知らない世界へ帰りたいー日本を見つめてー

100年前、1000年前の祖先はどんなことを考えていたのか・・・日本人の来し方、行く末を書物から読み解きたいと思います。

神社を売却?

2012-04-20 06:23:54 | 神社・神道
神社が自己破産し売却するというニュースを目にしました。
なんでも、宮司が過大な設備投資を行った結果、収支が赤字になり立ちゆかなくなった・・・まるで一般企業です。
「祈り」の聖域が神職により穢されるとは、祖先に顔向けができません。

弘前東照宮 国重文本殿売却へ 負債2億円破産手続き開始
(2012年04月20日:河北日報)

 国の重要文化財「東照宮本殿」(青森県弘前市笹森町)を所有する宗教法人「東照宮」(同市)が、青森地裁弘前支部から破産手続きの開始決定を受けたことが19日、明らかになった。工藤均代表役員によると、負債総額は2億円以上。本殿は競売などで売却される見通しだ。
 神社本庁(東京)によると、神社の破産は2003年の伊勢山皇大神宮(横浜市)に続き、全国で2例目。
 青森県神社庁によると、同宗教法人は「弘前東照宮」=?=を運営。1990年代に先々代の宮司が結婚式場建設などに過大投資をし、経営危機に陥った。2008年に競売にかけられ、本殿を除く拝殿や社務所と境内地は東京の不動産会社に売却。その後も債務の返済は滞り、先月30日、破産手続きの開始に踏み切った。
 県神社庁参事でもある工藤代表役員は「再建に向けて努力してきたが、資金面で行き詰まり万策尽きた」と話した。
 破産管財人の三上和秀弁護士は「文化価値の高い本殿を一般の方に売却した場合、管理に問題が生じる可能性がある」と話し、自治体など公的機関に売却を働き掛ける考えを示した。

[弘前東照宮]1617年、徳川家康の養女を妻に持つ弘前藩2代藩主津軽信枚(のぶひら)が、徳川家との縁を強化しようと弘前城内に創建。24年、現在の弘前市笹森町に移った。本殿は1628年建立。1953年、国の重要文化財に指定された。



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キーワードは「だし」と「縁」

2012-02-26 08:58:30 | 日本人論
「 だし」
 日本の食生活の肝(きも)である「だし」。
 古来、日本人の健康を支えてきた調味料です。

 ある動物実験で、ネズミが好む味覚を調査したところ、「砂糖」と「油脂」が一番だったという報告を読んだことがあります。両方とも、カロリーが高く、人ではメタボの原因になる栄養分。
 しかし、この二つに勝るとも劣らない成績を収めたものがありました。
 それが「だし」です。
 昨今、食育がブームになりつつありますが、子どもの食生活も「だし」を中心に組み立てればよい、と先祖が教えてくれているのですね。

 その昔、海水から作られた塩は、不純物としてNaCl以外にもいろいろなミネラル分を含んでいたので、多少多めに摂取しても高血圧にはなりにくかったとされています。精製した食塩が普及してから、高血圧患者が増えたらしい。

 その昔、サトウキビから作られた砂糖は、こちらも不純物が混じっており、高血糖になりにくかったとされています。精製した砂糖が・・・(以下同文)。

 日本人は便利さと引き替えに、健康を損なってきたのですね。

「縁」
 今日もTVニュースで「孤立死」「孤独死」の報道をしていました。
 アパートに住んでいても隣の人が何をしているか、わからない現代日本社会。

 幕末に日本を旅したイザベラ・バードという人を知っていますか?
 イギリスの貴婦人で主に東北地方を歩き、旅行記も残しています;

・「イザベラ・バードの日本紀行
・「日本奥地紀行

 2012年のお正月にNHK-BSで次の番組を放映しました;
ハイビジョン特集 にっぽん 微笑みの国の物語 「時代を江戸に巻き戻せば」

 イザベラ・バードの足跡をたどる内容でした。
 当初、貧相で貧しい身なりの日本人をみて、どちらかというと見下した上から目線の記述が多かったのですが、日本の田舎を自分の足で歩き農民達に接する過程で認識が徐々に変わり「皆貧しいながらも笑顔が絶えず、自然に感謝する生活を送っている。ここは東洋の桃源郷(アルカディア)だ。」とまで書くに至りました。
 その笑顔の根源は、「コミュニティ」(地域社会)、つまり「縁」と結論づけています。

 「だし」と「縁」、日本人が失ってはいけないもの。

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「梅棹忠夫の理性と英知」

2012-02-06 07:22:21 | 原発
 早くから文明の二面性に気づき、警告してきた民族学者・比較文明学者。
 SF作家の小松左京さん達と共に「日本未来学会」を設立した京都学派の一人。
 彼は文明が発展するほど、人類が滅亡に近づくことに苦悩していました。しかし、絶望で終わってはいません。遺稿となった未完の「人類の未来」の最後の章には「光明」という言葉が記されていたのです。
 果たしてその意味とは?

