
【お伊勢さんマラソン(12月11日(日))】
午前6時半に松阪駅前のホテルを出立、松阪駅から近鉄山田線に乗車するとスポーツウエアの中高生やランナーでほぼ満員である。約20分で五十鈴川駅に下車し、駅前からシャトルバスで昨日歩いた伊勢神宮内宮に隣接する三重県総合体育館に10分ほどで着いた。今日は東日本大震災の3月11日から丁度9ヶ月目の11日である。今日のウエアは当然に東日本大震災被災者支援Tシャツ、濃緑の地に白字で書かれた≪がんばろう●日本!≫を郷里宮城に向けて届けられる走りを頑張ろう。
着替えを済ませ手荷物を2階観覧席に置いて外に出ると、ハーフ・10K・5Kの7000余人が既に溢れ、隣接する五十鈴公園には木漏れ日を浴びた紅葉が美しく池に映えていた。参加者チケットの使える伊勢志摩物産展会場は開店準備の真っ盛りである。スタートの陸上競技場の裏手にあるサブグランドでは、多くのランナーが既に試走していた。暖かい陽射しを頬に受けた心地よい走りに好記録の予感がしてきた。日陰は肌寒く気温も10度まであがりそうになく、寒さ対策に黒のアームウエアと東京マラソンの手袋をはめてメイングランドに移動した。
目標タイム1時間50分の集団に入り午前9時にハーフマラソン2400人がスタートした。トラックを回りながら知る人のないメインスタンドの声援に応えながら競技場外に出た。浦田橋を渡り「おはらい町」のダークブラウン調に整備された商家の美しい街並みの中を走り抜ける快感に酔い痴れた。昨日少し散策しただけなのに見覚えのある建物が見えてくると嬉しくなるものである。伊勢名物の赤福本店の前で「ここが赤福だよ」と囁き合うランナーの声が聞こえてきた。おはらい町の街並みを抜けて伊勢神宮内宮前の広場に出ると、大鳥居の間から木造の宇治橋と奥の鳥居が見えていた。1ケ月前にこの広場をゴールに繰り広げられた熱田神宮から伊勢神宮まで106キロの全日本大学駅伝で、箱根のエース東洋大柏原が区間記録で追い上げるも駒沢大が前半からの貯金で逃げ切った壮絶なドラマはまだ記憶に新しい。(掲示の写真は前日撮影した内宮)
内宮前の大鳥居を折り返して国道23号の伊勢街道を北上する本格的ロードレースに入った。ペースはキロ5分20秒台と快調である。コースは僅かな下りであり頗る走りやすいが帰路は上りで苦しくなるにちがいない。しかし今こそタイムを稼がねばとピッチを上げた。バイパスに入り近鉄山田線の陸橋を上った5キロ地点でタイムは26分52秒。前後を走るランナーの顔ぶれが固まり、妙な連帯感が生まれているようで、互いに並んでは引き離す駆け引きが続いた。伊勢自動車道のICを過ぎJR参宮線を越えて西に向かうロードになると、強い向かい風に変わってペースもキロ5分20秒台から40秒台に落ちてきた。それでも10キロ地点で54分17秒は久方振りの好記録である。
沿道から寄せられる応援の中で勇壮な和太鼓の連打が際立っていた。10ケ所ほどあったと思うが、子供さんや若い学生さんから大人までの幅広い年齢層の和太鼓は、伊勢の伝統芸能なのであろうか。それにしても幹線道路のバイパスを我がもの顔に占有して走ったお陰で、地元の車の皆さんには大変ご迷惑をお掛けしてしまったようである。中央車線を右折できずにいらだつ運転手の顔に思わずすみませんと声かけしてしまった。11キロ過ぎを折り返してからの帰路は追い風に変わり、これで少しは挽回できるかと思いきや、そう甘くはなかった。足の運びが重くなり全体の流れもペースダウンして15キロでこの5キロが27分40秒。それでもコンスタントに5キロ28分を切れているから今日こそ2時間切りは確実である。あとはどのくらいタイムアップできるかだ。時折り後方から追い上げて並びかけるランナーに、抜かされまいと頑張れる自分がまだあった。最後の給水所で初めて喉を潤したが、さすがにペースはキロ5分40秒台に落ちていた。ここからが正念場だ。ここで大阪フルマラソンのラスト5キロを走り切った自信は大きかった。残り3キロくらい全力疾走できるはずだ、まだまだ走れるぞ、頑張れ、と言い聞かせた。
