五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

満足度

2012年02月23日 | 第2章 五感と体感
満たされないものを補うために、満たされたい事を追い求める時、自分は何に満たされたいのか意識しているでしょうか?

だいたい、自分が満たされていないものって一体何なのでしょう。

それは追い求めても追い求めても満たされるものでないもの?

努力すれば満たされることが可能なもの?

他者に満たされていないものを満たしてくれること期待している?

満たされたいことが叶わない、もしくは触れるのが怖く、他のことに逃避し続けている?

それとも、「満たされたい」という思いに固執し過ぎている?

自分はいったい何がどのくらい満たされると満足なのでしょう?

私も、「自分の満足度」を、ちょっぴり考えながら今日を過ごしたいと思います。

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春を待つ

2012年02月22日 | 第2章 五感と体感
東大寺の二月堂でのお水取りは、今年で1261回目です。

ブログでは何度も書いていますが、二月堂から東大寺本殿の裏手に抜ける路は、私の魂の故郷です。
昔々の記憶が体感として蘇り、裸足で草履のようなものを履き、巻子を持って歩いている自分を感じるのです。
その時の気持はワクワク。そのワクワク感は、どうも学ぶことの喜びのようです。

小僧なのか、僧侶なのか、それは解りませんが、体感だけが蘇ります。

うららかな春の兆しの中、練行衆の繋ぐ命は、私の魂にしかと根付いているのがわかるのです。

そして、今日はキリスト教では、灰の水曜日です。昨年祝別したシュロの葉を灰にします。
そして四旬節に入ります。復活祭までの祈りに入るのです。

今年は練行衆が戒壇院に入る時期とほぼ重なるのは、今年の復活祭が4月8日だからかもしれません。

クリスマスを冬至と合わせ、復活祭を春分の満月と合わせていることに、多宗教を含んできたキリスト教の特徴の面白さを感じます。

何が絶対かは解りませんが、確実に春に向かっていることを感じることのほうが普遍的で自然な心の動きかもしれません。

お釈迦様の誕生日と復活祭が同じ日に重なると、仏教とキリスト教の行事がしっくりと重なるのです。
魂を信じる「人の真摯な姿」は理屈なく美しいと思うのです。

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認めてもらいたい感情

2012年02月21日 | 第2章 五感と体感
「自分の成果を認めてもらいたい」と思うとき、自分はどんな行動を取っているのでしょう…

成果としての事実だけを知らせ、相手の評価を静かに待つ?

自分の成果を知らせることで、周りから賞賛を浴びたい?

自分の成果は天下一だと思い、自分以外の人を見下すような言動や行動を取っている?

誰にも知らせることなく、自らの喜びを内に秘め、淡々と過ごす?

「認めてもらう」ということは、私達の人生の大きな課題かもしれません。

好く評価されることは、達成感に繋がります。

私の場合、「こんなこと出来て当たり前だ」と評価され続けてきた私の小学生や中学生の頃を思い出すと、一つ一つ何かを終えるたびにきちんと褒めて欲しかったな…と思います。だから、成果に対しての評価を過大に賞賛されたい人を見ていると、逆に虚しさを感じます。つまり、私はどのくらいやれば賞賛されるか?という自分のスケールが欠けているわけです。

良く捉えるならば、自分に与えられた仕事をマイペースに独りで黙々と出来るのは、大きな達成感を成し得る目標が遠くはるかにあると感じる傾向にあるからかもしれません。

他者から注目され、褒められたい、という気持ちはありますが、褒められたことに対し、嬉しいと思う気持ちはあっても、心底素直に体感できることは永遠に無いだろうし体感しないだろうな。。。と、解釈している自分は、決して暗い性格ではありません^^;

では、私はどのように認められたいか…

天の神様、仏様がお見通しで、自分を見てくれていることは信じているので、その方に「よしよし」と言って頂けることが一番の至福かもしれません。
ちょっと、カッコ良すぎるかな…。

そのために、頭を垂れ手を合わせ、静かに瞑目する時間が私にとってとっても大事な時間なのです。

さてさて、認めてもらいたい感情を、皆様はどう自分でどう表現していらっしゃるでしょう…?

