キュヴェ タカ/Cuvee Taka

椿庵酔哲「湘南隠居日記」-散歩・読書・酒、時々釣り-

1985年のクラッシュギャルズ

2017-04-19 | Weblog
4時に郵便局へ行き新しい口座を開く、二宮で金を下ろすのに便利で、銀行は何処かに潰れる不安があるからね、民間になったが、郵便局が潰れたら日本も終わりだから諦めがつく、そんなところです。
でも、今のところ隠居になりたてで、収入がないからなるべく使わないようにしている。
毎日一冊本を読んで書評を書いてるので結構忙しく、思っていたほど出掛ける暇がないので使わない。
未読の本が山のようにあるので、当分は新たに本を買う必要もないのだが、きっとその内書店通いが復活するだろう。
男は無駄使いしないと精神のバランスが取れないところがあるからね、ま、最初だけでは何事もどう推移してゆくか分からない。

郵便局は歩いて5分の距離だが、帰って来てからコラムの原稿を推敲して雑誌社にメールする。
「ワインの話」もそろそろマンネリになってきたので、気分を変えて違うシリーズを始めないといけないかもしれない。

6時に風呂に入り、梅酒ソーダを作り、落花生を肴に呑み出す。
そのうち、キワダ鮪の刺身、豚汁、生ハムサラダが出てきたので、マール、ウォトカをソーダで割って呑む。
相模湾で獲れたキワダは今のところ外れが無い、色が白っぽかったので水っぽいかなと懸念したが、食べてみると味わいが濃厚で、やっぱり生鮪は冷凍とは違う。
最後に豆ご飯、これが色物の飯では一番好きなので、夜は米を食わないことにしているが食べた。
春は豆ごはんが美味いが、5月になってからの露地物の美味いのに当たると、また格別である。

母が寝る8時半まで一緒に野球を観て、9時からアナザーストーリーでクラッシュギャルズを観る。
人より何十年も遅れているので、最近、川尻エリカと云う人をこの番組の進行役で知った、綺麗な人だなと思っていたが、この夜はあまり女っぷりが良くなかった。

女子プロレスは小畑千代の頃から観たが、この人はいかにもオバサンの感じで、女子プロレスの起源はお色気にあったのだが、初めてその路線から抜け出た人なのかもしれない。
その後マッハ文朱、ミミ萩原、ビューティーペアなどがいた。
それが70年代の事だったので随分と昔なんだなと驚いている。
ミミ萩原は、現在ロピアになっているところが当時パチンコ屋で、そこの駐車場にリングを設営して試合をしたのを観た。
つい昨日のように思えるが、一体何時の事だったのだろうか、これも随分と昔の事だ。
長く生きていると、物事の前後関係が分からなくなるので、自分の年表を作ろうかと思っている。

プロレスは強さを争うものではなく、如何に魅せるかが最も重要なのでスポースではない、だが強靭な肉体を必要とする。
相撲がスポーツではないのとは性質が異なるが、プロであることは同じで、何れだけ客を呼べるかが勝負なのだ。
当時、山田花子や相田翔子がクラッシュギャルズに熱中し、生き方まで変えるだけの力を持っていたことに驚いた。

現在、長与千種52歳、ライオネル飛鳥53歳、身体に無理を強いたので二人とも老けて見えたが、32年前に人生のピークを迎えてしまった人たちの不幸が滲み出ていたので老いて見えたのだろうか。


今日の本
デズモンド・モリス 石田かおり「『裸のサル』は化粧好き」求龍堂1999.11.4

もう40年前以上になるが、南沙織の大ファンだった。
大磯ロングビーチや駒ケ岳スケートリンクへ観に行ったりした。
鮮烈だったね。
その南沙織と大岡正平の対談が中央公論に乗ったので、日ごろは読まないがその号を買って熟読した。
南沙織が当時上智に通っていて、コンラート・ローレンツの「攻撃」を読んで、大岡と動物行動学につての話をしていた。
当然ファン心理としては、あこがれの沙織ちゃんが読んでるものは知っておかなきゃいけない気が済まないから、高額であったが翻訳本を購入して読んだ。
ローレンツの「刷り込み」という理論が新しかった。

