キュヴェ タカ/Cuvee Taka

椿庵酔哲「湘南隠居日記」-散歩・読書・酒、時々釣り-

何もしないで部屋に座っている贅沢

2017-06-18 | Weblog
朝、八時に介護師が来て母の着替えをして、その後朝飯なので、昨夜枇杷が美味かったと云うので、未だあるから朝飯に出してやるからと約束した。
慌てて下に降りて枇杷を洗って皿に盛りつけた。
そのまま台所で久し振りに卵ご飯を食べ、2階で少しだけ書き物をして、10時になったので下の息子と大磯方面に散歩に出た。

2週間振りの散歩で多少不安はあったが無事に帰ってきた。
ヤオマサで稚鮎、韮、ぼた餅、ウイルキンソンソーダ、落花生、麩菓子を買った。
農家で胡瓜、トマト、隠元を買う。
杉山のバアサンに久し振りに会ったら、ニコニコして喜んでくれた。
豆腐2丁を求め、しばし歓談をした。

バラがすっかり終わり、夾竹桃が咲き始め、紫陽花が盛りであった。
道端に咲いていた紫陽花を2輪失敬してきた。
久し振りで外気を吸いながら歩き気分は最高、これで体調は戻ったのでやりたいことをやらなきゃ。

昼、真竹の筍ご飯と味噌汁、春巻、稚鮎の唐揚げを食べる。
食欲が出てきたので喰いすぎに注意しよう。

2階に上がりベッドに横になるが爽やかな風が実に心地よい。
昔だと五月晴れにあたり、風が緑色をしているようだ。

福田和也「日本綺人物語」廣済堂新書を読了。
この本が出版されたころだと既に福田和也については新刊が出ると購入するようになっていたから、この本も新刊で買っているはずだか5年も忘れていた。
昨日、娘が古本市に出す本を捜せと云うので机の上に積んであった本を見直した時に発見し、このような魅力的な題名の本が放置されていたことに驚いたのだ。
読んでみると断片的な引用が多く、あまり面白くなかったが、知らない人物が多く出てきたのでその部分では興味を引いた。
全く知らなかった人物は、西村伊作、矢嶋楫子の二名、初めて名前を聴いた。
西村伊作は親戚の和歌山の資産家の西村家の養子となり、金に苦労なく成長し、自由な学風の「文化学院」を創設した。
飯田匡、評論家の青地晨、映画監督の亀井文夫、脚本家の水木洋子、高峰秀子などが学んでいる。

矢嶋楫子は、社会活動家で教育家、姉5人のうち、三女の順子は漢学者の竹崎茶堂の妻、4女の久子は徳富一敬と結婚し蘇峰、蘆花を生んでいる、5女の世津子は横井小楠の後妻となった。この4姉妹は「肥後の猛婦」と呼ばれている。

名前を知っていてどのような人か概略は知っていたが、武原はん、大野伴睦、高田博厚、野口晴哉、山路愛山については知らないことが随分と書かれていた。
総じて明治から戦前に活躍した人たちで、やることが大胆で常識にとらわれていない。
日本人がこじんまりとしてきたのは高度成長が終わって豊かになってからのような気がする。

夕方、再び本の整理をする、売るべき本が10冊ほど出てきた。
きちんと全部整理すればもっと要らない本が出てくるだろうが、また腰を痛めるといけないし、古本市は今回だけではないから、そう一生懸命にならなくてもいいだろう。

晩飯はなぜか一人寂しく食べた。
ラムチョップ、金平牛蒡、茹で隠元、茄子オリーブオイル焼き、ウヰスキーサワー。

母と一緒に野球を観て、3週間ぶりに着替えをして寝かせた。

9時に二階へ上がり、本の片付けの続きをするが、山の奥に行くほど懐かしい本が出てきて、ベッドのわきの山の一番奥は2012年に購入した本であった。
5年も山を作ったままにしてあったのだが、その奥の書棚の本も出してみると、もう懐かしい本ばかりで、これを買った時にはあれをしていたなあとか、付き合っていた女性と一緒に書店に行って買ったやつだとか、昔の彼女が送ってくれた本だとかがわんさか出てきてもう収拾がつかず、とりあえず空いた穴を埋めなおした。
そういった思い出深い本は、このまま一生手元に置いて時々手にとっては追憶にふけるんだろうなあ。
年を取るとこういった楽しみがいくらでも出てくるものなのだ、そしてそれを思うだけで胸がいっぱいになり、死ぬまで愉しく過ごすのだろう。
子供の頃、近所の年寄りが日がな道端の石に座り(昔は道端に座るのにちょうどいい石や木があったのだ)暇そうに日向ぼっこをしながら道行く人を眺めていてさぞや無聊なんだろうと思ったが、年を取ってみるとそうでないことが分かってきた。

最晩年の父は、好きだったテレビも観ず、新聞雑誌も読まず、ただ窓の外を眺めていたことが多かったので随分気にしてあれやこれやと余計なこと言ったが、今になって、父は充実した時間を過ごしていたことに気が付いた。

昨夜は1時頃まで庄野潤三の「散歩道から」を読んでいたが、彼の友人の小沼丹の随筆の方が俺は好きだなあと感じていた。
庄野潤三は身内贔屓でその身内自慢が鼻につくのだ、これを好む読者もいるのかもしれないが、嫌う読者のほうが多いだろう。
家族を持つ前の初期の小説には当然子供や孫が出てこないので、魅力的なものがあるが、「夕べの雲」の成功からこの身内自慢の傾向が強くなった。
この随筆集「散歩道から」には家族が出てこない文章も多く、私はそちらを好み読む推進力になっているが、それが続くと孫の「ふーちゃん」はどうしているのだろうかと気になるので、庄野の作戦に既にやられているのかもしれない。

今朝は曇り空でつゆが戻った、8時、娘が大磯の古本市に出かけて行った。



ジャンル:
ウェブログ
この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« ブータンウヰスキーK5 | トップ | 人生は私のもの »

あわせて読む