ヤスの雑草日記(ヤスの創る癒しの場)

どの様な治療でクライアントの皆様が回復していくか。私の読書便り、日常の出来事などエッセイ風に書いていきます。

○「アバウト・シュミット」再々考

2012-02-14 23:05:59 | 観想
○「アバウト・シュミット」再々考

「アバウト・シュミット」という映画について書くのは、これで3度目である。書き尽くしたと思えば、書き残したことがすぐにも思い浮かぶような不思議な映画である。それだけ人生という捉えがたき、納得しにくい、反吐が出るほどに浅薄で、また、その反面、生きることそのものに深みあるのが、人生というものだからだろう。そういうテーマとまともに向き合わせてくれる映画だからだろう。

主人公は、ジャックニコルソンでなければ成立しない映画だ。「恋愛小説家」や「恋愛適齢期」のジャックニコルソンに適役以上の要素があったように、「アバウト・シュミット」におけるジャックニコルソンは、凡庸な人間にも自己の人生を回顧し、自己の人生に対して自分なりの評価を与え、残りの人生を生き抜くには、あまりにも歓び見出しがたき真実と向き合い、勇気なきがゆえに生が耐え難いのに、それでも自分特有の人生なんてないのだ、と納得しながら遺された時間を生きるしかないことに気づかせてくれるからだ。鑑賞後、後味がよいか悪いかは、その人の生に対する向き合い方次第だ、と思う。

仕事における実人生で主人公が成し遂げたことなどない、と言っても過言ではないだろう。会社創設以来の最古参という立場でありながら、退職時の部長代理という役職が、彼の無能さ、無能であることが、安全であることと同義語のような仕事ぶりを象徴的に物語っている。また、そのことを、独白で妻が自分に冒険をさせなかったためだ、と言わしめ、自分の能力とは、決してこんなものではなかったはずだとも言わしめている。自己弁護、自己擁護の最たるものだろうが、現実に起こり得なかった可能性に対する憐憫の情が、平凡な人間に考え得る最大の人生脚本のあり方だ、とするなら、凡俗な人間にとって、生きる上で、自己弁護・自己擁護は不可欠な要素とも言えるのだろうか。

退職後、ベッドの横に寝ている、42年間連れ添ってきたはずの、年老いた女のことを、自分はいったい、どこまで知りえているのか?と、彼女の寝顔を見ながらつくづくと思う。望みもしなかったキャンピングカーで思い出づくりをするのだ、と言う妻に、とてつもない違和感を感じる。大き過ぎるその車で、巨大スーパーマーケットに買い物に出かけて、車に積み込んだ買い物の多さにうんざりとして、買い忘れて、レジ待ちの長蛇の列に苛立ち、結果、万引きを仕出かして、警察のお世話になる。大切に育てたと思い込んでいた1人娘がつまらない男と結婚する。妻が突然死するが、主人公にとってみれば、それが自分の老後の人生にとっての痛手だとはすこしも思えないほど、自分がもともと孤独であり、家庭の中で孤立していたことが痛々しく描かれる。親友だと思っていた男と自分の妻が、ずっと昔、自分の出張中にデキていたことを知って憤慨するが、その憤怒そのものが、実感を伴わないほどに主人公は世界の只中で、独りぼっちなのである。その姿は、世界に投げ出された孤独な存在と云って然るべき姿である。

さて、自分のこと。この物語とコラボするか?生活面でも、金銭面でも自堕落な両親に育てられて、自分は絶対両親のようにはならん、と固く決意して、それでも血は争えないのか、環境の影響ゆえなのか、僕自身もかなり自堕落な高校生になり、大学にもまともに入れず、オタクの街でもなく、無論AKB48など存在するずっと大昔の秋葉原の電気屋の小僧をしながら、やっぱり俺はまっとうな生き方をするべきだ、と自分の本質を見誤り、大学に入り直し、英語の教師になった。家庭まで持った。自分が一人っ子だったから、意地になって、二人の息子の父親になった。見た目はきっちりとしたファミリーマンだったけれど、心の中はいつも大荒れだった。その頃の心の叫びとはーこんなはずじゃあなかった!の一言に尽きる。家族を持つことが、こんなに違和感があり、こんなに孤独なのか、と思い知った。父親であるために、毎日決まりきったルーティーンワークに耐えることが、自分にどれほど似つかわしくないことか、身に沁みて分かった。職場も退屈極まりなかったから、退屈感を紛らわすために、いろいろやった。特に思想的な確固としたものがあっての組合活動でもなく、西本願寺の坊主たちに盾ついたのも、無能な職員が多過ぎたこともあるが、それよりも坊主たちが寺の世襲制に胡坐をかいて、その上銭金に汚いことが僕をますます過激にさせた。僕の場合は、外部的な崩壊というよりも、ずっと前に内部的な崩壊感覚に突き動かされていた、という方が正確なのである。

アバウト・シュミットのジャックニコルソン演じる、定年後の哀愁に満ちた孤独感、絶望感を一身に背負っている主人公の立場であれば、僕ならたぶん、耐え切れなくて、自死したことだろう。僕が、いま生きていられるのは、主人公のようなまともな人生を耐え抜けなかったからだ。逆説的に聞こえるかも知れないが、それがもっとも真実を言い表している、と思う。

それにしても、この映画は、これから先の人生を生き抜くためには、示唆多き作品である。主人公がエンディングで流す涙は、養子制度の姿を借りた寄付金集めに乗っかって、自分が金を仕送った子どもからの、哀しいまでにありきたりの、括弧つきの絆を想起させる、ヘタくそな絵に対して、である。当然のことながら、主人公は決して救われてはいない。救われてはいないが、救いの仮想に身を任せざるを得ないのである。この哀しさが生の哀しさと共振して、この作品をより普遍的なものにしている。僕にはそのように感得出来る。まったく検討はずれの解釈なのかも知れないが、自分の人生と重ね合わせると、アバウト・シュミットは、生の哀しみの普遍化、それがテーマとして僕の胸に落ちる。どうだろうか?ともかくも、今日の観想として、書き遺す。

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○急ぐということ。

2012-02-11 14:42:48 | 観想
○急ぐということ。

急ぐという言葉を想起すると、必ず浮かんでくる概念は、僕の場合、<生き急ぎ>である。思い起こせば、この傾向はずっと以前から僕の裡に存在したもので、殆どの場合、僕は生き急いで、失敗を重ねてきたと言っても過言ではない。

いま、目の前に在って、大抵は立ち向かうべき必要不可欠なことなのだろうけれど、僕にはそれらが、やけに凡庸であるゆえに無価値で、なすべきこととは思えないという、実に性根の捻じ曲がった感性として身についてしまっているから難儀なのである。こういう人間にとって、あらゆる日常的活動が、ルーティーンになるべく存在することが、頭をかきむしりたくなるほどに受け入れがたく感じられてしまう。まあ、こうなるのが理の当然とも云えることだろうと思う。こうして、僕という人間は、日常性のあらゆる側面でぶつかり、そして、あらゆる人間的関係性の中に不協和音を鳴り響かせる。調和という概念から、天文学的とも云うべき距離を隔てて、僕の生きかたはなんとか、いま、この時点に至るまで持ち堪えるようにして、続いてきたのである。より正確に言えば、何度も生の終焉に直面し、その度に偶発的に生き延びてしまったのである。だから、この場に書き綴ることは、決して声を大にして語ろうとしているのではなく、震える声で、その声まで潜めて呟いているわけである。そういうことなら、口を閉ざせばいいではないか!というお叱りを受けること必然なのだが、何せ、性根の曲がり具合から云うと、ひそひそ声でも語り続けたいという非論理の感性が働くというわけなのである。どうぞ、これを読んでいただいている方々、眉につばしながら、辛抱強くお付き合いくださらんことを!

