Dance and Art by Sakurai Ikuya:CROSS SECTION*BLOG

ダンスアートユニット《櫻井郁也/十字舎房》発。コンテンポラリーダンスとオイリュトミーのレッスン、ステージ、エッセイなど。

あいだ、なる・クラス報告6/13

2017-06-14 | レッスン・WSの記録
あいだ、けいか、
うごきとうごきの、音と音の、しじまの、間と経過と。

そのようなことの味わい深さを、感じさせられる稽古だったかも、と、昨夜の西荻フリークラスは思えた。

取り分け、レッスン最後のほうでは、参加された方々のうごき、立ち居振る舞いが、デリケートに、また穏やかに見えた。

この日は、規制曲はいっさい鳴らさず、ゴングとクラップのリズムだけで、シンプルにセッションを進めた。

踊る身体のこと。音を味わうこと。身体を味わうこと。時を味わうこと。さまざま、いろいろ、言葉も出たけど何よりも沢山の「うごき」が出てきた。

動くうごき、蠢くうごき、止まるうごき、留まるうごき、、、。

試して、休んで、話して、悩んだりもして、最後には、うごき、というより、おどり、に、近く近づいていたかもしれない。自然だった。すぐに2時間が過ぎた。

音や静寂を聴き込んでゆくとき、身体の状態次第で聴こえかたがかなり変わってくる。当然、イマジネーションも情動もかわる。とくに豊かさにおいて、柔軟さやフレキシビリティにおいて。

音はいろいろなことを教えてくれるが、音の声が心の耳に届くには、何よりも素直にならなくては、と、よく思う。

だから希み、求めているのだと思うし、探し続け、迷い続けているのだと思う。探し迷うのは面白い。こうだ、という言葉はダンスには今のところ見当たらない。人生にも、やはり。

イヤなのは力みだ。たとえば、こわばり、あせり、自意識、といった一種の「力み」から、どうやって抜けるか。力みの原因て何だろう、こんどは、そんなことにもレッスンを進めてみたい。

ある身体を仕切っている力みが抜けて、新しい力に入れ替わってゆくプロセスが始まってゆく。古い力と新しい力。呼吸のように、力が入れ替わる、その「あいだ」に現れる動きや蠢きの多様さ、また表情の変化が、とても面白く感じることが、ときにある。

力みが抜けるとき、聴こえてくる音がかわる。ひびきもしじまも、ひろさが変わってゆくみたいに思う。

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レッスン2017

櫻井郁也ダンスソロ新作公演 7/29〜30開催


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