・チュベール。ここから路上駐車しているバスまで徒歩移動になった。








サン・ミッシェル大聖堂
NIKON/V2,10-30mm,3.5-5.6G

[参考]サン・ミッシェル大聖堂
Cathedrale S.S. Michel et Gudule
メッヘレン・ブリュッセル大司教区聖堂。前国王ボードワン1世とファビオラ王妃との結婚式もここで行なわれました。建物は13-15世紀の壮麗なブラバント・ゴシック様式です。カール5世とその家族から贈られたステンドグラスは16世紀ルネサンス様式。内陣にはブラバン公ジャン2世、アルベール大公、イザベル大公妃、オランダ総督シャルル・ド・ロレーヌなどの墓があります。
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ベネルクス3国ツアーの旅・第4日[その2]

2015-07-30 14:28:28 | 外国旅行
王立美術館
入館に際しては手荷物制限で、リュック等の大きな物はコインロッカーへ預ける必要がありました。





[参考]
古典美術館と近代美術館の2部構成。古典美術は14世紀から19世紀までを展示。中世では、ファン・デル・ウェイデン、バウツ、メムリンク、ボス、マサイスなど、バロックではルーベンス、ヨルダーンス、ヴァン・ダイクなどを中心に展示。ブリューゲルやルーベンスにはそれぞれ一室が当てられている。近代美術館は15世紀から20世紀にかけての作品を地下8層にわたって展示。アンソール、デルヴォー、マグリットらのベルギー美術とフランスの新印象派などが中心。


楽器博物館
入館に際しては手荷物制限で、リュック等の大きな物は無料で預かってくれました。また無料貸し出しのワイヤレス・オーディオプレイヤーを利用すると当該楽器の前に立つとその楽器による演奏が鑑賞できました。







[参考]
旧百貨店・オールドイングランドの建物を転用。ハープシコードやピアノを含む西洋の楽器のほか、古代の楽器やインド、インドネシアなどの楽器も収集。1500点以上のコレクションがある。
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ベネルクス3国ツアーの旅・第4日[その1]

2015-07-28 20:51:14 | 外国旅行
7月8日(第4日目)、今日は終日自由行動の日。事前に調べていた用意周到のグループ、添乗員さんのアドバイスで計画したグループなどなど。私たち10数人は午後のオプションナルツアーを申込んでいたので、午前中の過ごし方を添乗員さんにお任せした。

私達は宿泊ホテルを発ちブリュッセル中央駅付近で下車し、市街を添乗員さんのガイドで徒歩観光した。
スケジュールは王立美術館→楽器博物館→昼食後、ナポレオン最後の戦場になったワーテルローへ(オプションナルツアー)


ブリュッセル中央駅前


同上
















王立美術館前
NIKON/V2,10-30mm,3.5-5.6G


[参考]
ブリュッセルには80を超える美術館・博物館があります。その種類はスポーツのフェンシングに関するものから絵画まで、幅広いジャンルに亘っており、さまざまな嗜好に応えることができます。
その代表的なものは、王立美術館(ブリューゲル、ルーベンス、デルヴォー、マグリットらをはじめ、豊富なコレクションを誇る)、マグリット美術館(シュールレアリスムの画家ルネ・マグリットの作品など200点を展示しています。
世界最大のマグリット・コレクション)、サイエンタスティック(遊びながら学べるインタラクティブな科学博物館で、親子で楽しめる)、王立中央アフリカ博物館(アフリカに関する優れたコレクション)、自然史博物館(ヨーロッパ最大の恐竜イグアノドンの骨格標本があるほか、貝、昆虫、北海の海洋生物の化石など、多彩な資料がある)など。そのほか、マグリット夫妻が住んだ家を公開しているマグリット・ミュージアム、1830年以降のベルギー史や王室の歴史を紹介するベルビュー博物館も見逃したくありません。
楽器博物館(世界各地の楽器1500点あまりを展示)とベルギー漫画センター(「タンタン」をはじめベルギーにおけるさまざまな漫画の歴史を紹介)も訪れたい所。これらは、ユニークな展示内容はもちろん、アールヌーヴォー様式の建物も見どころです。特にベルギー・コミックセンターは、建築家ヴィクトール・オルタの設計で建てられました。
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ベネルクス3国ツアーの旅・第3日[その4]