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選ぶこと

2012年02月20日 | 第2章 五感と体感
趣味の能楽の発表会や国立能楽堂の式能があり、週末は能三昧でした。

自分が本当に好きな世界を凝縮してくれているのが能楽だな、としみじみと感じています。

謡いや仕舞いを学びながら、徐々に体得していく面白さも自分の喜びであるし、
能の装束を観る毎に、表装の取り合わせのイメージが広がるのも私の楽しみの一つです。

この年齢になって、ようやく自信を持って自分の好きなことを自分自身で選ぶことができるようになってきたように思います。
10代、20代の頃の自分の選択は、半世紀生きてこれた自分を或る処に安定させるためのものであったような気もするし、そうは言っても、未だにゆらゆらと揺れている中に生きているはずなのですが、アイデンティティの統合の位置がぶれにくくなってきたようにも思います。

何事も、出合いに「遅すぎる」ということは無いと私は解釈しています。
出合った時期が自分にとって最良の時期であるし、自分に相応しいタイミングなのです。

生まれてから今日まで、好きなことを選び続けてきた結果、今の自分が在ることも確かなことでしょうが、否応なく選択せざる得なかったことをどのように解釈していくかも「選ぶ」ということの一つであるようです。

つまり、どんな解釈を自分が選ぶか、ということです。

囚われた解釈に固執することで、自分を苦しめる選択も、選択の一つであろうし、固執されたくなくて解放を信じながら何かを選択していくことも選択の一つです。

自分は何を選ぶのか。

これからも、明るい方向に向いていく何かを信じて選択していきたいものです。

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囚われた考え方

2012年02月17日 | 第2章 五感と体感
ある考え方に固執していることで、自分の可能性を信じることを削いでいるかもしれません。

自分の考え方は、地球の人口が70億人としたら、その70億分の1に過ぎないことを時々思い出してみると、自分の考え方に固執するあまり、周囲の人たちの思考と行動をも制限していることに気付くことがあります。

最悪のシュミレーションをイメージすることも大事ですが、最高のシュミレーションも同じくらい大事にしたいものです。

自分の中にある囚われから解放されると、自分の周辺の人物像、事象に対しても、違った解釈で見えてきます。

それは、相手が変わったのではなく、自分自身の概念が変化したからなのです。

もちろん、自分の囚われから解放されると、当然、それを察知した人々も自分の見方を変えます。見方が変わったことで友好的な感情も生まれてきます。

囚われた考え方の中にいると、自分の可能性が失われ、狭い狭い中に自分を閉じ込めていきます。囚われは自分の可能性を削ぐことと同じように思います。

発展的な囚われ、壊滅的な囚われをイメージしつ、
自分の考え方をもう一度、再確認してみるには、どうすれば良いのかを本日の勉強会で語り合っていきたいと考えています。
(テキスト:ストレス曲線)

今日は東急セミナーBE雪谷教室の勉強会です。詳細ははブログ左のリンク先から入ってください。

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感情は生き抜く力

2012年02月15日 | 第2章 五感と体感
「私には怖いものが無い。」
と、言われると、「きっと大きなストレスを克服し生き延びてきた人だからこそ、こんなことを言えるのね」と、小心者の私は解釈します。

でも、「ほんとうに怖いものが無い」と真顔で言われたら、不気味さを感じます。

人には感情があります。

その感情はいつも一定のものではありません。一定のものでないために、人は色々と苦しみます。

「不安が人の本質である」ことは、何度も書いてきたことですが、もし、「平安感が人の本質」であったら人間はとうに滅びているかもしれません。

恐れること、畏れることを知らなければ自分の命を守ることができないからです。

恐れは自分の命を脅かす危険信号的な感情です。

そして恐れることを感じるということは、その逆の安心な概念を知っているからこその感情だと思っています。

安心感を知らなければ、恐れも感じず、感情が湧いてこないはずです。

つまり、振り子のような自分の感情が、大きく揺れたり、揺さぶられたり、程よく揺れていることは自分の心身の健康を保つために必要な状態のようです。

振り子が「恐れ」ばかりに傾いていると、苦しくなります。
でも、「平安」ばかりに傾いていても、生きる術を見失います。

塩梅良い自分の振り子の振り幅は、自分自身のストレスのスケールとなります。

「どのくらいの恐れ」が自分のストレスの限界か、意識しておくと、自分自身をちょっとは冷静に見ることができるかもしれません。
ストレスのスケールを意識しておくと、ストレスの回避を考えるようになります。
「睡眠を取ろう」とか「美味しいものを沢山いただき、栄養を取ろう」とか「嫌な人の所には敢えて行かない」とか…

