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産業が死ぬ時

2008年12月09日 18時35分20秒 | 経済関連
「ビッグ3」の救済プランについて、今もなお米国内の批判が消えたわけではない。これは、私から見れば、ちょっと不思議に思えるのである。海外の同業者たちなどから「政府が救済するなどもってのほかだ」というような文句が出るなら判る。だが、何故かUSにおいては、同じアメリカ人たちから「救うべきでない」という意見が多数出されてしまうのである。


〔焦点〕GMGMN破産回避へ、痛みは投資家・債権者・従業員などで分け合う見通し マネーニュース Reuters

ロイター記事は判り易く書かれているので是非お読み頂きたいが、特に気に入った部分を以下に引用しておこう。

『ゴーディアン・グループ(ニューヨーク)の投資銀行・再編スペシャリスト、ピーター・カウフマン氏は「問題はワシントンに行き詰まった状況を解決するアイデアを持つ人がいなそうなことだ」と述べ、議会は民間投資家に対し、GMと再編計画を練り上げる期限を設定すべきだと指摘した。合意が成立すれば連邦政府の資金を投入すると約束し、成立しなければ投入しないと警告すべきという。同氏は「だれも瀬戸際に追い込まれるまで何もしない。来春、ビッグスリーがわれわれのところに戻ってきて、(チャールズ・ディケンズの小説)オリバー・ツイストのように『お代わりをいただけますか』と、ねだるだろう」と述べた。』

カウフマン氏の感性と私の感性は似ているということが判って、大変嬉しい。
オリバー・ツイストを比喩に使うなんて!
ジェットで救貧院を訪れるジェントルマン(笑)

因みに、カウフマン氏が再編スペシャリストだからといって、「買う不満」ではないので、念の為。


またABI研究員のウィリアム氏の指摘する『われわれが相手にしているのは破綻の瀬戸際にある産業ではない。破綻した産業だ』という意見は、ある意味においては正しいのかもしれない。けれども、産業が死んでゆく時には、多くの悲劇が生み出されるのだ、ということを言っておきたい。


かつて日本でも似たような経験をしてきた。切り捨てたことが、逆にダメージを大きくすることだってある。
経済が酷く落ち込んでしまう時、破綻させて切り捨てればいい、という意見は学問の上では間違いじゃないかもしれない。しかし、現実世界では、そう簡単にはいかない場合もあるのではないかと、私は思っている。死という運命から逃れられないのが同じであるとしても、いきなりの「突然死」と、老衰で静かに死んでゆくのは違うのだ。

働き盛りの父親が今日家のドアを出ていったのに、家族との夕食に戻ってこなかったとしたらどうだろうか?この一家はどうなっていくと思うか?明日から、どこからもお金が入ってこなくなるのだ。そうではなくて、一家の大黒柱の父親ではなく、弱々しい100歳のおじいちゃんが亡くなるのと、どう違うであろうか?
家族の死は、勿論悲しい。おじいちゃんだって、お父さんだって、どっちも悲しむことには違いない。けれども、一家の生計とか収入状況を考えると、父親に死なれたら、それは大きな打撃を受けるだろうということは誰しも判るであろう。今の「ビッグ3」の死というのは、まさにそういう突然死に匹敵するものなのである。


かつて日本では、悪しき官業の代表格のように言われていた「国鉄」という国営事業があった。この鉄道事業を民営化しようということになり、当時の中曽根総理が民営化実行に踏み切ったのだった。約27万人以上いたといわれる国鉄職員は、約20万人程度まで減らされ、民営化会社に採用されない人々が外へ出された。この他にも、JRに採用されず他の業種に転職もせずに、ずっと残った人たちもいたのだった。彼らの労働問題は、今世紀に入ってもなお闘争が続けられていた。国鉄時代の労組で有名だった「国労」「動労」などの内部的ゴタゴタや、労働運動や組合活動そのものの衰退といったこともあったが、要するに、規模のかなり大きな産業の「ドラスティックな変化」というのを実行しようとすると、社会問題がかなり発生してくるということを言いたいのだ。民営化移行期には、国鉄職員の自殺などが数百人にものぼり、数千人規模の人々が労働・雇用などの長期紛争に巻き込まれていくことになった。米国であると労働者の流動性はかなり高いので、大量の失業者を生むような産業死があっても大丈夫なのかもしれないが、日本の労働市場がかなり硬直的ということを割り引いたとしても、労働者たちには大きな負荷を強いることになるだろう。


以前に長崎に訪れた時、グラバー園に行ったことがある。
トーマス・グラバーの資料館のような所にも足を運んだ。彼は、明治維新頃に長崎で活躍した英国人ビジネスマンで、日本人女性と結婚し日本で実業家として暮らしたのだった。グラバーは英国人であったから、新規開発投資に積極的だった。その一つが、炭鉱事業であった。高島炭鉱の開発を鍋島藩との合弁で推進し、後に三菱財閥を形成する岩崎弥太郎の手に渡った。

その後に日本国内の各地で炭鉱開発が進められ、いくつもの炭鉱町が誕生していった。日本の雇用の一部を担う産業になっていった。しかし、石油の時代がやってくると、炭鉱の必要性というのは薄れていくことになったのである。日本でわざわざ石炭を掘らなくても、海外から安く輸入できるようになったこともあるだろう。そうした時代の流れの中で、全国にあった炭鉱は一つ、また一つと消えていった。産業がまさしく死んでいく、という過程であった。そんな時代を描いた『フラガール』という映画が日本で好評を博したが、死に行く炭鉱とそこにいる人々の苦悩や葛藤というものを判り易く表現された作品だった(興味のある人は鑑賞してみることをお勧めする)。

