O村ライターのたわごと

マニアというには半端な。陸上ライター歴20年の細道。
しかしともかく陸上好きな奥村崇がいろんなお話をしていきます。

20回目のインターハイ取材の話

2014年07月28日 | 陸上

好きな競走馬はステイゴールドです。



こんばんは。
O村ライターです。



世界ジュニア選手権の日本選手団は
メダル6、メダルを含む入賞21
という素晴らしい結果になりました。



世界ジュニアが閉幕したと思ったら、
もう明後日からインターハイです。
暑いです。
インターハイはいつも暑さを連れてくるのですが、
今年は輪をかけて暑くなりそうです。
18年前の甲府も暑かったですね。



アメリカには行けませんでしたが、
甲府はもちろん行きます!!
炎天下の取材、徹夜の執筆作業という
過酷な毎日が待ち受けますが、
高校生のエネルギーが乗り移るのか、
毎度ぎりぎりのところで乗り切ることができます。



インターハイ取材はちょうど20回目です。
室伏広治選手の日本選手権20連覇を思うと
じぇんじぇん大したことないのですが、
無事に最後の記事を出稿した晩には、
ひとり静かに祝杯をあげたいと思います。



12年前です。
“連続取材”の自己記録が途切れそうになりました。
7月下旬、
虫垂炎で入院してしまったのです。
(一般にいう盲腸です)



入院した病院の看護師さんは、
美人しかいらっしゃいませんでした。
ちょっと口うるさめの、ちょっと年長の婦長さん的な人とか、
いらっしゃるのかと思っていましたが、
美人しかいらっしゃいませんでした。
こうなると、逆に美人でない人を探してしまいます。
ですが、
美人しかいらっしゃいませんでした。



サクッと手術が終わり、
美人看護師さんたちに優しく看護してもらい、
無事に退院。
しかし、インターハイはもう開幕しています。



病人気分の抜けない私に、電話が鳴りました。
月刊陸上の編集者からです。
「茨城に来られない?」(編)
「えっ。マジですか」(O村)
「うん、マジ」(編)



その編集者の方の声を聞いたら、
冬場に学校へ行き、シーズン開幕後あちこちの競技場で取材してきた
高校生たちの顔が、次々に浮かんできました。
美人看護師さんに骨抜きされていた私のハートが、
瞬時にインターハイ・モードに切り替わりました!!



少年時代に読み込んだ
漫画のワンシーンが飛来します。




「今、あなたのかわりに×××××が戦っているわ!
まだ間にあうわよ! 今、行なかったら男じゃないわっ!」



「そうだった…! こんなところでハーレム気分に
ひたってる場合じゃなかった!
×××××ちゃんに“逃げた”と思われたら
たいへんなんだ!!」



グワッシャアッ ←マンガ/腕のギブスを叩き割る音←現実/私の心の中のギブスを叩き割る音


「いくぜっ ×××××!!」

(引用/炎の転校生6巻P54~55 1984年 小学館 島本和彦先生)
×××××には、私の心の中の、実在の人物名が入ります。



私は「行きますっ!!」と即答したい衝動をこらえ、
「もちろん行きたいのですが、主治医に確認します…」
と答えておきました。



その旨を病院に聞いたら、
あっさり「別に平気ですよ」と言われ、
“医者が止めるのを振り切って駆けつける”
というストーリーは崩壊しましたが……。



そんなこんなで、2002年茨城インターハイは
最終日に常磐線に飛び乗って駆けつけ、1日だけ取材しました。
女子4×400mRの2連覇を果たした
埼玉栄チームを取材しました。
(埼玉栄は翌年も勝って3連覇します)



主将の安楽桂子選手が、私の顔を見るなり一声、
「昨日までいませんでしたよね!?」
あれえ、という表情を鮮明に覚えています。



青春を懸けた大会で、
こんな一介の記者が取材に来ているかどうかを
気に留めてくれてたなんて……!!
うれしい一言でした。



この年のアクシデントがなければ、
野球風にいうところの「連続イニング出場」でしたが、
なんとか「連続試合出場」は継続されることになりました。



思えば、
あの時に編集者が茨城に呼んでくれなかったら、
今度が「20回連続取材」にはなっていなかったわけです。
自分一人の力だけでこれだけ長く、
インターハイ取材は続けられません。
関係する皆様には、ほんとうに感謝しています。



そしてインターハイの記事を書き終えるまで、
ブログを更新している時間はありませんので、
しばらくブログはお休みです。


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