アルプスのぺりかんぶう

アメリカ生活同様、沢山のハプニングに見舞われながら、たくましく生きて行くぺりかんぶうのスイス滞在日記です。

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スイスの水、アメリカの水、そして東京の水

2009-10-01 16:15:59 | 生活
スイスは何処の街にいても、基本的に街の噴水の水を飲む事が出来ます。初めはそれを知らずに、しかもスーパーで水を買う場合、日本よりも安く購入できる事も知らずに、高額なキオスクで購入するという大失態を犯したものです。500mlのペットボトルの水に4-500円も支払うなんて愚の骨頂。観光客はまんまとその値段で購入し、観光立国スイスの財政を潤いのあるものにしているようです。

街の至る所に存在する写真のような噴水。まさか飲み水とは思わずにいましたが、地元の人が自分の水筒に水を入れているのを見て納得。主人の学校でも「水は買わないように。水道水の方がむしろ美味しい。」という指導を受けたそうです。

という訳で、スイスに住んでいる間は蛇口の水を飲んでいました。もちろん街中で喉が渇いた際も、噴水?の流れてくる水を両手で溜め、それを口に運びました。水が飲める国はいい国だなあと思ったものです。

一方、アメリカ在住時は、水は必ず購入していました。1ガロン(4リットル)入りのボトル6個を車に乗せ、どこにでもある水屋さんに通いました。もちろん食事に使う水も、この購入したものを使用。友人宅などでは、日本とは比較にならないような安値で水の設置機を置いている家が多かったように思います。

さて、アメリカで生活している間は、一度たりとも口にした事のなかった水。2009年に住んでいたクレアモントの映画館に入った時に、ショッキングな味に驚く事になります。住んでいる時は、映画に行く際は飲料持参だった為、映画館の飲料水機など無縁でした。しかし、すっかり要領を忘れていた為、うっかり飲み物を持たずに入館し、わざわざ買うのも馬鹿らしく、飲んでしまった訳です。ところが、その味は「まさかテロ!?」と思う程、何か悪い物が混入しているような酷い味でした。私は思わずその水を吐き出し、そしてその場で咳込む事数分。どうしようもなく、結果映画館でコーラを購入する始末。ロスアンジェルスの水ってこんなに不味いんだと、悲しくなったのを覚えています。

スイス生活を終えて帰国後、東京の水に不安を覚えたのは言うまでもありません。しかし、あれれっ?東京の水道水、美味しいではありませんか?アメリカから移動した広島の水は、もう飲めたものではなく、やはり水を購入しなければならなかったのですが・・・。なぜ田舎の水が飲めなくて、東京の水が飲めるのだろうかと言う疑問が浮上します。しかも渋谷区です。一昔前は、とても飲める物ではなかったはずです。

その謎は、住んでいる内に徐々に解決しました。あらゆる人から「東京都は、水道水が飲めるように頑張っている」と耳にするようになったのです。これは素晴らしい。本日、新聞と共にやって来た東京都水道局の「水道ニュース」の見出しも、「からだとくらしにいい習慣。東京水」というもの。何でも、東京都水道局では「安全でおいしい水プロジェクト」」を推進中との事。水なくして人間は生きる事が出来ないのですから、蛇口から出てくる水が安全かつ美味なんて素晴らしいではありませんか。日本に居る間、東京水を楽しもうと思います。

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ロスティと火傷

2009-08-28 10:43:03 | 生活
ロスティとは、スイスの郷土料理で茹でたジャガイモをこんがりと焼き上げる料理です。このロスティ、実は上手に作るのが難しいのです。私の場合、一からロスティを作るのではなく、いつもCOOPやMIGROSでロスティと書いてあるジャガイモホットケーキのような見掛けのパックを購入していました。そして、スイスに住んでいる間に一度は完璧なロスティを作ると意気込んだものです。ところが、一度たりとも成功しないまま敢え無く帰国する羽目に。

このロスティなる食べ物、スイスのレストランでは付け合わせとして頻繁に登場します。そしてカリカリな表面が香ばしくてとても美味しいのです。しかし、家で挑戦するといつも失敗。まず、ホットケーキのようにフライパンに丸く焼いたジャガイモを裏返す際、ジャガイモが崩れてただのジャガイモ炒めに早変わり。そもそも、ロスティは茹でたジャガイモを大きめにおろし金でおろす為、とても崩れやすいのです。そして一度崩壊してしまった丸い形は、後で修正しようとしてもやはりボロボロと崩れます。

