CROSS SECTION*BLOG

櫻井郁也/十字舎房のブログ。ダンス/オイリュトミーのクラスだより、ダンスノート、公演情報その他。

舟沢虫雄の音楽空間そして無垢性

2009-03-06 | アート・音楽・その他
舟沢虫雄という音楽家がいる。何度か僕のダンスについても非常に深いコメントをいただいたりしている。全身で感じとってくれるから、身体の背後まで見詰められている感がある。そんな、他者への感性は氏自身の音楽や生きざまにも反映している。彼の音楽は、ストイックだ。僕は20年踊ってきたが、同じ20年を彼は音楽を創り続けてきた。崩壊から再生へという心情を分かち合う同世代である。人の心を侵犯するものへ、静かな共闘を持続/共有している感がある。

舟沢は求道の態度で曲を作っている。彼は音楽の中で自身の心の現在に対して決して嘘をつかない人なんだと思う。いろんな曲があるけれど、底知れぬ闇に呑まれてゆくような感覚を直球で投げてくるような曲がいくつもあり、僕はそんな側面が好きだ。負の感性を表現するのは勇気が要る。しかしマイナスも堂々と表現されれば、プラスの意志に転換されることがある。

新作PVをつくったと訊いた。新しくつくられたPVの冒頭、赤色の光が碎け散って暗黒に消えてゆく。何度も何度も呑み込まれてゆくように。その部分が雄弁に氏の音楽を語る。闇というものの深さと奥行き。前につくられたPVは、ほの暗い画面に穏やかな水の流れが延々と映し出されて、これも良かった。でも、これらはあくまで広大な情報世界のなかで舟沢の音と出会うための入口というかキッカケであって、本当は眼を閉じて一人っきりで聴くのが一番だ。広大な闇に泳ぐ音を聴くことが出来るから。

音で闇を綴ってきた人。独特の闇を、言葉で表現できないから、視覚やら色やら動きで表現しきれないからこそ、音で綴ってきた。危機を孕んでいる。存在の脆さに関する音。ひたすら沈潜してゆくなかで、存在する事の臨界点を奏でる。それゆえ傷をも癒す。闇は闇のままで良いのではないか・・・。そんな声が聞こえる。

映像やメディアの世界に親しいせいか、氏の作品にはヴィジュアライズしやすい曲も多い。踊りや映像にも表面的に相性が良いが、氏の音楽に特定のイメージを添えるのは本当は良くないのかもしれない。うつろう音、たゆたう音、流れつづける音。氏の曲において、音は闇のなかにこだまする霊魂のようなものなのかもしれない。それは心眼にこそ映るのではないか。できるだけなにもない空間で、たったひとり聴く音楽なのだ。心を洗うのに余計なイメージは不要。たとえば眼を閉じて。音に聴き入るとき、思わず眼を閉じる、あの状態だ。集団的カタルシスから距離をおいて、ひとり自らの昨日を味わい深めようという気持ちを大事にしてくれる音楽。そんな感触が、舟沢の音楽には、とてもあるのだ。ひとり静かに聴いてほしい音楽である。

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