2015-07-28 16:06:29 | 外国旅行



NIKON/V1,10mm,2.8

[参考]
17世紀にデュケノワによって作られたブロンズ像で「ジュリアン坊や」の愛称で親しまれている。
もとは、ブリュッセルの市内に数多くある噴水のひとつであったのだが、いつしか世界中に有名な存在となり、各地から様々な衣装が贈られ、その数は760点にも上る。この衣装はグラン・プラスの「王の家」の中にある市立博物館に展示されている。
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ベネルクス3国ツアーの旅・第3日目[その3]

2015-07-28 15:03:37 | 外国旅行
大広場 グラン・プラスに戻ってきた。グラン・プラスはギルドハウスに囲まれた約110m×70mの方形広場。17世紀以前に建てられた大部分の建物は木造建築であった。1695年、フランスのルイ14世の命令によるヴィルワ将軍の砲撃で、市庁舎を除いたほとんどが破壊された。しかし、各同業組合(ギルド)は、集会場として使用する目的で、驚くべき早さで現在の石造りの建物を再建してしまった。


市庁舎。


王の家。


プラバン公爵の館









[参考]
ブリュッセルの中心部は”小さなベルト”と呼ばれるインナーリング(環状道路)に囲まれている。このインナーリングは14世紀に築かれた城壁の跡で地図を見ると、中世の騎士の紋章旗のように五角形の形をしている。この五角形を縦に貫くように鉄道が走り、上の部分には北駅、下の部分に南駅、そしてちょうどど真中に中央駅がある。

市庁舎 Hôtel de Ville
ブリュッセルを代表する建造物の一つ。15世紀に建てられたフランボワイヤン(後期フランス・ゴシック)様式の建物で、中央の塔の高さは96mあります。先端の像は、ブリュッセルの守護聖人である大天使ミカエルです。

王の家 Maison du Roi
市庁舎に向き合って建っています。16世紀にスペイン王カール5世の命で建てられたのに因み、現在の名がありますが、王様が住んだことはありません。フランス革命後は「人民の館」Maison du Peupleと呼ばれました。1695年に火災に遭い、1873年から1895年にかけて全体的にネオ・ゴシック様式に改築。現在は市立博物館として利用され、「小便小僧」の衣装などが展示されています。
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ベネルクス3国ツアーの旅・第3日[その2]

2015-07-27 05:44:55 | 外国旅行
ブリュッセル到着後、市街地内のレストランで昼食、そして市街地観光へ。


食事後レストランから出てくるツアー仲間






ギャルリー・サン・チュベールを歩く。
[参考]ガルリ・サンチュベール Galeries St-Hubert
グラン・プラスの北東に続く瀟洒な商店街でヨーロッパ最古のアーケードの一つ。「女王」、「王」、「王子」の三つの通りがあります。ネオ・クラシック様式とネオ・イタリア様式からなる、J.-P.クリュイズナールの設計で1846年から1847年にかけて建造されました。








添乗員さんの後を遅れないよう一生懸命に歩く。行着いた場所は小便小僧ならぬ”小便少女”でした。現地の人はユーモアーがありますね。

NIKON/V1,10mm,2.8

[参考]
伝承によると、西暦580年頃、聖ゴーリックが現在もブリュッセルの街を流れるゼンヌ川中州に小さな教会を建てたと言われています。ブリュッセルの正式な建設は、一番最初の城砦が築かれた979年。その後11世紀中ごろには市壁が築かれ、中世ほぼ全般に渡って、ブリュッセルは、ブルージュ、ゲント、ケルンを結ぶ重要な交易路の中継地として繁栄しました。しかし1695年、ブリュッセルはフランス国王ルイ14世の軍の攻撃を受け、グランプラスを始めとする4千軒の家屋が破壊されました。
それ以降ブリュッセルは、様々な外敵による侵入を受けることになります。その最後はオランダによる統治でしたが、1830年にブリュッセルのモネ劇場で上演された、オーベルの「ポルティチの唖娘」がきっかけとなって起こったベルギー革命により、オランダ国王ウィレム1世は退去を余儀なくされました。
以後、ベルギーは独立国となり、1831年7月21日、ベルギー最初の君主となるレオポルド1世が戴冠し、ブリュッセルを新王国の首都と定めました。レオポルド1世は、荒廃した街の再生を命じ、市壁を取り払い、新しい都市計画に基づいて街を拡張しました。
また、その独立性と新たな重要性から、多くの国際会議が開催されたり、科学技術機関が設立されるようになったほか、外国からも、多くの芸術家、哲学者、科学者などがブリュッセルを訪れるようになりました。その中には、カール・マルクス、ビクトール・ユーゴなど、著名な人物も大勢いました。
20世紀、ブリュッセルの街は、第二次世界大戦によって壊滅的な被害を受けましたが、戦後の復興で街はさらなる発展を遂げました。1970年よりベルギーは、フランダース、ワロン、首都ブリュッセルという3つの独立した地域に分割され、それぞれ独自の政庁を擁します。またブリュッセルには、ベルギーが創立メンバーの一員でもあったEUヨーロッパ連合とNATOの本部もあります。
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ベネルクス3国ツアーの旅・第3日目[その1]