心の内を知っているのは自分自身…。自分の感情の振り子を大切にして暮らしたいものです。

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生き甲斐の心理学を学ぶ

2012年02月14日 | 第2章 五感と体感
「たまプラーザ東急セミナーBE」の勉強会が4月から始まります。案内は私のブログ左側の東急セミナーBEのホームページからお入りください。「雪谷東急セミナーBE」の勉強会は引き続き行います。

そのようなわけで、本日は「NPO法人CULLカリタスカウンセリング学会」の教育活動で行う勉強会について書かせていただきます。

自分が生まれた時代背景、両親、風土は、自分自身を育むために無くてはならないものです。それがどんなものであっても自分はそれらの環境の中で生きていかなくてはならないのです。

私達の学びは、病気を治すためのものではありません。治療はお医者さんのお仕事です。

自分の生き甲斐とは何だろう?
自分は何のために生きているのだろう?
、というようなテーマを中心に、自分を見据えることをカウンセリングの基礎的知識を学びながら自問自答していく時間を勉強会で共有していきます。

親子やパートナーの問題の悩み、
学校や職場での人間関係、
自分の将来、
震災の不安、
仕事の不安、
生き甲斐が無く得も知れなく湧き上がる不安感、等…

一旦、自分に留まり、誰のことでもなく自分を中心に据えて、自分自身の「考え方」「湧き出す感情」「起こしている行動」について無理せずに、今この時に思い浮かんだことを自分自身意識することを続けていくと、自分の内にある答えというべきものが見えてくるようです。

そのようなことを1人で自問自答出来る人もいらっしゃるかもしれませんが、なかなか1人きりでより良い方向へ、つまり発展的に自問自答することは難しいかもしれません。

出せそうで出せない自分の答えを「生き甲斐の心理学の勉強会」で心理学の理論を理解し、知識を身につけながらゆったりと学んでいくことを目的としています。

カールロジャーズの理論を中心に、フロイト、エリクソン、ユングの理論を解りやすく説明しながら、自分の事例に結び付けていきます。心理療法家の植村高雄先生の比較宗教学、宗教心理学、比較文化論を取り混ぜ、文化や歴史、文学、風土記、音楽、絵画等、私達に興味が湧く文化を語り合いながら自己の器を豊かにしていきます。

器が豊かになってくると自ずから答えが導き出されていきます。

自分自身に興味のある事柄を大事にしながら、自分の生き甲斐を意識化していくことがこの勉強会の大きな目的です。
カウンセリングの理論を知ることで、自己のストレスを良い方向に向かわせていくことも大事な目的です。

楽しく、和やかに、朗らかに学び合っていく世話人を私がさせていただき、互いの個性を大切にし合い勉強会の時間を作っていくことができるよう努力しております。

ご興味のある方は、私のブログや、この学びの主宰者の植村先生のブログ「生き甲斐の心理学」をお読みいただけると幸いです。

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清盛の青春とプログレ

2012年02月13日 | 第2章 五感と体感
大河ドラマの「清盛」は、私の日曜日の楽しいイベントです。

源氏にしても平氏にしても水軍を抜きにしては語れないようです。

いつの世も混沌とし、生きるか死ぬかの瀬戸際を潜り抜けて今の私が存在していることは確かな真実の証だと歴史や古典を読む毎に思います。

俳優松山ケンイチさんの演じる清盛は清々しく正直です。私は平家物語に描かれる清盛からも同じような印象を受けているだけに、好感を持ってドラマを拝見しています。
保元の乱に向けてこれから色々な清盛のエピソードが盛り込まれていくことでしょう。そして夢を実現させようとする清盛の思考や行動がますます面白く描かれていくことを期待しています。

