毘沙門道中記

長野県を中心にお城や古戦場跡など古代のロマンを追いつつ、お寺や名水などの
観光名所なども巡っていきたいと思います!!

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67 日光東照宮 其3

2010-03-16 19:12:05 | Weblog

眠り猫を抜け、家康のお墓のある奥宮に向かって長い道と階段を進んでいきます。



御宝蔵
朝廷から東照宮に送られた物が納められています。



拝殿
この奥が家康のお墓です。当時、将軍でないとここを昇段、参拝することはできませんでした。



奥宮御宝塔
 八角九段で周囲各5メートル。最初は木造でした。それが石造に代わり、5代綱吉の時に今の唐銅となりました。
 さて、お墓の前に鶴と亀がいます。(亀は見づらいですが、鶴の下に)鶴は口に鍵をくわえています。徳川埋蔵金への鍵だとか・・「かごめ かごめ」の歌がヒントと言われています。その中に鶴と亀が登場しますね。謎多い歴史ミステリーロマンではないでしょうか。



陽明門の外まで戻って




釣り灯篭
寛永13年(1636)オランダより奉納されました。ロウソクの火をつけると、これが回転するそうです。カラクリでしょうか。廻転灯篭とも言うそうです。



廻り灯篭
寛永20年(1643)オランダから。なんと徳川の葵紋が逆になっています。普通に間違えて造ったそうです。逆紋の廻り灯篭ともいいます。


陽明門をくぐらず、左折していくと、本地堂という所があって、そこでは鳴龍が聞けます。以前甲斐善光寺で鳴龍を紹介しましたが、ここも同じで、天井の龍の絵の下で手を叩くと鈴がなるような龍の鳴き声が響きます。音の反響でこういうのができるんですね。写真撮影は禁止ということで写真はありませんが。
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66 日光東照宮 其2

2010-01-31 20:46:53 | Weblog

陽明門
別名”日暮しの門”日暮れまで一日中見てても飽きないという意味です。
日光東照宮1番のスポットでしょうか。


柱に注目してみます。8本ある柱の7本は↑この模様。ところが残り1本は↓


模様が逆向きです。これ間違えた訳ではありません。わざと1本このようになってます。完成させてしまうとそこで終わってしまいます。わざと未完成にすることにより、まだ先がある!ということで、徳川家の長い安泰を願ったわけですね。



そして、陽明門にあるこの武士像。膝元に注目すると・・・


徳川のお墓になぜ桔梗紋???これは明智光秀の家紋ですね。東照宮の創建に携わった”南光坊天海”←実はこの人物が明智光秀だったという説があります。それでこういった所に桔梗紋があるのでは・・ミステリーですね。



南蛮灯篭
陽明門脇にあるこの灯篭は、え~確か伊達政宗奉納だと思います。


門をくぐり



唐門
本殿へと続くこの門。上部真ん中には古代中国の舜王が彫られています。この王の言葉に”内平外成”というのがあります。意味は、国内は平和に治まっており、外国とは良好は関係を築けている。というもの。徳川の天下も、こういった状態が続くよう願ったのでしょう。
ちなみに、現在の平成とは、この言葉からきているんですね。



神輿舎
おみこしが3台収められてます。真ん中は家康を、右は豊臣秀吉を、左は源頼朝を示します。それぞれ1120キロ。



家康のお墓に向かいます。手前の灯篭は”一本灯篭”東福門院(徳川秀忠の娘)奉納。



眠り猫
お墓への入り口にある眠り猫。これも有名なスポットです。左甚五郎の作。右から見ると、猫が牡丹の花の下で気持ちよく寝ているようにみえます。しかし左から見ると、獲物に向かって飛び掛りそうに見えます。わざとこういう風になってるんですね。どういうことかと言いますと、この猫の裏には雀の遊んでいる彫刻があります。猫が寝ているすぐそばで雀が遊べる、つまり平和を表しているのです。しかし、何かあればいつでも戦える体制にはあるぞ!、これが猫が飛び掛る様、になっているんですね。実に考えられてます。


これまで。
其3へ続きます。

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65 日光東照宮 其1

2010-01-24 15:25:17 | Weblog
 栃木県は日光、日光東照宮。徳川家康のお墓です。元和2年(1616)4月17日に亡くなった家康は、以前紹介した久能東照宮、こちらで埋葬されました。そして翌年、日光にて改葬され、この東照宮ができたわけです。「遺体は久能山におさめ、一周忌が過ぎたなら日光へ移せ。そこで神となり関八州の鎮守となろう」という家康の遺言があり、この一連の流れは全て家康の指示だったわけですね。



