
【第1回大阪マラソン(10月30日(日))】
朝6時半に梅田のホテルを出立、微かな霧雨を頬に受けながら大阪駅まで歩き、マラソンランナーでほぼ満員の環状外回りで大阪城公園駅に下車する頃には、雲間から仄かな明るさが覗いていた。天気予報の曇りのち雨もなんとか持ちそうである。本大会のスローガン「みんなで虹をかける」は、参加する全てのランナー・観客・ボランティアみんなが、虹色の7テーマ(森林を育てる・障害者スポーツを応援・難病子供を励まし・癌検診の啓発・街の美化・途上国の支援・難民の救命)に東日本大震災復興支援を加えた8つのチャリティテーマに参画しようと呼びかけており、私も前回のしろいし蔵王高原マラソンと同じく、胸に「がんばろう●日本!」とプリントされた濃緑色の東日本大震災支援Tシャツの背に「WE NEVER GIVE UP!」と手書きして本格的なチャリティマラソンへの参加に昂揚していた。
お濠沿いの森の中に手荷物をゴールまで運ぶ30数台のトラックが並び、着替えを済ませ手荷物を持つランナーで混雑していた。指定番号のトラックに手荷物を預けてお濠沿いの公園内を軽く走ってみると、なかなか爽快である。朝日を浴びて輝く大阪城天守閣をバックに見知らぬ同士で写真を撮り合って、誰もが観光マラソン気分になっている。広いお濠越しに高い石垣に立つ大阪城を眺めながら集合地点に向かったが、長い行列が延々と続いて、私の属するGブロックまでに20分ほどかかってしまった。すでにスタート地点の大阪府庁前から大阪城に沿った西側道路は総勢3万人のランナーで埋め尽くされ、歩道橋に上がりカラフルな色彩で埋まる大通りをカメラに収めた。(掲示の写真)
軽快な司会進行が始まると区切り毎に周囲から拍手が沸き起こり、特に招待の川内選手の紹介には一際高い拍手が送られた。埼玉県庁職員の彼は、まさに我らが市民ランナーの星である。空模様も更に明るくなり、気温が20度とは絶好のコンデションではないか。周囲からは関西弁特有の軽快で明るい話声が飛び交い、誰もが第一回大会に参加できた幸運を喜びあって、この大会が自分達の大会だという誇りに満ち溢れていた。そんな時、ハプニングが起きた。警備員の制止をかい潜り歩道橋の上から年配の男性(ランナーか?)が我々に向かって「頑張って走ろう!頑張れ!」と大声を張り上げたのである。周りの驚きのどよめきが大きな歓声となり、彼の勇気に賞賛の拍手が送られて、スタート直前の雰囲気は一気に盛り上がった。大阪ならではの椿事ではないだろうか。
スタートの9時丁度に前方から大きな拍手の波が押し寄せて、我がGブロックがスタート地点を通過したのは9時10分近かった。スタート台には陸上の朝原さんとサッカーの森島さんが、路肩では橋下大阪府知事がゼッケンを付けてランナー達のカメラを受けていた。橋下知事は明日で府知事を辞任し大阪市長選挙に出られるという。今日が最期の晴れ舞台になってしまうのだろうか。スタート直後の大勢のランナーの足を止めさせるのだから、さすがに人気者である。兎にも角にも今日の大阪マラソンがあるのは橋下さんのおかげである。ありがとう。お互いに頑張りましょう。
今日でフルマラソンは6回目になるが、前半20キロをキロ6分半ペースで2時間10分、次の10キロをキロ7分で1時間10分、残る10キロをキロ8分で1時間20分、ラスト2キロを歩いても20分、5時間以内の完走プランを立て、7.5キロと15キロ附近とゴール前で応援する妻に通過予想タイムを伝えたのだが、果たして机上作戦通りにいけるだろうか。
