Sweet Dadaism

無意味で美しいものこそが、日々を彩る糧となる。

山の秋。

2006-11-06 | 春夏秋冬
秋の長雨も過ぎて、山の色は刻々と変化してきている。
僕がこの山にきのこを獲りにくるのもどうやら今年がこれで最後になるだろう。僕の背に覆いかぶさる籠の中身は今年いちばんに軽く、山が冬支度に向けて財布の紐を固くしはじめたことを僕に教える。

たまの小春日和が嬉しくて、僕はふかふかした落ち葉をざっくりと足で寄せ、その上に寝転び空を見上げた。細い枝先に囲まれてわずかばかりぽっかりと丸く開いた空はとても高く見えるのに、それは霧がかかったような淡い色をして、その距離をわからなくさせた。切れぎれのうろこ雲がその端を薄く覆って、高い空をたなびく風に引っ張られるようにその端っこだけが細く伸びて崩れて、僕の目では追えないほどにゆっくりと、多分流れている。耳元でかさかさと響く葉擦れの音と、はるか遠くの風の動きとはまったく同調していないはずなのに、僕はいつしか波を眺めてその音を聞いているような気分になった。

突然、波は僕の背丈を超えて頭のてっぺんのほうを過ぎていった。と思った僕は慌てて手をばたつかせた。
「ふふふ。」
相変わらず木の葉の上に寝転んだままの僕の頭上に、夕陽の逆光にその輪郭だけが金色に照らされた影を見た。小さなその手にはいっぱいに木の葉が盛られていた。こいつを僕の顔の上に容赦なく降りかけたに相違ない。ばさりと僕は起き上がると、眉間に皺を寄せて苦笑しながら、頭や背中に絡んだ落ち葉の破片を払い落とした。そしてやんわりとした抗議の意を込めて、再び彼を見上げた。
「寄ってゆくか?」
僕の抗議の視線などはものともせず、至極当たり前のように老狐は真顔でそう云った。
僕は諦めて、苦笑したままの顔で頷いた。

老狐の庵は以前来たときとは違って蔀戸が下ろされており、簡素な数奇屋に豪奢な羽織を纏わせたような風情であった。彼本人も、近寄り来る冬の足音が聞こえてか、淡く美しい藤色の着物の下から赤い襦袢を覗かせていた。
「この季節は、中途半端に寒くていけない。」老狐は云い、火に掛けたままの芋粥を放ったままで、ふたつばかり上げてあった蔀戸を下ろそうとした。僕はそれを制した。閉めてしまうのは勿体ないではないか、と僕は云った。
「勿体ないとは、何がだ。」と問う老狐に対し、僕は無言で枝の頭上をはるか高く超えた丸い月を指差した。
「それがどうかしたのか?」彼は怪訝そうに僕に尋ねた。僕はこのままではきっと焦げてしまうだろう芋粥の火を消すように促し、人が秋の空を眺めるのが好きなこと、とりわけ、その澄んだ空気の向こうに浮かぶ月を好み、短い秋を惜しむように月を愛でることを、彼に告げた。言葉を続けながら僕は縁を降りて、庭の隅に茂るススキや秋の小菊を摘んで、手近な高台に横たえた。

「人間とは、不思議なものだな。一眠りするような短いうちに、季節は回ってくるというのに。」
老狐はススキの一枝を噛みながら、開け放たれた縁の向こうに煌々と照る月をまるで不思議なものでも見るように眺めていた。

急に冷たくなった夜風が御簾を揺らし、僕たちは今まで芋粥のことを忘れていたことを思い出した。



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4 コメント

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アタリマエがアタリマエでなくて。 (yumi)
2006-11-06 23:02:27
とある澄んだお山のすそで、取ってきた梅で、
梅ジュースを作って貰いました。
そこに住む人には当たり前の。
だけど、そこに住まない人間にとっては極上の液体。

だけどそれを喜ぶのが嬉しいらしく、
あれもこれもと持たしてくれた挙句、
雨が降った後のぬかるみの中に素足で入り、
茄子が好きな私の為に、
大きなナスを取ってくれたおばあちゃん。
彼女にとっては特別でなく、
なのにそこに特別な想いをこめて。

オモイを込めるのは、人だからなのか。。。
ヒトでないモノは、どう思うのだろう?
なんかそんな事を思い出し、考えてしまいました。
nice! です! (lapis)
2006-11-08 00:30:20
リクエストに答えていただき、ありがとうございました。
2回目になると老狐に親しみがわき、より味わい深くなりますね。
窓の外では激しい風雨の音がしますが、そんなことを忘れ、月見をしているような素敵な気分になりました。
こうなると冬バージョンも読みたくなります。(笑)
ということで、冬と春も楽しみにしておりますので、よろしくお願いします。
感じる心 (alice-room)
2006-11-08 00:32:39
あるがままをあるがままとして受け入れる自然そのものである動物と、良くも悪くも考えてしまう(あるいは感じてしまうか?)人との違いが、まさに自然体で描かれていて、なんか面白かったです。

人は何もなくて思ってしまうのだけど、月を見ても木になる柿の実を見るだけでも、感じてしまう存在であることをふと思い出しました。
特別な、思い。 (マユ)
2006-11-08 22:06:36
>yumi

きっと、特別、というものは、場にもモノにもなくて、あるフィルターを通してこそ生じるものです。
見る人の眼のなかにあるフィルタ。何かを贈る側にある思いのフィルタ。それを受け取る側の感謝のフィルタ。
それらが、なんにもないものを特別にもするし、いやなものにも、なんの変哲のないものにもするのですね。


>lapis さま

きっと人間よりずっとずっと長く生きている老狐なのに、(いや、だからこそ、なのかもしれませんが)少年らしいところが可愛らしいキャラクタに育ちました。気に入って頂けてなによりです。ひねくりだして書いた甲斐がありました(笑)

冬にはきっと庵に火が灯りますね。
さて、また難儀なことですよ(笑)


>alice-room さま

不自然なく交流できているように見えるのに、ふっとしたところで感じる人間と動物の齟齬。仰るとおり、それは「想い」の在り処や「現象」との向き合い方によるところなのかもしれません。

わけもなく感じてしまうところの人間という存在の、なんと愛らしいことか。