くらにっき

ひえとりな毎日 

痛いッス

2012年02月26日 | ザ・めんげん
おはようございます!

CURAスタイル、新しいHP、まだまだ作業しています。
終わり というものが存在しない世界ですが・・。
今日いっぱいは時間がかかりそうなので、明日のお昼12時にブログにアドレスを掲載いたしますね!
お待たせして、申し訳ありません。

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最近の私の右手です。
すっごく痛いっ!
これでもまだ平気になったほうで、一時期は3本の指(中指、薬指、小指)がすべてあかぎれで
ザックザクに切れておりまして、水に触れるのが痛くて痛くて、食事作るのも手を洗うのもサボっていたくらいです。

この状態のはじまりは、もちろん薬をやめてからで(おととし向精神薬を一気にやめました)
ものすごくかゆくなり、「掻いて出せ」という冷えとりの教え通りに掻きまくって
一度、3本指がくっついてしまうくらいの膿みのような汁が出て、ボンボンに腫れて指がふくれあがり
それ以来私はシルク手袋なしでは生活できなくなりました。
その頃に比べたら、まあ全然いいほうなのですが・・。

夜、半身浴を2時間ほどしてから寝るのですが
最初の1時間は、「かきむしりタイム」でとにかくあっちこっちを掻きます。
指は毎日当たり前のようにかゆいので、シルクのボディタオルを指に巻いて、左手で指をつかんでこする!
そうすると、汁が出てきて痛くなってきます。そうなるまでとにかくこする。
私はかゆいより痛いほうがマシ・・。
(痛みがひどいと気絶するそうですが、かゆくても気絶できない と何かの本で読みました)

とうとうゴム手袋を買ってきて(もともと嫌いです)
シルク手袋の上からかぶせて、水仕事をするようになりました。

今回のリニューアルでたくさんお手紙を書いたのですが
ペンを持つのに小指と薬指を曲げるのが猛烈に痛く、文字がへにゃへにゃになってしまいました。
うっかりしていると血が出てしたたってくるので(泣き笑い)
仕方なくお手紙を書くときも、ずっと手袋をしていました。

この指がおさまったときが、毒出しの区切りなのかな?と思ったりしますが
まあ、そんなに単純なものじゃないんでしょう。
本当に、複雑この上ないですから。何もかも。
コンピューターや、たかが人間の脳で解明できるものなんて
ほんの氷山の一角なんだろうな って毎日思います。
だったらそっちに一生懸命になるよりも(というかもともと向いていません)
ファジーに自然に生きるほうがいいなー と思ってます。



これは、今年になって発見したウールカシミアニットパンツの穴です。
股の部分に穴があいてしまいました。
シルクスパッツ2本もまったく同じ場所に穴があきました。
婦人科系なのかなあ?
自分で作っているものですが、ウールパンツは高価なものなので
とっても大事に履いています。
もう毛玉だらけですが、この穴もふさいでまた履きます。

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この「くらにっき」ブログは、つい最近はじめました。
前のブログはめんげん内容、CURAのお知らせ、広告、思いつきでなんでも書きまくってしまっていましたので
こちらはもう少し、まとまった内容で更新していこうと思っています。
「ヒエトリスタイル!」が写真メインで
「くらにっき」が文字メイン という感じです。

よろしくお願いいたします。


所属しない自由

2012年02月16日 | 思う
こんにちは!

仕事場の窓から、雪がちらついているのが見えます。寒いですね!