後年、知人の紹介を受けて、麻井宇介さんがメルシャン山梨ワイナリーに招いてくれ、ワインセミナー、工場見学、バーベキューをやってくれたことがあった。
その折、何かの拍子にこの「刷り込み」という言葉を喋ったらしく、後日、あの人は何者ですかと知人に尋ね、それを契機に親しくしなったという懐かしく印象深い思い出もある。
今は誰でも知っている言葉だが、当時はあまり知られていなかった。

話しが大変長くなったが、動物行動学について興味を持ったことで、「裸のサル」の著者モリスを知っていたのだ。
著書は文庫にもなって広く知られたが、読んだことはない。
だが、その記憶があってこの本を手に取り購入した。

石田かおりは資生堂の化粧文化研究者であり、モリスのところへ行って2日間にわたり化粧について話をして、まとめたのがこの本である。
モリスは視覚をフルに活用して動物の行動を観察し人間の行動に応用するが、次第に触角の重要性について気付き「ふれあい」という本を書いている。

昔、これも40年前の話になるが、中村雄二郎が「共通感覚論」などでもっとも使われていない感覚である触角の重要性を指摘したのを思いだした。
現代はますます視覚を使う生活になっている。
たとえばAVは主に視覚と聴覚によって楽しむことが出来るが、実際に女性と同様なことをすると、視覚、聴覚に加えて、圧倒的に触角が大きな働きをする、そして嗅覚、味覚も総動員して行うのが充実したセックスである。
これは私が勝手に例に挙げて書いたたことで、本書には無いのであしからず。

だが、現代の生活を振り返ってみていただければ、この傾向がますます強くなっていることがお分かりだろう。
子育てが終わった女性がペットを抱きしめるのも、かつて抱きしめていた子供たちの欠落を補うものとして説明している。

鏡というものは、人類が発生して最後のほんのわずかな時間しか存在しないものだが、鏡が無い長い時代、化粧は二人が向き合ってお互いにするもので、これは動物のグルーミングに相当するコミュニケーションであった。
この重要な指摘には目が覚めましたね。

平安時代の御簾の中に隠れた女性、アラブのベールをかぶった女性についての考察で、神秘性が無いと魅力が失われてしまい、ベールを一枚ずつはがしてゆく段階を踏むほど最後がエキサイティングになる。
性的魅力は強烈なので、最近は一気に最終段階まで行くことが多いが、この場合の欠点は相手の人間性を知る時間が無いことだ。
しかし、利点は相手が見えることで、若さと健康を確認できる。
若い成人は子供を作るのに最適で、健康は子供を育てるのに必要だ。
ここに化粧の起源がありそうですね。

化粧品を使う3要素として、視覚的ディスプレー、肌の感触を向上させる、体を清潔にするを挙げている。
部族社会で化粧を行う理由は、地位を誇示する、化粧をする余裕があることを表明する、個性の表現を指摘しているが、人類学的な化粧の起源として、非日常での場で普段と異なる装いをする必要から始まったとしてる。
この本は全体的にモリスの理論展開になっていて、石田は聞き役が多く、彼女の面白い話は余り無かったのですが、最後のほうで、化粧というのは、身体の内側と外側を意識させる点で、自己確認につながると指摘している。
この指摘は冴えていたが、モリスは反応しなかった。

口絵の資生堂キャンペンガールの変遷も一見の価値があります。
1966「太陽に愛されよう」 前田美波里
1973「影も形も明るくなりましたね」 山口小夜子
1976「ゆれる、まなざし」 真行寺君枝
1976「髪・すっきり・さらさら」 松本智恵子
1983「Ms.ニッポン」 倍賞美津子
1986「肌のエイジング学から、新・美容液」 いしだあゆみ
1988「ライブリップの赤」 今井美樹
1993「夢のルージュ。」 吉田美和

個人的には、「ゆれる、まなざし」の真行寺君枝は意識しましたが、その後は興味が無くなりよく知りません。
カネボウでは、夏目雅子が強烈な印象でした。
でも、今こうやってじっくり観てみると、倍賞美津子といしだあゆみが魅力的ですね、私の好みなんだろうね。
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