Dance and Art by Sakurai Ikuya:CROSS SECTION*BLOG

ダンスアートユニット《櫻井郁也/十字舎房》発。コンテンポラリーダンスとオイリュトミーのレッスン、ステージ、エッセイなど。

さざめく感覚

2017-07-14 | ダンスノート(からだ、くらし)
感覚、というものは面白い。

もう10年前に上演した「カラビンカ」という舞台は僕のダンスと作曲家・鈴木悦久の音楽演奏のためのものだったが、これは2人の間では「知覚のたわむれ」をテーマに作業していた。ピアニストの大南匠と一緒にやった舞台ではジョン・ケージ作曲の「4分33秒」というのを踊ったことがあるが、これは弾かないピアノというものがあって、ピアニストがいるのにわざと音を出さない、そのぶん、与えられた4分33秒のあいだ会場みんなで沈黙に耳を澄ます、その沈黙から感覚できるあらゆる響きを楽しむことができるのでは、という体験音楽だが、それを踊るというのはダンサーとしては非常に感覚の幅を問われる体験だった。

世の中が便利になったぶん、喪ったものも多いと思うが、そのなかには、感覚の細やかさもあるのでは、と、ときどき感じてしまう。

ダンスのトレーニングのひとつに、19歳からオイリュトミーというのを学んでいまだに稽古をしているが楽しい。それを創ったルドルフ・シュタイナーはこれまた面白い人で、いろんなことをよく考える。その膨大な思索のなかに、感覚に関するものがあり、深い。だれもが自覚的な「五感」以上の多様な感覚を人間は潜在能力として保持していると考え、独自のネーミングで7つの感覚を加え「十二感覚論」なるものを打った。視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚、これら五感の他に、熱感覚、運動感覚、平衡感覚、生命感覚、言語感覚、思考感覚、自我感覚なる7つを加えて「十二感覚」と呼んだ。なんだか西洋の音階みたいだ。ひとつひとつを、これはどんな感覚なのだろうなあ、と読み解いてゆくと、自分自身のさまざまな体験を思い出せて楽しい。感覚の冴えは、感情のふくらみを呼び起こすようにも思える。

シュタイナーは十二感覚というが、そのように人間の感覚のさまざまを提示され想像を拡げてゆくと、ほんとうに多様な可能性が僕らの能力には潜在しているように思えてくる。

食を得るために働くが、それだけではなく、知り・語り・歌い・踊り・描く、という衝動をたしかに持つ。
それらが無いと気持も暮らしも関係も荒れる。
世界を味わい感動するように、僕ら人間の肉体は、沢山の感覚をたずさえていて、それらが絶えずさざめいて、音楽しているのではないかと思う。

人間が活き活きと生活を営むにはイマジネーションとファンタジーが不可欠で、その基礎となるのは感覚の豊かさだ。

たくさんの、さまざまの、感じるものすべてを感じ尽くすとき、そのように感覚を拡げて全感覚でこの世界を味わうとき、僕らは僕ら自身がこの場所に存在していることを理解できるような気がする。//

(ちょっと前のノートからですが、あらためて最近も思うこと重なるので、、、)

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info.

7月29~30(土・日)上演
櫻井郁也ダンスソロ新作公演「夜」Premonition




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