平氏、源氏だけでなく、藤原家の策略、そして白河天皇から鳥羽、崇徳、近衛、後白河天皇のそれぞれの思惑と生き延びる知恵や個性を推察していくと、感情の湧き出し方や解釈、思考に人の普遍性を見ることができ、そこに面白さを感じるのです。

清盛の青春は、混沌とした悩みが核となり、自分との戦いの中で自己を強めていくだけでなく、彼の個性に魅力を感じる人が多く出現していきます。素直で正直でチャーミングな人に魅力を感じることは、いつの世も同じかもしれません。

昨日の清盛は、平家の今後を予感させ頼もしさを感じました。

ドラマのテーマ曲もプログレッシブロックをこよなく愛した私の青春を思い返してくれます。清盛と重なる自分の10代を置き換えながら見ているのもこの音楽のお陰でもあるかも…。

今回の大河ドラマは、期待できそう??です。


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鐘の音

2012年02月12日 | 第2章 五感と体感
毎朝6時少し前に、どこかのお寺の鐘が鳴ります。

風向きによって音の感じが違います。
鐘の音がよく聴こえてくる日は目覚まし時計になりますが、聴こえにくい日もあるので、あてにはなりません(笑)

今朝は鮮明に聴こえ、しかもビブラートを利かしたかのように空気が音を含み幾重にも響いてきました。

凛とした空気に水分が含まれると、それが春の到来の兆しのようにも解釈できます。

15年も住んでいるのに、未だ、どこのお寺の鐘か確かめたことがありません。
風に乗って聴こえてくる鐘は音は、どこから届くのかわからない朝の贈り物です。

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自分自身に留まる

2012年02月11日 | 第2章 五感と体感
不安感が増してくると、自分のすべてが不安になってきます。

自分のことだけでなく、子供のこと、パートナーの事、親の事、それだけでは済まず、職場や学校、世間、社会、日本、地球、宇宙のことまでが我が事のように不安になってしまうことは、私自身を振り返っても随分経験しています。

自分の不安感だけで留まることができるか否か、意識する時間を持つことができるでしょうか?

私自身の心を体感できるでしょうか?

子供のことも忘れ、パートナーの事も忘れ、自分のことだけを考えることができるでしょうか?

不穏で形の定まらない不安が増長しているのであれば、まず、「私の不安感は何?」と自分自身に問いかけてみると良いようです。
「自分と他者をきちんと分けることができているか…。」(目の中に入れても痛くない我が子であっても他者です)
自分自身に留まる、ということは、「私は私であって、私以外の何者でもない」ということです。

自分の周囲を不安の対象にすることで、自分自身の不安感を置き去りにしていると、フォーカシング(昨日のブログ)がしにくく、不安な事を数えることが難しいかもしれません。

不安なことを一つだけ選ぶことができたら、それだけで何かがすっきりするかもしれないのです。そのようなわけで「自分の不安をひとつだけ選ぶ」作業はとても大切なことなのです。

不安の原因だと思っていたことが、意外にも違うところにあることは、私もしばしば経験しています。

人の心は不思議です。
もしかしたら宇宙よりも広いかもしれないし、1ミリの隙もないくらい狭いかもしれないし、とどのつまり、そのスケールを決めるのは自分自身かもしれません。

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不安感と向き合う

2012年02月10日 | 第2章 五感と体感
2011年3月11日から11カ月が経ちます。

私自身も、自ら湧きあがる不安感と向き合ってきました。

自分の不安感は、他の誰かに自分の不安感を拭ってもらおうと思っても、それは叶うものではありません。
自分の内には必ずそれを解決する答えがあるはずなのですが、不安で悩むことが多いと、それが見えづらくなっていることもあるようです。

1☆自分の悩みや不安なことは、いくつあるのでしょう?

2☆数えることができたら、その中の一つだけを選んでください。

3☆そして、その一つ選んだ悩みや不安の「感情」はどんなものなのでしょう?

4☆一つ選んだ悩みや不安の最高のシュミレーションはどんなものでしょう?

5☆または、一つ選んだ悩みや不安の最悪のシュミレーションはどんなものでしょう?