私はいま、ひとりで仕事をしています。
とっても寂しくなるとき、たくさんありますが
その自由度ったら。どうしていいかわからないくらいに自由です。
邪魔してくれるもの、しばってくれるものが欲しいくらいです。

この家に越してきてから特に、ずっと
「これから自分はどうしていきたいのか」 を考えてます。
そのためには自分が本当はどういう人なのか、を知る必要があり
いままでの人生で一番自分らしかった時期がいつなのかがわかったら、その糸口がつかめる と本で読んで
私は、高校生のときがいちばん自分らしく生きていたような気がするな と思いました。

高校生のころの私が私らしかった理由のひとつに
「何にも所属していなかった」という重大な理由があることが、つい先日わかりました。
モデルさんと長いことおしゃべりをしていて、そんな話にいきつきました。

「所属していない」というのは
○決まったグループで行動していなかった
○学校に行っていたけど、生活の基盤はアルバイトにあった
○しなければならないこと がほとんどなかった
○部活に入っていなかった

特に、
決まったグループで行動しないというのが大きくて
いちおう、一緒にお弁当を食べるひとがクラスにいたのだけど
帰宅する人は別にいて、それも日替わりで違うような感じだった。
部分部分で一緒にいる人たちのグループもすべてバラバラで、一緒にいたいときにいたい人といるのが許されていた。
親友は?と聞かれたら、みんな親友かもしれないし、親友はいないかもしれない と答えていたような。

これがものすごく大きかった気がします。

ずっと続けていたこともなく(アルバイトはころころ変わっていた)
本当に毎日遊んでました。
ラクだった。
そのころが、一番自分らしかった気がします。


病み始めたころの私は
「○○会社○○ブランドのアパレルデザイナー」という大きな所属があって
「○○さんちの奥さん」という所属にものすごく憧れて というか、その所属を持たなければ という強迫観念があって
「キャリアウーマン」という所属とか
所属というより、レッテル?とにかく自分で貼りまくっていました。
そういう枠の中に自分を置いておくのが当たり前だった。
30代のキャリアウーマンはこういうことをして過ごす、こういうものを食べる なんてわくを
自分で作って、その中からはずれることをとても恥ずかしく思っていたような気がします。

そういうわくの中にいることは、安心感につながります。
「こうするのが普通、こうしていればOK」「これが正解」 など
比較する人やものがたくさんあるので
尺度があらかじめ、決まってきます。


ひとりだと、こうはいかない。
わくも尺度もありません。

どこかの企業につとめたりとか、もう道ができているところに参加すると、そこにすでにいる人たちの歴史がすでにあって
その中でしか通じない話しが多くなって、所属する時間が長ければ長いほど、所属にしばられるようになり
「荷物」ができます。
そこから出てしまうと、まるっきり「ひとり」になり、荷物がなくなります。
背負う荷物がなくなると、何して過ごしたらいいか、どこに向かって歩いていいのかわからなくなってしまいます。

私は仕事をやめたのが病気のためだったので、そういう中にけっこう長いこといました。
「精神病の患者たち」というわくの中に所属していました。
その中で、友達もできました。
でも、そこにいるとどんどん自分が自分から離れていくことがわかってきたので、そこから抜け出すことを決意しました。
それが薬をやめた理由です。


やめたら、「どう治すのか」がテーマになってきて
最初はどっぷり、「冷えとり」に所属しました。
それがものすごく最初は安心だった。
でも結局、冷えとりを指導してくれる方は誰もいなくて
(アカザの鈴木さんや、進藤幸恵さんによく相談しましたが、こうするべき、こうしなさいとは言われませんでした)
そのやり方があっている、まちがっている と言う人がおらず、目指すところがなくなってしまった。
知らず知らずに、「病気を治す」ことよりも、「冷えとりを完璧にマスターする」ことが目標になっていた時期が
けっこう長かったんです。
そのときは、生きるだけでしんどかったので、「冷えとりをマスターする」のを目標にするほうが、簡単だったという理由も大きいです。
そのときは、それでよかったんだと思う。


私は昔から、ものすごくこの「木を見て森を見ず」傾向があって
だから、やれと言われたことを、言った人がまあまあ満足する程度にまではすぐにもっていけるんですが
果たしてそれが何の役にたつのか、自分がしたいことなのかわからなくなったまま終わっていたことがすごく多かった気がします。手段が目的になっていることが多かった。


所属しないことの自由さ、身軽さをとても感じるようになってきて
今の感覚を忘れないでいよう と、最近よく思います。