最初の1キロはランナー渋滞で6分20秒と遅めだったが、完走予想申告タイムでブロック編成された周囲は、整然とした大きな流れとなって順調な走り出しである。大阪城外濠沿いを半周して、沿道の盛大な声援を受けながら玉造筋を南下、キロ6分ペースの安定した走りが続いた。幅広い千日前通りを難波に向けて3万のランナーが走る様はさぞ壮観だろう。大太鼓の連打が響き渡り、沿道の大阪市民の皆さんが声援を楽しんでいる様子がこちらにも伝わってくる。秋田なまはげに仮装したランナーに、「なまはげ!東北頑張れ!」と沿道から声援が送られた。5キロ地点で30分40秒は順調だ。
難波交差点を右折し大阪市街の中心を走る御堂筋を北上である。これが御堂筋か。仙台の定禅寺通りを髣髴させる緑豊かな街路樹並木が近代的な繁華街と巧に融合された魅力的な大通りを占有して走れる幸せを感じていた。道頓堀・心斎橋・船場という著名な地名に好奇心の目を泳がせながらキロ6分10秒ペースは変わらず、7.5キロ給水所附近で浦和レッズの赤いマフラーを振り回す妻を沿道の中に見付け出し声援に応えることが出来た。
御堂筋の反対車線をケニア勢や川内選手ら先頭集団が飛ぶように走り去った。やがて淀屋橋交差点を右折し土佐堀川に沿って東に向かうと、青々と美しい水面はさすが水都大阪である。10キロ地点で1時間2分は想定外の快走だ。沿道の絶え間ない熱狂的な声援とブラスバンドの勇壮な演奏に楽しみながら走れるのが嬉しかった。右方向に大阪城の天守閣が間近に見えて、大阪城の北側を走っていることを知った。11キロ地点で最初の折り返しである。後続が4キロ以上も続いているのには驚いた。赤レンガの壁に青銅ドームの美しい中央公会堂の前で吹奏楽団が素晴らしい演奏を聴かせてくれた。
再び御堂筋に戻りまだ黄葉しない銀杏並木に囲まれた美しい大通りを難波に向け南下した。先程の反対車線でレッズタオルを振る妻の応援に応え、15キロ地点が1時間33分、ここまで5キロを31分ペースで走っており、5時間完走にはかなり貯金が出来たようだ。難波交差点を右折して千日前通を京セラドームに向け西行である。水都に掛かる橋を渡るとUFOの形状したプロ野球オリックスのドーム球場を眺めながら第2の折り返しである。20キロ地点で2時間5分は、計画の5分貯金である。
気候は曇りで気温も上がらず風もなく絶好のコンデションである。フルマラソンのベストタイム更新かもという期待を抱きながら、2キロ毎の給水所でドリンク補給だけはしっかり取っていこう。給水タイムロスも完走のためには已むを得ない。難波交差点に再度戻って大国町に向け南下した。沿道の声援は途切れることがなく、何時間も声援し続けて疲れるだろうに、頭が下がる思いである。浪速のシンボル通天閣に向けて左折したが、残念ながら通天閣を見付け出せないまま走り過ぎてしまったようだ。
25キロ地点で2時間40分は、キロ7分にペースダウンしていたがまだ想定内である。そんなとき沿道の中から「ありがとう!元気を貰うわ!頑張って!」とおばさんの声が聞こえた。そうか、沿道から力を貰っているだけでなく、我々も走ることで皆に力を与えているのか。近くを走る仮装のお嬢さんに誰かが走りながら尋ねていた。「仮装していると走り辛いでしょ?」「タイムでなく、皆に喜んで貰えるのが嬉しいの」そうか、そういう走り方もあるのか。よし、沿道の声援で力を貰ったお返しを何かしなければ。チャリティマラソン大会に相応しい行動をとってみよう。
