
【スポニチ皇居マラソン(1月15日(日))】
午前6時半に自宅を出立すると、夜明けの白い冬空に半月の影が浮かび、ついこの間は満月だったのにと、思わず過ぎし日を指折り数えていた。荒川の鉄橋を渡る車窓には、雲間から覗く朝日が川面に美しく映えていた。雪も雨もない正月を迎えて今日の皇居ランの走り初めが楽しみである。
池袋から有楽町線で淡路町を下車し、受付のセカンドウインドビルで着替えて、恒例の≪がんばろう●日本!≫濃緑Tシャツ姿で街に出た。さすがに肌寒いが空気が美味しい。久方振りの本郷通りを大手町方面に軽くジョッキングした。高層ビル街の谷間にある将門神社にお参りして、2年半前まで勤務していたビルに立ち寄ると、管理会社の人だろうか、誰も来ることのない無人ビルの車寄せを清掃していた。声掛けすると「6月には取り壊しが始まるらしい」と教えてくれた。売却したのだからいずれはと思っていたが、思わず24階のビルを見上げていた。
大手町交差点を渡るとパレスホテルは、モダンに建て替えられて内装工事中である。南側の和田倉濠に面した低層階の総ガラス張りは昔と変わらない。思い出多いあそこでまた食事したいものである。皇居濠に沿って走る皇居ランナーに交じりスタート地点の竹橋方面に向かった。やがて和気清麻呂像の前で開会式が始まり、軽い全員体操のあと点呼が始まった。ICチップでなく手動計測のようだが、300人程度の規模では已むを得まい。
大手濠の城壁で日陰になる水面に張り詰めた薄氷を眺めながらストレッチをするうち、まず皇居3周15キロの部がスタートした。濠沿いに駆けて行くランナーの列は意外にゆっくりペースである。そうだ、今日は走り初めだし、狭い周回コースを走る大会だ、皇居を大いに楽しみながら走ろう。
15キロの10分遅れで我々皇居周回2周10キロの部がホイッスル合図でスタートした。左手に見えてきた平川門前の広場に集まる外人観光客が我々にカメラを向けていた。皇居ランも観光ポイントなのかもしれない。竹橋を左折して緩やかな上り坂が始まった。どうも体の切れが悪い、呼吸が荒くなってきた。まだ走り始めたばかりなのに、どうしたのだろう。木曜のテニスで左足の踵を痛め休養し過ぎて体が重いのか。
左手に急峻な石垣が現われ奥の方に北詰門が見えてきた。この門の奥に江戸城天守閣跡の天守台があり、マラソン後の散策が楽しみである。乾門の前を過ぎると道幅も狭くなりひたすら上りである。相変わらず足の運びが重い。一般ランナーを追い抜きながら、なんとしても半蔵門までは頑張ろう。先日の新年会で同期入社のF君が応援を約束してくれたので、予告した通過予想タイムを下回るわけにはいかない。コースの狭隘な千鳥が淵も減速することなく、右手に英国大使館を見ながら、竹橋から2キロの上りが下りに転じ始めると、前方に半蔵門の信号が見えてきた。
半蔵門の前にポツンとひとりサングラス姿のF君が立っていた。「遅いじゃないか。」相変わらずの辛口である。近くの一番町の住人だが、この寒空の中を来てくれるだけでもありがたい。10分前に15キロの部が先行スタートしており確かに待たせたかもしれない。タイムはこの2キロを10分30秒。上り坂で体が重い割にはいいタイムに安堵した。
前方の桜田濠越しに丸ノ内や日比谷界隈の美しい高層ビル街を眺望しながら、三宅坂までの500Mを高低差22Mの下り坂が始まった。いつぞやナイトランで転倒して顔面制動したのはどの辺だったか。しかしここでタイムを稼がなければと、まさに跳ねるが如き疾走である。三宅坂から平坦になり、桜田門までが意外に遠く感じられて、ここが我慢のしどころだ。
