活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

因縁生とは1

2017年02月20日 | 法理

私たち衆生の目の前に、因縁によってさまざまなかたちの

ものが現出しています。

これを「因縁生」といいます。

 

又、あるいは形のないものでは「心の働き」など

「因縁生」によって現れた事象のことを「差別(しゃべつ)」

といっています。

 

すべてが「因縁生」のものですから、ある「縁」により

男性になり女性になり、さまざまな耳目によって現れて

来ているのです。

 

「法」としては、平等と差別(しゃべつ)というのは

一体になっているのです。

 

しかし、今の私たち衆生は、「人(にん)」としては、いつでも

どこでも「縁」とひとつになっているのですが、そういう状態を

自分では知ることは出来ません。

これを「不識」といいます。

 

何故なのでしょうか。

たとえば「花」を見たとします。

最初に観た瞬間は自分の好みに合う合わない、美しい美しくない

などという「感情」は一切出て来ません。

 

「花があるという認識」だけです。

ところがその瞬間に、「この花はあまり美しくない」とか

「この花はきれいだ」という「花という見たそのままの対象物」

とは全く関係のないところに「分別心」を生じさせてしまうのです。

 

ですから、「自分の問題」として、そういう「心」を起こした

ということです。


そして、「この心」は目の前の「花(相手)」を取り除いても、

自分の中に好きだ、嫌いだ、美しい、美しくないという

「感情」になっていつまでも残っているのです。



2015/9/18 因縁生


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