ええ歳になっても、捻じれた性根というのは、萎えることもなく、僕の裡でいまだ健全?なのであるが、それにしても、生き急ぐことに対して、たぶん、間違ってはいない規定をするまでにはなったような気がする。どういうことかというと、生き急いで、日常性というルーティーンに耐えがたき退屈感を抱いてしまう、というのは、決してそこに何らかの高次元の、冒険主義的な飛翔感が潜んでいるのではなく、ただ単に、ルーティーンに耐えるだけの忍耐力が欠如している、というつまらない結論に辿り着く。そういうことに自分が気づき得なかったという意味では、つまらないわけだけれど、その実体は、生きる、ということのかなり本質的なファクターを含みこんでいると思えるようになったのは、一つの遅ればせながらの気づきではある、と思う。

生き急いでなし得ることなど、タカが知れている。それよりも、じっくりとそろそろ腰を据えて、なし得ることのスピードが多少消沈しようとも、眼前の壁と真摯に向き合うこと。確かな日常生活の中で、困難と向き合えるだけの忍耐力を意識してつけること。これを当面の僕の獲得すべき課題としたい、と思っている今日この頃なのである。その意味で、人生に絶望しても、いや、深い絶望感に翻弄されたからこそ、絶望の深みの中から一条の光を見抜いてやろうと思っているのである。決して急がずに、である。人生は常に理不尽で唐突な断裂としての死によって、すべてが中断させられる命運を背負っている。何かが完成・完結することなどあり得ない。このことを胸に刻みながら生きるしかないのだろう。今日の観想として、書き遺す。

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○「アバウト・シュミット」再考

2012-02-10 19:46:34 | 観想
○「アバウト・シュミット」再考

この映画を再び鑑賞して、まずジャック・ニコルソンってやっぱりいいなあ、というのが、素朴な印象。この人を抜きにしては、俳優業というものについては、何も語れないような気がするのである。

ジャック・ニコルソン演じる主人公は、保険会社の創業当初からの最古参社員。定年の役職が部長代理というから、この人は、無能なのか、あるいは人生のどこかで、勇気を挫かれて守りに入ってしまったのか?映画の中の主人公の独白は、こうである。保険会社を起業し、脚光を浴びるような人生を送りたかったのに、42年連れ添った嫁がそうさせなかった、と。そうであれば、建前としては、後者が、部長代理で会社を去っていかねばならなかった理由なのだろう。また、そのように観た方が、この映画の意味が理解しやすい、とも思う。

殆どの人たちが通る悲哀。会社のお荷物が去っていくときの、儀式としての惜しまれ方と、駐車場の片隅の、自分が受け渡した必要書類?のダンボールの山との乖離感。それを目撃したときの、すべてを瞬時にして、否応なく諒解させらる自分の過去の無残な総体が、ジャック・ニコルソンの微妙な表情の動きによって明かされる。この瞬間から、主人公の、人生に対する後悔、憤怒の情、絶望感、先の視えなさ等々の感情は、普遍化されて、観る者全ての共感を獲得する。会社は、無論のこと、妻も、一人娘も、まったく自分のことを理解していない孤独感。あるいは、それは他ならぬ自分自身が創ってきた生の軌跡そのものである、という目覚め。ただし、この目覚めは悪夢からのそれだ。生の暗黒を注視しなければならない苦痛は、この世界の誰もが、いつかは身に沁みて感じとらねばならないものだ。生が喜びであるという幻想から、生こそが絶望そのものである、という墜落感。これが人生における最大の気づきの一つなのだとしたら、いったい生きるということは、いかなるものなのだろうか?

アバウト・シュミットという映画は、第2の人生の生き直しとしての物語などではない。これは、生が存在論的に悲劇である、という真実を深く胸に落とすための、老年のための死へのエチュードだ。が、それは諦念とは似て非なるものだ。諦念とは、諦めの境地の中から、何かを悟るということを前提にした概念だけれど、生の晩秋におけるエチュードとは、後悔と嘆きと憤怒の中で、絶望し、孤独そのものと化し、いかなる光も視えない暗闇から、それでも、力なき腕を指し延ばすような、絶望の瓦礫の中からなんとか踏ん張って手を出すごときの、実りなき反復運動である。悪あがきとは、無知のなせる業。それに対して、実りなき生の、あるいは、死に向かう精神の反復運動は、言葉の定義どおりの「あがき」というものに違いない。あがくことによって、希望の光など視えはしない。そんなヤワなことを思い描いているのではない。ただ、悟りの境地の中で座して死を迎え入れるよりは、あがきの連続の、その延長線上に自己の死を認識する方が人間らしい、と僕は思うのである。主人公が、物語の最後に涙するのは、幻想としての養子制度への寄付金がもたらした、一枚の幼児の拙い絵に対してだった。空らしき高みに、太陽らしきものがあり、その下で、主人公らしきおとなと幻想としての幼児が手をとりあっている、4つに折りたたまれた紙切れに涙して、どうして生に対する救いなどが訪れようか?そんなものは、幻想だと諒解した上で、涙するのである。そういう感性を持ちつつ、主人公の台詞のように「自分の死が20年後にやって来るのか、はたまた明日やって来るのか分からないが、その訪れをこうして待つしかないのだろう」という感慨に突き当たること。これが、あがきの只中で生きるということである。僕も、このように生き、死にたいと切に願う。今日の観想として、書き遺す。

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○空中分解

2012-02-09 17:20:21 | 観想
○空中分解

人間、生きていくためには、さまざまな場面で自分の感性、思想と相反することと妥協しながら、また妥協する度に、自分の無能さやその結果が自分にもたらした敗北感に打ちひしがれるということがしばしば起こるのだろう。

そんなことくらいは、僕にだって分かるのである。また、実際の社会生活上の妥協などというものは、数えきれないほどに経験済みでもある。ところが、である。たぶん幼児性の名残りだろうと思うのだが、現実的な諒解事項の蓄積とは別次元で、妥協=敗北という観念的固執が澱のように心の底に溜まって来始める。これが、僕の心的原風景である。

と、ここまで書いて、書き継ぐ意欲が失せて、テレビを何気なく観ていたら、昔、昔の邦画、「煙突の見える場所」をやっていた。高峰秀子に田中絹江、芥川比呂志に上原謙というかつての日本映画を代表する名優たちも、現代の映画づくりの視点で観ていると、誰もが稚拙な演技をしているように感じられる。上原謙と過去に訳ありの田中絹江夫婦のもとに、田中絹江の元夫によって、呑み屋の女に産ませた赤ん坊が棄て置かれる。田中絹江の夫を演じる上原謙は冴えないサラリーマンで、生活力も頼りにもならない凡庸な男。いかにも上原謙にぴったりした役どころだ。彼は困窮した状況で愚痴り、田中絹江をなじることしか出来ない。一方で、同じ家屋の二階に下宿している芥川比呂志は、役人で、字義どおりの「正義」の概念を拠りどころにして生きている。ふすま一枚を隔てた隣の部屋に住んでいる主役の高峰秀子は、芥川比呂志を愛しながら、彼の一面的な「正義」の概念に対して、生活者の言葉で疑義を唱え、それが二人の愛の距離感を微妙に広げてしまっている。そういう状況のもとで、窓の外遠くに、工場の3本の煙突からモクモクと煙が立ち上がっている。彼らの生活の場から見ると、煙突はあくまで3本に見える。が、住居から離れた場で、芥川比呂志と開店記念で安い肉を買いに出向いていた田中絹江とが出会って、立ち話をして、何気なく見上げた空には同じ工場の煙突が2本にしか見えない。病気で夜鳴きの耐えない赤ん坊の登場によって夫婦仲もおかしくなって、「正義」漢の芥川比呂志は、その「正義」ゆえに、田中絹江の元夫を捜すハメになった。彼は仕事を休み、足を棒にして、当の男を捜し当てる。同時に赤ん坊の実母とも話をしていて、そこから見える問題の工場の煙突は4本であることに芥川比呂志が気づく。こんなふうに、映画は、登場人物たちの心境の変化と状況の変化にしたがって、場面が変化して、そここで登場する工場の煙突の見え方が異なるという、低劣だが、ある種のメタフォリックな意味を持たせた存在として、工場の煙突は、この映画の重要なエッセンスとして挟み入れられる。さて、この映画における工場の煙突とは、どのようなメタファーなのか?物事の価値意識とは、絶対的なものではあり得えず、状況の変化や思想の変容によって常に変わる可能性を内包したものだ、と言いたげである。戦後の原風景が漂う中で、戦争に対する直接的な批判言辞は、田中絹江が、東京大空襲で親族をすべて殺され、自分が認識論的な孤独・孤立の只中にいることを、火鉢に手をかざしながら語る一場面しかない。たぶん、それでも戦後民主主義的な思想的空気の中では、当時の映画鑑賞者の殆どが、生活者としての意識だけで十分に戦争と平和の意味を感得した、と推察する。机上の空論としての現代風の相対主義ではなく、ネチネチとした生のありようが土台に据わった、絶対論への反措定としての相対論的姿勢が、この映画のエッセンスであり、醍醐味であるように僕には思われてならなかった。