桜田門を通過すると時計台の周辺の広場には、いろいろなマラソングループが出走の準備をしていた。まさに皇居ランの拠点である。ゼッケンを付けて走る我々に注がれる視線を意識して、走る姿勢を正した。ここからいよいよ皇居前広場の直線1.7キロである。左手に皇居の城壁と白い櫓が美しく、右手に丸の内の高層ビル街が林立している。横を走る観光バスから視線が注がれる。前方に大手町の高層ビル街が近づいてきた。陽射しが出てきて、かなり目一杯に走っているのがわかったが、1周目だけでもいいタイムを作ろう。頑張れ。そのあとの1周は根性だ。
左手に堅牢な大手門を見ながら、先程から前方に見えていた水色の青年にターゲットを絞った。出走前の「初参加の人は?」に手を上げた青年である。風に揺れる柳の枝の中を、大手濠緑地のスタート地点を通過したのが26分13秒。目標の1周27分台はクリアした。問題はこれからの1周だ。竹橋の手前で水色の青年をようやく追い抜いたが、長い上り坂で抜き返されてしまった。どうも私を意識しているようだ。約2キロの長い上り坂の追い上げはなかなか縮まらない。若さの馬力にはやはり敵わない。ペースが落ちて次々に追い抜かれ始めた。15キロの3周目に入った高速ランナーか、他のラングループのアスリートか、皇居周回ランは入り乱れて混戦模様になっていた。乾門手前の立哨のお巡りさんが声援してくれた。貴重な沿道の応援である。ありがたい。
千鳥ケ淵のところでついに水色の青年を追い抜いた。後ろに付いて来ているか気になったが、意識していることが知られそうで、振り向けなかった。半蔵門の前にF君がまだ待っていた。黒手袋の手を差し出し「じゃあな」とハイタッチしてくれた。家族やラン仲間以外で沿道に出向いて声援してくれる友がいるのは私ぐらいではないか、いい友を持つ私は幸せだ。
半蔵門から三宅坂までの下り坂は、数年前まで桜の樹の根っこで地面が隆起して躓きそうだったが、今はすっかり綺麗に整地されて、安心して駆け下りることができた。桜田門に向けてカーブする前方に、赤シャツのランナーが際立って見えていた。とても無理だなと思ったが、とにかく目標にして追いかけてみよう。皇居前広場の直線コースに入り最後の力を振り絞り、ひたすら赤シャツを追い続けた。相手のペースが落ちたのか、私が速いのか、確実に近づいてきた。あと1キロちょっとだ、頑張れ、ゴールしたら休めるぞ。
大手町に勤務していた白亜のビルが目の前に迫ってきた。これが見納めになるのか。いろいろな想いが走馬灯のように去来した。このアングルで写真を撮ってこのブログに掲示しようと考えながら走る自分が滑稽に思えた。左前方にゴール周辺の係員の姿が見えてきた。きっと東京マラソンの川内選手のような形相になって走っていたにちがいない。そんな極限の状態でついに赤シャツの男性を追い抜いてゴールの白線をまたいだ。2周目も同じ26分13秒でトータル52分26秒。4年前の皇居マラソン大会の記録を3分30秒も更新したのだから、よく走ったとしよう。
まもなく水色の青年がゴールしてきた。視線が合った。お濠を前に並んで腰掛けて「なかなか速かったですね」と声がけすると、「途中追い抜きましたけど、下りで抜かれちゃいました」と返してきた。やはり互いに意識していたのだ。東京マラソンは落選続きだが、伊豆大島のフルを走ったという。川崎から来たという爽やかな好青年である。走り終えた爽快感に浸りながら、名乗り合いもせず、小春日和のひと時を味わった。名残り惜しかったが、また会いましょうと手を上げて、神田のセカンドウインドビルに向かった。
シャワーを浴びてゆっくり身支度を済ませ再び大手町方面に向かった。そしてあのビューポイントで、大手濠の水面に逆さに映る白亜のビルをカメラに収めた(掲示の写真)。これが本当に見納めになるかもしれない。まさに万感の思いである。
【皇居東御苑の散策】