6☆上記で思い浮かべたことについて、どのように自分が統合していくか…。折り合いをつけていくのでしょう…


上記をじっくりと自問自答してみることも、心の余裕が無いとできないかもしれませんが、ちょっと一休みしてこれらのことを自問自答してみると、もやもやして形の無い不安の塊に、何らかの変化があるかもしれません。

不安なことを一つ選んでみるだけでも良いようです。

自分を諌めないでじっくりと自問自答のできる時間を持ってみてください。

(フォーカシングの技法)

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嵐の江の島で考えた

2012年02月08日 | 第2章 五感と体感
昨日は、2012年腰越勉強会の第一回目でした。腰越では、鎌倉や藤沢周辺の方々を対象にこじんまりと始め、今年で7年目となりました。

落ち着いた雰囲気と贅沢な空間と穏やかな交流は、平素の生活のちょっとした深呼吸になるかもしれません。
世話人のお人柄に惚れている方も多いかもしれません。

ともかく、昨日ものんびりとした午後のひと時を「自分が何か欠けているとしたら、もしくは自分に反省があるとしたら、それをどのようにしていきたいか」ということを副題に、「自分は何のために生きているのか」というテーマをじっくりと語り合いました。

心理療法の勉強会ではありますが、現生人類の普遍的なテーマを思索する時間に留まることは、学びの基本だと思います。

自分の解釈が鋼(ハガネ)のようであれば、これほど辛いものはありません。
かといって、哲学的な問いを考えたことのない人生も、損な気がします。

湧き出した感情や体験したことで悩み苦しみ、そこから解決策を見い出し、解釈を変えながら生き延びてゆくことは、人が螺旋状に昇っていくために与えられた本質そのものかもしれないと思います。

「私は、何のために生きているのか」という問いを何年も、意識し思索しているにも関わらず、私自身、確定的な答えはありません。
でも、いずれ死んでいく私を思い浮かべ、「ああ、こんな人生だったのね。。。と、自分の人生をありのまま受容できるくらいになるための修業」が私の生きる意味なのかな、と云う思いが私の頭にいつも思い浮かぶので、きっと私の答えはおぼろげながらもそうなのかな、と解釈しています。

「生き甲斐の積み重ねが、自分が生きることの意味を感じさせてくれる」というのも、私が自分に感じる真実(リアリティ)なのです。

津波で破壊された山元町の土地に立ち、ますますその思いが強くなったかもしれません。

物は儚いものでも、魂の触れ合いは永遠の喜びに繋がることも私の感じている私の真実です。

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白石での講演会

2012年02月06日 | 第2章 五感と体感
1月29日日曜日に、宮城県のカトリック白石教会を訪問しました。
心理療法家の植村先生の講演会のサポーターとして、です。

宮城県県南4教会合同の講演会:「白石・大河原・角田・亘理」
テーマは「傾聴」

寒波の朝、遠いところからいらしてくださった方も多く、講演を興味深く聞いてくださったことに深く感謝しています。
テキストをお渡ししてありますが、このテキストを読みこなしていくことはなかなか難しいかもしれません。
でも、「人の身体は神の神殿であり、悩みの答えは必ず自分の内にある」という言葉は、留めていただいたと思っています。

他者の話を聴くとき、聴き役には他者の答えは持っていません。他人の思考と感情は自分には解らないものです。自分の持っている考え方や解釈を悩んでいる他者に伝えることは傾聴とは違います。
互いの信頼関係があればこそ、他者は心に浮かんでいることを、つまり真実をそのまま受け容れることができるようになるようです。「自分は今、疲れてる」とか「自分は、今、このことが口に出せないの」とか、遠い未来の解決策を見い出すことではありません。今、この時の感情を自分自身が意識化することが傾聴の目的なのだと思います。
傾聴は、よそ者であれば良い場合もあるでしょうが、やはり、地元の風土を知り尽くしている者同士が理想的です。身近な人に話すことを憚る気持が、ますますストレスを生んでいくことが実際多いようにも感じました。
食事をしながら、何気ない会話の中から、「傾聴」ということを意識させないで傾聴していくことが、今とても必要で大事なことかもしれません。

