○素朴に問いなおす!何のために生きるのか?って。
物心ついたつきから、今日に至るまで、経験と知識の積み重ねと取りこぼしとを重ねながらも、同じことばかりをずっと考え続けてきたように思う。決して生真面目な気質ではない。それでも人生の折々に、仕事などで夢中になって、その多忙さの中で、多忙さそのものが生の価値か?というような馬鹿げた錯誤に無理矢理陥ろうとしたことだってある。多忙さと煩雑さの、象徴的で、凝縮された場が家庭と仕事場だ。生の価値を半ば自暴自棄的に見出そうとしていた頃の、バカ騒ぎの只中で僕になし得たことと云えば、世の常識に合った家庭人、あるいは仕事人間を装うことでしかなかった。仕事人としてのファミリーマンであるという偽装工作までやってのけたわけで、なんとも表現しようなき自己の本質からの逸脱である。勿論、それにしても、僕と云う人間は、どこかしらに、常道からの踏み外しや揶揄や暴走と云った地雷を抱えたアブナイ存在だったとも思う。人生のどこかしらで、自己破壊のための自爆のスウィチを入れることに対して、常にスタンバイ状態だった。生活人としての失格者が、心の底で呟く言葉とは、オレは何のために生きているのか?という、稚拙で、単純で、また、ありふれた自問でしかない。それを生に対する抗いというならば、少し自虐的にイエスと言うだろう。
文字どおりに自爆し、職業と家庭を失ってからの数年間は、絵に描いたように(僕の場合、こういう表現を極力忌否したいのに、大抵、皮肉にも絵に描いたごとくにさまざまなことが現出するのである)食い詰めて、精神を病んだ。自己の内面からあらゆる自発的な言動が姿を消した期間は、数年に及ぶ。自信も確信も失った。生きることに意味を見出そうという意識すらなくなった。唯一積極的な意思表示とは、自死への希求だけだった、と思う。3度臨界を彷徨い、運悪く生環してしまった。いま生きているのは、そのような結末ゆえに過ぎないのである。To be or not to be, that is a question? No, not at all. Under such circumstances, not to be was my only decision and also my final destination.
47歳から今日に至る約11年を、どうやって生きつないできたのか、自分でもうまく説明し切れないのである。現在の仕事に辿りついたのも意図的なものではない。敢えて表現するなら、気がついたらこうなっていたのである。僕が人さまからお金を頂いて、生きる知恵を授けることが出来るとするなら、それは、生と死の臨界点を彷徨った挙句の果てから視える、生の底の底にあるはずの、生きるエナジーの在り処を教える可能性を持っているということだろうか。誤解なきように。僕は生のエナジーの在り処そのものについて示唆出来るのではない。あくまで、その可能性に対する示唆が出来るだけである。カウンセラーという仕事におけるランクづけがあるとするなら、たぶん、僕は下の下くらいだろう。でも、下の下にしか視えないことだってある。そういう居直りだけが、いまの僕を支えている。さて、ここで自問し直す。僕は何のために生きるのか?と。他者に生きるエナジーを示唆するため?勿論違う。恥を忍んで明言するなら、僕は自己の生を生き抜くために、生きているのである。死に切れなかったのである。そうであれば、無様にでも、行き着く果てまで行き着いてやろうか、というのが、いまの目論見である。その過程で、なにほどか人さまのお役に立てればよいとは思う。ただし、僕は偽善者が大嫌いなので、どこまでも自分のやり方は貫く。勇ましい意図ではなし、偽善的なもの言いはしないつもり、というだけである。それしか出来ないのである。これを読んでくださった方々、すみません。こういうことしか今日は書けませんでした。敢えて、今日の観想として、書き遺しておきます。
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文学ノートぼくはかつてここにいた
長野安晃
物心ついたつきから、今日に至るまで、経験と知識の積み重ねと取りこぼしとを重ねながらも、同じことばかりをずっと考え続けてきたように思う。決して生真面目な気質ではない。それでも人生の折々に、仕事などで夢中になって、その多忙さの中で、多忙さそのものが生の価値か?というような馬鹿げた錯誤に無理矢理陥ろうとしたことだってある。多忙さと煩雑さの、象徴的で、凝縮された場が家庭と仕事場だ。生の価値を半ば自暴自棄的に見出そうとしていた頃の、バカ騒ぎの只中で僕になし得たことと云えば、世の常識に合った家庭人、あるいは仕事人間を装うことでしかなかった。仕事人としてのファミリーマンであるという偽装工作までやってのけたわけで、なんとも表現しようなき自己の本質からの逸脱である。勿論、それにしても、僕と云う人間は、どこかしらに、常道からの踏み外しや揶揄や暴走と云った地雷を抱えたアブナイ存在だったとも思う。人生のどこかしらで、自己破壊のための自爆のスウィチを入れることに対して、常にスタンバイ状態だった。生活人としての失格者が、心の底で呟く言葉とは、オレは何のために生きているのか?という、稚拙で、単純で、また、ありふれた自問でしかない。それを生に対する抗いというならば、少し自虐的にイエスと言うだろう。
文字どおりに自爆し、職業と家庭を失ってからの数年間は、絵に描いたように(僕の場合、こういう表現を極力忌否したいのに、大抵、皮肉にも絵に描いたごとくにさまざまなことが現出するのである)食い詰めて、精神を病んだ。自己の内面からあらゆる自発的な言動が姿を消した期間は、数年に及ぶ。自信も確信も失った。生きることに意味を見出そうという意識すらなくなった。唯一積極的な意思表示とは、自死への希求だけだった、と思う。3度臨界を彷徨い、運悪く生環してしまった。いま生きているのは、そのような結末ゆえに過ぎないのである。To be or not to be, that is a question? No, not at all. Under such circumstances, not to be was my only decision and also my final destination.
47歳から今日に至る約11年を、どうやって生きつないできたのか、自分でもうまく説明し切れないのである。現在の仕事に辿りついたのも意図的なものではない。敢えて表現するなら、気がついたらこうなっていたのである。僕が人さまからお金を頂いて、生きる知恵を授けることが出来るとするなら、それは、生と死の臨界点を彷徨った挙句の果てから視える、生の底の底にあるはずの、生きるエナジーの在り処を教える可能性を持っているということだろうか。誤解なきように。僕は生のエナジーの在り処そのものについて示唆出来るのではない。あくまで、その可能性に対する示唆が出来るだけである。カウンセラーという仕事におけるランクづけがあるとするなら、たぶん、僕は下の下くらいだろう。でも、下の下にしか視えないことだってある。そういう居直りだけが、いまの僕を支えている。さて、ここで自問し直す。僕は何のために生きるのか?と。他者に生きるエナジーを示唆するため?勿論違う。恥を忍んで明言するなら、僕は自己の生を生き抜くために、生きているのである。死に切れなかったのである。そうであれば、無様にでも、行き着く果てまで行き着いてやろうか、というのが、いまの目論見である。その過程で、なにほどか人さまのお役に立てればよいとは思う。ただし、僕は偽善者が大嫌いなので、どこまでも自分のやり方は貫く。勇ましい意図ではなし、偽善的なもの言いはしないつもり、というだけである。それしか出来ないのである。これを読んでくださった方々、すみません。こういうことしか今日は書けませんでした。敢えて、今日の観想として、書き遺しておきます。
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