皇居マラソンを終えて久方振りの皇居東御苑の探訪である。江戸城の正門に相応しい威風堂々たる「大手門」を入ると、地震で崩壊した土塀等の改修工事が進められていた。「三の丸尚蔵館」は空調設備の改装工事中で休館になっていた。皇室所蔵の美術工芸品を手軽に観させてもらっていたが今日は残念である。傍らに可憐な十月桜が咲いていた。
番所を抜けると黒と白の石垣がモザイクのように組まれた美しい城壁が現れた。「本丸中之門跡」に平成の石垣修復工事で交換した旧石材が展示されており、白っぽい石が瀬戸内産花崗岩で黒い石が伊豆産安山岩だという。江戸城に使われた石の大半は伊豆の安山岩で、家康は、慶長の江戸城普請に西国大名を指名して、石高十万石につき百人持ちの石1020玉を割り当てたという。伊豆の採石場から切り出された巨石を積む数千艘の船団が、伊豆と江戸を往復する光景だけでも、さぞ壮観だったにちがいない。
枯れた雑木の中にロウバイが咲いて思わず鼻を近づけた。「二の丸庭園」は工事中のため雪つりの冬支度を見ることができず、緑青の優美な屋根の「諏訪の茶屋」を囲む枯れたツツジを前に、真っ赤に燃えるツツジの光景を瞼に浮かべた。
本丸に入る「汐見坂」を挟んで両側に聳える石垣の説明板に、築石の色違いは新旧の石材を使用しているからで、火災による熱で損傷したためだという。火成岩の安山岩が損傷するほどの火力で江戸城が炎に包まれたとは、明暦大火の火力の凄まじさを思い知らされた。急峻な汐見坂を登ると目の前に広大な芝生が広がり、約4万坪(13万平米)の「本丸跡」である。一組の子連れの家族だけが戯れていた。この本丸には、表(将軍の謁見など公式儀式・行事や幕府重役の執務場)中奥(将軍の日常生活や政務の場)大奥(将軍の正室・側室など女性の生活の場)の壮大な殿舎(面積約1万1千坪)が所狭しと建ち並んで、260年余の江戸時代の様々な歴史が繰り広げられたのであろう。
広大な本丸大芝生の北の端に、白い石垣が積み上げられた巨大な「天守台」が見えてきた(ブログ≪その1≫に掲示の写真)。天守台の上に広がる青空に聳える巨大な天守閣の幻影が浮かんできた。3代将軍家光が秀忠の天守閣を改築して、江戸幕府の権威を象徴する国内最大の天守閣を完成させ、その高さは地上58Mに達し、外層5層内部6階の天守には金のシャチが輝いていたという。その天守閣も19年後に明暦の大火の飛び火で全焼し、民の生活復興を優先させた保科正之の英断で天守閣は再建されることはなかったのである。
天守台に上がり南側に広がる本丸跡の大芝生を眼下に見下ろしながら、先ほど「中之丸門跡」の説明板で見た「秀忠が天守を北に移す」の文言が引っ掛かっていた。秀忠は家康の天守の跡地ではなく北側に移築したというのである。同じ場所に再建しなかった特別の理由があったのだろうか。新しい疑問が湧いてきた。家康の天守閣が征夷大将軍に相応しい規模ではなかったため秀忠は大規模な天守に建て直したのだろうか。家康はその4年前に征夷大将軍に任命され、天下普請として全国の大名に江戸城建設を命じており、当然に大阪城を凌ぐ大天守閣を建てたにちがいない。やはり秀忠は、父家康の巨大天守を更に凌駕する天守閣を北寄りの別の場所に新たな土台から建造させ、並び建つ二つの天守閣を前にして、父を超えた自分の力を誇示していたのではないだろうか、秀忠はひとえに偉大な父家康を超えようとしたのにちがいない。
そして家光もまた、父秀忠の天守閣を壊して同じ場所に日本最大の天守閣を建築したのである。家光は敬愛する祖父家康を凌駕しようとした父秀忠の天守閣を取り壊すことに意味があったのであり、家光はひとえに父秀忠を否定しようとしたのではないだろうか。最後まで父に認められることなく、父の信頼を得ることもできず、父を拒絶し否定して、父を超えようと新築したこの天守の最上階に立って、秀忠はそして家光は、いかなる感慨に耽っていただろうか。父への勝利の歓喜ではなく、父と和解できなかった己の運命を呪い、慙愧の念に涙していたのではないだろうか。石垣だけの天守台の上から、秀忠と家光の暗く沈む心に思いを馳せて、焼失ではない3度の天守閣建て替えの謎を訪ねた旅を締め括った。