「傾聴している。傾聴されている。」という互いのスタンスを忘れるくらいが良いかもしれません。


「生き甲斐の心理学教育普及」の活動をしている私達にとって、時期的にもとてもありがたいオファーだったと感じています。

被災された方々の中で、まだまだ疲れを感じるまでにいかない方が多くいらっしゃるように思います。
話すことが大事だと言っても、言葉に出そうとすると感情が先立ち、言葉が悲しみで呑み込まれてしまうのは、当然のことだと思います。
生きること、前に進むこと、そして通常では考えられないくらいの人との関わりの中で、苦しみや悲しみを抑制しながら生活していらっしゃる事を胸が痛くなるほど感じ取らせていただきました。

仙台教区の小野寺神父様が、健康そうな笑顔を見せてくださり、明るい言葉で私達に語ってくださいましたが、現況を語り出したらキリが無いことを承知なゆえ、気持を切り替えていらっしゃることも、よくよく感じ取りました。
行動派の頼りがいのある方だとお見受けいたしました。

カトリック白石教会の委員長さんが、きめ細かくお世話をしてくださり、その温かさにホッとし、ついつい甘えて白石うーめんまで御馳走になり、感謝しています。
苗木を植えて60年の桜の木。地震で痛んだ教会を補修し、歴史の深みが美しい教会の建物。白石で生まれ育った委員長さんの語りが、今回の旅の癒しに繋がっていることは確かのようです。

仙台から駆けつけてくださったNPOのお仲間Aさん、巨大津波の被害に遭われた「ささえ愛山元」の皆様、この訪問を実現に至らせてくださった「ささえ愛」のBさん、ありがとうございました。

私達の活動をどのように生かしていくか、まだ思案中ですが、テキストを携えて山元町を訪れる機会を持ちたいと思っています。地元の方々を支えていこうと活動していらっしゃるプロの方々との繋がりを大切にしていきたいです。

一週間にわたり、山元町のこと、白石のことを書きましたが、まだまだ書き足りないことがありそうなので、それはボチボチ書いていこうと思います。この一週間、多くの方が読んでくださったことに感謝しています。今後ともよろしくお願いいたします。

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受験生のみなさま

2012年02月05日 | 第2章 五感と体感


これから関わるであろう生徒さんの中学受験が終わりました。
御縁を楽しみにしています、、、とは、中高生と関わる私としては、あまり大きな声で云えないかもしれませんが、御縁のあった生徒さんたちとの関わりは私の宝物となっているので、私自身は「楽しみ」と表現しても良いかな、と思っています。

そして、今現在、関わっている高校生の皆さんは、大学受験の真っただ中です。
もしかしたら、祝杯を挙げている人も居るかもしれません。
大学受験は、気力と体力が勝負のようです。身体に配慮しながら受験期間を乗り切ってほしいです。

まだまだ始まったばかり…。心配してるし、応援してるし、祈っています。

私のところに気楽に訪ねてきてくださいね。
日当たりのよいポカポカのお部屋でお待ちしています。

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宮城 山元町 八重垣神社

2012年02月04日 | 第2章 五感と体感
山元町No.5

山元町には、お天王さまと親しまれている八重垣神社があります。明治初期までは「牛頭天王社」と称されていたそうです。

西暦804年に創建され、500年ほど前から6月15日に例祭が続けられてきました。

6月14日の宵祭りは、仙南三大祭りと云われ多くの人に愛されてきたようです。
15日の本祭りには神楽が舞われ、神輿渡御、つまり浜降り神事も行われ、威勢良く御輿を担ぎ海に入る姿は勇壮だったそうです。

5分も歩けば遠浅の海岸があり、この神社の御祀神はスサノオノミコト、海を司る神様です。

こんな時こそ、神様に手を合わせることは必要だということで、現在は支援によって小さなお社が建立されています。

心を糺し、礼拝する心は、それを口にするしないに関わらず人の内に備わっているようです。
生きる事とは、そういうことなのかもしれないと思うのです。

今回の訪問では、神事のこと、民話のことを詳しくお聞きするまでは至りませんでしたが、次の機会には是非学ばせて頂きたいと思っています。
そして、まっ直ぐな海岸線から昇る太陽を拝み、山に沈む太陽を拝みたいものです。

本日は、立春です。
始まる季節に思いを託して…。

参考文献:やまもと民話の会「巨大津波」

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