僕の妥協=敗北という心的原風景について、この映画を観終わった、いま再考してみると、僕の裡には、かなり偏狭した絶対主義的論理が支配的だったように思う。無論、それは軍国主義的なそれなどではなく、思想的には真逆ではあるけれど、それにしても、思想の硬直化としての絶対論が払拭し難く僕を支配していたのは間違いのない事実であったように思う。絶対主義が行き着く果ては?僕の脳髄が生み出すイメージは、飛行中の飛行機が何らかの故障で、空中分解し、バラバラと地上に機体の破片が落ちてくるものだ、と相場が決まっていたのである。何気なく送っている日常が、ずっと続くはずもなく、たまさかの存在に過ぎないものだ、という、寄る辺なき心境から自由になりきれなかったのである。そして、常体が壊れるイメージとは、飛行機が空中分解するごときに、元の姿形を留めぬような崩壊の仕方である。

こうして考えてみると、僕はまだまだ硬い。思想的に硬すぎる。芥川比呂志の「正義」と変わらない代物だ。実践力を伴った、もっと柔らかな相対論を!−これが、いま、これを書き終わらんとする僕の裡なる叫びである。今日の観想として、書き遺す。

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○自分を客観視できないのが、僕自身の課題なんだろう。

2012-02-08 15:11:16 | 観想
○自分を客観視できないのが、僕自身の課題なんだろう。

現在の状況に辿りつくまでの、もがき苦しんだここ10年以上の年月の間に、僕が最初に陥ったのは、うつ病だった。いまは、真逆の発想をするようにはなったが、ずっと僕はものごとの結末の最悪の状況を想定して、その状況に陥らないための努力をし、当初考えた最悪の状態からよりマシな結果を得て安心するような、馬鹿げた心配症をエネルギーに変換する、絵に描いたような小心者だった。だからこそ、文字どおりの最悪の状況に貶められてからというもの、朝を迎えるのが億劫になるほどの、さて、朝になってみれば、朝食を終えたままテーブルを離れることが出来ず、ただただ、そこに居座り続けること以外何も出来ず、ふと気づくともう昼食という始末。世の中とは完全に切れた精神状態ゆえに、なにものに対しても無関心にならざるを得ない。世界と完璧に切り離された状態とは、まわりに他者が居ようと、そのことにすら無関心で、人に迷惑をかけること、この上ないが、それにしても、自己の裡なる孤独感、孤立感たるや凄まじいとしか表現のしようがない。

さて、次に襲ってきたのが、パニック発作である。マジに死ぬかも知れぬというくらいの、苦しさ。どこでどんなふうに起こるやも知れぬという恐怖感にとりつかれる。とはいえ、恐怖感はあるものの、どこでそれが襲ってきても、それが死に直結するにしても、そうなったときは、道端ででも死んでもやる!という開き直りでどうにか克服した。うつ病は、うつ症状という、ちょっとマシな状態になり、しかしそれでも落ち込むのがどうやら習い性になってしまった。いまだに、開き直りの底には、落ち込みやすい心性が隠れているように思う。お次は過食。ひどいときは、たとえば、街に出ると、ケンタッキーフライドチキンを最低6ピース。途中で気分が悪くなるが、それでもひたすら食す。真向いに天下一品のラーメン屋があるから、すぐに飛び込む。ここのドロリとしたスープはチキンベースだから、どれだけ無駄な鶏を無意味に食い散らしたのか、いま考えるとおそろしくもなる。仕上げは、リプトンという喫茶店で、チョコレートパフェである。リプトンのそれは、どこよりも量的に優れている。チョコレートパフェを含めて、過食する僕の場合は、味なんて二の次三の次である。まずまずの味わいなら、あくまで量的なことに関心が向かう。そもそも太りにくい体質だったけれど、これだけ満腹中枢をぶっ壊すような食べ方をやると、かなり不格好な太り方をしてしまうし、太り方のペースが尋常ではないのである。具体的に書くと、着るものがなくなる。特にパンツのサイズが、たとえばユニクロの最大のものに行き着くまで、それほど時間がかからなかったわけで、まあ、病的であったこと間違いなし、である。

それでも、自分がどれほど醜悪(容姿は当然のことだが、精神が鈍重になっているという意味で)になり下がっているか、ということには、どういうわけか、意識が向かなかったのである。自分の体躯が巨大化していく過程で記録された写真を見てはいるはずだが、そのときどきに、自分は(敢えて告白するが)かなりイケテいると錯誤し続けてきたのである。たとえば、ずっと以前のスラリとしていた(自分ではそう思い込んでいたわけだ)時期の写真すら、いまから見なおすと、病的にしか見えないから不思議だ。機会あって、現在はかなり厳しく身体を鍛えていて、体型はこれまでにないマッチョタイプに属するようになってきたが、これとても後から写真でも見れば、相当に行き過ぎた鍛え方をした、醜い中高年男そのものだろう。

そもそも、自分とはいったい何ものなのか?という問いを自分に課してきて長い月日が経つ。が、自分の外見すらその折々で、自己満足的に充足した評価をしていて、後で見返すと背筋に冷たいものが流れ落ちるくらいだから、思想的な実像など、到底掴み得ぬ感性・知性しか僕にはないのかも知れないな、と今さらながら思う始末なのである。

人生の総括と称して、ブログという形式をかりて時々の自分なりの考えを公にしてきたが、何をどのように書いても不全感が伴うのに気づきつつも、絶えまなく書き続けてきたが、こういう姿勢すら、思想のラビリンス(迷宮)の中を無目的に彷徨っていただけなのか、と猛省している今日、この頃なのである。

という観想を書き残しつつ、どこまでももの分かりのよろしくない自分がいることにも気づいているので、たぶん、まだこれからも長きに渡って書き続けるのだろうか、と思う。お付き合いしてくださるみなさんにはまことに申し訳ないのだが、今後とも寛容の精神で読み流してくださるならば、この上なく幸せであります。今日の観想として、書き置くことに致します。