時計は、午後1時近くになっていた。この後の予定があるので急いで天守台を後にした。
【1000人の祈りプロジェクト】
今日の予定はもうひとつ、知人が主催する「1000人の祈りプロジェクト」のコーラス練習会である。テノールアーティストKen Katayama氏が、2003年から<愛 From JAPAN>を立ち上げて、“世界中の子どもたちに贈る愛と平和へのメッセージ”をテーマにチャリティ活動を行ってこられたが、昨年3月11日に起きた東日本大震災の復興支援のため新たに企画された<1000人の祈りプロジェクト>に参加するためである。
私の故郷宮城を含む東日本を襲った未曾有の大災害を前に、日本中の人たちがいま自分に出来ることをやろうと物心両面の支援活動を行なってきたが、この企画は、Ken Katayama氏の作詞作曲されたオリジナル曲≪祈り(You Tubeにリンクしています) ≫を歌うことによって被災地に心の祈りを届け、東京・大阪・名古屋で「1000人の祈りコンサート」を開催し、≪祈り≫をレコーディングしたCD売上代金で被災者支援をしようというものである。
目白駅で下車して練習会場の目白小学校講堂に入ると、底冷えする会場にコーラス仲間のY氏が既に来ており、ピアノを囲んで30人程が集まっていた。4日前に豊島区共催で「1000人の祈りチャリティコンサート」が開催されており、今日は1週間後に迫ったレコーディングのための最終練習会である。
おもいでと まぼろしが かさなる このまちで いだきあう こどもたちよ
かなしみと さびしさに ふるえる もういちど もういちど 愛の夢を わけあおう 生きるよろこびを
イントロの煌くようなピアノの音に導かれるように静かな祈りの旋律と美しい心温まる言葉が流れとなり、やがて大きなうねりとなって、愛の夢が、生きる喜びが、朗々と歌われていく。
やがて変調して世界平和に向けた願いが歌い上げられる。
とびたとう けっしてはなれずに 果てしないそらへ いま
≪歌うことが祈りになる≫のサブタイトルで歌う≪祈り≫の歌詞について、Ken Katayama氏がその思いを話された。世界中に大人の戦争で犠牲になる子どもたちがたくさんいる。その子どもたちに愛の夢を生きる喜びを分け合おう、そして世界の平和を祈ろうと。そしてKen氏は、歌詞の「乾いた涙 白く思いを染める」について「泣き叫び続けもはや涙が出なくなり頬には涙の跡が白く残るだけ」と説明してくれた。なんと感動的な情景を表現した言葉ではないか。
講堂内を包んだフィナーレの残響の中で、我が故郷宮城の被災地に向けた私達の祈りの歌が、間違いなく届いている実感を噛み締めていた。帰路の電車内で、多忙の中を同伴してくれたY氏と、年甲斐もなくいだき合った昂揚感を語り合った。
午前6時半に自宅を出立すると、夜明けの白い冬空に半月の影が浮かび、ついこの間は満月だったのにと、思わず過ぎし日を指折り数えていた。荒川の鉄橋を渡る車窓には、雲間から覗く朝日が川面に美しく映えていた。雪も雨もない正月を迎えて今日の皇居ランの走り初めが楽しみである。
池袋から有楽町線で淡路町を下車し、受付のセカンドウインドビルで着替えて、恒例の≪がんばろう●日本!≫濃緑Tシャツ姿で街に出た。さすがに肌寒いが空気が美味しい。久方振りの本郷通りを大手町方面に軽くジョッキングした。高層ビル街の谷間にある将門神社にお参りして、2年半前まで勤務していたビルに立ち寄ると、管理会社の人だろうか、誰も来ることのない無人ビルの車寄せを清掃していた。声掛けすると「6月には取り壊しが始まるらしい」と教えてくれた。売却したのだからいずれはと思っていたが、思わず24階のビルを見上げていた。
