あるSEの業務日報

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ER緊急救命室シーズン1を見た

2017-02-12 03:51:09 | 番組

 BS放送のDlifeで、ER緊急救命室のシーズン1が2月5日から放送されており、ブルーレイレコーダーに録画したが、土曜日にまとめて視聴した。

 久々に見たシーズン1は本当に面白い。グリーン先生は4年目のチーフレジデント。ルイス先生とベントン先生は2年目であり、インターンを終えてレジデントになったばかり。そしてジョン・カーターは医学部の3年生で、カウンティー総合病院で実習を受ける、まさにひよっこ。これから様々な経験を経て一人前の医師に育っていくヒューマンドラマだ。

 このドラマが最初に放映されたのはNHKBSで、1996年4月だったと記憶している。偶然、昼のニュースが始まる前の番組紹介でこのERを宣伝していたが、あの番宣がなかったら多分知らいままだったと思う。この点ではNHKに感謝だ。ちなみに96年の3月は番組改編で札幌テレビと北海道放送が深夜の海外ドラマでの放送が全て無くなってしまい、ドラマ好きの私にとっては見るものが全部無くなってしまうという危機的状態に陥ってしまったが、そんな中で唯一NHKだけがこのERを放送してくれたので、大変ありがたい存在だった。その後テレビ朝日でもシカゴホープという医療ドラマが始まるのだが、海外ドラマはこれだけになってしまい、結局7月にCS放送を契約する事になった。

 さてこのER、第1話「甘い誘い」は衝撃的なスタートで今でも強い印象が残っている。それまでの日本のドラマでは、人が亡くなるシーンは、白衣を着た医師がただ聴診器を当てて「ご臨終です」だけ伝え、家族が泣きじゃくるというのが定番だった。つまり日本ドラマの「心臓の停止=死」だったのが、このERは日本の常識が崩れ去った瞬間だと思う。心臓が停止したとしても、まだ死んだわけではないのだということを、リアルに伝えてくれた初めての番組だった。そしてそれまでの病院ドラマでは考えられなかった専門用語が雨あられのように降りかかる。ストレッチャーで運ばれて、色々な薬剤や点滴が入れられて、心停止したとしても心臓マッサージや除細動器で蘇生させる。そんな処置が生々しく伝わってくるのはERが初めてだと思う。

 そんなERシーズン1だが、放送から2か月くらいたった時に、私の後輩が遊びに時々来ていた時の話をしたい。その後輩は現在は整骨院として独立し開業しているが、当時はまだ病院の勤務医であり、時々ふらっと遊びに来ていたものだが、私が録画したERを見せるとても感心した様子だった。私にとっての訳の分からない専門用語が「血算・生化学」や「オーマイナス、クロスマッチ」などの意味をシーンごとに説明してもらえ、やっと訳の分からない存在が、意味が分かったのがうれしかった。また彼の話では、日本とアメリカでは手順や方法が明らかに異なる点がいくつもあるそうだ。また機械類は本物であり、彼の病院と同じ機械が使われているらしい。それとストレッチャーから診察台へ移すのがとても上手らしい。頻繁に見かける「3で移すぞ」のアレであるが、ドラマでは看護師だちがうまく患者を移している。それがとても上手らしいのだ。逆に私は日本の病院は上手じゃないの?と、ちょっと不安に感じてしまったのを覚えている。

 そして第1話の最後のほうでベントン先生が単独で手術をするシーンがあるが、これは2年目レジデントではまだ執刀が許されないにも関わらず手術に踏み切るのだが、このシーンについては後輩が苦渋の顔をしており、「たぶん自分も同じ事をするだろう」と他人ごとではない様子だった。

 最後に一通り見終わり、「このビデオテープ、貸してもらえませんか?そのまま看護婦の研修ビデオになります」と私は驚いた。よくできたドラマだとは思うが、まさか本物の病院での研修に使われるとは考えてもみなかった。その後話を聞くと、本当に看護婦の研修ビデオになったそうで、あれこれ質問責めになったそうだ。それで私が思ったのは、北海道の田舎での病院レベルは大丈夫か?だった。そしてその後の私の入院や母の入院で実際に受けた看護師たちをみていていると、私にはドラマのほうが本物に思えてしまったのは何故だろう?

 いずれにせよこのERというドラマは、私自身が入院したり、肉親が亡くなったりすると、頭で描くのと現実と異なってくるという事実だ。延命拒否のサインは現実に直面すると悩ましい問題だと改めて実感する。

 このドラマを最初からじっくりと自分自身を見つめていきたい。