沿道で差し出されるハイタッチの列の中に車椅子のお年寄りを見かけて、その前に立ち止まりお年寄りの手を両手で包み込み「おばあちゃん、元気で頑張ってね」と語り掛けると、見知らぬランナーの不意の行動に驚いていた表情が、嬉しさの表情に変わり笑顔を返してくれたのである。その快感に思わず鳥肌が立った。それからは、沿道の中に車椅子を探す走りに変わっていた。車椅子のお年寄りやお嬢さんや同年配の男性の前に足を止め、しゃがんで握手しながら声掛けすると、素敵な笑顔と一緒に、周りの人達から私のTシャツの胸に書かれた「がんばれ、日本!」が連呼された。コースと歩道との間にカラーコーンが並べられ、沿道の人達と引き離されるまでに、5人程の車椅子の人と交歓できたが、そのためのタイムロスは全く気にならなかった。
絶え間ない人情味豊かな沿道の熱い声援に力を貰いながら30キロ地点を3時間16分で通過した辺りから足の張りと膝の痛さが襲ってきた。32キロ附近で大規模な給食エイドがありキュウリの一本漬物とアンパンと飴類を頂いたが、その他にも大阪名物のうまいものが並んで大盛況である。やがて遥か右前方にフィニッシュ地点に建つコスモタワービルが見えてきたが、まだまだ先は長い。体力補給したはずなのにキロ8分台にペースダウンして、35キロ地点で3時間59分。残り7キロを1時間はかなり厳しくなってきた。膝と股関節の突き刺すような痛さについに歩きが入ってしまった。次の1キロが9分、そしてトイレタイムもあって次の1キロは10分。37キロ地点で4時間18分、残り5キロを40分はもはや絶望的である。しかも目の前に最大の難関といわれる高低差20Mの南港大橋が待っていた。
しかしここから不思議な頑張りが出来たのである。ラスト5キロを歩かず走り切ろう、もう少し頑張れたかなと思う走りはすまい、そして妻が待つゴール附近には約束タイムで通過したい、沿道からの「このペースなら5時間が切れるよ」の声が背を押してくれた。歩き始めたランナーの後ろ姿が一緒に歩こうよと囁いている。そんな姿を視野に入れないように、走り続けるランナーの後ろ足だけを見詰めてひたすら追い続けた。前方に大震災直前の2月に開催された福島いわきマラソンのTシャツが見えてきた。歩き始めた彼に追い付き「私もいわきを走りましたよ」としばし並走しながら心の絆を感じあった。キロ7分台に戻ってきた。1キロ毎に7分34秒・32秒・22秒とビルドアップしていった。南港の埋め立て地を高層のコスモタワーを目指して頑張れている自分が不思議だった。そしてラスト1キロが7分1秒。ゴール手前でレッズの赤いマフラーを振る妻が見え、右手を挙げて応えながら、前方に見えてきたFINISHゲートに向け最後の力を振り絞って走り込んだ。ネットタイムは4時間57分30秒(後日ネットで順位が3万人の真ん中だったことを知った)。思わず涙が溢れ出た。目標の5時間切れが達成できたうえに、車椅子の人達と交歓できたこと、そしてラスト5キロを盛り返す走りが出来たことが何より嬉しかった。
疲れ切った身体を休めてから着替えを済ませ外に出ると、土砂降りの雨になっていた。雨が降る前にゴール出来て良かったと安堵したが、その強い雨の中をゴールに向かって沢山のランナーがまだ走っていた。皆がそれぞれの思いを胸に頑張っているのだ。なんと素晴らしい光景ではないか。制限時間までまだ1時間以上もある。ランナーの列はまだまだ続いている。降り頻る雨の中を走るカラフルなランナー姿が絵のように美しい。フル完走の感動はもうすぐだよ。頑張れ!素晴らしき仲間達よ、格好いいぞ、頑張れ!