大手町交差点を渡るとパレスホテルは、モダンに建て替えられて内装工事中である。南側の和田倉濠に面した低層階の総ガラス張りは昔と変わらない。思い出多いあそこでまた食事したいものである。皇居濠に沿って走る皇居ランナーに交じりスタート地点の竹橋方面に向かった。やがて和気清麻呂像の前で開会式が始まり、軽い全員体操のあと点呼が始まった。ICチップでなく手動計測のようだが、300人程度の規模では已むを得まい。
大手濠の城壁で日陰になる水面に張り詰めた薄氷を眺めながらストレッチをするうち、まず皇居3周15キロの部がスタートした。濠沿いに駆けて行くランナーの列は意外にゆっくりペースである。そうだ、今日は走り初めだし、狭い周回コースを走る大会だ、皇居を大いに楽しみながら走ろう。
15キロの10分遅れで我々皇居周回2周10キロの部がホイッスル合図でスタートした。左手に見えてきた平川門前の広場に集まる外人観光客が我々にカメラを向けていた。皇居ランも観光ポイントなのかもしれない。竹橋を左折して緩やかな上り坂が始まった。どうも体の切れが悪い、呼吸が荒くなってきた。まだ走り始めたばかりなのに、どうしたのだろう。木曜のテニスで左足の踵を痛め休養し過ぎて体が重いのか。
左手に急峻な石垣が現われ奥の方に北詰門が見えてきた。この門の奥に江戸城天守閣跡の天守台があり、マラソン後の散策が楽しみである。乾門の前を過ぎると道幅も狭くなりひたすら上りである。相変わらず足の運びが重い。一般ランナーを追い抜きながら、なんとしても半蔵門までは頑張ろう。先日の新年会で同期入社のF君が応援を約束してくれたので、予告した通過予想タイムを下回るわけにはいかない。コースの狭隘な千鳥が淵も減速することなく、右手に英国大使館を見ながら、竹橋から2キロの上りが下りに転じ始めると、前方に半蔵門の信号が見えてきた。
半蔵門の前にポツンとひとりサングラス姿のF君が立っていた。「遅いじゃないか。」相変わらずの辛口である。近くの一番町の住人だが、この寒空の中を来てくれるだけでもありがたい。10分前に15キロの部が先行スタートしており確かに待たせたかもしれない。タイムはこの2キロを10分30秒。上り坂で体が重い割にはいいタイムに安堵した。
前方の桜田濠越しに丸ノ内や日比谷界隈の美しい高層ビル街を眺望しながら、三宅坂までの500Mを高低差22Mの下り坂が始まった。いつぞやナイトランで転倒して顔面制動したのはどの辺だったか。しかしここでタイムを稼がなければと、まさに跳ねるが如き疾走である。三宅坂から平坦になり、桜田門までが意外に遠く感じられて、ここが我慢のしどころだ。
桜田門を通過すると時計台の周辺の広場には、いろいろなマラソングループが出走の準備をしていた。まさに皇居ランの拠点である。ゼッケンを付けて走る我々に注がれる視線を意識して、走る姿勢を正した。ここからいよいよ皇居前広場の直線1.7キロである。左手に皇居の城壁と白い櫓が美しく、右手に丸の内の高層ビル街が林立している。横を走る観光バスから視線が注がれる。前方に大手町の高層ビル街が近づいてきた。陽射しが出てきて、かなり目一杯に走っているのがわかったが、1周目だけでもいいタイムを作ろう。頑張れ。そのあとの1周は根性だ。
左手に堅牢な大手門を見ながら、先程から前方に見えていた水色の青年にターゲットを絞った。出走前の「初参加の人は?」に手を上げた青年である。風に揺れる柳の枝の中を、大手濠緑地のスタート地点を通過したのが26分13秒。目標の1周27分台はクリアした。問題はこれからの1周だ。竹橋の手前で水色の青年をようやく追い抜いたが、長い上り坂で抜き返されてしまった。どうも私を意識しているようだ。約2キロの長い上り坂の追い上げはなかなか縮まらない。若さの馬力にはやはり敵わない。ペースが落ちて次々に追い抜かれ始めた。15キロの3周目に入った高速ランナーか、他のラングループのアスリートか、皇居周回ランは入り乱れて混戦模様になっていた。乾門手前の立哨のお巡りさんが声援してくれた。貴重な沿道の応援である。ありがたい。