ハイウエーのようなバイパスから五十鈴川の堤に上がると、紅葉交じりの山並みを背景にした美しい流れが眼下に広がっていた。45分遅れでスタートした10キロの最後尾ランナーに追い付き、ゆっくりペースに馴染んでしまいそうである。20キロ地点で1時間50分27秒。5キロ28分30秒にダウンしたが、五十鈴川の浦田橋を渡り沿道の声援を受けながら陸上競技場に最後の力を振り絞って走り込んだ。ゴールタイムは1時間56分52秒。半年振りの2時間切りである。そしてキロ5分台をキープして一度も6分に落ちなかった頑張りが何より嬉しかった。
ゴール直後に女子中学生たちにフィニッシャータオルを両肩に掛けていただき、完走賞のイチゴドリンクと赤福の折り箱を両手に、暖かい陽射しに包まれたフィールド内は、完走の喜びで交歓しあうランナーたちで溢れ、名も知らぬ戦友たちと笑顔を交わしながら心地よい疲労感を味わった。ウエアを着替えて参加賞の500円金券と無料サンプル交換チケット5枚綴りが使える伊勢志摩物産展会場に直行し、焼肉の匂いと煙に誘われて「松牛串」の屋台に並んだ。美味しい串焼きを頬張りながら、好天の伊勢路を楽しく走れたうえに、伊勢名物の「松阪牛」と「赤福」だけでなく、温かい芋煮と無料サンプルのキャラメルやクッキー等を沢山いただき、はるばる伊勢までやって来た甲斐があったとお得感ににんまり、そして午後に予定している歴史ロマン「斎宮」探訪に向かった。
【伊勢斎宮を訪ねて(12月11日(午後))】
大会会場からシャトルバスで五十鈴川駅に戻り、近鉄線で斎宮駅に着いたのは午後1時半を回っていた。「斎宮」は、伊勢神宮に使えた斎王(さいおう:いつきのひめみこ)の宮殿と役所の斎宮寮があったところで、7世紀後半に天武天皇により定められた斎王制度は660年も続いたという。近鉄斎宮駅北側に広がる斎宮跡地に建つ近代的な神殿造りの「いつきのみや歴史体験館」に入ると、笙の音楽が流れて平安時代に迷い込んだようである。館内には、天皇や斎王の乗り物だった葱華輦や平安王朝人の遊び「盤双六」と「貝合わせ」が展示され、自由に体験できるようになっていた。同心円に並べられたハマグリ貝の中から中央に置いた1枚と対になる貝を探し出す「貝合せ」に興味を惹かれた。二枚貝の身と蓋が他の貝とは合わない特性を利用した遊びで、トランプの神経衰弱に似ているという。都から若くして連れて来られた斎王を慰めるため、女官たちが一緒に二見浦の砂浜まで出掛けて美しい貝を拾い集めて準備しているいじらしい姿が浮かんできた。まもなく平安装束の試着体験が始まったが、窓外に見えた「10分の1史跡全体模型」に向かった。
斎宮跡は、東西2km、南北700mの137haという広大な全国屈指の史跡で、一辺120mの方格地割を再現した数区画の上に、10分の1に縮小した斎宮のミニチュア模型を精巧に復元され、正宮や神殿や倉庫の掘立柱建物が整然と建ち並び、中庭で平安装束の男女人形が寛いでいた。肌寒い風の中でアングルを変えシャッターを切りながら、伊勢物語の第69段の舞台はどこに当たるのだろうと、歴史ロマンの世界を彷徨していた。
隣接する芝生広場の中を走る古代の道路跡を「斎宮歴史博物館」に向かうと、途中に円墳が3基ほど復元されていた。斎宮建設以前の古墳時代に古墳を築くような強大な豪族が存在したようである。歴史博物館内の説明では、築造が5世紀末から6世紀前半の塚山古墳群で数十基あるという。やはり伊勢には天照大御神が移されてくる前から有力な持つ豪族がいたのだ。ここは私の仮設した海人族の故地なのだろうか。鳥肌が立ってきた。伊勢に上陸し住みついた海人族が、大和に移住して邪馬台国を建設し崇神王朝に発展しながら、九州から東征してきた応神王朝に征服され、崇神王朝の末裔がこの地に逃げ延びながら、古墳を建設するほどの勢力を保持していたのではないだろうか。