新大阪から京都に向かい駅前ホテルで寛いでいると、大阪マラソンを伝えるテレビニュースのゴール直前シーンになんと私が映し出された。還暦の赤頭巾ペアにテレビカメラは合わせたのだろうが、並走した私もしっかりアップされたのである。これ以上ない思い出を貰って、ホテルでの祝杯は、タラバガニで食い倒れ、ビールもだいぶ飲んでしまった。
朝6時半に梅田のホテルを出立、微かな霧雨を頬に受けながら大阪駅まで歩き、マラソンランナーでほぼ満員の環状外回りで大阪城公園駅に下車する頃には、雲間から仄かな明るさが覗いていた。天気予報の曇りのち雨もなんとか持ちそうである。本大会のスローガン「みんなで虹をかける」は、参加する全てのランナー・観客・ボランティアみんなが、虹色の7テーマ(森林を育てる・障害者スポーツを応援・難病子供を励まし・癌検診の啓発・街の美化・途上国の支援・難民の救命)に東日本大震災復興支援を加えた8つのチャリティテーマに参画しようと呼びかけており、私も前回のしろいし蔵王高原マラソンと同じく、胸に「がんばろう●日本!」とプリントされた濃緑色の東日本大震災支援Tシャツの背に「WE NEVER GIVE UP!」と手書きして本格的なチャリティマラソンへの参加に昂揚していた。
お濠沿いの森の中に手荷物をゴールまで運ぶ30数台のトラックが並び、着替えを済ませ手荷物を持つランナーで混雑していた。指定番号のトラックに手荷物を預けてお濠沿いの公園内を軽く走ってみると、なかなか爽快である。朝日を浴びて輝く大阪城天守閣をバックに見知らぬ同士で写真を撮り合って、誰もが観光マラソン気分になっている。広いお濠越しに高い石垣に立つ大阪城を眺めながら集合地点に向かったが、長い行列が延々と続いて、私の属するGブロックまでに20分ほどかかってしまった。すでにスタート地点の大阪府庁前から大阪城に沿った西側道路は総勢3万人のランナーで埋め尽くされ、歩道橋に上がりカラフルな色彩で埋まる大通りをカメラに収めた。(掲示の写真)
軽快な司会進行が始まると区切り毎に周囲から拍手が沸き起こり、特に招待の川内選手の紹介には一際高い拍手が送られた。埼玉県庁職員の彼は、まさに我らが市民ランナーの星である。空模様も更に明るくなり、気温が20度とは絶好のコンデションではないか。周囲からは関西弁特有の軽快で明るい話声が飛び交い、誰もが第一回大会に参加できた幸運を喜びあって、この大会が自分達の大会だという誇りに満ち溢れていた。そんな時、ハプニングが起きた。警備員の制止をかい潜り歩道橋の上から年配の男性(ランナーか?)が我々に向かって「頑張って走ろう!頑張れ!」と大声を張り上げたのである。周りの驚きのどよめきが大きな歓声となり、彼の勇気に賞賛の拍手が送られて、スタート直前の雰囲気は一気に盛り上がった。大阪ならではの椿事ではないだろうか。
スタートの9時丁度に前方から大きな拍手の波が押し寄せて、我がGブロックがスタート地点を通過したのは9時10分近かった。スタート台には陸上の朝原さんとサッカーの森島さんが、路肩では橋下大阪府知事がゼッケンを付けてランナー達のカメラを受けていた。橋下知事は明日で府知事を辞任し大阪市長選挙に出られるという。今日が最期の晴れ舞台になってしまうのだろうか。スタート直後の大勢のランナーの足を止めさせるのだから、さすがに人気者である。兎にも角にも今日の大阪マラソンがあるのは橋下さんのおかげである。ありがとう。お互いに頑張りましょう。
今日でフルマラソンは6回目になるが、前半20キロをキロ6分半ペースで2時間10分、次の10キロをキロ7分で1時間10分、残る10キロをキロ8分で1時間20分、ラスト2キロを歩いても20分、5時間以内の完走プランを立て、7.5キロと15キロ附近とゴール前で応援する妻に通過予想タイムを伝えたのだが、果たして机上作戦通りにいけるだろうか。