千鳥ケ淵のところでついに水色の青年を追い抜いた。後ろに付いて来ているか気になったが、意識していることが知られそうで、振り向けなかった。半蔵門の前にF君がまだ待っていた。黒手袋の手を差し出し「じゃあな」とハイタッチしてくれた。家族やラン仲間以外で沿道に出向いて声援してくれる友がいるのは私ぐらいではないか、いい友を持つ私は幸せだ。
半蔵門から三宅坂までの下り坂は、数年前まで桜の樹の根っこで地面が隆起して躓きそうだったが、今はすっかり綺麗に整地されて、安心して駆け下りることができた。桜田門に向けてカーブする前方に、赤シャツのランナーが際立って見えていた。とても無理だなと思ったが、とにかく目標にして追いかけてみよう。皇居前広場の直線コースに入り最後の力を振り絞り、ひたすら赤シャツを追い続けた。相手のペースが落ちたのか、私が速いのか、確実に近づいてきた。あと1キロちょっとだ、頑張れ、ゴールしたら休めるぞ。
大手町に勤務していた白亜のビルが目の前に迫ってきた。これが見納めになるのか。いろいろな想いが走馬灯のように去来した。このアングルで写真を撮ってこのブログに掲示しようと考えながら走る自分が滑稽に思えた。左前方にゴール周辺の係員の姿が見えてきた。きっと東京マラソンの川内選手のような形相になって走っていたにちがいない。そんな極限の状態でついに赤シャツの男性を追い抜いてゴールの白線をまたいだ。2周目も同じ26分13秒でトータル52分26秒。4年前の皇居マラソン大会の記録を3分30秒も更新したのだから、よく走ったとしよう。
まもなく水色の青年がゴールしてきた。視線が合った。お濠を前に並んで腰掛けて「なかなか速かったですね」と声がけすると、「途中追い抜きましたけど、下りで抜かれちゃいました」と返してきた。やはり互いに意識していたのだ。東京マラソンは落選続きだが、伊豆大島のフルを走ったという。川崎から来たという爽やかな好青年である。走り終えた爽快感に浸りながら、名乗り合いもせず、小春日和のひと時を味わった。名残り惜しかったが、また会いましょうと手を上げて、神田のセカンドウインドビルに向かった。
シャワーを浴びてゆっくり身支度を済ませ再び大手町方面に向かった。そしてあのビューポイントで、大手濠の水面に逆さに映る白亜のビルをカメラに収めた(掲示の写真)。これが本当に見納めになるかもしれない。まさに万感の思いである。
【皇居東御苑の散策】
皇居マラソンを終えて久方振りの皇居東御苑の探訪である。江戸城の正門に相応しい威風堂々たる「大手門」を入ると、地震で崩壊した土塀等の改修工事が進められていた。「三の丸尚蔵館」は空調設備の改装工事中で休館になっていた。皇室所蔵の美術工芸品を手軽に観させてもらっていたが今日は残念である。傍らに可憐な十月桜が咲いていた。
番所を抜けると黒と白の石垣がモザイクのように組まれた美しい城壁が現れた。「本丸中之門跡」に平成の石垣修復工事で交換した旧石材が展示されており、白っぽい石が瀬戸内産花崗岩で黒い石が伊豆産安山岩だという。江戸城に使われた石の大半は伊豆の安山岩で、家康は、慶長の江戸城普請に西国大名を指名して、石高十万石につき百人持ちの石1020玉を割り当てたという。伊豆の採石場から切り出された巨石を積む数千艘の船団が、伊豆と江戸を往復する光景だけでも、さぞ壮観だったにちがいない。
