櫻井郁也ダンスブログ Dance and Art by Sakurai Ikuya/CROSS SECTION

ダンスアートユニット《櫻井郁也/十字舎房》発。コンテンポラリーダンスとオイリュトミーのレッスン、ステージ、エッセイなど。

フリークラス報告(12/27西荻窪)

2016-12-28 | レッスン・WSの記録
今夜のクラスは、過ぎゆく日への思いと来る日への想いが交差するような、静かな熱に溢れていたような感じだった。

きょう12/27は西荻窪ほびっと村学校でフリークラスを行い、今年の踊り納めとしていただいた。

僕自身の個人稽古はあと数回残るが仲間の方々とのレッスンは年明けまでお預けと思えば少しさみしい。

ひとり稽古の試行錯誤に比べて、人と人の感情が呼び交わすクラス稽古は僕には実にエモーショナルだ。とても大切な何かを僕はもらっている。

たかだか10日程度の休みだが、年末年始というのはやはり自然と気持ちが改まるのだろうか。

日々を働き日々を暮らし得た、様々な仕事と様々な喜怒哀楽が、踊る身体や呼吸から、空気に滲んだ。

表面では自然と切れてしまったかのような都会生活を送る僕らでも、やはり季節それぞれ、節目それぞれに、身体が何かしらの光を発するのだろう。

踊りはもとより暮らしの節目を祝い合うものだ。


片山敏彦さんの「清澄」という詩を声にして、聴きながらの気持ちの変化を、それぞれ自由に踊ってもらった。

こんな詩だ。

「愛したことがあるのでなければならなかつた。

愛して惱んだことがあるのでなければならなかつた。

愛して喜んで苦しんだために
いろいろなものが輝いたことがあるのでなければならなかつた。

愛したために 
そして愛が変わりやすいために
心がきずついたのでなければならなかつた。

しかしそのために 
ただそのために
あたらしく
生れ出る清澄に
或る夕べ 
氣づいたのでなければならなかつた。

そしてこの清澄が
その後は 
心からも
どこからも
もう消えないのでなければならなかつた。」

ひたすら踊っていると、身体は鼓膜のように敏感になってゆくことがある。
踊りながら聴き入っているようなカラダがあった。
清澄、という言葉がとても響いた。

(あと数回残る個人稽古でも、何かしらの節目を見いだすことができると良いのだが。とにかく残る年内を動き倒して、中途半端な気持ちを持ち越さぬようにしたいと思う。自身の実感がクラスにも必ず反映するから、、、。)

※新年のクラスは1/5からです。

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