次に、ロスティは、焼いている間にジャガイモが飛び跳ねます。フライパンに合わせて丸く成形し、ゆっくりと焼き上げる過程で破裂したかのように飛び散ります。この飛び散った破片に触れようものなら火傷は免れません。この話をスイスの友人達に相談しましたが、「え、そんな事になる?」とベテラン軍団は首を傾げるばかり。

そんな苦い思い出のロスティ。先日、新宿のやまやで見つけました。値段は若干スイスよりも高いものの、リベンジと懐かしの味を求めて購入しました。もちろん、今度こそは成功させるのだと意気込んで、上記の失敗を頭の中でおさらいします。

薄くサラダ油を敷き、パックに入ったロスティを投入します。軽く細切れのジャガイモを炒めてから、いざ成形に入りました。絶えず上からヘラで押しながら、焦らずじっくり焼き色が付くまで待ちます。どうやら今回はいい感じになった予感がします。私はひっくり返す過程でジャガイモが崩れるのを防ぐ為、一旦火を止め、皿をフライパンの上にあるロスティに被せました。そして、慎重に皿に手を当て、フライパンを逆さにしました。そして、悲劇が起こりました。

皿とフライパンの隙間から、焼いた際に固まらなかったジャガイモの細切れ達が、容赦なしに皿を持つ私の手首に落ちて来ました。悲鳴を上げるほど熱くなったジャガイモが手首に張り付いています。まるで拷問です。しかし、左手には折角時間をかけて良い感じになったロスティが、そして右手にはフライパンが有る為、痛みと熱さに耐えねばなりません。そして、フライパンを無事コンロに戻した頃には、左手に持ったロスティが乗った皿が恐ろしく熱くなっていました。

懐かしの味どころか、随分な火傷を負った私は、無事皿の上のロスティをひっくり返して裏面を焼く事に成功。その間、保冷剤で火傷を手当てしながら、「これで不味かったら許さないぞ」と涙目に。そして先程の教訓から、今度は鍋つかみミトンをはめて、ロスティを無事皿に盛る事に成功。こうして漸く、ロスティ作りに成功したのでした。ちなみに、スイスはエコ化が進んでいる為、スーパーで買い物をしても保冷剤何ぞは付いてきません。腐らないうちにさっさと家に帰るしかないのです。もっともアメリカに住んでいる際も、氷はあったけれど、保冷剤なんて気の利いた物は貰えず、車に保冷BOXを積んで、その中に詰めていました。

やっと成功したロスティ。近所で購入出来るので、また買いたいと思います。お友達にもプレゼント出来るので、失敗談だけ話せば、怪我をスイス気分を味わって貰えるかも知れません。それにしても、保冷剤。スイスで随分恋しく思ったものです。何故なら火傷の度に、冷凍庫に凍っているミートソースやらクリームソースやらのタッパを火傷部分に押し当てていたものですから・・・。
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恐怖の不在配達表と留守番電話

2009-08-12 13:08:57 | 生活
どんなにドイツ語を頑張っていても、たった1年では出来ない事がありました。それは不在時にポストに入っている「再配達のご案内」に再配達依頼の電話を掛ける事。そもそも、私の住んでいたWaldeggホテルのアパート部分には、呼び鈴が付いているものの、ホテルの従業員にさえもどのベルがどのお宅に繋がるかが分かりませんでした。我が家にもインターホンのようなものは付いていましたが、それが鳴った試しはありません。たまに何処だか分からない所でけたたましい呼び鈴が鳴るのですが、その際は隣に住んでいるフロリアンが代表して受け答えをしているようでした。

さて、アパートのポストに郵便局(Die Post)から再配達のメモが入っていると、もちろん再配達依頼の電話を掛ける事は出来ませんでした。その為、私達夫婦は近所のDie Postに自ら配達物を取りに向かうしかありませんでした。それが誰からのものか、どのくらいの大きさなのか予想もつきません。時に日本から巨大な贈り物が届くと、郵便局の外で段ボールを分解し、中身を二人で自分たちの買い物袋に詰め込んで帰りました。配達して貰えたら、どんなに楽であろうかと思いながら、自分たちの拙いドイツ語力を責めるしかありません。

また、郵便局に到着後、折角並んでいざ自分たちの番を迎えても、荷物受取の為に身分証明書の提示があります。こちらが厄介で、担当者によって身分証明の為に要求してくる物が違います。何も確認せずに、郵送物を手渡してくれる人もいれば、パスポートやら現住所(スイスの)を証明するものを要求する人と様々なパターンがあります。そして当然の事ながら、住んでいるHorwでは英語が通じません。さっきの人が引き渡しに必要だと要求したものを、一旦自宅まで取りに帰り、再び戻って来た時には違う担当者が確認しなかったり、はたまた違う証明書を要求されたりと郵便局を行ったり来たり。こんな事なら、ホテルのフロントに置いていってくれれば良いのにと、何度も配達員を捕まえてはカタコトのドイツ語で「呼び鈴が壊れているので、我が家の荷物はホテルに置いて行って下さい。」と頼みましたが、「ごめんなさい。英語分かりません。」とそそくさとその場を去られてしまいます。と言うか、ドイツ語だったんですけど・・・。とめげる日々が続きました。

