漢方・食育・食養生

漢方医学の魅力に取りつかれた小児科医です.学会やネットで得た情報や、最近読んだ本の感想を書き留めました(本棚3)。

(医学雑誌拾い読み)「傷寒論について」(山田光胤先生)

2017年07月31日 07時54分45秒 | 漢方
日本小児東洋医学会雑誌、特別寄稿

日本漢方界の重鎮、山田光胤(こういん)先生の小文から抜粋。
 以前、複数の漢方界の重鎮の腹診ビデオを見たとき、山田先生の方法が一番わかりやすかったという記憶があります。
 この小文を読んで、六病期の少陽病と陽明病の順序の混乱の原因を初めて知りました。

※ 実は山田先生、山田法胤という名の宮司さんでもあります。

□ 「太陽病⇒少陽病⇒陽明病」と「太陽病⇒陽明病⇒少陽病」のどちらが正しいか?
 『傷寒論』は三陰三陽の六病分類を骨子とする。
 この六病の病名と同じ病症名が『黄帝内経』素問の熱論にあり、太陽病、陽明病、少陽病、太陰病、少陰病、厥陰病(記載順)とされるが、実際に熱性急性症(傷寒)の推移を観察すると、原則的に太陽病⇒少陽病⇒陽明病の順に推移するので、わが国の漢方では後者を採用している。

□ 中医学は陰陽五行論に基づく。
 中国では漢民族の医学理論である陰陽五行説で『傷寒論』の骨格である陰陽・虚実・寒熱の組み合わせを論理的に作り上げ、その解釈を『黄帝内経』に求めた。

□ 日本漢方小史
 日本の医学は3〜4世紀頃から朝鮮半島の医術が伝来し、7世紀初頭からは中国医学を招来した。以来、16世紀頃まではもっぱら中国医学を模倣していた。
 日本の医学が独自の方向を目指したのは、田代三喜が明に学んで帰国後、弟子の曲直瀬道三が単に朱子学派の導入ではなく、張仲景の薬方も加え、日本の実情に適合させた。これが後世派であるが、末には金元医学の理論に拘泥し弊害を生じた。
 17世紀に入り、張仲景の医学に帰れとの古学提唱(古学派)がされ、吉益東洞は古方派の方向性と、日本漢方に大きな影響を与えた。現在の日本漢方はこの古方派と後世派を合わせた流れとなっている。

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