表参道から入り口
この東照宮は細かなもの1つ1つに解説がついているんですね。ここからそれらを触れていってみましょう。



石鳥居
元和4年(1618)黒田長政奉納。石造りとしては日本一の大きさの鳥居です。



五重塔
慶安3年(1650)酒井忠勝奉納。重要文化財。



表門より中に入っていきます。久能と同じく、絢爛豪華な建物ですね。彫刻は象です。このころ像は実物が日本にはいなくて、話や文献を元に作成されたとか。不気味な妖怪みたいですね~



神厩
厩舎の上部には四方8個の猿が彫られてます。ここの馬の安全を守る為ですね。関ヶ原の戦いの時、家康の乗っていた馬が神馬とされてます。常にではないですけど、この中に本物の馬がいることがあります。自分が行ったこの時、ちょうど白い馬がいました。写真は無いですが。


そしてこの猿こそが、有名な「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿なんですね。先ほど述べたように8個の作品がありますので、今回全て見てみましょう。

①母子の猿。母親は子供の未来を考えている。



②子供のうちは、悪いことは、見ない・言わない・聞かない。(見ざる・言わざる・聞かざる)



③じっくり腰を落ち着けて、これからの人生を考える。



④若いうちは可能性が多い。望みを大きくもって上を見ます。



⑤崖っぷちに立たされた。しっかりと足元をみつめる。



⑥恋愛中。やがてよき伴侶を見つけて結婚することになる。



⑦二人で力を合わせれば、世の荒波も乗り越えていける。



⑧妊娠。やっと親の苦労が分かる。


そしてまた、①へと戻るわけですね。人生の節目節目の教訓でしょう。





こうやまき
神厩の隣にある大きな木。これは三代家光が植えたものです。樹齢約370年、高さ38メートル。こうやまきという木は温暖性常緑針葉樹であり、日光のような寒冷地でここまで大きくなるのはとても珍しいとのことです。木曽五木の中にこうやまきがありますが、日光を寒冷地というなら、木曽はもっと寒いし、木はもっと小さいのかな??



手水舎
花崗岩で建てられているので、腐らない。水盤は元和4年(1618)鍋島勝茂奉納。



日光東照宮はネタが多いので、ひとまず区切ります。続きはまた其2で。



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64 塩田城

2009-04-05 10:15:14 | Weblog

前山寺から脇道を抜けていきます。時間は5分~10分くらいだったでしょうか



到着、塩田城。

 建治3年(1277)鎌倉幕府の重職である北条義政がこの地に移り館を構えたのが最初です。国時、俊時と三代約60年間、塩田北条氏として統治をしています。幕府と供に滅亡しました。
 その後、戦国期は村上領として重臣福沢氏置きます。天文22年(1553)には信濃攻略にきた武田信玄にとられてしまいます。
 武田領時は、赤備えで有名な飯富虎昌を配備、自らも時々滞陣し、東信濃の拠点としました。天正10年(1582)武田氏が滅び、上田城ができるまで、この地方の重要な軍事拠点としていたそうです。



城跡はいくらもありません。ほとんど山です。しかし城好きは、こういう所でも行きます。松本城みたく完全な城ばかりが城ではありませんから。



わずかに残る石垣。数百年の時を感じますね。



ふもとにあった地図です。最初は一番上まで行こうと思ってたわけですが、虎ノ口まででギブアップ。簡単に書いてあるから、近いかな~と思って登り始めたものの、凄い遠くて、足場はどんどん悪くなるし・・・降参です。
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63 前山寺

2009-02-10 21:09:23 | Weblog
 弘仁年中(812年頃)空海が護摩修行の霊場として開創したと伝わります。塩田城の鬼門に位置しており、その祈願寺であります。武田氏の信頼厚く、天正8年(1580年)武田勝頼から、十貫四百九十文の朱印安堵状を下附されました。
 桜や藤、牡丹などでも知られるお寺です。



参道並木は、ケヤキ、松、サワラといった木が並び、高さ20メートル前後、樹齢350年程であります。



本堂
屋根のかやぶきは厚さ2メートルちかくあります。



三重塔
二層三層には、窓も扉もなく、柱の下部からは長い貫が四方に突出している。これは未完成のためである。しかし見た目に全く不自然さがないので、「未完の完成塔」といわれています。様式上は室町時代の建立と推定されます。
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62 常楽寺

2008-12-15 19:29:39 | Weblog
 安楽寺の隣にある常楽寺。創建は天長年間(824~834)に開かれたと伝わっています。



ここは、北向き観音の本坊であり、古くから学問寺として名高い。創建当時より多くの名僧、高僧がここに来ております。



御船の松
樹齢300年、長さ18.2メートル、幅10.3メートル、高さ6.2メートルの大きな松の木です。



石造多宝塔
 弘長2年(1262年)建立。もとは木造の宝塔でしたが、寿永年間(1182~1184年)に焼失。その後、石製になりました。
 全国でも類例が少なく、重要文化財になっているのは、ここと滋賀県の小菩提寺の2基のみです。
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61 安楽寺