でも、郵便に関してはメモが残るので、何とか対処できなくもありません。取りに行く手間を惜しまず、ありとあらゆる証明書を持って行けば、二度手間もありません。ところが、もっと困った事が起こりました。それは・・・留守番電話に残されたメッセージでした。いつも余りに早いドイツ語で残されるメッセージは、何度も何度も再生し、ごく僅かの聞き取る事が出来る単語や名前を探します。少なくとも何処から掛ってきたのかが分かれば、何の用件で掛って来たのか、はたまた折り返しをして英語が話せる人を探してもらうか等対応出来なくもありません。ところが、一体誰が、何の目的に掛けて来たのかが全く不明な電話が2本ほどありました。

テープが擦り切れるのではないかと思う程聞き返しましたが、皆目見当が付きません。私は、家に遊びに来たスペイン語の家庭教師アメリアに、ドイツ語の電話が聞き取れなくて困っていると説明します。ちなみにアメリアは英語は話さない為、アメリアがスペイン語で返してくれても、ドイツ語で返してくれても、その意図が分からない事が多々ありました。それでもアメリアは、我が家の留守電に耳を澄まし、何度も何度も再生し始めました。

アメリアはドイツ語のクラスではクラスメイトです。しかし、私のようにドイツ語が話せないのではなく、ドイツ語で文章が書けなかったり、会話でも稀に不明瞭な点があるとの事で通って来ているので、ドイツ語の聞き取りには問題がありません。しかし、そのアメリアが苦戦している所を見ると、私が聞き取れるはずもなかったと思いました。アメリアは、「1件目の電話は、何だか全く分からないわ。友達の声ではないのよね?」と聞きます。私は変なスペイン語で「そのような事はあり得ない事だと思いますから私」のような、良く分からない回答をしたようです。アメリアは、いつも私のスペイン語を私の目を見つめて解読し頷きます。そして「2件目は、どうやら貴方が購入した何かの修理が終わったと言う内容だったと思うけど、心当たりはある?」と聞きます。これで私も何の事かが分かりました。「クリエンス(場所)のCOOP(スーパー)で、量りを買ったのだけど、それの事だと思うあるよ。しかしあるね、私、クリエンスもコープもヴァーゲ(量り)と言う言葉も知っているのに、なんで聞き取れないあるかねー。」スペイン語とドイツ語混じりの文章にアメリアは顔をしかめます。そして「そのヴァーゲの事でしょうね」と私の質問には答えずに微笑みました。

こうやって色々な言語を学んだ後で日本に戻ると、実は日常の日本語も聞き取れていない事が良く分かるようになりました。日本人だから本当に聞き取れなかった場合を除いて、通常は少し位分からずとも、自分で勝手に判断してその場をやり過ごしているのです。しかし電話の用件など、やり過ごす事が出来ない場合に限って「音が悪くて聞き取れなかった」と思っているようです。それでも失敗しながらも色々な言語でやり取りをしていると、全てではありませんが、相手を理解出来たと思う瞬間があります。実はなんと、半年後にはシンガポールに移住します。シンガポールは公用語が英語ですが、中国語が第2ヶ国語として話されると言うので、昨日主人と中国語のテキストを買いに行きました。中国語だと文字は漢字なので、理解出来る事もあるかと思います。でも、電話に限っては再び同じような問題に直面しそうな予感がするのでした。
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出前を取るなら

2009-05-10 22:51:18 | 食べ物
日本は出前が便利ですね。お弁当から、お寿司、ピザ、麺類など、毎日沢山の出前メニューがポストに届きます。でも、スイスではあまり出前を見掛けませんでした。尤も、お店自体が平日は6時半、土曜日は4時、日曜日はお休みの国ですから無理もありません。スイスに住み始めた当初は、この風習に慣れずに四苦八苦でした。飲食店はそれなりに遅くまでやっていますが、チャーハン2000円、ラーメン2000円の国ですから、外食に頼る事は出来ません。比較的安価なファーストフードでさえも、世界で一番高額な国ですので、話になりません。

