キュヴェ タカ/Cuvee Taka

椿庵酔哲「湘南隠居日誌」-散歩に読書と映画、時々酒、そして釣り-

湯上がり娘

2017-07-16 | Weblog
朝5時40分分から7時まで庭の剪定をした。
かなりやったつもりであったが、昨日やりかけたヒメシャラ完成させただけで、庭に残る膨大な樹を眺めると絶望的な気分になる。
風呂に入り、カンパーニュを焼いて二枚はバタ、ハム、胡瓜のサンドイッチにして食べ、もう一枚はバタと梅ジャムで食べる。
牛乳を呑みヨーグルト蜂蜜を食べる。

西部邁ゼミナールを観る。
鎌倉仏教について、法然、親鸞は念仏、道元は座禅、日蓮は何だっけ?失念、一遍は踊りと要約した解説が凄いもんだと感心した。

9時30分に枝付枝豆を買いにJA湘南に出掛ける。
暑いのでなるべく日陰を選んで歩いたので思ったより時間がかかり、到着は最後は走ったのに10時を過ぎてしまった。
それでも幸いにも枝つき枝豆の「湯上がり娘」を2把買うことが出来た。
茄子、トマト、胡瓜、隠元、獅子唐を買う。

魚を買うために山越えでヤオマサに向かったが、途中の農家に枝つき枝豆を発見し愕然とした。
婆さんがいたので、この枝豆は毎朝出すのですかと聞いたら、ある内は出すとのこと、顔繋ぎに玉蜀黍を2本買った。

暑いなか坂道を上ったのでひどく疲れ、携行した麦茶をほとんど飲み干してしまった。

ヤオマサでは鰹が丸で売っていたので買おうとしたが、馴染みの魚担当から仙台産本鮪の大トロを薦められ購入、ちなみに鰹の産地を確かめたら小田原だったので間違いなく美味かったろうと思う。
刺身が二種では斬るので、煮魚用に相模湾のキハダ鮪のあらを買った。
他に牛乳、素麺、菓子パンを買う。
杉山のバアサンは暑くてふうふう云っていたが、元気であった。
絹ごし豆腐二丁を買い、水をペットボトルにつめてもらった。

暑さと長い距離を歩いたので家までの道のりが遠かった。

昼、素麺と茄子のオリーブ焼き、牛肉、トマトを食べる。
薬味に生姜、茗荷、大葉を使ったが美味かった。

プレミアムシネマがないので3時過ぎまで昼寝をする。
風呂に入り、相撲を観る。
ゲストに宮崎美子が出ていたが、カメラの宣伝で木陰でジーンズを脱いでいた有名なシーンを観ていたのが昨日のようだが、ピチピチの女子大生がオバアサンになってしまい愕然とする。
若いころには魅力的だった垂れ目も年を取ると単なるだらしない目つきになるんだなあ。
相撲は小兵の若手がいい相撲をとり、2横綱1大関休場だが充実していた。

居間から台所へ行くと、最初どのくらいあったか知らないが、下の息子が枝豆を既に半分くらいは食べていたのではないか、本人もだいぶ食べたと云っていたくらいだからかなりの量だろう。
「湯上がり娘」は確かにすごく美味かった。
青豆だがちょっと茶豆の風味がして深い味わいがあり、採りたてだから瑞々しい。
オールフリーを開けて貪り食べた。
杉山のバアサンの冷奴が生姜、茗荷、大葉の薬味とともに出てきて、キッコーマンのフレッシュボトルをかけて食べたが絶品だった。
伝統と科学の進歩に感謝する。

隠元はいつも茹でて生姜醤油で食べているが、さすがに飽きたので胡麻和えを要望したが、作った本人が美味い!と感激して擂り鉢一杯をほとんど食べた。
私の感じから云うともう少し胡麻を擂ったほうがいいのになあと何時も思うが、本人が納得しているのでそういうものなのだろう。

本鮪のトロは脂は然程無かったが、なかなか美味かった。
腹の部分の筋が余り障らなかったので小型の鮪ではなかったのだろうか。
キハダ鮪のあら煮は、何故か煮物だけはそこいらの和食店のものより上手い家内の腕が冴え絶品であった。息子二人がほとんど平らげてしまった。

飲み物を麦焼酎の炭酸割りに変える。
最後に獅子唐と豚肉の中華風の味付けの炒めものが出てきたが、家内には炒めものの才能がなく美味く出来ることは希であるが、これもいただけなかった。
玉蜀黍を自分で茹でてつまみにしたが、実りがややあまく小粒であったがそのぶん柔らかくて瑞々しかった。
夜は飯を食べないが、結局飯以外のものをたっぷりと食べてしまうのでダイエットには寄与していない。

チューハイとつまみを持って今へ移動して野球を観ているのかと思ったら母が「ぶらタモリ」を観ていた。
タモリが好きなのか番組の趣旨なのか知らないが、訪れた土地の地形と地質について詳しくやる。
秩父の成り立ちについてやっていたが、秩父セメントの原料となった石灰岩は2億年前は洋上の火山で、それが水没して珊瑚が発生しプレートの移動で大陸にぶつかり頭の部分が残ったとのことだ。
また2億年もすればハワイ島のキラウエアも石灰岩の山となって日本列島に聳えているかもしれない。
去年、群馬県の養蚕絹織物について調べたときに秩父銘仙も調べたが、北関東の山間の水田が出来ない地域では共通して絹織物が発展して明治大正昭和初期の日本の産業を支えている。
秩父銘仙は縦糸にプリントすることで裏表均等に染まるのが特徴で、かつて娘さんや主婦が自分で縫い直しが出来た頃は裏が使えて有効だった。
今では縫い直しが出来る日本人女性はまず居ないだろうから、この技法も無駄になっているのかもしれない。
個人的に秩父は渋沢家がいたところで興味があり、渋沢栄一、澁澤龍彦を輩出している。

母の着替えを手伝い寝かせてから、「アド街」で国分寺をやっていたので観る。
娘がこの地区に大学時代下宿していたが、大学時代の恋人が国分寺に下宿して津田塾に通っていた。
紫陽花の咲く季節に下宿を訪ねたことがあり、いったいどこで会ったのだろうかと気になっていた。
自分が通った大学までたどり着けないのに、恋人の下宿が何処だかわかるはずもない。

だらだらとテレビばかり観て、かつてのテレビっ子に戻ってしまっているので二階へ上がろうかと思ったが、満島ひかりと海部陽介の対談を観てしまう。
日本人は沖縄の南、朝鮮半島、千島列島から海を越えてやって来たことに間違いはなく、その実験をやっている海部陽介という学者に興味を持っていたが、満島ひかりという女優も初めて観たが随分変な人で面白かった。
最初に映画に出た時にスタッフの人達が、とても仕事をしている風には見えず、遊んでいるんじゃないかと思い、こういったところなら居場所があると感じたところが実にいい。
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