櫻井郁也ダンスブログ Dance and Art by Sakurai Ikuya/CROSS SECTION

◉新作ダンス公演2024年7/13〜14 ◉コンテンポラリーダンス、舞踏、オイリュトミー

断片12/30

2016-12-30 | ダンスノート(からだ、くらし)
沢山の言葉は知らないけど、片っ端から言葉を繋げて思うことを伝えようとするとき、ヘタクソな言い方でも衝動と熱がこもってくるとなんとか通じ合ってゆくのでは、とか、言葉もまた音楽のようなものでは、とか思うことがあって、僕らにとって、言葉も力の波の一種なのかしらなどとも思ってしまう。

「ブロークンな言語が世界の自然な言語であって、それが世界語なんだ」という言葉をある本で読んで、それは鶴見俊輔さんの言葉だが、これをきいて、僕は少し嬉しくなってしまう。

型の文化に生きている僕ら日本人は、言葉に関しても何に関しても型に囚われて発話や表現のタイミングを取り逃がしてしまうことがあるように思う。

たどたどしくても、つぎはぎでも、何とかして何かしらを伝えようとするほうが大事ではと思う。

言葉に限らずだが、型というのは一種の集合的な記憶なのだから、知恵でもある反面、そこにハマってしまうと、訳の分からない爆発性が無くなって、踊りなんかでも真綿にくるまれたような無難な踊りになってしまい、それは「おどり」という感じから根からズレてしまう。

メチャクチャなことをするほうが難しいのは、型すなわち記憶から脱け出さないとメチャクチャにならないからかもしれない。

きのうのこと昔からのこと、そんなの何だと思うのだが、身体は、いや僕らは、記憶に縛られやすい。記憶は時に壊したほうが良いことがあるように思う。うん、どんと壊したい。

記憶は未来のための予言。というのも鶴見さんの言葉だが、、、。
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