そんな中でも良心的な値段で食事が出来るところ、それはケバブ屋さんでした。中東からの移民が多い事もあり、本格的なケバブを食す事が出来ます。しかも他の物に比べて安いのです。また、出前をしてくれる所も多く、夜に小腹が空いた時は、決まってケバブ屋さんに出掛けていました。

写真は、住んでいたHORWのsofra(ソフラ)というケバブ屋さんのチーズバーガー。もちろんケバブも美味しいのですが、この巨大なもちもちパンが美味しくて病みつきになりました。お値段は7スイスフラン。為替にも寄りますが、住み始めた当初は1000円程度の価値でしたが、先先月にスイスを去る頃には500円程度で食べる事が出来ました。私の顔よりも大きいサイズです。

このSofraですが、主人が通っていた大学の生徒達が、お金はないわ、店は早く閉まるわ、でも食べ盛りであるわで随分お世話になるお店だそうです。寮の生徒は、1時間に1本しかないようなバスでやって来るのではなく、専ら出前を頼んでいたと言います。私も出前を何度頼みたいと思った事か。でもそれは不可能な事でした。

何故なら、ドイツ語で注文しなければならないからです。しかも電話で。と言う事で、出かけて行っては、片言のドイツ語でメニューを見ながらオーダーしていた訳です。実は、メニューを見ながらオーダーしても、初めてのsofraで事故が起こったのです。

あれは、主人がクラスメイト達から何が美味しいかを聞き、片言のドイツ語で注文した時の事でした。主人は「ピッタケバブ」が美味しいと聞いていた為、メニューを目で追いながらピッタケバブ、ビッテ(ピッタケバブをお願いします)と、お店の人に伝えました。私達は、今か今かとピッタケバブを待つ事20分。すると違う店員さんが、私達に再度注文を取りに来ました。

スイスに到着して間もない頃です。ドイツ語で「20分前にピッタケバブ2個注文しましたけど」と説明できるはずがありません。私達はすっかり忘れられていたのだと勘違いし、どうせ作っていなかったのならと、待っている間に食べたくなってしまったお店の看板メニューのケバブに変更します。店員さんは丁寧にメモを取り、立ち去りました。

更に待つ事10分。厨房の人が2枚のピザを持って現れました。「ピザ ケバブ出来ましたよ」と、店内を眺めながら声を掛けます。ピザは2枚ある様子。店内で食べ始めていないのは私達だけ。何だかおかしな事になりました。「君たちかい?」と声を掛けられたその時、少し前にオーダーを取った店員が現れて「この子達はピタ ケバブを注文したんだよ。」と説明。その時初めて「ピッタケバブなる物は存在せず、ピタパンに挟まれたケバブ=ピタケバブと言う物がある事、そして発音が悪かったのかピザ ケバブ、つまりビザの上にケバブの肉が敷き詰められた物が焼きあがってしまった事、更には店員さんに再度注文を聞かれた時に違う物を頼んでしまった事・・・全てが意図していなかった事態に。しかし、それを説明できるドイツ語力はなかった訳です。

そうこうしている内に、看板メニューであるケバブ2つが出来上がり、店員さんが「お待たせしました」と私達に手渡します。2枚のピザを手にしたシェフは途方に暮れ、傍に座っていた客などに、「買ってくれないかな」と頼んでいます。私達も途方に暮れてソフラを後にしました。

それから1年かけてソフラに通い、すっかり常連さん。あの時お店に損をさせてしまったけれど、それ以上に支払ったと思える位に通い詰めました。ちなみに、主人の学校の公用語は英語。では何故こんな事が起こってしまったか?それは、聞いた友達の英語の発音にありました。事件の翌日、彼はその人に再度「お前のお勧めはピタケバブだったのか?」と尋ねると、「ピザケバブ!」と。「ピッツアくらい、ちゃんと発音してくれよ」と、主人は暫く怒りと店への申し訳なさに苛まれたのでした。

ちなみにアメリカでは、ハロウィンに1度だけピザを取っただけでした。何故なら深夜まで美味しい店が開いていて、しかも安いものですから、わざわざ出前を取る必要がありませんでした。そして東京。僅か2か月の間に、宅配サービスのチラシの山。出前の質、便利さ、金額を考慮すると、日本はとても良い国です。
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恋しくて、チーズ

2009-05-09 22:11:30 | 生活
スイスから日本に戻って2か月が過ぎました。そろそろ、何事もなかったようにスイスに戻れたら良いのに・・・と都合の良い事をよく考えます。まだスイスからの荷物は海の上。スイスから陸路でドイツ、そしてドイツからオランダのアムステルダム港へ。陸路だけで1か月。そして海路で1か月。そう考えると、スイスってとても遠い国なのだと実感。

