キュヴェ タカ/Cuvee Taka

椿庵酔哲「湘南隠居日誌」-散歩に読書と酒、そして釣り-
湘南の朝夕は秋の気配が濃厚、興梠が鳴き、秋の花が咲いている

戦争犯罪

2017-08-14 | Weblog
三日目のサーフトローリング、いい日が三日続かないことを忘れて、昼飯を喰って直ぐに浜に出掛けたが、潮の濁りを見ていけないなあと思った。
いい日が2日続くことがあっても3日とは続かないのを20年前は身に染みていたのに、すっかり忘れてうきうきとやって来てしまった。
焼きが回った、あるいは腕が錆び付いたと言うんだろうけど、潮が上げる3時まで水平線を眺めながら待つことにした。
3時まで待っても状況は変わらず納竿して帰ることにした。

風呂にゆっくり入って冷えた身体を温めて、昼寝をして目が覚めたら辺りが暗かった。
6時半だった、三日間浜でルアーを投げていたのでかなり疲れていたのだと思う。
日頃足を引きずっているジイサンが、なぶらを観ると竿をもって駆け出すくらい、この釣りは興奮するために自分の運動の限界を超えて、疲れを忘れてしまうのだ。
アドレナリンがすっかり体内から消えた頃、疲れがどっと押し寄せる。

妻が階下から晩飯だと叫んでいたので、降りて行き、高野豆腐、マカロニサラダ、ホッケの干物を肴に純米酒を呑み、途中から柿の種、塩らっきょうを肴にHWソーダを飲んだ。

日曜美術館を母と観る。
魯山人の番組であったが、ゲストの樹木希林が、「主役は後から後から若い人が出てくるのでいいが、脇役がいないのが問題だ」とある映画監督の話を紹介していたが、この話に唸った。
「一時の花」は誰にでもあるが、「まことの花」は多年の修練によって得られるもので、それが今の日本には無いんだな。
薄っぺらな文化に成り下がってしまった日本に、果たしてどれ程「まことの花」があるのだろうか。

9時から731部隊、人体実験を行った京大、東大の技師は優先的に列車が用意されいち早く帰国し、戦後口を噤んで教授になっているが、そんなことでよいのか?
多くの下士官が抑留され、1949年にソ連が開いた裁判で証言をしているテープの記録が放送されたが、昔はこういった日本人がいたんだなあと、自分に不利になることまで実直に礼儀正しく証言している。
一人の士官は自分が行った行為のために、抑留が解かれ帰国する寸前に自決している。
確か82歳の老母と妻と子供2人がいたはずであるが、その家族に対する責任よりも深く自分の行った罪の深さを恥じたわけで、命令を下した日本国家は、この家族をきちんと見守ったのだろうか。
太田實の決別の辞を無視したように、日本国は戦後の繁栄を謳歌して忘れ去ったのであろう。

10時からアメリカ陸軍航空軍の番組を観る。
B29の開発予算4兆円、5,000㎞と足が長いのも凄いが高度10,000㍍の思想がすごい。
中島知久平の「富岳」の計画は途中で頓挫したが、アメリカは3年でこの戦略爆撃機を実践投入した。
だが、精密爆撃で狙った武蔵野の中島飛行機への爆撃がジェット気流のために結果が出せず、空軍独立を狙って指揮権を持ったアーノルド将軍の立場か悪化し、その圧力が現場指揮官に向き、ロメイ将軍が焼夷弾による無差別爆撃に踏み切った。
アメリカ国内の陸海軍の権力争いが日本の一般住民の命を奪ったのだが、この先にまだ悪い話が続く、アーノルドの無差別焼夷弾爆撃での一般住民の殺害を懸念した海軍総司令官は、これをやめさせるべく原爆の使用に踏み切っている。
焼夷弾での絨毯爆撃もその効果の大きさと悲惨さに後で気が付いたが、原爆がさらに悪い結果を生んだことも予想を超えていた。

零時までテレビを観ていたが、テレビっこの成れの果てではあるが映像の力はやっぱり圧倒的で凄いなあと思う。
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