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○せめぎ合いだね、このところ。

2012-02-08 02:06:01 | 観想
○せめぎ合いだね、このところ。

あがいて、あがいて、これまで命をつないできたけれど、それもあがかざるを得ない状況下に追い詰められてもいるから、命をすり減らすようにあがいてきたので、どうもこのところ、自分の中の生の姿の本質的なありようが、ジタバタとあがくことと同義語のようになってしまったことが、ひどくつらく、切なくもある。そうかと云って、これ以上あがいたところで、たいしたことはなにも出来ないのだから、僕という人間は生きる知恵に乏しいというか、なんとも情けない限りなのである。

何ごとも起こらなくて、学校教員のままで勤めていたとしても、すでに定年まじかの年齢にまで到達してしまって、なんだか、あがくことにも、もはやそれほど意味が見出せなくなってしまう瞬間、瞬間がある。ある意味、ほっとすればいいものを、これまでは、愚にもつかないことにさえ、あらがいの気分をかき立たせ、生きるエネルギーにしてきたという、どうしようもないバカげたことをやってしまった。現在の客観的な立ち位置と心境、また現在に至るまでの悪あがきの蓄積とが、文字どおりせめぎ合っているのだろう、と思う。換言すれば、もがき、あがくことと、平静な気分でいることとのせめぎ合いの時期とも言えるのだろう。

僕は、少なくともこの10年以上の間に培われた生に対する構えとは、反抗の論理そのものではないか、と気どってはきたけれど、実際のところ「反抗の論理」を思想化したアルベール・カミュの苦悩の上っ面だけを掬い上げて悪利用した感があり、そういう自画像には、唾を吐きかけてやりたい衝動に駆られるばかりである。

こういう状況のもとで、さて、短いには違いない僕自身の命の残り滓に如何なる意味を見出せるのだろうか?なにをどのようにすれば、僕はこの先の生き方に、ぼんやりとしたものであれ、光を照射することが出来るというのだろうか?

こんなふうに考えると、僕の中に、かなり卑近な二者択一の論理が渦巻いていることに気づく。一つは、もうこの歳なんだから、これまでの過去の出来事に対するこだわりをすっかりと捨て去って、せいせいした気分に浸って、穏やかに己れの来るべき死と向き合うか、はたまた、幼稚で拙い己れの思想(とも呼べない代物に過ぎないけれど)を、一旦壊し、壊し尽くして、瓦礫の中に、こマシな思索の跡を残して死にゆくか、という、実にありふれた、新味のない選択の余地である。

と、書きながら、こんな裡なるバカ騒ぎには毎度のことながら辟易させられる。こういうグチにつき合ってくださる人の身になって考えてもみろ!という内心の声が、僕の脳髄の中で反響しあっている。前記した選択肢は、つまらないグチに限りなく近いものだけれど、この小さき僕のような人間にとってみれば、ハムレットの独白ほどの意味を持ち得ると告白すれば、大仰過ぎるのか?

ともあれ、このところのせめぎ合いの答えは出ていない。かつてのように強がって、瓦礫の中に思索の跡を残して死にゆくのである、などという、はじめに結論ありきのような感覚ではない。言葉どおりのせめぎ合いである。すっかりと肩の荷を降ろすという選択肢も、いまの僕にはとても現実的なものなのだ。これを凡庸というひと言で片付けまいと思っている。いましばらくの時間の猶予を!という気持ちで、今日の観想を閉じる。

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○情熱的であること。これは結構大事なんだと思う。

2012-02-05 15:52:13 | 観想
○情熱的であること。これは結構大事なんだと思う。

生きることに慣れ切ると、自分がいったい、どのような価値観に基づいて日々をやり過ごしているのかが、分からなくなることがしばしばある。そもそも<やりすごす>というモノ言いが、日々の怠惰を象徴しているかのようで、書きながらウンザリとしている自分に気づくのである。

自分は、passionateな資質を縦横無尽に使い切って生きるタイプの人間だと、かつては思っていた。確かに、限られたある時期、かなりな素養を駆使したようにも思うが、残念ながら、僕の場合、passionateと云う言葉の「情熱的な」とか「熱烈な」という概念からずり落ちて、いつしか「怒りっぽい」「短気な」という意味がぴったりと当てはまるような、実に扱いづらい、単なる考えのないおっさんに成り下がっていた時期が長いのである。

合わんなあ、と思いつつも、大学を出てから長年しがみついていた仕事から追放されたあたりから、僕の生に対する確信が根底からぐらつき始めた。いまにして思えば、宗教法人のなすがままの私学の学校経営のいちいちに盾ついて,放逐されるだろうな、という想いが募るにつけ、ますます自分の中の言葉本来のpassionateな資質を研ぎ澄ませていた、とは思う。その時点での僕の言動には、時勢を読み切れない過剰さがあったにせよ、思想的・実践的な意味での過ちはなかったと確信している。まあ、かつての同僚や上司たちから言わせると、たぶん、僕はどうしようもなく、浮き上がった存在にして、扱いづらい教師だったは思う。

しかし、その学園を放擲されると、自分は結局のところ、唾棄すべきだと固く信じていた、当の学園の名前の下で胡坐をかいていただけの、小さな、実力なき英語教師に過ぎなかったことが分かる。その後の数年間は、家庭崩壊、それまでの友人・同僚たちとの決別、能力なきがゆえの無職の彷徨の時期を掻い潜らねばならなかったわけで、いつしか、僕の裡なるpassionateは、単なるshort-temperedにすりかわってしまうハメになった。いや、もっと正確に言うならば、その前にapathy syndrome(無気力症候群)と称するのが最も妥当な状況下で、腐れ果てていたと言うべきだろう。

人間にとって、apatheticな状態ほど、自己にとってはつらく哀しく、また自分に関わっている他者に対して、egoisticな態度を見せてしまうことになるのである。それが、「わがまま」「自分本位」であることは言うまでもないが、「わがまま」で「自分本位」な歪み切った個性が、根拠なき「うぬぼれ」を生み出すことを、言葉の定義を識るまえに、自分の中で生起することを実感として感得しているのである。もう、こうなると、情熱はどこかへ去り、虚無的なエセら笑いしか自己表現の手段がなくなってもくる。生に対する絶望が心の隙間に忍び込んで来るのは、まさにこういう時なのだ。僕は絶望し、孤独の果ての果てで生き忍んでいた。生きる希望など微塵もなくなっていた、と思う。いまやそういう記憶すら曖昧にぼやけているから、無意識下で、自分の過去の姿を消し去りたいという気分、濃厚なのだろう。

さて、言葉本来の情熱について、である。少し書きとどめておこう、と思う。人が情熱を抱くことは、当然のことであって、それは、冷静の反意語ではない。冷静な言動が意味をなすのは、その底に深い情熱が込められているからに他ならないのである。もっと言うならば、僕たちはこの時代性において、あらためて裡なる情熱を再燃させる必要があるのではなかろうか。僕たちの心は、知らず知らずのうちに冷え切ってしまっているのではなかろうか。他者の存在を尊重するのはまことに結構なことだ。が、それは単に精神的な距離を置くことでなされるべきものではない。他者性に対して自覚的になるためにこそ、情熱が必要なのである。こういうことを抜きにした他者との関わりなどは、冷え切った料理みたいに、つまらない存在だ。相互補完的に情熱を注ぎあえる存在、それが、他者を視野に入れた生き方なのだ、と僕は思う。他者を尊重するかにみえる実質的なapathyなどは、ドブにでも打ち捨てるべきものだ。こうしてはじめて、僕たちの未来は、血肉化されたものになり得る。生きる可能性は大いに広がるのである。自戒のこととして、書き記す。

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○人間の尊厳が貶められてはいまいか?−アカンよ、これは。

