Dance and Art by Sakurai Ikuya:CROSS SECTION*BLOG

ダンスアートユニット《櫻井郁也/十字舎房》発。コンテンポラリーダンスとオイリュトミーのレッスン、ステージ、エッセイなど。

クラス報告10/15

2016-10-17 | レッスン・WSの記録
土曜午後イチの「レギュラークラス」。
バッハやベートーヴェンの小品のほか、時には俳句や詩の朗読を聴きながら踊っていただく。
10/15は吉岡実さんの詩を踊った。以前こんな詩がありますと紹介したら凄いですね何か振付をもらえたら、と。

晶子、古今集、白秋、枕草子、など楽しんできたが、現代詩はこの組では大岡信や寺山修司などの紹介程度だったから、まともに踊ってゆく試みは初めてだ。

詩には言葉が言葉として立ちながら言葉そのものが言葉なるものを遥かに超えてゆくところがあるが、吉岡実さんにはその極まるような驚愕を感じる。ひとつひとつの言葉が、爪先立ちの如く正確な孤独を立ち、立つその言葉の内部に無数の枝や根を張り巡らせて深く広がり、秘密の迷宮を形成してゆくようだ。言葉とは惑星なのかな。

字を眼で見つめ、字の連なりを声に出し、響きを聴き、響きがたてる波や轍を動き、さまざまシながら味わう。話し合いも挟みつつ、ひと言ひと言を身体に受けてゆく。こう思うのよ、でも、中々そんなにならないのだけど、じゃあ、例えばこうしてみては、どうか。

響きが身体に染み込むにつれ、広がってゆくものや深まりゆくものがある。心が、体が、うごくまで、探す、行為する。遠方のオドリに、少しずつ接近する。大切にすること。

吉岡実さんの詩に初めて触れたのは「サフラン摘み」という美しい詩集だった。亡くなられたとき、師匠の笠井叡が公演を捧げた。初めて補佐に入り、稽古に立ち会うことを許されたが、言葉と肉体が激突し抱きしめあい続ける現場は分娩の場を垣間見るようで、そこに居るだけで油汗がシャツもパンツも濡らすのだった。本番の舞台袖で息を殺しながら、言葉が踊りになる瞬間の衝撃波をモロに浴びた。知恵熱が出た。先生が身を投げたのは「聖あんま断腸詩篇」つまり、吉岡さんが亡き土方巽に捧げた詩篇で、そこには肉体や存在に対する吉岡さんの無限がギッと息をころして鉱物化していて、それが急速にメルトしたものだから火事になったのだろう。

その経験もあって、吉岡実さんの言葉は僕にとって特別で、クラスの方々と一緒に味わい直す機会が来たのは、とてもとてもなのである。

吉岡さんの宝石のような言葉に、じっくりと出会い直したい。

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stage & lesson info.

STAGE INFO. 櫻井郁也ダンスソロ新作公演10月29〜30


櫻井郁也ダンスクラス 


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