グラバーが開発した高島炭鉱は、それでも100年の歴史を刻んだ。1987年まで存在した。
高島の町は、かつて炭鉱夫たちで賑わい、町の全てが炭鉱とともにあった。炭鉱関係の従事者は町の約9割にも及んだ。そうであるが故に、閉山によって町の大半が廃墟になってしまった。町を出て行かざるを得ない人々が続出し、人口は僅か数年で3割に落ち込んだが、それは以前から十分予想されていたことだった。閉山に至る過程の中で人口減少が続いてきたのであり、10年か15年程度で町の人々が半減していたからだ。こうして、由緒ある炭鉱と高島の町は、産業とともに死んだのだ。

炭鉱閉山の流れはもっと以前からであり、炭鉱離職者たちに支援する法律や制度などが制定されていった。日本が炭鉱閉山を乗り越えられたのは、そこそこの成長期だったから、ということはあるだろう。受け皿となる就業先がどうにか見つかる時代だったからだ。炭鉱事業全体で見れば、突然死ではなかったし、フェードアウトのような衰退であった。だから、何十年もかけて人々の移動が起こり、新たな仕事に従事していくという転換が行われた。明日に消えるとか、来年全国の炭鉱が一斉になくなる、というようなものではなかった、ということだ。そうではあっても、高島町のように、地域社会が崩壊していくのだ。高島だけではない。夕張もそうなのだ。炭鉱が消えてゆく過程で、急速に起こる経済や人口の縮小に対応できなかった結果、財政破綻への道をつき進むことになってしまうのである。他の炭鉱のあった町も似たような傾向を持つのだ。


死にゆく過程が、ある程度長い経過を辿り、時間的に余裕があってでさえ、その対策に必要な社会的コストは小さいものではなかったろう。これが昨日まで現役バリバリの「アメリカ自動車産業」ということになると、それが死ぬことによって発生する必要コストは、現在検討されている支援額レベルでは到底済まないと思われる。このことは、GMの会長が公聴会で述べた通りで、その主張は支持できる。米国人ならば、日本人労働者のように自殺する人たちが多数出るとは思わないが、失業に伴う社会的援助の増加や消費減少のマイナス影響は無視できるようなレベルではないだろう。ましてや、今の経済環境下で起こってしまうのは、産業死を超えて全産業にダメージを与えるだろう。

アメリカでも、かつて町が死んだ経験を持つだろう。例えばゴールド・ラッシュ時代の、田舎町のようなものだ。あるいは、石油事業で潤った町でもいい。デトロイトをどうしても廃墟にしたいのなら別だが、雇用の受け皿や代替産業が育たずに一大産業が突然死を迎えたら、地域社会は壊滅的ダメージを受けることになるだろう。残されるのは、移動できない貧しい人たちや体の弱い高齢者たちなどだ。多くの米国国民がそれを望んでいるなら、それも仕方のないことだろう。私にはどうすることもできないが、正しさというものは時として人々を不幸にする、ということを考えてから、慎重に選択して欲しいと思う。


最後に、一つ言っておきたい。
経営陣は猛省してるようだし、「給与は1ドルでいいからやらせて欲しい」ということなら、今すぐ首を挿げ替えろ、ということを強要しなくてもいいのではないだろうか。私なら、工場労働者たちや会社の一般社員たちの意見を聞きたいのだけれど。会社のみんなが「どうしても社長にやって欲しい」とか、「今の危機を乗り越えられるのは、会長しかおりません」とか、みんなに熱望されているなら、会社のことをよく知っている人が経営を担当するのは悪いこととも思えないので。大勢の社員たちが支持している人を、無理矢理に辞めさせる必要はないのではないかな、と。金を出す以上、どうしても経営サイドに人間を送りこまなければならない、ということなら、それはそれで再建チームみたいな人たちと経営陣とで共同作業させるとかできるのでは。

これは些細なことだ。本当に言いたいことは、これではないんだよ。
もし会社が助かって、生産を継続できるとしよう。そうしたら、直ぐにでも売れるようになる方法を教えてあげよう。

 「社員がそれぞれ1台買え」

ある意味反則技かもしれないが、全員買い換えろ(笑)。

会社は、従業員に給与の一部を現物支給する、というのと同じ。社員たちと関連企業とで100万人いるなら、100万台が売れる。中古は下取りして、輸出するとか中古車市場で売るとか、どうにかせよ。

そうすれば、会社の業績は急回復だ。従業員たちは苦しい中から、自分たちが「生み出した車」を給料の一部天引きで購入し、代金を支払終えるまで給料は安くなる。でも、失業よりいいだろ?明日から会社がなくなるのと、どっちがいい?会社も苦しいんだから、従業員も共に苦境を脱するまでは協力せよ。社員が全員乗ることで、街中の宣伝効果も期待できる(笑)。1人で買うのが厳しい、ということなら、何人かでシェアするとか。社員の現物支給分の返済が終わるまでは、株式の配当も当然停止だ。「自社製品を愛せよ」「会社も従業員も一体となって協力せよ」ということが達成できないと、危機的状況を脱することはできないだろう。


だから、さっき「買う不満」じゃないよ、って書いておいたでしょ?(笑)




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