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日産副会長の講演「日産のマネジメント改革とモノづくり改革」を聞いて

先日、インテックス大阪の傍のハイアット・リージェンシー大阪ホテルで日産の副会長・高橋忠生氏の 標記の講演が開かれました。
ほぼ半年前にはトヨタの技術系で元副会長の講演「トヨタのグローバル経営と人づくり」を聞いていました。今回は日産の技術系経営者の講演で、日産の現状はどうなのか、ゴーン改革が 実際にはどのように行われたのか という内容を期待し、聴講参加しました。結果 期待通りで “日産の生え抜き役員の目から見たゴーン改革” という表題が 適切であったように思います。過度に 刺激的でしょうか。

講演は日産の沿革の説明から 始まりましたが、日産の発祥が 大阪市大正区南恩加島町1であるとは 全く知りませんでした。クボタ鉄工と隣接し日立金属とも関係の深い会社だったということも 初めて知りました。
そして、“発祥の地、大阪の方々にも 日産の車を 是非 愛用していただきたい” との講演者・高橋氏の言葉は印象的でした。
そして 次のような 創業者・鮎川義介氏や ウィリアム・R・ゴーハム(William R.Gorham)氏の言葉の紹介がありました。

鮎川:“(自動車という)事業は 我々のような野武士でなければ出来ない。”
ゴーハム:“日本の家内工業に優れた特徴があることを忘れてはならない。米国式の優れた点と日本の良い点を組合わせ、将来事業の成功に努力すべきである。”

これらの言葉に思いを致し、また、日産のマネジメント改革を経験して再確認したことは “日産のモノづくりには“家内工業”的運営に特長が有る” ということでした。“家内工業”的とは 各従業員が自立して自営し、社長も同じフロア内で仕事をしているという環境にあることを指すとのこと。
そして、それが、今後のグローバル競争の中で、日本発のモノづくりの強みにつながって行くだろう。つまり、開発~技術~工場 の一体感のあるチーム力であり、累積的な改善力(現場主義)であり、お互い励まし合って競争する切磋琢磨の文化から生じた強さである。今後は その上にITを使った 各プロセスの“融合の革新”が付加されるであろう、ということでした。

私の知るところでは、日産が危機を改革する経営者としてやって来たゴーン氏は その後 日産の問題点として 各所で講演していた時には 下記の5点を挙げていました。
(1)明確な利益志向がなかったこと。
(2)顧客志向が十分でなく、競争相手ばかりに関心を払っていたこと。
(3)セクショナリズムが横行し、部門や地域を越えた業務の横割り連携ができていなかった。
(4)危機感がなかった。
(5)ビジョンや長期計画を共有していなかった。

これは 今回の講演によると、生え抜き役員の目からは 次のようなところに主要な背景問題があったということです。
実は、日産は90年代初頭から マネジメント改革の必要性を分かってはいたが、実施しても効果が出ずにあえいでいたようです。これは “技術の日産”のプライドが 独自性の尊重と相まって、“他工場のマネはしない” という風潮が蔓延。その上、当事者の責任感は強いので、自己完結型の解決法となり、“オレがやる。外には言うな!”という意識が先行し、問題が顕在化せず、セクション毎のタコ壷だらけとなったということです。

この意識の壁を 突き崩したのが、マトリックス業務運営と 組織横断型のクロスファンクショナルチームだったとのこと。マトリックス組織は この場合、機能軸(グローバル・ファンクション)と地域軸(マネジメント・コミッティ)、商品軸(プログラム・ダイレクター)の3軸によるもので、クロスファンクショナルチームは購買,生産,技術・開発,販売・マーケティング,財務 など12のチームによるものだそうです。このそれぞれの責任者は 経営者ゴーンに直結はしていたが、現場に対しては 人事権無く、何の権限も与えられていなかったため、責任者は現場へ動かざるをえなくなり、現場と一緒に行動し、共感を得るように仕事をせざるを得なかった。こういう責任者を通じて 現場に経営者の考え方が浸透した時、相互の協力、適切な競争意識が 全社的(グローバル)に巻き起こったとのことでした。この責任者の積極的な動きが、組織の壁を崩す 具体的な行動だったようです。