最初の1キロはランナー渋滞で6分20秒と遅めだったが、完走予想申告タイムでブロック編成された周囲は、整然とした大きな流れとなって順調な走り出しである。大阪城外濠沿いを半周して、沿道の盛大な声援を受けながら玉造筋を南下、キロ6分ペースの安定した走りが続いた。幅広い千日前通りを難波に向けて3万のランナーが走る様はさぞ壮観だろう。大太鼓の連打が響き渡り、沿道の大阪市民の皆さんが声援を楽しんでいる様子がこちらにも伝わってくる。秋田なまはげに仮装したランナーに、「なまはげ!東北頑張れ!」と沿道から声援が送られた。5キロ地点で30分40秒は順調だ。
難波交差点を右折し大阪市街の中心を走る御堂筋を北上である。これが御堂筋か。仙台の定禅寺通りを髣髴させる緑豊かな街路樹並木が近代的な繁華街と巧に融合された魅力的な大通りを占有して走れる幸せを感じていた。道頓堀・心斎橋・船場という著名な地名に好奇心の目を泳がせながらキロ6分10秒ペースは変わらず、7.5キロ給水所附近で浦和レッズの赤いマフラーを振り回す妻を沿道の中に見付け出し声援に応えることが出来た。
御堂筋の反対車線をケニア勢や川内選手ら先頭集団が飛ぶように走り去った。やがて淀屋橋交差点を右折し土佐堀川に沿って東に向かうと、青々と美しい水面はさすが水都大阪である。10キロ地点で1時間2分は想定外の快走だ。沿道の絶え間ない熱狂的な声援とブラスバンドの勇壮な演奏に楽しみながら走れるのが嬉しかった。右方向に大阪城の天守閣が間近に見えて、大阪城の北側を走っていることを知った。11キロ地点で最初の折り返しである。後続が4キロ以上も続いているのには驚いた。赤レンガの壁に青銅ドームの美しい中央公会堂の前で吹奏楽団が素晴らしい演奏を聴かせてくれた。
再び御堂筋に戻りまだ黄葉しない銀杏並木に囲まれた美しい大通りを難波に向け南下した。先程の反対車線でレッズタオルを振る妻の応援に応え、15キロ地点が1時間33分、ここまで5キロを31分ペースで走っており、5時間完走にはかなり貯金が出来たようだ。難波交差点を右折して千日前通を京セラドームに向け西行である。水都に掛かる橋を渡るとUFOの形状したプロ野球オリックスのドーム球場を眺めながら第2の折り返しである。20キロ地点で2時間5分は、計画の5分貯金である。
気候は曇りで気温も上がらず風もなく絶好のコンデションである。フルマラソンのベストタイム更新かもという期待を抱きながら、2キロ毎の給水所でドリンク補給だけはしっかり取っていこう。給水タイムロスも完走のためには已むを得ない。難波交差点に再度戻って大国町に向け南下した。沿道の声援は途切れることがなく、何時間も声援し続けて疲れるだろうに、頭が下がる思いである。浪速のシンボル通天閣に向けて左折したが、残念ながら通天閣を見付け出せないまま走り過ぎてしまったようだ。
25キロ地点で2時間40分は、キロ7分にペースダウンしていたがまだ想定内である。そんなとき沿道の中から「ありがとう!元気を貰うわ!頑張って!」とおばさんの声が聞こえた。そうか、沿道から力を貰っているだけでなく、我々も走ることで皆に力を与えているのか。近くを走る仮装のお嬢さんに誰かが走りながら尋ねていた。「仮装していると走り辛いでしょ?」「タイムでなく、皆に喜んで貰えるのが嬉しいの」そうか、そういう走り方もあるのか。よし、沿道の声援で力を貰ったお返しを何かしなければ。チャリティマラソン大会に相応しい行動をとってみよう。
沿道で差し出されるハイタッチの列の中に車椅子のお年寄りを見かけて、その前に立ち止まりお年寄りの手を両手で包み込み「おばあちゃん、元気で頑張ってね」と語り掛けると、見知らぬランナーの不意の行動に驚いていた表情が、嬉しさの表情に変わり笑顔を返してくれたのである。その快感に思わず鳥肌が立った。それからは、沿道の中に車椅子を探す走りに変わっていた。車椅子のお年寄りやお嬢さんや同年配の男性の前に足を止め、しゃがんで握手しながら声掛けすると、素敵な笑顔と一緒に、周りの人達から私のTシャツの胸に書かれた「がんばれ、日本!」が連呼された。コースと歩道との間にカラーコーンが並べられ、沿道の人達と引き離されるまでに、5人程の車椅子の人と交歓できたが、そのためのタイムロスは全く気にならなかった。