2012-02-04 17:12:18 | 観想
○人間の尊厳が貶められてはいまいか?−アカンよ、これは。

僕が失職したのは、47歳のとき。教育職としてはあぶらの乗り切っている時期に当たるだろう。経験も豊富、教育力量もまず人には劣らない自信もあった。私学の理事会の富の独占、人事権の乱用、宗教法人の絶対化、それらに嫌気がさして、とうの私学を辞めたけれど、さて、この歳の教員の受け皿が公立学校にはない。公立学校こそ、年齢制限の撤廃に先鞭をつけるべきだろうに、教員試験など受けるすべもない。おかしなことだと思う。他の私学だってそう。教育という分野においては、キャリアはまったく通用しない。一部の例外を除けば、学校における人事採用は、大学卒か大学院卒の新卒が基本である。中・高校以下の学校はこういう状況のもとにある。この意味においては、教員免許ほど無意味な免許状はない、と思うね。僕なんか、かなり前の自民党政権下の文部省(当時はこう呼んでいたわけです)と、いまは存在理由としては見る影もなくなった日教組との、何かの取り引きで、僕くらいの年齢の教師は、大学院卒の専修免許を授与されたんだけれど、そんなものこそクソの役にも立たなかったな。

僕は思ったね、つくづく。大抵の教師がダメになっていくことの原因は、職場にしがみ付いてさえいれば(無論、それなりのストレスはかかるけれど、結局しがみ付くしか手がないんだね)、自分の教育に対する熱が冷めようとも、定年退職まで勤めあげればまずまずの退職金が出て、共済組合からの年金は国民年金など比べようもないほどによい。持家のローンも払い切れるし、資産運用の上手い人は、不労所得を得ることだって、難しいことではない。ともかく教師には、銀行も貸し渋りという概念なく貸したがる。自営業になってみて、はじめて世の中の不条理を身に沁みて感じるんだから、僕はひどい世間知らずだった。世界はどうあるべきか、なんて屁理屈をこねているより、日常生活の上で、明らかな矛盾が自分の生活を縛りつけるわけだね。人間の尊厳なんていう概念すら、空虚に感じられることしばしば、だ。

それにしても、いったん、教育職場を離れたら、特に僕のような年齢で、いかなる意味においてもコネクションというものがない中では、まず間違いなく路頭に迷う。安易なスライド先としては、学習塾への就職だが、こういうところはむしろ学校現場における経験を嫌がる。学校の教師でまともな人間なら、学習塾の進学一辺倒の方針に素直に従えない。そもそも、学習塾における教授法の技術などは、学校では使い古されて捨てられてしまったものが多い。それでも、成績中心主義でスパルタ式にやれば、受験対応としてはまあ、通用する。塾に通ってくる子どもの意識が学校のように受け身ではないことが理由としては大きいと思う。かなり心理的な要素で塾の講師は助かっているわけである。それに、学校現場には実力も伴わず、自分研鑽を投げたひどい教師が大勢いるから、塾で助けられる生徒も多い。かと言って、こういうことが、理想的な姿とかけ離れたものであることに変わりはない。それにしても、教育現場というのは、多少甘っちょろくてもやってはいけるということである。また、それでよいのか、ともいまは思う。

やっと本題。上記のような分野を含めて、大抵の職場というものが荒廃している。たとえば派遣社員の方が正社員より多いというのもめずらしくはない。さらにその下にアルバイトまでいて、業績の良し悪しによって、いとも簡単にクビを切られて、もともと安い人件費をさらに切りつめるという、人の尊厳や感性を奪い去ることがあたりまえのことになってしまっている。当然、クビ切りに遭う人間には生活の保障はなく、食いつめることだってある。ほんとに日本の労働市場の考え方として、これでいいのか?と思うね。当初はアメリカのレイオフ制度をみならったフシがあるが、当のアメリカにしても景気回復によって、レイオフした労働者を呼び戻せなくなっている。リストラの嵐は世界中で吹き荒れているというわけだ。昨日まで長期のローンで買った持家で一家団欒を楽しんでいた家族が、あくる日には路頭に迷う。アメリカなんて、無慈悲なサブプライムローンという高金利の住宅ローンを低所得者に貸し出して、金のないところから、さらに絞りとろうとしても金融破たんするんだから、報われない人々はどこまでいっても不幸がつきまとう。人間の尊厳などと言っていられない状況がひたひたと差し迫るということだ。

富の不均衡は、その規模が拡大している。ドルもユーロもダメ。信用不安で、別に評価もされていないのに、緊急避難的に円が買われる。信用不安に備えて、当事者のアメリカやヨーロッパの国や企業や金持ちが円を買って、その結末が、日本の高度経済成長を支えてきた大手製造業を直撃する。輸出で日本の経済を支えてきた、かつての優良企業が数年に渡る円高で、何千億円という赤字を出している。経済なんて、ある部分を修正すれば、別の部分にひび割れが生じる。こういうバカげたイタチゴッコを解消出来ると思って発明した政治形態が共産主義や、社会主義だけれど、これだって、人がやっている限り、矛盾だらけの政治形態だということが明らかになって、さて、僕たちはいったい、これから先、どうなっていくんだ?という素朴な疑問に突き当たる。

ともかく、人間の尊厳を、なにより先に考えないと。具体的にどうか、という検証よりも、こういう思想が根付かないと、すべてがはじまらないように思う。これから先の世界を生き抜いていく次世代の人たちのためにも、僕たちの世代が、人の尊厳に対して、もっと、もっと鋭敏にならないと。心底そう思う。何の具体性もないが、人間の諸活動の根源に関わることで、僕みたいな出来そこないに言えることと云えば、こういうことしかない。恥をしのんで書きおくことにする。

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○破壊と再生

2012-02-02 12:51:37 | 観想
○破壊と再生

世の中が不況になると、当然のことなんだろうが、人は幻想的な保守主義に陥る。守るべきものなどタカが知れているのに、それを後生大事に守ろうと躍起になる。良きものも、悪しきものもひっくりめて現状を変えたくなくなる心性だ。変化を回避しようとするのは、心の底に怖さがあるからである。

僕は思う。人はギリギリのところにいるときにこそ、自分の裡なる恐怖心を完膚なきまで、叩き潰す必要がある。誰に迷惑がかかるわけではない。自分の心の中のドラマチックな変節に過ぎないから、やってみる価値は十分にある。怖さが行動を阻む。怖さが、唾棄すべき現状の合理化を促し、保守すべき価値のない現実を抱え込む。いったい、このような現況からどのような新たな価値が生まれ出るというのか?人が生涯を台無しにするのは、守るべき価値なきものを、抱え込むからだ。はっと気がついたら、自分の死は目の前というわけである。僕が黒澤明の「生きる」という映画が大嫌いなのは、主人公の人生のほぼ全部が守りだけで埋め尽くされているからだ。ガン死を自覚してからの、自己超克のありようを、庶民の生きる力、あるいはバイタリティーというような描き方には反吐が出るからである。人の存在など確かに小さきものかも知れない。が、その小さきものがなし得ることが、小さきものの自己満足で充足してしまうような映画になど共鳴するところなし、なのである。世界のクロサワは、実にくだらない、とるに足りない気難しいだけの映画監督だ、というのが僕のクロサワ評だ。

人は、人生のどこからでもやり直せる。これまでの自分の人生や考え方に嫌気がさすのならば、その時点から変えればよい。ただ、それだけのことだが、<変える>というのは、いろいろな手順を追って修正することを意味しない。そんなことは、無能な保守的政治家に任せておけばいいのであって、自己の生にまつわる変革は、唾棄すべき現状があるなら、それを徹底して破壊し尽くすことだ。破壊し、その瓦礫の中から立ち上がる気力がなければ、人生をやり直すことなど到底できることではない。保守的な心性をぶっ潰すことが出来なければ、せいぜいクロサワの<生きる>の世界観に留まることしか出来ないのである。