その結果、日産の従業員には 必ず複数のボスがいるのだそうです。これは 私には 考えられないことです。かつて若いころ 私には 2人の上司が出来てしまい、経験不足の当時 私には精神的にもかなりな負担になった経験があるからです。今 振り返っても 仕事を命じられる側に 相当な主体性と全体観がなければ 錯綜する課題処理の優先順位かつけられず困難な状況に陥るような気がします。(半年前のセミナーで トヨタは、社内コミュニケーションを回復するために、ピラミッド組織へ少し回帰シフトすると宣言していた。)
また 私は それ相当の経営学の教科書を 拾い読みしていて、“結局のところ マトリクス組織は 上手く行かない” という意味のことが書かれてあったのを見て、自分の体験的見地と合致していると ホッとしたようなことがあったのですが、実際には このように上手く行った企業があったというのは 驚きでした。そこには どんな工夫があったのでしょうか。

とにかく改革の結果、瓢箪から駒の続出となったとのことです。ここまで来れば改革は成功なのでしょう。 “マネしない”が変化し、知恵の取り合いとなり、ウェブ型グローバル切磋琢磨体制が誕生したとのこと。本社が グローバルにベンチマークを観察し、ベストプラクティスを推奨するやり方は 上手く機能しなかったとのことですが、 ある時 どこかが自発的に他を見て回り、他の良い点を吸収し成果を上げ始めると 相互に見て回り始める動きが出てきて、全体に自ずとベクトルが合うようになって来た。その結果、(工程の)順序遵守率:97年 5% → 05年 90~99% (工程の)時間遵守率:97年 5% → 05年 95~99.9% リードタイムの短縮: 06年には 91年の45%へ短縮 となった、ということです。
全体にベクトルが合うようになるというのは 非常に重要なことと思います。

結局は 社内コミュニケーションが 非常に重要であり、問題を顕在化させ、組織の壁を壊し、皆で協力して課題解消する企業文化が大切であると 言うことのようでした。(トヨタは問題を顕在化させる組織として成功。)
また 最近の 業績不振については 多くを語られることはありませんでしたが、経営の基盤は このように固めているため、現状のような苦境も たいした問題ではなく、容易に克服可能であるとの見通しを語られました。

少々 不遜かも知れませんが、ほぼ半年前に聞いたトヨタ自動車の 元副会長の講演と比べて トヨタの方が企業文化のプラットフォームが しっかりとあり、時代の変遷があっても根っこの部分は変化していないように思いました。つまり、トヨタは 不易流行の部分の区分けが ハッキリしていると感じたのです。
ところが日産の場合 基底部分も含めて いつも世の中の変化とともにドラスティックに ゆらぐことがあります。(例えば 日産発祥の地の大阪にはその痕跡の気配すら無い、等々) それが組織のアイデンティティーを求める作業となり、その結果が この講演の冒頭にあるように鮎川氏や、ゴーハム氏の言葉の発掘作業となり、“日産のモノづくりには“家内工業”的運営に特長が有る” という認識につながったのではないかと 思いました。
これは トヨタのようなあり方が “着実で徹底していて良い”、というような良否の問題でも ないように思うのです。日産のように変幻自在に大きく変化しつつも 組織自体は生き延びることができる方が 結果として 変化力のある強い組織であるということかも知れません。その日産の 変化力の源泉はどこにあるのかは、今回の講演では分りませんでしたが・・・。いずれにせよ日産の従業員は 激変の中で戦い抜いている相当なツワモノ達と思われます。勇将の下、弱卒無し。ですが、講演者・高橋副会長は 非常に温和な方の印象でした。

このような 両社の性格の違いは、どうも創業者の性格の差によるものではないかと 何となく 思うのですがいかがでしょう。もし、そうだとすれば 企業にとって、その創業者の影響は絶大なものではないかと改めて思うものです。
とにかく、日本の2大自動車メーカーが このように全く異なる性格を持って 相互に競い合い発展しているということは 非常に興味深いことだと思った次第です。



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