古墳時代は7世紀まで続くのだから、6世紀前半で塚山古墳が築かれなくなったのは、その豪族が戦いに敗れて絶滅したか、勢力を伸ばして他所に移住したかのいずれかであろう。5世紀末から6世紀前半の時期は、応神王朝が絶えて継体王朝が成立した時期である。崇神王朝の末裔である豪族は、継体王朝の成立に協力して奈良盆地に勢力を移したのではないだろうか。伊勢斎宮を訪ねて来たはずなのに、あらぬ方向に思考が飛んでしまったようである。
歴史博物館には、発掘調査による考古資料からの斎宮紹介と歴史資料や王朝文学文献からの斎宮紹介そして映像による斎宮紹介の3展示室に分かれているが、時間に余裕がなく、発掘調査跡の模型に斎宮のイメージを馳せながら、「伊勢物語」のほかに古典文学に描かれた斎王物語のコーナーを覗いてみた。「大和物語」「更科日記」そして「栄華物語」にも斎王は登場するが、やはり「源氏物語」であろう。光源氏の女君を生霊となって苦しめた六条御息所が、娘が斎王となると光源氏を避けるため共に伊勢に移住し、やがて退下した斎王を六条御息所の遺言で預かった光源氏は冷泉帝(光源氏と藤壺との不義の子)の妻にする、なんとおぞましい話ではないか。神聖な斎王がこんな形で登場させられるとは、紫式部はどんな女性だったのだろうか。館内の興味尽きない展示物に時間を忘れてしまった。
斎宮を訪ねた3時間はあっという間だった。歴史博物館から斎宮駅まで近道のつもりが道を迷い、ようやく飛び乗れた電車で名古屋発午後6時半の新幹線に乗り継ぎ、頭を駆け巡る見聞の整理にペンは走らず、9時半の帰宅までブログの方向性が全く見えてこない、ゆっくり休んでから時間をかけようと思い直し床に就いた。
午前6時半に松阪駅前のホテルを出立、松阪駅から近鉄山田線に乗車するとスポーツウエアの中高生やランナーでほぼ満員である。約20分で五十鈴川駅に下車し、駅前からシャトルバスで昨日歩いた伊勢神宮内宮に隣接する三重県総合体育館に10分ほどで着いた。今日は東日本大震災の3月11日から丁度9ヶ月目の11日である。今日のウエアは当然に東日本大震災被災者支援Tシャツ、濃緑の地に白字で書かれた≪がんばろう●日本!≫を郷里宮城に向けて届けられる走りを頑張ろう。
着替えを済ませ手荷物を2階観覧席に置いて外に出ると、ハーフ・10K・5Kの7000余人が既に溢れ、隣接する五十鈴公園には木漏れ日を浴びた紅葉が美しく池に映えていた。参加者チケットの使える伊勢志摩物産展会場は開店準備の真っ盛りである。スタートの陸上競技場の裏手にあるサブグランドでは、多くのランナーが既に試走していた。暖かい陽射しを頬に受けた心地よい走りに好記録の予感がしてきた。日陰は肌寒く気温も10度まであがりそうになく、寒さ対策に黒のアームウエアと東京マラソンの手袋をはめてメイングランドに移動した。
目標タイム1時間50分の集団に入り午前9時にハーフマラソン2400人がスタートした。トラックを回りながら知る人のないメインスタンドの声援に応えながら競技場外に出た。浦田橋を渡り「おはらい町」のダークブラウン調に整備された商家の美しい街並みの中を走り抜ける快感に酔い痴れた。昨日少し散策しただけなのに見覚えのある建物が見えてくると嬉しくなるものである。伊勢名物の赤福本店の前で「ここが赤福だよ」と囁き合うランナーの声が聞こえてきた。おはらい町の街並みを抜けて伊勢神宮内宮前の広場に出ると、大鳥居の間から木造の宇治橋と奥の鳥居が見えていた。1ケ月前にこの広場をゴールに繰り広げられた熱田神宮から伊勢神宮まで106キロの全日本大学駅伝で、箱根のエース東洋大柏原が区間記録で追い上げるも駒沢大が前半からの貯金で逃げ切った壮絶なドラマはまだ記憶に新しい。(掲示の写真は前日撮影した内宮)