さて、帰国当初は喜んで食べていた和食を一通り、いえいえ2巡、3巡した今、恋しくて仕方がないのがスイスのチーズとヨーグルト、そして牛乳です。やはり乳製品の美味しさは群を抜いています。どれも日本でも手に入るもので有りながら、味の違い、値段の違いに閉口します。

主人曰く、「スイスの一番安い牛乳(1フラン50ラペン程度=約150円)は、日本のスーパーで手に入る高い牛乳よりも美味しい」との事。濃厚で紙パックの味がついていないそうです。ヨーグルトは、スイスでも安すぎるものは絶賛出来ませんが、95ラペンも払えば、300円程度のデザートを食べた気分になる程美味。日本よりも物価が高いものも多いスイスですが、乳製品は相当美味しかったです。

それでも、牛乳やヨーグルトは日本でも何とか手に入ります。しかし、新鮮なチーズだけはお手上げです。我が家はアメリカ時代に美味しいチーズを覚え、日本では互角の物が手に入らず嘆き、再びスイス生活でチーズが日常不可欠な存在になりました。そして、再び日本。スイスでチーズグッズを揃えたと言うのに、今後どうしたものかと頭を抱えていました。

ところが、先日パークハイアットホテル東京のデリコーナーでTete de Moine (テット・ド・モワンヌ)というスイスのチーズを発見します。このチーズは、専用の機械で削る事によって、花びらのようにヒラヒラした形になったものを食します。スイスのスーパーでは、機械で削られたものも売っていましたが、実際に自分で削りながらワインを飲むと、この上ない贅沢な気持ちに浸る事が出来ます。このチーズが手に入る(多分恐ろしく高いのだろう・・・)事で、機械を持ち帰った甲斐があったと大喜び。しかも、やはり先日訪れた麻布スーパーマーケットで、スイスの郷土料理であるラクレットというチーズ(ラクレットチーズをラクレットオーブンを使って溶かし、ジャガイモなどに乗せて食す)も発見。と言う事は・・・。

後は、それらをスイス時代のように頻繁に購入できる資金が必要です・・・。どうしましょう・・・。

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クリーニング代に困り果て

2009-04-20 13:01:45 | 生活
スイスでクリーニングに洋服を出すのは、とても勇気がいります。2007年、住んでいたルツェルンカントンのホルヴ(Horw)に物件探しに行った際、案内をしてくれたサンドラに「この街だけでとりあえずの物が手に入るから便利よ。クリーニング店もあるしね」と言われていたものの、この国の物価を考えると恐ろしくて洗濯物は溜まるばかり。ある日、見るに見かねた主人が、クリーニング店を探しに出掛けました。街の中にあると言われているので、探すのは容易だったものの、その値段に驚きました。スーツ上下で30スイスフラン・・・。その頃スイスフランは、1フラン=105円。以前住んでいた広島では1000円掛からなかったと言うのに・・・。ワイシャツも120円だったので、主人は私の手間を省くため、すべてクリーニングに出してくれていました。

つべこべ言ってはいられません。日本からの荷物の中にアイロンがあるのも承知の上で、荷物到着までの2か月を待つ事が出来ずに、現地でアイロンを購入。ワイシャツに関しては、私がアイロンをかける事にしました。しかし、さすがにスーツは洗濯機では洗う事が出来ません。尤も、主人のクラスメイト達は洗濯機で洗っていたようですが・・・。そんなこんなで、私の洋服はクリーニングには一点も出さずに1年間保存しました。

さて帰国後、早速クリーニング店を探します。が、なんと渋谷区のクリーニング屋さんは、ワイシャツは200円以上、スーツは1300円程度。広島より割高ではないか!と頭に来つつも、スイスと比べたら我慢をするしかありません。それでもケチな私は、溜め込んだ自分のクリーニングに出さなければならない洋服をクリーニングに出せずにいます。2か月後には、スイスからの荷物の中に更なる洗濯物が届いてしまう事を考えると頭が痛いです。
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犬は家族だから

2009-03-24 14:27:27 | 文化
スイスでは、殆どの犬が放し飼い。そして、電車やバスにも乗って来ます。そして、大人しく目的地で降りて行くのです。道往く犬同士が喧嘩をする事もありません。一体どうやって教育しているのでしょうか?近所の犬は、毎日馬車を「こっちだよ!こっちだよ!」と先導していますし、子供達の登校班のお伴までします。以前ドイツに住んでいたスイスの友人にその話をすると、ドイツでは子犬を売り出す前にしっかりしつけをするそうです。スイスの犬もきっと充分にしつけられているのでしょう。友人アメリアに、「私達は将来4匹の犬が飼いたいのだけど、日本ではなかなか難しくて・・・」と言うと、「犬は大切な家族であり、友であるから、楽しい家庭になるわね」と言われました。

