活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

迷悟について3

2017年10月09日 | 法理

迷いとか悟りとかいいますが、「もともと迷っていなかったんだ」

ということに気が付く、それだけのことです。

 

迷っていなければ悟りというものがあるはずがないのです。

 

ですから、「迷いも悟りもない」のが今の私たち衆生の

「本当の様子(状態)」なのです。

 

それを、「今」といっているのです。


今の連続ですから、今を離れてものというものは存在しないのです。

 

迷いも悟りも入る隙間もないのが「今」なのです。

 

そういう今の中にありながら、「自我を持った人」というのは

「このままではいけない、結果が出て来ない」という、そういう

「見(けん)」がチラチラ出て来るわけです。


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