破壊し、その瓦礫の中から立ちあがるためには、それ相応の覚悟が要る。自分の考え方や生活様式を壊すということは、自分の存在そのものが壊れるリスクがついてまわるのは必然である。しかし、それでも前進するのである。なぜか?人生とは、本来、豊かなものだからである。生とは生きることそのものがおもしろいものだからである。どのような環境の変化が起こっても、絶望することなど意味がない。絶望こそは、現状が変化しているにも関わらず、考え方がかつてのままで、当然のことだが、価値観もかつての価値観にしがみ付いているからこそ、起こる現象なのである。絶望は、人間を不幸にするだけだ。生に対する考え方さえ変えることが出来れば、どのような状況下からでも、人は立ちあがれる。ちょっとした覚悟と勇気の問題だ。古きを破壊し、新たな生を構築しよう!これが、再生ということの意味である。今日の観想として書き遺す。

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○今後の課題として:自分の中の精神主義を極力排除すること。

2012-02-01 16:51:41 | 観想
○今後の課題として:自分の中の精神主義を極力排除すること。

自分が精神力というものを信じている人間だとは決して思わない。また、それほど、克己の精神性に溢れた人間だとも思わないし、精神・身体ともに克己に相当するような強靭さを備えているとも思わない。つまりは、自分という存在は、かなり平凡で、か弱き意気地のない人間である。

しかし、こういう中途半端な人間に限って、他者に対する受容力という点に関して、自分がなせることだけを比較の対象にし、その点で他者が劣っているとみるや、すかさず批判の刃を向けるのである。そのときの武器とは、まさに精神主義である。自分に適応可能な、かなり狭隘なそれである。そりゃあ、そうだろう、自分と他者と比較し、自分優位を主張するわけだから、精神主義の内実など、身勝手なそれに決まり切っている。身勝手でも、浅薄・狭縊であっても、勝ちに打って出る精神主義ほど、ある意味強力なものはないというのも否定し難い現実である。なぜかと云えば、そこには自己省察というファクターが欠落しているからであり、精神主義における自己省察の欠落の姿とは、暴力と同義語である。具体的な身体的暴力を使わないにしても、攻撃対象の存在理由を挫くことは出来る。それは、根底から瓦解させることが出来ると云う意味で、暴力そのものなのである。もはや、僕など、死ぬ間際まで来ている。少なくとも、このような次元に身を晒していることは、耐えがたいというのが実情である。

そもそも精神主義的な思想傾向というもの自体が,現れとしては理論武装(そうなのである。理論という武器で自己武装するのである!)で、自分の脳髄をガチガチにして、他者から吸収すべき思想の断片すらも、極細の網の目をはり巡らせて弾き返すのである。その結果は自己閉塞でしかない。この意味からも、精神の閉塞状態を正当化するのが、悪しき精神主義の内実になるのは必然的結末である。

僕は、自己の生涯の果てに辿りついて、はじめて言葉どおりの、定義どおりの自由を獲得したくなったのである。自由ほど、誤解されやすい概念はないので、これまでの僕は当然のごとくに、自由という誤謬を、自由そのものと錯誤していたことになる。自由奔放、もっと表現を卑近にした、やりたい放題という生きざまは、勿論、自由とは何の関係もない。敢えて云うなら、こういう言葉で規定されるのは、我執という概念に捉われた呪縛が底に根づいている、自由の反措定なのである。不自由と呼ぶには、あまりに自己本意、自己満足的なものであり、他者からの強制力を弾き返す力があるだけに、錯誤した自由を、自由そのものと見誤るのである。僕は、当然のごとくに、精神主義で、理論的武装を補強し、他者性の排除によって、当然なされるべき批判を遠ざけ、自己正当化と自由そのものとを混同していたのである。死の瞬間に意識の混濁が起こると聞いたが、価値の混濁が、僕のこれまでの長きに渡る時間を占めてきたのだろう、と思うのである。

自由でありたい!心底そう思う。しかし、自由とは他者の価値意識を認めつつ、理論的暴力で武装した精神主義を強要せず、静々と(こういう表現はふさわしくないのかも知れないが、いまの僕には最もぴったりとくるものなので、致し方なし。論理的な言葉で表現し切れるまで、まだ少し時間がかかる)相手の言葉に耳を傾け、意見の違いを冷静に伝達し、精神主義を強要せず、そこで齟齬が起これば辛抱強く語り合うことなんだろう、って思うので、どうにかして、そういう心境に立ち至りたきものだ、と努力するつもりである。僕にとっての自由の追求の開始である。もう時間があまりない。焦眉の急の課題として書きとめたい。

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○生きること、死することについての観想

2012-01-30 11:57:49 | 観想
○生きること、死することについての観想

生きることそのもののしんどさが先に立って、そのことが過剰になってしまったとき、人はしばしば苦悩の底に沈む。青年期の、先の視えなさが、自分の未来のあり方を想起させる余裕を与えず、生きてきたこと自体に不条理さえ感じることがある。それにしても、若きときは、おとなの生き方が一つの規範にはなる。たとえそれが尊敬に値しないものであっても、である。日常性とは、このような価値が醸成されつつ、人は歳を重ねていく過程なのである。生まれ出た時代の社会的・経済的な土壌の違いによって、意識するしないに関係なく、人は自分が産み落とされた前の時代性の大いなる影響を受けるのである。技術革新がいくら進んでも、本質的なところでは、人間社会が、過去の価値観を規範にしているために、社会そのもの、人の持ち得る価値観そのもののに、画期的で(revolutionary)、劇的な(drastic)変化が起こりにくいのである。日常性における保守性とは、実は、このような本質的なファクター(factor)が働いているからだ。

つまり、人は生きるという行為を、自分一個の存在理由に帰着させてしまいがちなのだが、前記したように、実のところはそうではない。少し大仰な言い方をすれば、人は過去の総体を背負って生きるのである。大きな視点でものを言えば、過去の文化・文明の総体を背負っている。しかし、このようなことに気づくのはかなり成長してからのことだ。たとえば、青年期における生への希求と絶望のブレの只中では、せいぜい自分の生まれ育った環境に感謝するのか、毒づくのかは別にして、狭隘な次元での歓喜、苦悩のあり方を想起する方がものの本質を見逃さずに済む。

このようなことに視点を当てれば、僕たちは当然のことながら、生きることに躓いたとき、その精神状態を、自己の本質的で、根源的な、そして、あくまで他者性を排除した、精神の行き着く果てにおける苦悩だと錯誤しがちなのである。したがって人が苦悩の果てに自死を決意するに際しても、自死そのものが、歴史の流れのプロセスとは切り離せないものだとは決して考えつかないものなのである。敢えて言おう。死とは、己れの死であって、同時に己れの生きた時代の、それは芥子粒ほどの存在であれ、極小の時代の死でもあるということを。

僕たちは、生きるという営為、死という終末が、ともに存在論的に世界と断絶し得ないものである、ということに自覚的でなければならない、と思うのである。このことに思い至れば、たとえ日常性における政治・経済などのバカ騒ぎを唾棄して、そういう社会性を自ら剥ぎとることが知性主義のひとつのあり方などと言うのは、簡単に言えば単なる独りよがり、もう少し厳密に言うと、社会性の放棄、思想的な次元での世界との断絶を意味するのではなかろうか?綿々とうち続く歴史の中で生き抜くには、考えること、あるいは目にすることすら嫌になるような、陳腐な出来事がワンサと覆いかぶさって来るのを回避出来ない。知性が洗練されていればいるほど、この種の陳腐さにウンザリとさせられる度合いが強いのは当然でもある。しかし、である。それでも生きること、死することを分断することなく、自己と世界のありようを考えること。その上で、生き死にを決めればいいのである。断言できることは、生きるも死するも、それを決意するには苦悩がついてまわる。別の言い方をすれば苦悩なき生など存在論的に不可能である。死すらも苦悩なきそれはあり得ない。その意味で、苦悩から解放される死などというものはあり得ない。今日の観想として、書き遺す。