枯れた雑木の中にロウバイが咲いて思わず鼻を近づけた。「二の丸庭園」は工事中のため雪つりの冬支度を見ることができず、緑青の優美な屋根の「諏訪の茶屋」を囲む枯れたツツジを前に、真っ赤に燃えるツツジの光景を瞼に浮かべた。
本丸に入る「汐見坂」を挟んで両側に聳える石垣の説明板に、築石の色違いは新旧の石材を使用しているからで、火災による熱で損傷したためだという。火成岩の安山岩が損傷するほどの火力で江戸城が炎に包まれたとは、明暦大火の火力の凄まじさを思い知らされた。急峻な汐見坂を登ると目の前に広大な芝生が広がり、約4万坪(13万平米)の「本丸跡」である。一組の子連れの家族だけが戯れていた。この本丸には、表(将軍の謁見など公式儀式・行事や幕府重役の執務場)中奥(将軍の日常生活や政務の場)大奥(将軍の正室・側室など女性の生活の場)の壮大な殿舎(面積約1万1千坪)が所狭しと建ち並んで、260年余の江戸時代の様々な歴史が繰り広げられたのであろう。
広大な本丸大芝生の北の端に、白い石垣が積み上げられた巨大な「天守台」が見えてきた(ブログ≪その1≫に掲示の写真)。天守台の上に広がる青空に聳える巨大な天守閣の幻影が浮かんできた。3代将軍家光が秀忠の天守閣を改築して、江戸幕府の権威を象徴する国内最大の天守閣を完成させ、その高さは地上58Mに達し、外層5層内部6階の天守には金のシャチが輝いていたという。その天守閣も19年後に明暦の大火の飛び火で全焼し、民の生活復興を優先させた保科正之の英断で天守閣は再建されることはなかったのである。
天守台に上がり南側に広がる本丸跡の大芝生を眼下に見下ろしながら、先ほど「中之丸門跡」の説明板で見た「秀忠が天守を北に移す」の文言が引っ掛かっていた。秀忠は家康の天守の跡地ではなく北側に移築したというのである。同じ場所に再建しなかった特別の理由があったのだろうか。新しい疑問が湧いてきた。家康の天守閣が征夷大将軍に相応しい規模ではなかったため秀忠は大規模な天守に建て直したのだろうか。家康はその4年前に征夷大将軍に任命され、天下普請として全国の大名に江戸城建設を命じており、当然に大阪城を凌ぐ大天守閣を建てたにちがいない。やはり秀忠は、父家康の巨大天守を更に凌駕する天守閣を北寄りの別の場所に新たな土台から建造させ、並び建つ二つの天守閣を前にして、父を超えた自分の力を誇示していたのではないだろうか、秀忠はひとえに偉大な父家康を超えようとしたのにちがいない。
そして家光もまた、父秀忠の天守閣を壊して同じ場所に日本最大の天守閣を建築したのである。家光は敬愛する祖父家康を凌駕しようとした父秀忠の天守閣を取り壊すことに意味があったのであり、家光はひとえに父秀忠を否定しようとしたのではないだろうか。最後まで父に認められることなく、父の信頼を得ることもできず、父を拒絶し否定して、父を超えようと新築したこの天守の最上階に立って、秀忠はそして家光は、いかなる感慨に耽っていただろうか。父への勝利の歓喜ではなく、父と和解できなかった己の運命を呪い、慙愧の念に涙していたのではないだろうか。石垣だけの天守台の上から、秀忠と家光の暗く沈む心に思いを馳せて、焼失ではない3度の天守閣建て替えの謎を訪ねた旅を締め括った。
時計は、午後1時近くになっていた。この後の予定があるので急いで天守台を後にした。
【1000人の祈りプロジェクト】
今日の予定はもうひとつ、知人が主催する「1000人の祈りプロジェクト」のコーラス練習会である。テノールアーティストKen Katayama氏が、2003年から<愛 From JAPAN>を立ち上げて、“世界中の子どもたちに贈る愛と平和へのメッセージ”をテーマにチャリティ活動を行ってこられたが、昨年3月11日に起きた東日本大震災の復興支援のため新たに企画された<1000人の祈りプロジェクト>に参加するためである。
