世界のどこかで起きていること。

日本人の日常生活からは想像できない世界を垣間見たときに記しています(本棚11)。

「岐路に立つ中国の漁村」

2017-07-06 17:08:44 | 日記
「岐路に立つ中国の漁村〜乱獲の果てに」
NHKドキュメンタリーWAVE 2016.3.17放送

日本の漁場荒らしや赤サンゴの略奪、領海内侵入・・・
中国人ってなんて非常識・横暴なんだろう・・・日本人はみんなこう思っています。
中国側から見た事情も知っておくべきかと思い、録画したTV番組を見てみました。


豊かな漁場であった東シナ海では魚が捕れなくなってしまった。
これは近隣諸国による乱獲の結果である。

1990年代までは日本と韓国が漁をしていた東シナ海に中国が参入した。
今や世界の漁獲量の1/3が中国人の胃袋に収まっている。
その需要を満たすために、中国漁船が魚を取り尽くす。
目の細かい底引き網を使って、稚魚さえも一網打尽。

稚魚を捕ってしまうと、大きな魚がいなくなる。
大きな魚が捕れないと、もうけがなくなる。
こうして自分の首を絞める結果となり、漁に出るたびに赤字になり、漁業から離れざるを得ない漁村の悲哀。

そして現在、中国人の食べる魚の7割が養殖魚だ。
海で捕れた稚魚は、養殖魚のエサになる。

出口の見えない、長いトンネルの中にいる中国の漁村のお話。



内容紹介
去年、三陸沖の公海上に出現した中国漁船がサンマを捕獲し、
その影響で日本でサンマが捕れなくなっている、という報道が大きく出た。
なぜ、中国漁船は、こんなに遠くまで出て来るのか。
その真相を探るべく中国で最も漁業が盛んな地域のひとつ、浙江省のある漁村にカメラが入る。
浙江省の漁師たちが主な漁場としているのが、東シナ海。
「魚のゆりかご」とまで言われる豊かな海が、今、危機的な状況に陥っている。
豊かだったゆえに、この海には乱獲の歴史が繰り返されてきた。
かつて60~70年代は、日本と韓国がそこで乱獲をした。
その後、その状況をさらに悪化させたのは、中国の漁船。
経済発展と共に庶民への魚食が広がり始め、中国は東シナ海の魚を求め大挙して押し寄せたのだ。
そのため、今ではほとんど大きな魚は捕れず、小魚ばかりが目立つ。
そんな状況の中、少しでも漁獲を上げようとものすごく小さい網目の漁網を使い、小魚まで根こそぎ捕っている。幼魚の魚も多く、将来の資源枯渇に拍車をかけている。
そんな中、生活が成り立たなくなった漁師が続出。
廃業に追い込まれたり、漁業を諦めようとする人々が多くでているのだ。
廃墟になった漁村もちらほらでており、漁村の存続さえ危ぶまれる事態に追い込まれている。
どうやったら漁村の崩壊を食い止められるのか。
村や漁師の現状を追いかけながら、
今、岐路に立たされている中国漁業の実態をドキュメントしていく。


撮影後記
「岐路に立つ中国の漁村」撮影後記
(2016/3/17 staffblog)
 私は中国沿海部の小さな村で15歳まで過ごしました。子供のときによく海で泳いでいたことは今でも鮮明に覚えています。今でも帰郷するたびに私はいつも海を見にいきます。故郷を離れて遠い日本で友達もあまりいない孤独な私にとって、海は心を癒してくれる友達でした。
 しかし、いつからだろうか、はっきり説明できませんが、あるときから、海はどんどん遠い存在だと感じるようになりました。近海の深刻な汚染問題で子供たちが海を離れるようになり、海で泳ぐ風景は二度と見ることができません。近場で魚を採れないから、漁師たちがどんどん遠くへ行き、木製船を操縦して沿岸で魚を取っている様子はもう夢の中で見ることしかできません。
 海はこんなに遠い!と私は感じました。目の前に広がる海は時代の波と共に変化してしまいました。これで私は故郷の海に起きた変化を見つめるドキュメンタリーを作りたかったです。
 今回私は漁師の仕事をそばで見るチャンスを得ました。
 中国は人口が多い。漁獲量は世界一ですが、中国人が漁場とする海の資源は世界一ではありません。少しでも多く獲ろうとする漁師と限られている資源の間では、調和することが難しくなっています。漁をやめればいいだろうと簡単にいう方もいると思いますが、先祖代々から漁師としてやってきた人にとって、岸での仕事は簡単ではありません。「魚が減っていることは分かっていますが、生きるために仕方がありません」という漁師の言葉。私はその葛藤を描きたかったです。
 決して乱獲は中国人漁師だけではなりません。番組の中で取り上げた東シナ海でも、かつて60年~70年代は日本と韓国がそこで乱獲しました。1980年代から改革開放で漁船の私有化が認められた中国漁師たちが日本の中古船を買って、東シナ海に進出したといわれています。
 時代の流れで漁師は遠い海へ出て行きます。しかし、魚がとれなくなり、今は転職をせざるを得ない状況に追い詰められています。政府は漁師の転職を支援するため、漁村を観光地にして収入を得ようとするプロジェクトも行われています。番組の主人公である若い漁師は、またその改革の波にのって、人生をかけようとしています。大好きな海を離れて、旅館で客を待ち続ける。そんな皮肉な風景を見た私は笑えませんでした。
 多くの時は、人間が波に乗るしかありません。しかし、時には、人間は波と戦います。人間は無力でありながら、どんな時でも必死に生きていくしかありません。
 私が作りたいのは責任を追及する番組ではありません。生き方をもう一度考えてみようという自ら人間に問いかける映像です。

文:何祖杰(ディレクター)
ジャンル:
ウェブログ
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