櫻井郁也ダンスブログ Dance and Art by Sakurai Ikuya/CROSS SECTION

◉新作ダンス公演2024年7/13〜14 ◉コンテンポラリーダンス、舞踏、オイリュトミー

響きに身を、、、:オイリュトミー

2016-05-08 | ダンスノート(からだ、くらし)
響きはエモーションを引き起こす。
響きと響きが連なり作用しあって言葉となる。
言葉はエモーションの織物とも言える。

かぜ、ふう、いずれも風の読みだが、異なる響き方をする。
耳当たりも心象もスピード感も余韻も、やはり違う。
同じ自然現象を伝えるにしても、どんな響きで表現するかで、湧き上がるものが変わる。

私は、という語りかけでも、わたしは、わたくしは、オレは、ボクは、と、
ちょっとずつ違う。印象も関係も変わる。

英語ではI am、ドイツ語ではIch bin、、、。意味は同じでも、勢いも強さも随分と変わるのは、やはり「私は」という概念に託す何かが、お国柄によっても少しづつ違うからだろうか。

ダンスの練習やクラスのプロセスに僕は「オイリュトミー」というメソッドを取り入れて長い。
オイリュトミーは自分の内面を直接表出するのでなく外側から聴こえてくる様々な響きを味わい、その響きを全身の運動で表現するトレーニングである。

例えば音楽を織り成す音の一粒一粒を、あるいは音と音が作用しあって振動を広げてゆく様子を、例えば言葉を語る声の音節や抑揚や震えや、それらが結びつきながら生み出してゆく思考の広がりや感情の細やかな波や意志力の目覚めを、響きから感じとって自分のエモーションや身体の動きや熱量に反映してゆく。他者から訪れる響きに対して、どれほどの感動力があるか。それ次第でオイリュトミーは豊かな踊りにもなるし、単なる反応におとしめることにもなる。感受の踊り、そう言ってもいいかと思う。

そのような練習をしていると、音楽に溶け込んでいる様々な響きの戯れが身に染みてきたり、言葉ひとつひとつを織り成す音声の粒子にも心が宿っていることが、じわじわと感じられて、ちょっとした感動が起こる。

自分なりの理由があって、舞台で直接そのまま用いたことは数回しか無い。しかし普段は自分の練習でもクラスレッスンでも、ひとつのベースとも言えるくらい稽古を続けている。それは、先述したような音楽や言葉や、しいては自分を取り巻く環境に満ちる様々な響きへの新鮮な感情を呼び起こす力を、このオイリュトミーなるものが秘めているからかもしれないし、物事に慣れ日に日に鈍化する神経に刺激を与えデリカシーの曇りに気づくキッカケを絶えず与えてくれるからかもしれない。

初めて学び始めた時から30年以上経って、じわじわとオイリュトミーを学んだことへの感謝が湧いている。

響きに身を委ねる。
外なる人や天地から訪れるものに感覚をひらいてゆく。

それは、内なる思いが激しく身を揺する感覚と、両輪のはたらきをダンスにもたらすように思う。
人の内面と環境は、呼応し作用しあっているのではないか、とも、、、。

このオイリュトミーというものに、僕のダンスは随分と助けられていると思う。

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