昨年の今日、買い物までの散歩道を歩いていると、写真のような犬専用の糞袋とゴミ箱を発見。アメリカでも、犬は一緒にホテルに泊まったり旅行をしたり、広い庭と家を駆け回ったりと、随分幸せに見えましたが、スイスの犬も随分と保護されています。アメリカもスイスも、賃貸物件では敷金を少し多く支払って犬を飼うようですが、日本では殆どの物件がペットなんぞ受け付けてくれません。良くても「ペット相談」とあるくらい。現在東京で部屋を探していますが、我が家で大型犬を飼う事が出来る日は遠いなあと思う今日この頃です。
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ゴッドファーザーとゴッドマザー

2009-02-28 05:09:08 | 文化
先々週、友人のガブリエラが食事の席で、素敵な携帯入れを見せてくれました。私を含めて友人達が、「それ、素敵ね。何処で買ったの?」と尋ねると、彼女は「ゴッドファーザーとゴッドマザーから頂いたの。」と答えました。その時にも説明はあったはずですが、ドイツ語だったので聞き取れず、私は正直「怖い知り合いがいるものだ」と、勝手に映画「ゴッドファーザー」のイメージと結びつけていました。

そして先週、ガブリエラの家でお食事の招待を受けました。子供達に部屋を案内して貰っていると、高い天井から釣り下げられたガラスのオーナメントが目に入ります。すかさず、「これ素敵ね。」と私。子供達は口を揃えて「ゴッドファーザーとゴッドマザーに貰ったの。」と言います。私は、この際なのでこの子達に怖いお知り合いに関するお話を聞いてみようと質問を始めました。
するとガブリエラが現れ「この間話した人達よ。覚えていない?」と私に聞きます。私はとぼけて、「あれ?ゴッドファーザーって言うと、あれですか?その・・・マフィアとか・・・?」と尋ねました。ガブリエラは吹き出して、英語で説明を始めました。

ゴッドファーザーとゴッドマザーなる方々は、子供達の名付け親だそうです。子供に命名出来る等の特権はありますが、いざ両親が亡くなったりした際に、その子供達を引き取って養育するのだそうです。そう言う方々をゴッドファーザーとゴッドマザーと呼ぶのだそうです。窓に掛かっている美しいガラスのオーナメントは、クリスマスにゴッドファーザーとゴッドマザーから子供達に贈られたプレゼント。ガブリエラの携帯袋も、マフィアからではなく、子供達の名付け親からのプレゼントだったのです。特にクリスマス時に、お互いプレゼントを贈り合う習慣があるそうです。また無知による恥をかきながら、日々少しずつ新しい事を学ぶぺりかんぶうでした。
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ぺりかんぶう、美容院へ行く

2009-02-18 01:20:53 | 生活
私は美容院が大嫌い。異様に時間が掛かるのと、汚れないように上から被せるポンチョのような物の生乾きの匂い、そして店員が必ず初めに話す天気の話・・・。私はこの3点に耐えられない為、美容院には通常1年以上足を運びません。その為、髪は痛み放題で伸ばし放題、前の毛は自分出来る始末です。そんな私の髪を見て、先日友人のアメリアが娘のカトリンにある提案をしました。

カトリンは、現在20歳。私が日本語を教えている生徒ですが、ちょうどお年頃な事もあって、ファッションにこだわりを持っています。その為、どんなに寒かろうと雪だるまのような格好は決して好みません。いつもブルブルと震えながら、自分のファッションを貫いています。そんなカトリンは、美容師の卵。現在職業専門学校に通いながら、インターンとして美容院に勤めています。その為、カットモデルが必要だと言うのです。私は、カトリンの実験台ならと喜んでその提案を受けました。

さて店内にいざ足を踏み入れると、随分とお洒落な美容院でした。カトリンが緊張の面持ちで所在なく現れ、私をセット台へ案内します。彼女は英語を話せるのですが、本日は緊張のあまりか、ドイツ語しか出て来ません。何を言われているのか良く分からないまま、諸々の説明を受けました。

「何か質問は?」との問いに、私は「リクエストなんだけど」と切り出します。カトリンの表情は一気に強張りました。遠くからその様子を鏡越しに上司が伺っています。私は続けて「最近白髪があるんだけど、見つけたら抜いてくれる?」と頼みました。するとカトリンは、「そんな勝手な事、出来ないの!」と小声で答えました。私はお客のニーズに答えられないとは、余程労働環境が悪いのだろうとカトリンを気の毒に思いました。

