Dance and Art by Sakurai Ikuya:CROSS SECTION*BLOG

ダンスアートユニット《櫻井郁也/十字舎房》発。コンテンポラリーダンスとオイリュトミーのレッスン、ステージ、エッセイなど。

『志村ふくみ・母衣への回帰』展にて

2016-11-05 | アート・音楽・その他
「私たちは、光を宿す宇宙の星屑である」

東京への巡回が叶った『志村ふくみ・母衣(ぼろ)への回帰』展に添えられた、先生ご自身の言葉である。


糸を紡ぎ、染め上げ、織り、そして縫い結び、という作業の積層から、この世に二つと無い衣が虚空に舞う。

衣というものが、ひとつの魂の型式とさえ思えてくる。

積年の苦闘を経て獲得された技を通じて実現された衣のひとつひとつから、自然界の秘密が開示され、宇宙としか呼びようのない広がりへの畏敬がひしひしと伝わって、それはいつしか人間そのものに対する希望に結びついてゆく。

自らの新作公演を終えた翌日、足は世田谷美術館に急いだ。そして尊敬する人の仕事の前に襟を正さざるを得なかった。天使館での修行時代、たびたび京都から国分寺の稽古場に来てくださった、その一回一回に僕は今も踊りを支え続けられている。

春夏秋冬のエネルギーが萌えるように、ひとひらの花びらが、一陣の風が、ただひとつの衣から匂い立つ。
先生が紡ぎ出される美は、地上にしっかりと着地した美であり、ひとつのひとつの衣には、それを羽織って凛と立つ人間の姿が内包されてあるように思えて仕方がない。
それは現在という場所にありながら、遠い過去と来るべき未来を結んでゆく、時の天使としての人間なのかもしれない。

京都展のコメントでは次のような言葉を発されたのを知った。

「今、目前にある現実がすべてではない。」

今この現在に生きながら、これほど強く揺さぶられる言葉があるだろうか。この混沌と重苦しい危機感のなかで、若者に対してかく言い切れる大人が一体どれだけいるだろうか。

若者に対して、子どもたちに対して、今生まれる状況の一瞬一瞬に対して、大人は言葉を発し続ける義務があると思うが、その一人として、僕自身は何を発し得ているだろうか。

生の道を歩いて行こうとする者に対する希望を、自らの経験を根拠として、発話すること。その力を持っているか否か。

美しいものの前に立つとき、雷にうたれたように自らの魂を省みてしまう。
桜色が、深青が、緑が、その色彩の歌が肌から染み込むとき、自らも光を宿す存在であることを忘れてはいまいか、と、、、。

先生の作品ひとつひとつを前に、そして言葉のひと息ひと息を胸に聴きとりながら、自らに問いかけざるを得ない気持ちになる。

昨日を僕はいかに過ごしていたか。今日、いかに今を生きているか。この夜、いかなる明日を紡ぐ覚悟があるか。
というような気持ちになる。

決して沢山の時間を許されない自分自身の居方について、志村先生の静かな眼差しが突き刺さるような思いで、会場を出た。





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