私の故郷宮城を含む東日本を襲った未曾有の大災害を前に、日本中の人たちがいま自分に出来ることをやろうと物心両面の支援活動を行なってきたが、この企画は、Ken Katayama氏の作詞作曲されたオリジナル曲≪祈り(You Tubeにリンクしています) ≫を歌うことによって被災地に心の祈りを届け、東京・大阪・名古屋で「1000人の祈りコンサート」を開催し、≪祈り≫をレコーディングしたCD売上代金で被災者支援をしようというものである。
目白駅で下車して練習会場の目白小学校講堂に入ると、底冷えする会場にコーラス仲間のY氏が既に来ており、ピアノを囲んで30人程が集まっていた。4日前に豊島区共催で「1000人の祈りチャリティコンサート」が開催されており、今日は1週間後に迫ったレコーディングのための最終練習会である。
おもいでと まぼろしが かさなる このまちで いだきあう こどもたちよ
かなしみと さびしさに ふるえる もういちど もういちど 愛の夢を わけあおう 生きるよろこびを
イントロの煌くようなピアノの音に導かれるように静かな祈りの旋律と美しい心温まる言葉が流れとなり、やがて大きなうねりとなって、愛の夢が、生きる喜びが、朗々と歌われていく。
やがて変調して世界平和に向けた願いが歌い上げられる。
とびたとう けっしてはなれずに 果てしないそらへ いま
≪歌うことが祈りになる≫のサブタイトルで歌う≪祈り≫の歌詞について、Ken Katayama氏がその思いを話された。世界中に大人の戦争で犠牲になる子どもたちがたくさんいる。その子どもたちに愛の夢を生きる喜びを分け合おう、そして世界の平和を祈ろうと。そしてKen氏は、歌詞の「乾いた涙 白く思いを染める」について「泣き叫び続けもはや涙が出なくなり頬には涙の跡が白く残るだけ」と説明してくれた。なんと感動的な情景を表現した言葉ではないか。
講堂内を包んだフィナーレの残響の中で、我が故郷宮城の被災地に向けた私達の祈りの歌が、間違いなく届いている実感を噛み締めていた。帰路の電車内で、多忙の中を同伴してくれたY氏と、年甲斐もなくいだき合った昂揚感を語り合った。










今年もご活躍ですね!
一度、歴史散策を兼ね、夫と皇居をぐるっと歩いてみようと思い立ちましたが、
途中で挫折。
しかも地下鉄まで動員したのに……
それをマラソンとは、本当にすごいことですね〜〜
「1000人の祈りプロジェクト」もご成功に向かっていらっしゃいますね。
被災地が明るい希望に満ちた年となりますように・・・・・・
大手門から東御苑を散策して竹橋に出るルートは、観光客も少なく意外と穴場のようです。
三の丸尚蔵館では皇室の美術工芸品を無料で観れますし、美しい城郭やツツジに囲まれた和風庭園は、ここが東京のど真ん中かと思うような心のオアシスです。
1000人の祈りについては、ぜひ多くの方にお伝えしたく、マラソンブログとは関係ないのですが、書き足してしまいました。
ありがとうございます。私 本名 平川和重ともうします 。自宅に帰り、あなたさまのブログを読ませていただいています。
あなた様のブログほど丁寧で思慮深い文書にはあまりお目にかかれません。とても感心しています。 参加される大会ありましたら
ブログに記載ください。是非 ご挨拶させていたければ幸いです。今後ともよろしくお願いします。
本当に私と貴兄の共通項の多いのには驚きました。運動音痴だったのにこの年になって(失礼!)マラソンをされていること、伊勢を一緒に走られたこと、これから琵琶湖と名古屋を走られること、そして出身地が名古屋と静岡と埼玉であること、そのうえ、私の故郷仙台に熱い思いを抱いておられること。
冗長で纏まりのない拙いブログをお読みいただき本当に有り難うございました。ぜひご一緒に走れることを楽しみにしています。