2015-07-25 10:01:02 | 外国旅行
7月7日(3日目)、ブルージュに別れ、次のようなコースを経てブリュッセルに向かった。
ホテル→ガスベーク城庭園観光→シント・ピータース・レーウ(コロマバラ庭園観光)→フリュッセル市内観光(世界遺産・グランプラス/小便小僧)

ガスベーク城庭園観光
バスを下車し、日本だったら蝉しぐれの中を歩く道、静かでした。鳥の鳴き声も少なく、ひたすら歩きました。












コロマバラ庭園観光





NIKON/V1,10mm,2.8
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ベネルクス3国ツアーの旅・第2日目[その3]

2015-07-23 16:41:33 | 外国旅行
1352年から約170年の歳月をかけて建設された。ベルギーで一番大きなゴシック教会。塔の高さは約123mで、かつては船がアントワープの港に入る時の、良い目印だったという。ルーベンスの最高傑作である祭壇画「キリストの昇架」「キリストの降架」などについて、現地在住の日本人女性に優しく説明いただいた。














NIKON/V1,10mm,2.8
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ベネルクス3国ツアーの旅・第2日目[その2]

2015-07-21 09:53:00 | 外国旅行
午後はアントワープ市内観光(ルーベンスの「キリストの降架で有名な世界遺産のノートルダム大聖堂)
この日、アントワープ市街はツールドフランス自転車レースの通過点に設定されていたようだ。その影響で現地到着は大幅に遅延してしまった。バス駐車場からノートルダム大聖堂まで歩きながらの移動になった。














NIKON/V1,10mm,2.8

[参考]
アントワープ最初の発展は、ライバル港であったブルージュの川底に土砂がたまり始めた12世紀頃に訪れます。14世紀前半になると、港と毛織物市場の好評判により、アントワープは西ヨーロッパ一の交易港、そして金融の中心地として繁栄します。
1356 年に、神聖ローマ帝国の一部となっていたアントワープがフランダース州に併合されたことを受け、多くの特権を失いました。一方ブルージュは、これによって利益を得ました。50年後、政治と経済の潮流の変化により黄金時代が訪れると、アントワープは世界的なメトロポリスとなり、「世界で最も美しい町」と称されるようになりました。
16 世紀前半には、北方プロテスタントと南方カソリック(スペイン)の政治・宗教戦争の舞台となり、スヘルデ川は封鎖に至ります。経済的には大きな打撃となった一方、17世紀中ごろまでアントワープの文化は隆盛を極めます。ルーベンス、アントニー・ファン・ダイク、ヨルダーンス、テニアなどの画家、プランタン、モレタスなどの印刷業者、そして、有名なアントワープのハープシコード製作者たちが、この文化繁栄の立役者となりました。しかし、1650年から19世紀までの間は、スヘルデ川封鎖の影響を受けて、アントワープは小さな地方都市程度のレベルまで衰退してしまいます。その後、ワーテルローの戦い(1815年)でナポレオンが倒れてからベルギー革命(1830年)が起こるまで、そしてスヘルデ川が再び封鎖されるまで、つかの間の繁栄が再来しました。1863年になると、スヘルデ川は恒久的に開放され、アントワープにはかつての栄光が蘇ります。
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ベネルクス3国ツアーの旅・第2日目[その1]

