
「コクリコ坂から」 (以下、ネタバレ注意)
舞台は1960年代の横浜・山の手。ストーリーは、下宿屋の娘と、船乗りの息子が恋に
落ちるという、レトロ&学園モノ。この時代、学生は礼儀正しく、部活にも一生懸命で清々
しい。先生はまだ畏敬の念を持たれている。昔懐かしのガリ版が出てきたり、学生運動が
出てきたり…。おそらく「当たり前田のクラッカー」がリアルで分かる世代には、ノスタルジー
を感じさせる設定だろう。なによりも、ジブリならではの、背景画像の丁寧さ、音楽の素晴ら
しさ、当時の生活を感じさせる描写、といったのがこの映画の魅力だ。
一方、その状況設定が、自分を含む若い世代には大きなハードルとなっていそうだ。
例えば「山はり」(試験のヤマを張る)という言葉が出てくるが、途中まで何を指している
のか良く分からなかった。また、高校生が体育館でなんで偉そうな主張をぶつけ合うのか?
なぜ肩を組んで合唱するのか?というのも、感情移入がしにくいだろう。
そう、観客としては唐突感にとらわれる瞬間が多いのだ。
冒頭、主人公の海(うみ)が下宿らしきところで、朝ごはんの支度を準備するところから
はじまるが、なぜ、下宿で下働きをしているのかがよくわからない。父親が亡くなり、
愛人と駆け落ちした母親が亡くなり、厳しい祖母に引き取られて・・・という苦労話かと
思いきや、後で突然、母親が登場してくる。
また「カルチェラタン」というのが話題になるが、学生新聞なのか?建物なのか?宗教
なのか?何を指しているのかわりづらい。(ちなみに、カルチェ・ラタンとは、フランスの
学生街として有名で、ウィキペディアによると「ラテン語を話す(=教養のある)学生が
集まる地区」とのこと)。
そもそも、海が恋に落ちる理由がよくわからない。俊がカッコイイからなのか、
学園新聞に素敵な詩を寄稿していたからなのか…。美男美女だから好き合う
というであれば、あまりにも薄っぺらだ。
だから、状況を読み解くのに集中して映画を見なくてはならない。
「コクリコ坂」の場合は、最初の30分以上、場面としても、淡々とした日常が続く。
見る側としては結構しんどい。
この点、例えば「風の谷のナウシカ」の冒頭で、オームが出てきた時、見ている人は
「ああ、こういう生き物が存在している世界なんだ」というのにスッと入り込めるし、
「天空の城ラピュタ」でも、女の子が空から落ちてくるという、現実にはありえないけれど
そういう話なんだ、と抵抗感なく納得できてしまう。元来のジブリ映画は、冒頭で観客を
引き込む術に長けている。
「コクリコ坂」は山場の描き方もベタである。唯一の盛り上がりは、ある「秘密」が明らかと
なり、海が落ち込むところだ。その夜、海の夢のなかに両親が出てきて・・・という展開に
なるのだが、登場の仕方にもヒネリがない。作品の名誉のために補足すると、隣席の
男子を含む観客の多くはここで涙していた。シーンそのものの描き方は綺麗だったと思う。
確かに前半部分と比べ、山場の前後はかなり引きこまれた。が、それが、最後まで続か
ない。
というのも「秘密」が作品のテーマかと思いきや、あっけなくその葛藤が解けてしまい、
ハッピーエンドに向かう。こうなると、乗り越えなくてはならない障害は何もなく、
どんなテーマの話なのかがぼやけてしまう。
テーマがハッキリしない別の理由は、いろいろ盛り込みすぎていることにもある。
ストーリーが展開する舞台としては、「下宿生活」「学校生活」「父親の過去」と3つに
分かれているが、それぞれが中途半端で、話しが飛んでしまっているのだ。
登場人物も多くて覚えきれなかったり、関係もわかりにくい。
セリフの一つひとつも直線的だ。だから、キャラクターが「演技をしている」感がありありと
伝わってしまう。例えば、哲学研究をしている学生に「私は哲学をやっている」と語らせるの
では、あまりにも稚拙だ。むしろ、一見、何をしているのか分からないのだけれど、通りかか
る人に「人生の意義とは?」と問いかける変な奴くらいのほうが、リアリティーがあるだろう。
同じく、好きな人に「好き」とあっさり伝えてしまっては、「好き」の深さは描けない。
その他、細かい設定が練られていないのもひっかかる。
登場人物の返事が何回もハモったり、合唱が妙にうまかったり、海がメルと呼ばれていて
こんがらかったり、理事長が海に妙に馴れ馴れしかったり、コクリコ坂ってどこなの?とか・・・
どうもシックリ来ない部分が多い。たぶん、こんな細かいところが気になってしまうのは、
前後関係がわかりづらかったり、人物描写が単純すぎるからなのだろう。
「コクリコ坂」を一言で言ってしまえば、「おじさんが懐古的に昔の良さを抽出して切り貼り
した映画」だ。なので、切り貼りした部分を自分の実体験or想像力でうまくつなげる人は、
満足感を得られるだろうし、浸れない自分のような人は、あら探しで終わってしまうのだと
思う。