さて、洗髪台へと移動です。ヒーリングサロンのような神秘的なスペースと、滝を模したセットがある凝った空間に案内されます。髪を洗いながらも、カトリンの緊張はほぐれません。何だか気の毒になりながら、私は何度も何度も「適当でいいからね。どうせ、いつも何にもケアしていないし」と、余計な事を云いそうになりました。

いよいよ髪を切る瞬間です。ハサミを手にしたカトリンの手はぶるぶると震え、髪を挟み、そして止まりました。鏡越しには上司の鋭い目線。カトリンは上司の下に駆けより、指示を仰ぎます。手はきちんと前に組み、何だか日本の会社で見るような格好に唖然としました。アメリカだったら、上司の話はガムを噛みながら聞いたってOKなのに・・・と、何だか切なくなりました。やっぱりスイスは、少し日本と似ているなと感じながら、カトリンを待ちます。そして、帰って来たカトリンの言葉に驚きました。

「ジェニー、立っていて欲しいんだけど・・・。」と、済まなそうにカトリンが言います。一応お客なのに何故立つのか分からないまま、私は椅子から立ち上がってある事に気が付きました。そう、椅子の高さが調整出来ないのです。後に主人にこの話をすると、彼もその椅子の事で何度も驚いたと言います。彼は、「多分、日本みたいに何でも便利に変えて行くっていう習慣がないんだよ。他の事でも思い当たるでしょ。」と言います。私はアメリカの時はどうだったかなと考えてみましたが、恐らく疑問に思わなかったと言う事は、何でも利便性を追求するアメリカは当然の如く調整出来る椅子を使っていたはずだと結論付けました。

私は椅子の背もたれの所に手を置くように言われ、他のお客さんが優雅に髪を整えている中で、一人たちんぼです。もちろん、カトリンもたちんぼ。そしてカトリンは、恐る恐るチョキンと私の髪をほんの少し切りました。そして、再び手を前で合わせて上司の指示を待っています。私は終電前にバスに乗れないかも知れないと、ほんの少し心配になりました。漸く上司とカトリンの目線が重なり、カトリンは私を残して上司の所へ歩み寄ります。そして、上司が接客中なので、質問出来ずに再び手を前に組んで待っています。困ったなあ。辺りはもう真っ暗で、人通りも少なくなって来ました。

カトリンが再び私の所へ戻って来る頃、私はそろそろ座りたいと思いながら疲れた足を所在なく動かしていました。すると、カトリンは小さな椅子を運んで来て、そこにちょこんと座ります。しかし、一向に私に着席の許可は下りません。そしてそのまま、カトリンは私の髪を切り始めました。どうやら、私が立ち上がり、彼女が椅子に座ると、ちょうど私の髪の先端がカトリンの作業しやすい位置に来るようなのです。そして私は暫く立ったままカトリンが切り終わるのを待ちました。

カトリンの手が止まっってから、再びどの位の時間が経過した事でしょう。上司がやって来て、カトリンの仕事を評価します。そして新たな指示が下りました。今度は、カトリンが椅子の上に立ち、私の髪を高い所まで伸ばし、上の方で切る作業が始まりました。もちろん私は立ったまま。上司の指示する通りに、髪を引き上げては斜めに切り、それを延々と繰り返す事になりました。その間私は、上空から降って来る自分の髪の毛の嵐に襲われます。もはや目を開けているのは危険です。私は黙ったまま、されるがままになっていましたが、よくよく考えると、私が椅子に座れば、カトリンは椅子の上に立つ必要がなかったのではと疑問です。しかしその間、カトリンは今にも鋏を落としそうなほど緊張で震え、私も疲れた足がガクガクになって震えていたので、全く思考が働かなかったのです。

その後上司がやって来て、私に「カトリン上手に切ってるわよね。」と声を掛けました。この時、カトリンとその上司の関係が決して悪い物ではない事を悟ります。カトリンは嬉しそうに、「後は前髪だけです。」と答えました。上司は、立ったままの私と向き合い、カトリンにお手本を見せます。続いて、震える手のカトリンは、「これ、すっごく難しいの」と言いながら、前髪の横部分を斜めに切って行きます。本人は至って真剣ですが、前髪を切る時も、二人とも立ったまま、そして向かい合っているのですから、とても不思議な気分です。切り終えたカトリンの顔は、一つ事を成し遂げた笑みで溢れていました。

