健康塾通信

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生命力・胃がん

2014年08月20日 22時55分13秒 | Weblog


旧盆も過ぎましたが、まだまだ
厳しい暑さが続いています。

母が転居して1ヶ月弱となりました。

少しだけ介護休みを頂き
ミニクラス会に参加してきます。

場所は世界遺産として、観光客が更に増えた富士山の麓、河口湖です。


さて、母は2月24日に入院以来、身体の衰えは進んで行きました。

体重は30kgを下回り、眼球のちからは失せ、息苦しさの為か声はかすれ
てほとんど聴き取れませんでした。

食事は、全がゆとミキサーで砕かれとろみを付けた副食でした。

しかし、ほとんど食べることなく、点滴に委ねていました。


このような状況から、家族が足繁く通うことと、
その行動を見守ることで、気付きや発見がありました。

そして、母の声になり主治医、看護士や介護担当、
リハビリ、作業療法士のみなさんに、
ある時は苦言を呈し、またお願いや相談を繰り返しながら向き合ってきました。


少しずつ希望が見えてきたのは、

肝機能が低くなったとき、これまで
服用していたほとんどの薬をやめたことです。

その後は、胃薬(胃酸を抑えるもの、胃粘膜を保護するもの)だけにして、
必要以上な検査もやめて頂くように希望しました。

実は、食べ物を受け付けず、嘔吐も繰り返していたので、
胃がんの疑いもあり、胃カメラ検査をすすめられていました。

しかし、たとえ癌が見つかっても高齢のため手術は無理なのです。

それに、母はこれまで沢山痛みや辛さと闘ってきたので、
これ以上苦痛を伴うことはやめて頂きました。


実は、東京オリンピックの時にすでに胃がんの手術を経験しています。


甲府市内の病院を点々として、当時はまだ痛みを伴い困難だった胃カメラ検査を
何度も繰り返していました。

その頃の詳しいことはわかりませんが、
おそらく癌と、診断されるまで時間がかかっていたのでしょう。

その後、東京の知人を頼りに
国立がんセンターで手術が受けれることになりました。

東京に旅立つ日の朝、人相まですっかり変わってしまった母から、
年下の兄弟には、黙って行くこと。
そして、「もう帰れないかもしれない」
と、言われたことが忘れられません。

当時、私は小学校5年生で世間は日本で開催されるオリンピックの話題で沸いていました。


その後、九死に一生を得たは母からは、病室から聖火が見えたこと、
真上の病室に当時の池田首相が入院していたことを、聞かされました。

そもそもこの手術が母にとっての
最初の命びろいとなったわけです。



…つかの間の休日を過ごし、帰路に向かっています。

昨夜は河口湖近辺のホテルに泊まり
久々の友人達との会話に花が咲きました。

今日は午前中、お気に入りのオルゴール館に立ち寄り、
五感を癒されて参りました。


8月もあと10日ほどとなりました。

年々、暑さが増してこたえるようになったのは、歳を重ねたせいでしょうか。。。




いくらか日の入りが早くなり、ホッとするこの頃です。


ではまた近いうちに(^-^)/





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