内宮前の大鳥居を折り返して国道23号の伊勢街道を北上する本格的ロードレースに入った。ペースはキロ5分20秒台と快調である。コースは僅かな下りであり頗る走りやすいが帰路は上りで苦しくなるにちがいない。しかし今こそタイムを稼がねばとピッチを上げた。バイパスに入り近鉄山田線の陸橋を上った5キロ地点でタイムは26分52秒。前後を走るランナーの顔ぶれが固まり、妙な連帯感が生まれているようで、互いに並んでは引き離す駆け引きが続いた。伊勢自動車道のICを過ぎJR参宮線を越えて西に向かうロードになると、強い向かい風に変わってペースもキロ5分20秒台から40秒台に落ちてきた。それでも10キロ地点で54分17秒は久方振りの好記録である。
沿道から寄せられる応援の中で勇壮な和太鼓の連打が際立っていた。10ケ所ほどあったと思うが、子供さんや若い学生さんから大人までの幅広い年齢層の和太鼓は、伊勢の伝統芸能なのであろうか。それにしても幹線道路のバイパスを我がもの顔に占有して走ったお陰で、地元の車の皆さんには大変ご迷惑をお掛けしてしまったようである。中央車線を右折できずにいらだつ運転手の顔に思わずすみませんと声かけしてしまった。11キロ過ぎを折り返してからの帰路は追い風に変わり、これで少しは挽回できるかと思いきや、そう甘くはなかった。足の運びが重くなり全体の流れもペースダウンして15キロでこの5キロが27分40秒。それでもコンスタントに5キロ28分を切れているから今日こそ2時間切りは確実である。あとはどのくらいタイムアップできるかだ。時折り後方から追い上げて並びかけるランナーに、抜かされまいと頑張れる自分がまだあった。最後の給水所で初めて喉を潤したが、さすがにペースはキロ5分40秒台に落ちていた。ここからが正念場だ。ここで大阪フルマラソンのラスト5キロを走り切った自信は大きかった。残り3キロくらい全力疾走できるはずだ、まだまだ走れるぞ、頑張れ、と言い聞かせた。
ハイウエーのようなバイパスから五十鈴川の堤に上がると、紅葉交じりの山並みを背景にした美しい流れが眼下に広がっていた。45分遅れでスタートした10キロの最後尾ランナーに追い付き、ゆっくりペースに馴染んでしまいそうである。20キロ地点で1時間50分27秒。5キロ28分30秒にダウンしたが、五十鈴川の浦田橋を渡り沿道の声援を受けながら陸上競技場に最後の力を振り絞って走り込んだ。ゴールタイムは1時間56分52秒。半年振りの2時間切りである。そしてキロ5分台をキープして一度も6分に落ちなかった頑張りが何より嬉しかった。
ゴール直後に女子中学生たちにフィニッシャータオルを両肩に掛けていただき、完走賞のイチゴドリンクと赤福の折り箱を両手に、暖かい陽射しに包まれたフィールド内は、完走の喜びで交歓しあうランナーたちで溢れ、名も知らぬ戦友たちと笑顔を交わしながら心地よい疲労感を味わった。ウエアを着替えて参加賞の500円金券と無料サンプル交換チケット5枚綴りが使える伊勢志摩物産展会場に直行し、焼肉の匂いと煙に誘われて「松牛串」の屋台に並んだ。美味しい串焼きを頬張りながら、好天の伊勢路を楽しく走れたうえに、伊勢名物の「松阪牛」と「赤福」だけでなく、温かい芋煮と無料サンプルのキャラメルやクッキー等を沢山いただき、はるばる伊勢までやって来た甲斐があったとお得感ににんまり、そして午後に予定している歴史ロマン「斎宮」探訪に向かった。
【伊勢斎宮を訪ねて(12月11日(午後))】
