○オーストラリア探訪記その6
ブリスベンへのバス待ちの時間、例によって、どこで飲んでも同じ味のカプチーノと巨大なマフィン。待ち時間も半端じゃあない。2時間半だと。書いている間もマウンテンバイクの横転でケガした数カ所がやけに痛む。それに右ヒジの打ち身の調子がよろしくない。
バスの乗り場の名称が違うと云って連れ添いは心配顔である。いまさっき、この地のホテルのピックアップバスの運転手のニイチャンに聞いたら、ここの2番のバス停で間違いなしだと聞いたばかりなのに。ブリスベンで、あと2日だ。僕は、もはや開き直った。あのチャライニイチャンの方を信じることにする。むしろいろいろ確かめようとし、あたふたしている英語堪能な連れ添いよりも。
カプチーノの出来上がりまで、奥でスムーザーをつくっているかわいい系のオネエチャンの方を見るともなしに見ていると、彼女と目があって、この地上ではなかなか見られないほどの見事な笑みを返された。よく出来たお愛想笑いの典型を承知で、あのお嬢が、オレに微笑みかけてきれたぜ!と連れ添いに云ったら、気持ち悪がられただけよ、まあ、一種の危険回避ね、などとのたまわる。わかっとるわい!そんなことくらい。わかった上で勝手に楽しんでいるんだ。中高年男の小さな楽しみを奪うことなかれ!である。しかし、だ。サンシャイン・コーストのコジャレたショッピング街のスムージーの店の、これまたかわいいオネエチャンにトイレはどこか?と聞いたら、店の奥から誰もが使えないトイレの鍵を出してきて、それを貸してくれたんだから、まんざら危険回避ばかりではなかろうに、ね。ほんとにねえ、見事なまでに僕の気持ちを萎えさせてくれるよな。この人はね。
さて、退屈感についてまた書き足そうか。僕たちが退屈であると感じるとき、その感情の底にあるのは、オレ/ワタシは<本来>こうあるべきなのに、実際は本来的な姿とはまるで違う。オレ/ワタシが退屈感を抱くのは、自分たちが本来居るべき場に居ないからだ、あるいは、なすべきことをなしていないからだ、という煩悶が頭の中を大きく占拠しているからではなかろうか?あくまで括弧つきの<本来あるべき姿>と、現実の己れの姿との隔絶、断裂が、人をして、自己溶解の危機を生じしめ、自己溶解の行き着く果ての姿が、退屈感の正体ではなかろうか?
目覚めて、ブリスベン2日目。曇天ばかりの日々が、ここにきて、たぶんオーストラリアらしい雲一つない抜けるような藍色の空だ。この安ホテルからブリスベン一の繁華街は目と鼻の先の距離だ。足の傷の痛みと、気づかなかった、そこここの身体中の痛みで、ベッドにふせってこれを書いているのである。一緒にショッピングに行こうという連れ添いの誘いを断った。この程度の不調くらいは何とかなるが、連れ添いとの買い物はいかにも楽しくないのである。海外に来たら、通貨の違いに次第に麻痺してきて、価格に見合わぬものまで平気で買ってしまって、帰国してから、クレジットカードの請求額を見て、ありゃー!となるのも一興だ。これが買い物の醍醐味というものだ。賢いお買い物なんて、おもしろくも何ともない。旅で使う金くらい、宵越しの金はもたねえ、というくらいの心構えでいいじゃあねえか!賢いお買い物は、日々のやりくりのジャンルの発想だろうが!シドニー4日目
の中華街の、怪しげなフードコートで、見事に財布を持って行かれて以来、直感的に、これは、と思うものも自分のクレジットカードを使えず、いちいち連れ添いにお伺いをたてねばならんので、ショッピングは勿論、食事、飲物、その他諸々が、すべておんぶに抱っこという錯誤にとらわれ、凄まじく気分が萎え細って行く。旅の不幸という概念があるとするなら、こういう気分・感情ではなかろうかね?
オーストラリアのどんな光景を見ても、ちっとも感動などしないけれど、この地のトイレ、これはすばらしい。公共のそれの気持ちよさ。どこもかしこもアンモニア臭すらしないんだから。手洗い用の石鹸も日本の一流ホテル並み。日本もこれは見習わないといかんね。ぎょっとさせられるような公衆トイレが日本には多すぎるし、まあ、公衆トイレなんだから、こんなものか、なんて諦めているフシもあるしね。意識改善が必要だね、日本も。
かつてはバブル時代の日本マネー、いまは、バブル中国マネーの流入の勢いをかりて、この国の景気は上昇気流に乗っている。ちょっとしたインフレだが、経済の動向としてはこれくらいがいいのではないか。市民の暮らしぶりをみても、まずまずの賃金を獲得しているのではないかと思う。日本の沈滞したデフレ経済と比べると、お金がうまくまわっている。
車だって、トヨタ、日産、ホンダ、スズキより、フォード、殆どのヨーロッパ車、それに韓国のヒュンダイ車の方が、ずっと幅をきかせている。日本こそ、3・11の悲劇を乗り越えて、景気を立てなさないといかんのに、日本の政治家や御用経済学者たちは、消費税という間接税を含めた税金を上げるんだ、と。賃金は下がる。税金は上がる。みんな金は使わんよ。ならば、当然景気はよくならないですよ。海外に出向く人たちは、日本製の車もそうだけれど、日本製の製品がどれだけその国で発見できるか、見学・お買い物のついでに観察してみられるとよろしいです。市民が賢くならないと、な〜んにも解決しないんだから、結局のところ。政治家なんてかなり、いい加減だと思うし。だって、彼らは、すべからく金持ちだから。
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文学ノートかつてぼくはここにいた