絶え間ない人情味豊かな沿道の熱い声援に力を貰いながら30キロ地点を3時間16分で通過した辺りから足の張りと膝の痛さが襲ってきた。32キロ附近で大規模な給食エイドがありキュウリの一本漬物とアンパンと飴類を頂いたが、その他にも大阪名物のうまいものが並んで大盛況である。やがて遥か右前方にフィニッシュ地点に建つコスモタワービルが見えてきたが、まだまだ先は長い。体力補給したはずなのにキロ8分台にペースダウンして、35キロ地点で3時間59分。残り7キロを1時間はかなり厳しくなってきた。膝と股関節の突き刺すような痛さについに歩きが入ってしまった。次の1キロが9分、そしてトイレタイムもあって次の1キロは10分。37キロ地点で4時間18分、残り5キロを40分はもはや絶望的である。しかも目の前に最大の難関といわれる高低差20Mの南港大橋が待っていた。
しかしここから不思議な頑張りが出来たのである。ラスト5キロを歩かず走り切ろう、もう少し頑張れたかなと思う走りはすまい、そして妻が待つゴール附近には約束タイムで通過したい、沿道からの「このペースなら5時間が切れるよ」の声が背を押してくれた。歩き始めたランナーの後ろ姿が一緒に歩こうよと囁いている。そんな姿を視野に入れないように、走り続けるランナーの後ろ足だけを見詰めてひたすら追い続けた。前方に大震災直前の2月に開催された福島いわきマラソンのTシャツが見えてきた。歩き始めた彼に追い付き「私もいわきを走りましたよ」としばし並走しながら心の絆を感じあった。キロ7分台に戻ってきた。1キロ毎に7分34秒・32秒・22秒とビルドアップしていった。南港の埋め立て地を高層のコスモタワーを目指して頑張れている自分が不思議だった。そしてラスト1キロが7分1秒。ゴール手前でレッズの赤いマフラーを振る妻が見え、右手を挙げて応えながら、前方に見えてきたFINISHゲートに向け最後の力を振り絞って走り込んだ。ネットタイムは4時間57分30秒(後日ネットで順位が3万人の真ん中だったことを知った)。思わず涙が溢れ出た。目標の5時間切れが達成できたうえに、車椅子の人達と交歓できたこと、そしてラスト5キロを盛り返す走りが出来たことが何より嬉しかった。
疲れ切った身体を休めてから着替えを済ませ外に出ると、土砂降りの雨になっていた。雨が降る前にゴール出来て良かったと安堵したが、その強い雨の中をゴールに向かって沢山のランナーがまだ走っていた。皆がそれぞれの思いを胸に頑張っているのだ。なんと素晴らしい光景ではないか。制限時間までまだ1時間以上もある。ランナーの列はまだまだ続いている。降り頻る雨の中を走るカラフルなランナー姿が絵のように美しい。フル完走の感動はもうすぐだよ。頑張れ!素晴らしき仲間達よ、格好いいぞ、頑張れ!
新大阪から京都に向かい駅前ホテルで寛いでいると、大阪マラソンを伝えるテレビニュースのゴール直前シーンになんと私が映し出された。還暦の赤頭巾ペアにテレビカメラは合わせたのだろうが、並走した私もしっかりアップされたのである。これ以上ない思い出を貰って、ホテルでの祝杯は、タラバガニで食い倒れ、ビールもだいぶ飲んでしまった。










私は、仕事で「セカンドライフ」のセミナーなどもやるのですが、自分のセカンドライフは趣味のランニングを楽しみたい!…旅行を兼ねて日本全国のマラソン大会に参加したい!っていつも言っているんです。カーテンコールさんのようなセカンドライフをぜひ送りたいです。
ブログ楽しみにています。
そうですね。自分でもセカンドライフを他人様より堪能していると思っています。
定年まで十分仕事をしてきた充実感が、生活の切り替えをさせてくれているのかもしれません。
冗長で拙いブログにお付き合いいただきありがとうございました。
完走、おめでとうございます。
車いすのおばあちゃまとのやりとり、なかなかできることじゃありません……
そして、ラスト5キロの頑張り……おめでとうございました!