【ETV特集】暗黒のかなたの光明〜文明学者 梅棹忠夫がみた未来〜
 大阪に国立民族学博物館を創設、日本の民族学研究の礎を築き、比較文明学者として数々の業績をなした梅棹忠夫(うめさお ただお)が、昨年7月、90歳で亡くなった。梅棹は、大阪と生地京都を根拠地とし、世界中で学術探検を重ね、その知見をもとに戦後の日本社会に大きな影響を与えつづけた「知の巨人」だった。
「暗黒のかなたの光明」
 2010年に亡くなった比較文明学者で「知の巨人」といわれた梅棹忠夫の未刊で、幻の書ともいわれる「人類の未来」の資料が発見された。そこには半世紀前に、地球規模のエコロジーの視点から人類の暗い未来を見据え「暗黒のかなたの光明」を求める梅棹の姿があった。大震災で文明世界の価値観がゆらいでいる今、梅棹と交流があった作家・博物学者の荒俣宏が、宗教学者・山折哲雄やほかの識者と共に、現代への問いかけを考える。


・・・続きは後ほど・・・
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「新日本風土記〜富士山〜」by NHK-BS

2012-02-06 06:12:18 | 民俗学
 NHK-BSの「新日本風土記」で富士山が扱われました。
 以前、録画していたものを遅ればせながら視聴しました。

〜番組紹介文〜
富士山>(放送日:2011年7月1日)
 日本一の山、富士山。なぜ、私たちは、これほど富士山に心ひかれるのか。その謎を解き明かす、富士山の決定版映像大全集である。
 富士山は、四季折々、変幻自在に妖艶な姿を見せる。紅富士やパール富士に雲海富士…。太陽や月に照らされ、風と雲が生み出す一瞬の表情をカメラが記録。“千円札の富士”をはじめ、生涯で38万点もの富士写真を遺した男の執念の物語。江戸時代、爆発的なブームとなった庶民の信仰・富士講の謎。葛飾北斎や歌川広重が競い合い、描き出した富士の真髄。全国に作られたミニチュア版富士山“富士塚”がつなぐ、故郷の絆。
 その昔から富士を愛してきた日本人を、美しい映像と共にたどる旅。富士山の山開き当日に、お届けする。


 富士山は云うまでもなく標高3776mの日本一の山であり、その美しい姿が古来日本人を魅了してきました。
 そこに生まれた文化や信仰を紹介する内容でした。

 江戸時代の浮世絵師もこぞって富士山を題材にした作品を残しています。
 一番有名なのは葛飾北斎の「富嶽三十六景」。ややデフォルメされた富士山がインパクトを残します。中でも「赤富士」は秀逸で、あれは北斎の創造ではなく、実際に夏にまれにみられる一瞬の美だそうです(YouTubeで見つけた赤富士)。
 「東海道五十三次」で有名な安藤広重(歌川広重)も富士山シリーズ「不二三十六景」を残しています。こちらは写実的でややおとなしい富士。

 参拝という名の旅行が流行した江戸時代、富士山に参拝する「富士講」が全国に広がりました。
 村単位でお金を積み立て、代表者が富士登山に向かうのです。
 行けなかった人たちは、近くの富士塚(富士山を模した築山)に参拝。
 私の住んでいる土地の近くには「富士嶽神社」という社があります。文字通り、富士山を祀った神社で、昔からの富士講の記録が拝殿に飾られています。信仰が厚かったのですね。

 「ふるさと富士」という現象もあります。
 日本各地の姿が美しい山を、その土地の名前を入れて「○○○富士」と呼びお国自慢したのです。
 その一つとして津軽富士(青森県の岩木山)が紹介されました。私は学生時代を青森県弘前市で過ごしたので、毎日目にしていたふるさと富士ですね。
 現在の住まいの近隣に100mにも満たない「西場富士」という里山があります。やはり姿が美しい。

 富士山を生涯の撮影対象とした岡田紅陽という写真家も紹介されました。
 1000円札の裏にある富士山の元になった作品を残した方です。


(写真をクリックすると拡大します)




 美しい写真の数々・・・写真集を手に入れたくなりました。
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「日本人は何を考えてきたのか〜南方熊楠」 by NHK

2012-01-26 12:31:46 | 神社・神道
 先日放送された内容は「第3回:森と水と共に生きる〜田中正造と南方熊楠〜」でした。
 田中正造編も興味深く視聴しましたが、私の心をつかんだのは南方熊楠(みなかた くまぐす)の方です。

 明治時代に生きた熊楠は、人間と森の関係を深く思索した「知の巨人」。昨今の里山ブームとは一線を画す、総合的な視点からその重要性を説いていました。
 1906年(明治39年)、明治政府は「神社合祀令」を発令します。
 その内容は、一つの村には一つの神社のみを残し、他は統廃合するというもの。明治政府の目的は、統廃合するとともに伊勢神宮を中心とする国家神道に収束させ、戦争に都合のよい世論を作る体制を形成することでした。
 このときに消滅した神社の数は、日本全国で約5万社。鎮守の森は伐採され、悲しいかな、それを木材として売ってもうける輩も少なからずいたようです。

 なんということでしょう!
 祈りの空間を喪失し、多数の民が心のよりどころをなくしたことは想像に難くありません。

 熊楠は反対運動を起こします。勢い余って役人の講演会に乗り込んで激昂し、投獄されたこともありました。囚われの身にあるとき「石神問答」という書物が熊楠の元に届けられました。民俗学者である柳田国男が自分の著書を送ったのです。熊楠はその内容に共感し、二人の親交が始まるのでした。後年柳田は「わが南方先生ばかりは、これだけが世間なみというものがちょっと捜し出せようにもない」と言葉を残しています。

 熊楠が「神社合祀に関する意見」の中で展開した神社合祀の弊害8箇条を紹介します;

 第一、敬神思想を薄うし、
 第二、民の和融を妨げ、
 第三、地方の凋落を来たし、
 第四、人情風俗を害し、
 第五、愛郷心と愛国心を減じ、
 第六、治安、民利を損じ、
 第七、史蹟、古伝を亡ぼし、
 第八、学術上貴重の天然紀念物を滅却す。


 明治時代にエコロジーの概念を掲げて森を守ろうとした熊楠の精神に敬意を表したいと思います。私の知りたいことは熊楠が残した文章にすべて書いてあるのではないか・・・そんな期待さえ生まれてきました。
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