長野安晃
ブリスベンへのバス待ちの時間、例によって、どこで飲んでも同じ味のカプチーノと巨大なマフィン。待ち時間も半端じゃあない。2時間半だと。書いている間もマウンテンバイクの横転でケガした数カ所がやけに痛む。それに右ヒジの打ち身の調子がよろしくない。
バスの乗り場の名称が違うと云って連れ添いは心配顔である。いまさっき、この地のホテルのピックアップバスの運転手のニイチャンに聞いたら、ここの2番のバス停で間違いなしだと聞いたばかりなのに。ブリスベンで、あと2日だ。僕は、もはや開き直った。あのチャライニイチャンの方を信じることにする。むしろいろいろ確かめようとし、あたふたしている英語堪能な連れ添いよりも。
カプチーノの出来上がりまで、奥でスムーザーをつくっているかわいい系のオネエチャンの方を見るともなしに見ていると、彼女と目があって、この地上ではなかなか見られないほどの見事な笑みを返された。よく出来たお愛想笑いの典型を承知で、あのお嬢が、オレに微笑みかけてきれたぜ!と連れ添いに云ったら、気持ち悪がられただけよ、まあ、一種の危険回避ね、などとのたまわる。わかっとるわい!そんなことくらい。わかった上で勝手に楽しんでいるんだ。中高年男の小さな楽しみを奪うことなかれ!である。しかし、だ。サンシャイン・コーストのコジャレたショッピング街のスムージーの店の、これまたかわいいオネエチャンにトイレはどこか?と聞いたら、店の奥から誰もが使えないトイレの鍵を出してきて、それを貸してくれたんだから、まんざら危険回避ばかりではなかろうに、ね。ほんとにねえ、見事なまでに僕の気持ちを萎えさせてくれるよな。この人はね。
さて、退屈感についてまた書き足そうか。僕たちが退屈であると感じるとき、その感情の底にあるのは、オレ/ワタシは<本来>こうあるべきなのに、実際は本来的な姿とはまるで違う。オレ/ワタシが退屈感を抱くのは、自分たちが本来居るべき場に居ないからだ、あるいは、なすべきことをなしていないからだ、という煩悶が頭の中を大きく占拠しているからではなかろうか?あくまで括弧つきの<本来あるべき姿>と、現実の己れの姿との隔絶、断裂が、人をして、自己溶解の危機を生じしめ、自己溶解の行き着く果ての姿が、退屈感の正体ではなかろうか?
目覚めて、ブリスベン2日目。曇天ばかりの日々が、ここにきて、たぶんオーストラリアらしい雲一つない抜けるような藍色の空だ。この安ホテルからブリスベン一の繁華街は目と鼻の先の距離だ。足の傷の痛みと、気づかなかった、そこここの身体中の痛みで、ベッドにふせってこれを書いているのである。一緒にショッピングに行こうという連れ添いの誘いを断った。この程度の不調くらいは何とかなるが、連れ添いとの買い物はいかにも楽しくないのである。海外に来たら、通貨の違いに次第に麻痺してきて、価格に見合わぬものまで平気で買ってしまって、帰国してから、クレジットカードの請求額を見て、ありゃー!となるのも一興だ。これが買い物の醍醐味というものだ。賢いお買い物なんて、おもしろくも何ともない。旅で使う金くらい、宵越しの金はもたねえ、というくらいの心構えでいいじゃあねえか!賢いお買い物は、日々のやりくりのジャンルの発想だろうが!シドニー4日目
の中華街の、怪しげなフードコートで、見事に財布を持って行かれて以来、直感的に、これは、と思うものも自分のクレジットカードを使えず、いちいち連れ添いにお伺いをたてねばならんので、ショッピングは勿論、食事、飲物、その他諸々が、すべておんぶに抱っこという錯誤にとらわれ、凄まじく気分が萎え細って行く。旅の不幸という概念があるとするなら、こういう気分・感情ではなかろうかね?
オーストラリアのどんな光景を見ても、ちっとも感動などしないけれど、この地のトイレ、これはすばらしい。公共のそれの気持ちよさ。どこもかしこもアンモニア臭すらしないんだから。手洗い用の石鹸も日本の一流ホテル並み。日本もこれは見習わないといかんね。ぎょっとさせられるような公衆トイレが日本には多すぎるし、まあ、公衆トイレなんだから、こんなものか、なんて諦めているフシもあるしね。意識改善が必要だね、日本も。
かつてはバブル時代の日本マネー、いまは、バブル中国マネーの流入の勢いをかりて、この国の景気は上昇気流に乗っている。ちょっとしたインフレだが、経済の動向としてはこれくらいがいいのではないか。市民の暮らしぶりをみても、まずまずの賃金を獲得しているのではないかと思う。日本の沈滞したデフレ経済と比べると、お金がうまくまわっている。
車だって、トヨタ、日産、ホンダ、スズキより、フォード、殆どのヨーロッパ車、それに韓国のヒュンダイ車の方が、ずっと幅をきかせている。日本こそ、3・11の悲劇を乗り越えて、景気を立てなさないといかんのに、日本の政治家や御用経済学者たちは、消費税という間接税を含めた税金を上げるんだ、と。賃金は下がる。税金は上がる。みんな金は使わんよ。ならば、当然景気はよくならないですよ。海外に出向く人たちは、日本製の車もそうだけれど、日本製の製品がどれだけその国で発見できるか、見学・お買い物のついでに観察してみられるとよろしいです。市民が賢くならないと、な〜んにも解決しないんだから、結局のところ。政治家なんてかなり、いい加減だと思うし。だって、彼らは、すべからく金持ちだから。
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