私もあのマラソンのニュースを見ましたが、残念!
カーテンコールさんのお姿はわかりませんでした……
また、地祇の大会が待ち遠しいことでしょうね!
車椅子のお話は、事前に考えていたわけではなく、42キロ切れ間ない沿道の幾重もの熱い応援に、御礼の声だけでなく何か具体的なアクションを取りたいと、走りながら思いついたのでした。
それにしても、赤頭巾のランナーと3人並んでゴールするシーンがアップされて、「あ!俺だ!」と叫んでしまいました。ぜひビデオが欲しいとテレビ局に掛け合いたいと思いますが。
車椅子の方とのふれあいすばらしいですね。
なかなか出来ません。
自分の走りだけで精一杯(ふ〜)
いつだったか増田さんが(だったと思うんですが)海外でのトレーニングの時、地元のトレーナーから「タイムばかり気にしてたらいい結果はでない。楽しんで走る事がいい結果につながる」と言われたと話してました。カーテンコールさんのブログよんでやっぱりなーって思いました。
是非参考にさせて頂きます。
奥様の赤いマフラー・・・いいですね〜羨ましい!!!
ビデオゲットしたら写真にして趣味人で公開してください。楽しみに待ってます。
これまで40回ほどのマラソン大会を走ってきましたが、最近のオールスポーツさんが撮られた写真は、以前は笑ったり万歳したりのジェスチャー入りが多かったのですが、苦しそうな表情が多くなり、どうも楽しく走ることが出来なくなってきたように感じていました。
昨年の東京マラソンで市民ランナーの川内選手の苦しそうな表情を見て以来、自分の限界に挑戦する走りに憧れてきたのかもしれません。
そういう意味で、今回の走りで自分が少し変わってきたのかなと、少し嬉しくなっています。
jさんは、来年の東京マラソンを走られるのですね。沿道の温かい声援と心こもったボランティアそして3万人のランナー仲間と一緒に、東京をひとつにする楽しい走りを満喫して来てください。
大阪を楽しまれた様子でうれしいです。
東北は関西からも未知の方面。
年に一度は八甲田山に行きますが、とても遠いです。
大阪在住でも大阪城はゆっくりと見学したことなく、前日の紀行を楽しく読ませていただきました。
通天閣はたぶん皆さん気づかないだろうなーと思い、隣近所の方に今見えてるよとお声掛けしたい気分になりました。
来年も是非お越しください!
大阪の事は殆ど知らず、見所は大阪城ぐらいと思っていましたので、マラソンコース内にこんなに沢山の見所があったことを知り、このブログに早く立ち寄っていれば、もっと観光マラソンを楽しめたのにと悔いております。
来週にはお伊勢マラソンを走りますし、3月の名古屋シティマラソンにも当選いたしました。これまで東北人として縁遠かった関西方面が、今は身近に感じています。
走っている光景が目に浮かんできました。
カーテンコールさんのブログのコメントで申し上げる事をお許しください。
この度子供を授かりまして、運動は暫くお預けです。現在つわりに苦しんでおり、
何をするにも億劫になってしまっております。
(医者に罹る程ではないのですが)
カーテンコールさんにはいつも見守ってくださっていて、早くご報告申し上げたかったのです。
ランニングライフ、これからも楽しく拝見いたします。寒いですが、お体気をつけてください。
体調には十分気をつけて、元気な赤ちゃんを産んでくださいね。
運動の方は当分お預けになるでしょうが、何年か後にはお子さんと一緒にバレーやスキーやマラソンを楽しめる時がきっと来ると思います。
これから出産そして育児と大変な時が続くと思いますが、持ち前のファイトで頑張ってくださいね。