大会会場からシャトルバスで五十鈴川駅に戻り、近鉄線で斎宮駅に着いたのは午後1時半を回っていた。「斎宮」は、伊勢神宮に使えた斎王(さいおう:いつきのひめみこ)の宮殿と役所の斎宮寮があったところで、7世紀後半に天武天皇により定められた斎王制度は660年も続いたという。近鉄斎宮駅北側に広がる斎宮跡地に建つ近代的な神殿造りの「いつきのみや歴史体験館」に入ると、笙の音楽が流れて平安時代に迷い込んだようである。館内には、天皇や斎王の乗り物だった葱華輦や平安王朝人の遊び「盤双六」と「貝合わせ」が展示され、自由に体験できるようになっていた。同心円に並べられたハマグリ貝の中から中央に置いた1枚と対になる貝を探し出す「貝合せ」に興味を惹かれた。二枚貝の身と蓋が他の貝とは合わない特性を利用した遊びで、トランプの神経衰弱に似ているという。都から若くして連れて来られた斎王を慰めるため、女官たちが一緒に二見浦の砂浜まで出掛けて美しい貝を拾い集めて準備しているいじらしい姿が浮かんできた。まもなく平安装束の試着体験が始まったが、窓外に見えた「10分の1史跡全体模型」に向かった。
斎宮跡は、東西2km、南北700mの137haという広大な全国屈指の史跡で、一辺120mの方格地割を再現した数区画の上に、10分の1に縮小した斎宮のミニチュア模型を精巧に復元され、正宮や神殿や倉庫の掘立柱建物が整然と建ち並び、中庭で平安装束の男女人形が寛いでいた。肌寒い風の中でアングルを変えシャッターを切りながら、伊勢物語の第69段の舞台はどこに当たるのだろうと、歴史ロマンの世界を彷徨していた。
隣接する芝生広場の中を走る古代の道路跡を「斎宮歴史博物館」に向かうと、途中に円墳が3基ほど復元されていた。斎宮建設以前の古墳時代に古墳を築くような強大な豪族が存在したようである。歴史博物館内の説明では、築造が5世紀末から6世紀前半の塚山古墳群で数十基あるという。やはり伊勢には天照大御神が移されてくる前から有力な持つ豪族がいたのだ。ここは私の仮設した海人族の故地なのだろうか。鳥肌が立ってきた。伊勢に上陸し住みついた海人族が、大和に移住して邪馬台国を建設し崇神王朝に発展しながら、九州から東征してきた応神王朝に征服され、崇神王朝の末裔がこの地に逃げ延びながら、古墳を建設するほどの勢力を保持していたのではないだろうか。古墳時代は7世紀まで続くのだから、6世紀前半で塚山古墳が築かれなくなったのは、その豪族が戦いに敗れて絶滅したか、勢力を伸ばして他所に移住したかのいずれかであろう。5世紀末から6世紀前半の時期は、応神王朝が絶えて継体王朝が成立した時期である。崇神王朝の末裔である豪族は、継体王朝の成立に協力して奈良盆地に勢力を移したのではないだろうか。伊勢斎宮を訪ねて来たはずなのに、あらぬ方向に思考が飛んでしまったようである。
歴史博物館には、発掘調査による考古資料からの斎宮紹介と歴史資料や王朝文学文献からの斎宮紹介そして映像による斎宮紹介の3展示室に分かれているが、時間に余裕がなく、発掘調査跡の模型に斎宮のイメージを馳せながら、「伊勢物語」のほかに古典文学に描かれた斎王物語のコーナーを覗いてみた。「大和物語」「更科日記」そして「栄華物語」にも斎王は登場するが、やはり「源氏物語」であろう。光源氏の女君を生霊となって苦しめた六条御息所が、娘が斎王となると光源氏を避けるため共に伊勢に移住し、やがて退下した斎王を六条御息所の遺言で預かった光源氏は冷泉帝(光源氏と藤壺との不義の子)の妻にする、なんとおぞましい話ではないか。神聖な斎王がこんな形で登場させられるとは、紫式部はどんな女性だったのだろうか。館内の興味尽きない展示物に時間を忘れてしまった。
斎宮を訪ねた3時間はあっという間だった。歴史博物館から斎宮駅まで近道のつもりが道を迷い、ようやく飛び乗れた電車で名古屋発午後6時半の新幹線に乗り継ぎ、頭を駆け巡る見聞の整理にペンは走らず、9時半の帰宅までブログの方向性が全く見えてこない、ゆっくり休んでから時間をかけようと思い直し床に就いた。










カーテンコールさんはまじめな方でいらっしゃるから……
わかるような気も致しますが。
六条の御息所と秋好中宮ですよね。
う〜ん、今の感覚で言うと、確かにね……
でも、そうなると源氏物語自体が、全部成立しなくなっちゃいますよね……?