2015-07-18 16:20:01 | 外国旅行
オランダ・スキポール空港から直行でベルギー・ブルージュまで約240kmの移動。宿泊地に到着したのは午後11時過ぎだった。疲れと眠気の混在する気分。
添乗員さんの言葉を借りれば時差ボケ解消には初日から3日目ぐらいまで過密スケジュールのほうが良いとのこと。
[7月6日(第2日)]
[世界遺産]ブルージュ歴史地区観光。ペギン会修道院/愛の湖公園/マルクト広場
[参考]
下記はベルギー観光局のサイトから全文引用した。
ブルージュとは橋の意味で、3つの世界遺産が登録されています。その1つがブルージュ歴史地区、いわゆる旧市街区域です。そこには、救世主大聖堂、聖血礼拝堂、市庁舎、聖母教会、グルーニング美術館、聖ヨハネ施療院といった歴史的建造物が点在し、屋根のない博物館のよう。残る2つは、同じ歴史地区にあるベギン会院と鐘楼で、それぞれ、「フランドル地方のベギン会修道院群」「ベルギーとフランスの鐘楼群」の1つとして、重要な文化遺産になっています。どこを向いても、そこには絵になる風景が広がっている、そんなブルージュの町を歩いていると、いつの間にか中世にタイムスリップしたような気分になるかもしれません。


メムリンク美術館。12世紀に造られた聖ヨハネ施療院の建物の一部を利用した美術館


マルクト広場は四方に魅力的な建物を配していました。


同上


同上


同上


同上


鐘楼。47個の鐘が組込まれたカリヨンはヨーロッパでも、その音色は折り紙付きと言われています。
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ベネルクス3国ツアーの旅・第1日目(7/5)

2015-07-15 21:54:19 | 外国旅行
成田空港→オランダ・アムステルダム空港→ベルギー・ブルージュ(泊)


搭乗口前のベンチにて


搭乗機をパチリとしました


機内にて


外は雲海が広がっていた


アムステルダム空港にて


旅支度の若者たち。バスの車窓から


並走するマイカー


落日


落日


ホテルにチェックイン
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7月14日、外国ツアーから帰国しました

2015-07-15 11:01:57 | 外国旅行
㋆5日~14日まで、阪急トラピックス主催のオランダ/ベルギー/ルクセンブルク ハイライト周遊10日間 のツアーに妻と一緒に参加しました。期間中多くの人たちと会話させていただきました。その結果、次のような人たちが同行者でした。遠くは北海道/東北/静岡/山梨等からの人や近郊では神奈川/東京等からの人たちでした。夫婦・父娘・母娘・奥様の体調不良で急きょご一緒する人を変更された人など、多士済々の総勢35名の顔ぶれでした。
ツアー中は恵まれた天気でなく晴れの日は30℃近くに達し、降雨の日や曇りの日は逆に肌寒く15℃ぐらいに下がりました。厚着したり薄着になったり、寒がりの妻は持参した衣服を工夫して過ごしていました。
通過したオランダ・ベルギー・ルクセンブルグの3国はバカンスのシーズンに入り、学生らは新学期の始まる9月まで夏休みで、特に週末の7月11日-12日の旧市街は観光客の間を縫って歩くほどでした。
現地ガイドさんから断片的ですが、住宅事情や教育制度について、紹介されました。使用されている言語はオランダ語圏・フランス語圏が国内で分かれているのにびっくりしました。また、小さい時から公用語以外の言語を学ばせる教育制度が普及されていて、学費に関しても国の相当額の負担もあり夢のような話でした。反面、日本の高額負担は子息を持つ家庭の日常生活を非常に圧迫している現状を少しでも改善してほしいと思いました。消費税については税率は高いですが、日本のように一律でなく応分負担を採用しているようです。
外国ツアーは芸術・文化や世界遺産に登録されている歴史的建造物に直接肌で感ずるために参加しています。同時に宗教の違う多民族の人らと共に暮らしている日常の市民生活は、日本に居ては到底理解できないことでしょう。また、一つ目からうろこの落ちた旅でした。
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帰国の途へ

2013-10-08 19:36:14 | 外国旅行
第7日目の9月29日長かった秋のカナダ8日間はあっという間に帰国す日を迎えた。
ローレンシャン高原のホテル ル シャンテクレール→モントリオール→(空路)→トロント→(空路)→成田


トロント空港の出発ロビーでのスナップ

今回のツアーに参加した理由は”エア・カナダで行くフェルモント系列二大シャトーホテルを含む、全都市デラックスホテルに滞在”に妻が気に入ってしまったからだ。
内容はカナディアンロッキーでは湖畔に佇むフェモント・シャトー・レイクルイーズに連泊。世界遺産都市ケベックでは街のシンボルフェモント・シャトー・フロントナックに宿泊。ナイアガラではシェラトン・オン・ザ・フォールズでは滝の見える部屋に宿泊。世界遺産カナディアンロッキーではコロンビア大氷原の氷河散策。などなど。数え上げたらきりがない。森の都カナダが織りなす風景に感動した旅だった。
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