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○なにが嫌かと言うとねえ・・・

2012-01-27 15:56:45 | 観想
○なにが嫌かと言うとねえ・・・

だいたいにおいて、人生というものはこういうものか、という見極めがつくまで生きてきても、やはり、今さらながら、時として生きていることに絶望する瞬間があるのである。よくよく考えてみれば、絶望して、生きること自体がうざったいと感じる要因は、それほどバラエティに富んでいるのではない。かなり限られたものであることが分かる。殆どの人たちと共有できることだろうが、それは卑しい人間性と直面し、その影響をもろに受けるときではないだろうか。

勿論、卑しさといっても、いろいろな現れ方がある。しかし、この概念性に限っては、現出の仕方が多様であっても、その卑しさの影響を受ける側は、たぶん、次のような感覚に苦しめられる。強圧的であるがゆえの束縛感、自由の観念の喪失感、自分が属する環境が閉塞していくに従って増していく息苦しさ、これらが抽象化し、概念化された概念性を総称して不条理というのである。僕たちは、このような卑しさがもたらす不条理に直面すると、とても耐え難き気分、感情を裡に抱え込むことになる。心の繊細な人は、適応障害、不安障害、抑うつ症状、うつ病、統合失調症、等々、精神の病のオン・パレードに見舞われる危険性さえある。昨今、あまりに多く頻発するパワハラ、セクハラなどという犯罪的行為の底には、そういうことをやってしまう人間の心の底に沈殿した、卑しさそのものがある。この種の卑しき人間が組織の上層部に居座ると、その組織自体が閉塞し、腐る。決して発展や繁栄は望めない。組織的頽落が現れるまでに要する時間の差異だけの問題であり、凋落の憂き目に遭うこと、必然である。もし、あなたが、こういう卑しき人の下で働いているのであれば、どれほど我慢してもあまり意味がない。危険回避、これのみである。賢い危険回避の方法を考えることが最も重要な課題である。

さて、今日はもう一つ。卑しさの象徴的現れについて語ろう。それをひと言で言ってしまえば、偽善。偽善をなす偽善者のことである。この世界には偽善者という範疇に入る人間があまりにも多い。一見して、人当たりがよい、一見して、優しげな言葉をかけたがる雰囲気の持ち主、一見して、社会的正義を口にするような薄っぺらなヒューマニスト、等々。しかし、こういう人々こそ、自分を守る術に関しては、天才的な嗅覚を持っている人たちだ。逆に言うと、自分にとって不利益になるようなことが身に降りかかると、まさに卑しき心性がもろに顔を出す。誤魔化しようのない醜悪さだ。こういうこととは無関係に生きたいものだが、誰もが例外なく集団の中で生きている以上、ソローの「森の生活」すらたいした模範にはならない、と僕は思っている。

生きていて、楽しかったと思える生涯を閉じたいと思う。これは心底思うのである。あまりにつらきことがあり過ぎた。人との関係性が、人の幸不幸を決定づける最大の要因である。その意味では金などどうだってよい。日本人にはよき言い回しが流通していたではないか。金は天下のまわりもの、というような。それでよいではないか。金の切れ目は縁の切れ目。これもいい。金銭でしかむすびえない関係性など、ドブに捨ててもいいはずだ。ともかくも、残り少ない人生なのだ。これでよかった、と思える生を閉じたいと切に願う。今日の観想として、書き遺す。

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○一回性としての生、反復する歴史。

2012-01-25 18:23:04 | 観想
○一回性としての生、反復する歴史。

輪廻転生などという訳の分からない妄想でも信じない限り、自己の生とは、一回こっきりの、取り換えの不能の、その意味において、ある種哀愁すら感じる存在、それが、生きるということの実体なのではなかろうか?その上、人生とはあくまで不条理でもある。とりわけ、持って生まれた能力のあるなし、生きる過程における幸運と不運が介在する不公平感。取り返しのつかなさ。同じ生涯なのに、どうしてこうも生にまつわる偏りのある幸不幸が、当然のごとくに肩に覆いかぶさってくるのだろうか?生のどん底に落ち込んだ人間が、どん底(どん底の定義は不可能という前提で書き綴る)たる生を生き抜くことに必要な諦念と、限定的な可能性の中を生きざるを得ないエナジーを獲得するまでに要する、それこそ気の遠くなるような無為な時間の流れそのものを忍耐する気力は、並み大抵ではないだろう。こういう意味合いにおいて、生とはどこまでも人それぞれの、取り換え不能の、一回性たる存在であろう。つまり、人間は、あくまで一個の人間は、取り換え不可能なユニークな存在であるはずだ。

それなのに、個としての人間がかたちづくる集まりとしての人間存在、それを共同体と呼ぼうと、一般に考えやすい国家と呼ぼうと、いったん歴史というコンテキストの中に人の営みを投げ入れた瞬間から、史実的言動、史実としての歴史的事件からユニークさを探し出す方が、かえって難しくなるのはどうしてなのだろうか?「歴史は繰り返す」という卑近な表現は、歴史上の事件をあまりに類型化し過ぎる安易さがあるにせよ、訳知り顔の人間たちの浅知恵、小理屈だけで、ゴミ分別のごとくに歴史的史実を類型化し得るだけの要素が、個が集合体として認識された途端に生じてくる。その一方で「歴史は繰り返す」という視点に立てば、すぐに視えてくる真実がある。それは、歴史とはあくまで歴史編纂をする側の、権力を握っている側にとって都合よき思想が、その底に在るということだ。大河のごとくに悠久と流れる広大な裾野が広がる民衆・大衆・それらの指導者たちのすべての歴史的事実が記述されるわけではない。分かり切ったことだが、一般に云うところの歴史的記述とは、その時々の体制が、広大無辺な歴史的事実の中から、極細とした糸を選り分けて紡ぎ合わせていることと同義語である。

上記のように、歴史における反復は、至極当然のように起こり得る状況ではある。しかし、また、僕たちは案外、歴史の反復の限定されたファクターについて想いを馳せることに慣れていないのも事実ではないのだろうか。繰り返される歴史そのものが、極端な言い方をすれば、創られた歴史の反復なのである。断るまでもなく、「創られた歴史」ということの内実は、歴史の捏造から、歴史的史実の選択のあり方まで、幅がある。しかし、これらを総称して、僕は、歴史は創られると言うのである。また、歴史の反復とは、創られた歴史が単純に繰り返される場合もあれば、反復の過程で、歴史的史実が変質する場合もあるということを意味している、と言いたいだけである。

どのようにあがいても生は一回性でしかあり得ないし、また、そうである方がよい、と僕は思う。インチキなスピリチャルな思想から、生まれ変わりが正当化されるよりはずっといい。下卑たスピリチャリズムが唱える過去世や未来世という思想は、生の一回性の価値を否定するばかりでなく、歴史に名をとどめられなかったル・サンチマンが根っ子にあるように思う。この種の低劣なル・サンチマンを生きる根拠にするくらいなら、権勢の側に立ち得なかった一個の人間として、静かに歴史の塵あくたとして、生を閉じたいものである。いかに矛盾多き世界であれ、リアリズムから目を背けることは、敗北である。そういう想いを書き綴って、今日の観想としたい、と思う。