とんでもないオハナシですもの。
女性の立場から見ると、
斎宮でおわすよりも、秋好中宮として、女性としてのシアワセも知り、
源氏のような何もかも持つ男性にそれとなく言い寄られるのも女性冥利だったのではないかしら??なんてね(笑)
それはさておき、伊勢の斎宮、その祈りの世界の敬虔なこと。
今上天皇の祈りの心に受け継がれていらっしゃるのだと、
私はご高齢の陛下が被災地にお出ましになるたび、頭が下がるばかりです。
最後になりましたが、カーテンコールさん、
ご完走、おめでとうございます。
私は今年も箱根駅伝の応援に出向くつもりです♪
源氏物語の作者紫式部に憤慨している自分が滑稽に見えてきます。
千年の時空を超えてなお鮮烈な輝きを放つ「源氏物語」に対して、同じ恋愛物語ながらどこか滑稽で憎めない「伊勢物語」に肩入れしてしまうのは、私が男だからでしょうか。
それにしてもマラソンへの挑戦で始めた拙ブログが、観光マラソンブログにそして歴史ロマンから古代文化研究のブログへと変質しているのに我ながら驚いています。
これからもお付き合いをよろしくお願いいたします。
関西では小学生の修学旅行。
大きくなってからはサーフィン。
それ以外には長いこと行ったことない土地です。
過去ブログで能登半島などにも行かれてるみたいですが、お勧めは龍神温泉で開催されるマラソン。
今年は終わってますが、和歌山の秘湯、ローカルな大会ですが、観光とか楽しめると思います。
時期は12月です。
私は大阪マラソンの後は、雪山ばかりですが、秋から12月はまたランニングやロードを楽しむ予定です。
今月は週末に皇居周回マラソンを走り初め大会にして、来月に奈良の法隆寺マラソンと滋賀の大津琵琶湖マラソンを、3月には名古屋マラソンを予定しています。
そうすると残るは和歌山ですが、教えていただいた龍神温泉マラソンがよさそうですね。
ところでreeさんの雪山スキーは本格的なんですね。年末年始10日間の妙高スキー、帰ってすぐに今度は白馬でスキー三昧とは、素晴らしいですね。
私も宮城の山育ちでしたので、若かりし頃の蔵王でのスキー三昧が懐かしく思い出されます。
いいな〜2時間切り!
私はホノルル後一度も走っていません。
伊勢も3年位前にお参りしたけど、何てったって歴史に疎い私です。おかげ横丁派です。
カーテンコールさんのブログから少し勉強しなくちゃ!
ブログを書くための資料集めも大変!
学生時代は年表暗記が苦手で歴史が大嫌いでしたが、歴史家の加来耕三氏と接点を持ってから、歴史の裏に隠された真実を探し求める面白さに、遅ればせながら目覚めたのでした。
これまで読み漁ってきた歴史の雑学を纏めてみようと、観光マラソンブログに併せて綴っています。
これからも拙い冗長なブログですが、お付き合いを宜しくお願いいたします。