生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

自分は何処へ旅しているのだろう?:愛:汚れと禊:その3:幸福な日々の為の自問自答集

2014年07月27日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
自分の生育史を回想し、あの部分は汚れているなあ、とか、この部分は美しい、これはどうでもいい、と人は考えて生きています。汚れた人生の記憶を無理に変えると、人の心は歪み、かつ、変質し、素直でなくなります。汚れたものはあえて変に解釈せず、汚れた思い出は、そのままにしておいたほうが精神衛生に良いようです。その代わりに禊の方法を自分に相応しい思想を採用して、それに身を委ねた方は爽やかになるようです。私は万とある禊の思想の中からローマンカトリツクの禊を選んだわけです。それが「十字架の贖罪と復活」の信仰です。このお陰で恐れるものはありません(なんちゃって)。この救いの道を人類は色々の手法を、それぞれの民族、宗教、地域で選択し、現在の文明が成立しているわけです。神話、民話にはこの人類の良心の呵責をどう解決して生き抜いていけばいいのか、その物語が描かれています。愛の世界では特にこの汚れと禊の思想が重要で、出世の為に学生時代の恋人を捨てて財閥の令嬢と結婚したり、病身の家族、とくに両親をすてて放浪の旅にでた一家のささえであった男の話とか、あちこちに沢山散見出来る物語です。他者の物語は実は文学としては面白いのですが、この愛と汚れと禊の物語は本人自身も問題なので、これからの重要課題なのです。現代の世界各地の飛行機事故、さらには色々の種類の紛争、我々日本人の大きな課題である韓国、中国、北朝鮮、ロシアとの平和構築の大問題があります。この平和構築の過程の中で、愛と汚れと禊の問題を考えたり、生活中での複雑な人間関係の中で、愛と汚れと禊の問題も考える必用があります。この愛を汚さない為にも自分の個性のありようを思索する必要もあります。個性の美を大事にする私達「生き甲斐の心理学」が陥りやすい領域は実は「私は私」で良いという言葉なのです。一見、人を元気にしますが、この「私は私」という領域を少し、愛と汚れと禊という視点で自己分析してみます。ああー、めんどくさいと言わずに、これからの幸福の為に、少々考えていきましょう。無料で真面目な学問をするのが私のブログです。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:352>

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「自分の生き甲斐」は「自分で楽しく探究」していきましょう。

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