2008-10-13 16:24:06 | Weblog
創建は天長年間(824~834)に開かれたと伝わってます。



入り口の黒門です。ちなみに車でも通行可能です。中に駐車場があるので。



黒門からは少し歩きます。季節が春なら、こういった桜も脇に見ながら歩いていけるわけですね。車だとあっというまに過ぎてしまうから歩くのもいいですよね。



まっすぐ進んでお寺の本堂になります。



八角三重塔
 ここのメインはこれになります。八角形の塔としては、日本に残された唯一の塔であります。京都や奈良にも八角形は残っていません(記録にあるのみ)。ゆえに国宝です。
 さてこの塔パッと見四重に見えますが、実は一番下部分はひさしに相当する裳階(もこし)というものです。ですので三重なんですね。このような塔というのは本来、仏舎利(お釈迦様の遺骨)を奉安するための物なんですが、中世以降、特定の人物のために建てられた例が多く、ここの塔も、当時の守護であった塩田北条氏のものと考えられております。
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60 北向観音

2008-08-05 19:15:41 | Weblog
 上田の別所温泉にある北向観音。北斗星を指針とするため、北向という表現を使う。南向の善光寺とは相対しており、片方だけでは片詣り、両寺を参拝すると、現在も、来世も幸せになると伝えられています。この辺りの街並みから通称”長野の鎌倉”とも言われます。



周囲を撮ったものです。自分が訪れた時は桜がたくさん咲いていました。



札所観音堂
34体の観音像が奉納されています。



愛染堂
ここに祀られている神様は愛染明王といって、誘惑や困難を打ち砕いてくれる神様です。



本堂
北向観音の本坊は近くにある常楽寺というお寺です。



愛染かつら
 ここではこれが一番有名なのでしょう。樹齢1200年のかつらの木です。縁結びの霊木でもあり、昭和14年に天然記念物に指定されています。
 天長2年(825)大火の時に、どこからともなく現れた千手観音が、この木の上にひきしめあう避難民を救ったと言われています。

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59 掛川城

2008-07-27 11:34:52 | Weblog
 静岡県は掛川市にある掛川城。創建は文明年間(1469~1486)今川義忠(義元の祖父)が遠江支配の拠点として、重臣の朝比奈ヤスヒロ(←漢字が変換で出てこなかった)によって築かせた城です。
 永禄3年(1560)桶狭間にて今川義元が倒されると、武田信玄は三国同盟を破棄し、矛先を今川領に向けてきます。これに呼応する徳川家康も同様に、今川領へ進出してきます。そして永禄12年(1569)、掛川城は家康の手によって落城します。領有後、徳川家臣、石川家成が入り、武田の侵攻を防ぐ拠点となりました。
 天正18年(1590)豊臣秀吉が天下を統一すると、秀吉は家康を関東へ移封します。これは、力を持っている家康を京より遠ざけるためでした。そして、これを取り囲むかのように、家康監視として各地に将が配置されます。掛川城も家康監視の1箇所であり、城将には山内一豊が5万1千石で入りました。



大手門
ここをくぐってすぐ城ではありません。逆川を挟んで城があるので、少し離れています。



歩いていくと、外観が見えてきます。  近づくと、立派な城構えと対面。



天守です。脇に井戸が1つあります。これは霧噴き井戸といって、家康が掛川城を攻めた時、この井戸から霧が立ち込めて城を覆い、徳川軍の攻撃から城を守ったという伝説があります。別名、雲霧城といわれるのは、ここからきているのでしょう。以前、岩村城でも同じような井戸がありましたね。



御殿
御殿とは、儀式や公式対面など、政務を執り行う建物の事です。現存する城郭御殿は、京都二条城など全国でも4箇所しかなく、貴重な建物です。内部、撮影禁止でしたので、この外観1枚のみで。


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58 犬山城

2008-06-03 21:19:44 | Weblog
 日本には国宝のお城は4箇所しかありません。その1つがこの犬山城です。4つの中でも1番古い城であり、別名”白帝城”と呼ばれています。中国の三国志に出てくる劉備玄徳が亡くなった場所を白帝城といいますが、そのそばには長江が流れていました。この犬山城も、すぐ横を木曽川が流れています。城周りの環境が似ていることから、この別名がついたと言われています。
 創建は天文6年(1537年)織田信長の叔父にあたる織田信康によって建てられました。
 天正12年(1584年)小牧長久手の戦いの際には、羽柴秀吉(豊臣秀吉)率いる12万の軍勢がこの城に入り、小牧山に陣を張った徳川家康と戦いました。



入り口には”犬山城”と書かれた大きな石が。



石段を登っていくと門が現れます。ここからは有料です。



国宝の天守となります。



城のすぐ隣には木曽川の雄大な流れがあります。



脇には樹齢何百年の古木があります。どれくらいだったか。。。。忘れてしまった。



城を降り、ふもとには神社がありました。


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