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○素朴に問いなおす!何のために生きるのか?って。

2012-01-23 13:03:31 | 観想
○素朴に問いなおす!何のために生きるのか?って。

物心ついたつきから、今日に至るまで、経験と知識の積み重ねと取りこぼしとを重ねながらも、同じことばかりをずっと考え続けてきたように思う。決して生真面目な気質ではない。それでも人生の折々に、仕事などで夢中になって、その多忙さの中で、多忙さそのものが生の価値か?というような馬鹿げた錯誤に無理矢理陥ろうとしたことだってある。多忙さと煩雑さの、象徴的で、凝縮された場が家庭と仕事場だ。生の価値を半ば自暴自棄的に見出そうとしていた頃の、バカ騒ぎの只中で僕になし得たことと云えば、世の常識に合った家庭人、あるいは仕事人間を装うことでしかなかった。仕事人としてのファミリーマンであるという偽装工作までやってのけたわけで、なんとも表現しようなき自己の本質からの逸脱である。勿論、それにしても、僕と云う人間は、どこかしらに、常道からの踏み外しや揶揄や暴走と云った地雷を抱えたアブナイ存在だったとも思う。人生のどこかしらで、自己破壊のための自爆のスウィチを入れることに対して、常にスタンバイ状態だった。生活人としての失格者が、心の底で呟く言葉とは、オレは何のために生きているのか?という、稚拙で、単純で、また、ありふれた自問でしかない。それを生に対する抗いというならば、少し自虐的にイエスと言うだろう。

文字どおりに自爆し、職業と家庭を失ってからの数年間は、絵に描いたように(僕の場合、こういう表現を極力忌否したいのに、大抵、皮肉にも絵に描いたごとくにさまざまなことが現出するのである)食い詰めて、精神を病んだ。自己の内面からあらゆる自発的な言動が姿を消した期間は、数年に及ぶ。自信も確信も失った。生きることに意味を見出そうという意識すらなくなった。唯一積極的な意思表示とは、自死への希求だけだった、と思う。3度臨界を彷徨い、運悪く生環してしまった。いま生きているのは、そのような結末ゆえに過ぎないのである。To be or not to be, that is a question? No, not at all. Under such circumstances, not to be was my only decision and also my final destination.

47歳から今日に至る約11年を、どうやって生きつないできたのか、自分でもうまく説明し切れないのである。現在の仕事に辿りついたのも意図的なものではない。敢えて表現するなら、気がついたらこうなっていたのである。僕が人さまからお金を頂いて、生きる知恵を授けることが出来るとするなら、それは、生と死の臨界点を彷徨った挙句の果てから視える、生の底の底にあるはずの、生きるエナジーの在り処を教える可能性を持っているということだろうか。誤解なきように。僕は生のエナジーの在り処そのものについて示唆出来るのではない。あくまで、その可能性に対する示唆が出来るだけである。カウンセラーという仕事におけるランクづけがあるとするなら、たぶん、僕は下の下くらいだろう。でも、下の下にしか視えないことだってある。そういう居直りだけが、いまの僕を支えている。さて、ここで自問し直す。僕は何のために生きるのか?と。他者に生きるエナジーを示唆するため?勿論違う。恥を忍んで明言するなら、僕は自己の生を生き抜くために、生きているのである。死に切れなかったのである。そうであれば、無様にでも、行き着く果てまで行き着いてやろうか、というのが、いまの目論見である。その過程で、なにほどか人さまのお役に立てればよいとは思う。ただし、僕は偽善者が大嫌いなので、どこまでも自分のやり方は貫く。勇ましい意図ではなし、偽善的なもの言いはしないつもり、というだけである。それしか出来ないのである。これを読んでくださった方々、すみません。こういうことしか今日は書けませんでした。敢えて、今日の観想として、書き遺しておきます。

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○絶対に両親のような生き方だけはすまい、と思ったんだけど。

2012-01-22 16:24:13 | 観想
○絶対に両親のような生き方だけはすまい、と思ったんだけど。

今日はかなりプライベートな話題を。なにをまともだというのかは、規定するのが難しいけれど、親子関係において、両親に多少のクセがあっても、子どもはそれなりに自立していき、家庭を築き、自分の子どもを授かったら、親も老いてきて、そろそろ親の面倒をどうやってみようか、などと心の隅で考えている。親の終末期に際して、小汚い遺産目当ての目論見があったとしても、親の後始末のことをまじめに考えもする。まあ、普通の親子関係というのは、程度の差があるにせよ、こんなものなのだろうか、と思う。父親や母親に対する嫌悪の情があって、ああはなりたくない、と懸命に思春期以降抗ってもみるが、自分が嫌悪していた父、母と同じくらいの年齢になると、自分もまた、彼らと同種の価値観を後生大事に抱えているのを発見して、ぞっとする、なんてのも、まあ、よくある話。いいでしょう、親子関係なんてそういうものだから。普通はね。

さて、僕の場合。58年前のできちゃった結婚のなれの果て。生まれるはずのなかった僕がいまこうして生きているのは、僕からすると父方の祖父が、20歳になったばかりの、火遊びした結末を抱えたなんにょ(男女とはっきりと発音するよりも、こういう曖昧な響きの言葉がぴったりとするわけです、僕の心境的には)を無理矢理?に結婚させた結果の、どうでもいいような、当事者たちにとってはたぶん、踏んだり蹴ったりの事の収め方ゆえ。物心ついたとき以来、父、母のよき点を見ようと、それなりに努力してきたけれど、どうしても最後に呟く言葉は、子どもが子どもをつくったらいかんよ、っていう類のものだったなあ。

僕が社会で飯が食えるようになるには、かなりの紆余曲折があったけれど、自分の中に、世間で流通している家庭観、親子観、そういう一切合切の世間知が著しく欠落していることに自覚的であったがゆえに、敢えて、自分に抗った。絵に描いたような家庭。しかし、絵に描いたような家庭なんて、なんの魅力もないわけで、どこかの時点で引き裂いてやりたくもなる。僕に関わる人は、女房であれ、子どもであれ、彼らにとっては、いい迷惑なのだが、出来あがったものをぶっ壊したき欲動はどうしようもなく強烈で、成立不能の状況に追い込んだのは、どのような理由をくっつけようと、やはりこの僕その人である。

自分の両親のようにはなりたくはない、という気分、感情が過剰になったのである。自分が構築した職業、家庭生活、そういうものすべてがエセもののごとくに感じられてしまう。ある種の性格破綻者としての僕には、矛盾を抱えつつも夫婦、親子であり続けることの忍耐も、虚偽に耐えるだけの図太さあるいは曖昧さもあるわけがない。当然、壊れるわけである。離婚した元女房に恨まれるだけならまだしも、僕の場合、息子たちにもひどい恨まれ方をしている様子。自分のことを棚に上げて言うならば、ル・サンチマンは、結局生きる力にはならんから、彼らにははやくそういう概念から自由になってほしい、とは思う。存在の根底から抹殺してしまえばいいわけである、この僕を。そうするだけの権利が君たちにはあると、僕は言いたいのだが、こんなところでクダをまくように書き綴るしか手がないのは至極残念。許せよ、息子たち。

さあ、何度目かの(何度目かは書かない。誰も素直には祝ってはくれない再出発だからね)、遅蒔きながらの出直し、である。添い遂げられるかどうかの自信は勿論ない。自信はないけれど、少なくとも、こうは言える。いま、僕は自由である。あらゆる既成概念から自由であって、そういう自由闊達な想いを抱いた上で、やり直しを思い至らせてくれた人生の同伴者である。なんとかなっていくだろう、と思う。老いてなお、いや、老いたからこそ、思想的な柔軟性を獲得する覚悟でもあるから。こういう覚悟は、同伴者も認めてはくれるものだと素朴に僕は信じることにしたからね。がんばります。今日の、というより、人生の総括として、書き遺しておくことにします。我慢強く読んでくださった方々に幸あれ!

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