私の帰国により、彼女は日本語を独学で学ぶ事になります。運が良ければ、すぐに再会出来るかも知れません。運が悪ければ、二度と会う事が叶わないかも知れません。私は彼女を抱きしめ、お互いありがとうを言い合い、店を後にしました。駅まで湖沿いを歩きながら、湖面に映るルツェルンの街の光を眺め、彼女が立派なスタイリストになる頃、私も何らかの成果を出さなければと強く誓ったのでした。
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足の長さにご用心

2009-02-17 05:19:01 | 生活
本日の天気予報は雪(チューリッヒ)。でも、朝起きてみると、目の前のピラトゥス山が太陽に照らされて神々しく輝いていました。私は深呼吸をし、理由ありの自転車で、以前から行きそびれていた近所の教会へ行ってみる事にしました。

ヘルメットを被りながら道路に目をやると、道路の脇にはまだ雪が残っています。スイスでは、通常自転車が歩道を走る事はありません。道路の構成上、もし歩道を走らなければならない時は、自転車マークのついたプレートで指示があります。と言う事は、自転車は何処を走るのでしょう。恐らく道路ですよね。では、道路の何処を走かと言うと・・・なんと道路の真ん中を走ります。アメリカ同様、スイスも右側通行ですが、道路の脇にある歩道は、あくまでも歩行者専用道路です。片側1車線ずつの道路では、車道の右横、歩道の左横部分に専用の道が記されています。しかし他の道路に合流する際などは、直進車線や左折車線、右折車線がある際は、自転車は直進車線(左折車線)の右側、右折車線の左側を走ります。つまり道路のど真ん中にいる訳です。では、どうやって道路の真ん中まで行くのでしょうか?ルールが全く分かりません。歩行者と共に、信号を待ち横断歩道を渡る自転車など見た事もありません。私は不安を覚えながら、ペダルに足を掛けました。

そこで、もう一つ、実はルールが分からない事よりももっと重大な問題にぶつかりました。それは・・・自転車の持ち主リースと私の足の長さの違いでした。すぐに自転車を止め、椅子部分を調整しようとしましたが、調整するパーツがありません。私は覚悟を決め、立ち乗りで進む事にしました。そして、意を決してものの10mで、再び自転車を止めました。どうも日本の自転車とハンドル、椅子の位置が異なり、立ち乗りが不可能だと言う事を悟ったのです。仕方がないので、ペダルを勢いよく踏み込み、ペダルの上で爪先立ちになり、漸く椅子に腰掛ける事が出来ました。お次はペダルをこぐ作業ですが、爪先の先端部分がペダルに僅かに触れる事が判明。何度もカラ踏みをしながら、歩行者よりも遅いスピードで道路へ繰り出します。

「あの子、お兄ちゃんの自転車でも借りたんだろうか」と言う疑問の視線を沢山浴びながら、勇気を出して道路の真ん中へと移動しました。ハンドルも、私の体では届かない位、遠くに付いており、握っているのは僅か2cmの所。当然ブレーキには手が届きません。そして、そうこうするうちに、天気予報通り雪が降り始めました。

漸く教会へ着くと、今度は駐輪のルールが分かりません。大きな教会をぐるっと一回りしてみます。日本だとこんな時、恐らく建物に沿う形で邪魔にならないように駐輪する事と思います。しかし、ぐるっと回った先にあったのは、車の路上駐車スペースと同じ並びに設けられた小さなスペース。もちろん、道路上に位置し、その横に歩道、そして教会という配置になります。その小さなスペースには、駐車スペース同様Ⓟの立て札があり、1台の自転車が止まっていました。「このスペース本当に駐輪スペースなんでしょうね?訳が分からずここに止めてるんじゃないでしょうね?!」と脳みそは?マークに占領されるばかり。もし駐輪スペースでない場合、友人に借りた自転車が何処かに移動されたらどうしようと思いながら、私はその場所に自転車を残して教会に入りました。

ルツェルンには沢山の教会があり、さすがヨーロッパだと感心します。内装も歴史ある物からモダンな物まで、その教会独自の特徴を表していて面白いです。私は自転車の事をすっかり忘れ、教会の装飾品や展示品に見入ってしまいました。そして、教会を後にし、駐輪スペースへと向かいます。すると、私の自転車の隣に新たに自転車が止まっているではありませんか。恐らくスイスでは、自転車は邪魔にならないように建物に隣接して駐車させるのではなく、路駐している車のように、道路の指定箇所に駐輪するのが正式なルールなのでしょう。帰りは雪の中、コケないように精一杯爪先でペダルをこぎながら、何かこのパターンって私の人生そのものだなあと思ったのでありました。
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